第五章 理を無にする者
第五章 理を無にする者
ロベール卿に逢うのはカインはあまり気が進まなかった。
彼がレスター王子を厭う気持ちが、カインには理解できないからだ。
第二王位継承者として生まれたのなら、その立場を全うすることこそ、自分たちの役割だと思う。
それを世継ぎに生まれた者を羨んで嫉妬して、なんとかその座から蹴落とそうとするやり方が、どうにも気に入らないのだ。
それにロベール卿はどうも勘違いをしているようで、カインも第二王位継承者という立場を納得していない同類だと判断している節があり、なにかと誘惑を掛けてくる。
それが……鬱陶しかったのだ。
カインは純粋にアレクの手足として動きたいし、兄の役に立ちたいと思っている。
自分の一族の者や母は、それを認めていないことは知っているが。
ロベールの存在はカインのそんな触れてほしくないところにズカズカと触れてくる忌まわしい存在だった。
しかし敬愛する兄、アレクの命令だし、兄の命令には確かに矛盾がなかった。
ロベール卿の他にルノールの命綱とも言える精霊について、シャーナーンの皇子である自分たちに打ち明けるような阿呆はいないだろう。
そして打ち明けさせる相手にカインを選ぶ辺り、アレクはわざとじゃないだろうなとまで疑ってしまう。
「アレクのことだ。おそらくおれがロベール卿になにかと勧誘されていることも知っていての人選なんだろうな」
さすがのロベールもレスターと同じ立場のアレクにはなにも言わないだろう。
だが、カインが相手なら口が滑る。
アレクはされを知っているとしか思えなかった。
相変わらず喰えない兄だ。
少し姿を探せばロベール卿は噴水のところに佇んでいた。
これがあのレスターの従兄なのかと思うほど似ていない。
レスター王子は幼いながらも美形だし、将来が楽しみになるような容貌をしているが、ロベールは顔立ちが平凡だ。
ルノールならどこにでもある顔というのだろうか?
特にルノールなら不思議のない特徴のない顔である。
レスターはルノール人としては、かなり綺麗な顔立ちだし将来は格好いいと言われるような大人になるだろうが、ロベールは無理だ。
18にして既に30男の哀愁を背負っている。
なんだか嘆かわしいと思いつつ、嫌々ロベール卿に近付いた。
『お久し振りですね、ロベール卿』
ルノール語で話し掛けると、振り向いたロベールが顔を輝かせた。
『カイン皇子!!』
『昨日来たときにレスター王子をお見掛けしましてね。もしかして貴方も来ているのではないかと思って探していたんですよ。お元気でしたか?』
『はい。カイン皇子もお元気そうで』
『これでも軍の人間ですからね。健康は資本です』
それから当たり障りのない話をしてから、カインは何気なく話題を振った。
『そういえば瀬希皇子のご側室のことですが、精霊が見えるそうですね?』
『それは……』
ロベールも打ち明けることは躊躇われるのか目が泳いでいる。
『わたしは精霊のことをよく知らないんですよ。それだけに興味もありましてね。他国人に精霊が見えるというのは、よくあることなのですか? ロベール卿? 貴方ならご存じでしょう? ルノールきっての物知りだし』
自分で言いながら歯が浮く科白だなあとカインは思う。
ルノール一の物知りと言われ嬉しかったのか、ロベールはペラペラと喋った。
『いいえっ!! とんでもないっ!! ルノール人以外が精霊を見ることなどできませんっ!!』
『でも、あのふたりのご側室は見えたのでしょう? そう噂が広がっていますよ』
『今でも信じられませんよ。精霊が見えた上にご存じですか? 兄の朝斗と名乗っておられたご側室は精霊の加護を受けられました』
『精霊の加護というのはどういう?』
カインはこのとき首を傾げていた。
レスターの態度では綾都の方に重点を置いているように見えた。
だが、ロベールの言い方だと、まだ面識のない双生児の兄、朝斗の方が問題だと聞こえる。
どういうことだ?
『精霊の中でも力の強い四精霊というのがいます。力の中でも四神にも通じる四元素を操る精霊で、その中心に位置する精霊のことなのですが、彼らが朝斗という側室に加護を与えたのです』
『加護を与えられるとどうなるのですか? どうもわたしには理解できなくて』
『四精霊は精霊たちの中心に位置する精霊です。その彼らに加護を与えられたということは、全世界精霊教の理の影響を全く受けないという意味に変じます』
それは最上級の精霊使い以上の存在とされてなかったか?
カインの眉が知らず寄る。
だが、それを知られないように注意していた。
『それだけではなくて朝斗という側は、どうも最上級の精霊使いらしいのですよ』
『最上級の精霊使い? あの精霊の加護により召還術を行使できると言われている伝説の?』
さすがに聞き逃せない気がした。
これで何故レスターは綾都の方を重視していたのだろう?
重要なのは双生児の兄の方だろうに。
それとも綾都にも同じことを精霊たちはしたのだろうか。
『第一位のご側室にも精霊たちは同じことをしたのですか?』
『いいえ。精霊が加護を与えるというのは、余程の事態です。過去数百年も加護を受けた精霊使いはいません。ですからあの第一位の側室は加護を受けてはいません。そもそも精霊使いでもないようです。精霊たちは朝斗と呼ばれた側室には、最上級の精霊使いに対する挨拶をしていましたが、あの綾都という側室には頭を下げただけですから』
最後に付け足された言葉には、カインはギョッとした。
精霊が加護を与えられるということが、余程凄いことだということは理解した。
数百年加護を与えられた人間はいなかったのだ。
数百年振りに加護を与えられた人間より、精霊に敬意を示され頭まで下げさせる人間の方が重要ではないのか?
精霊は扱いにくく自尊心も高いと聞いている。
その精霊がたかが人間に頭を下げる。
そんな事態はありえないだろうに。
『精霊が頭を下げるというのはよくあることですか? あまり聞いたことはありませんが』
『そうですね。わたしも初めて見ました。綾都という側室に悪戯をしていたので、それを朝斗という側室に責められ、謝罪しただけではないですか?』
『それは彼らは精霊と会話も可能ということですか?』
『わかりません。わたしには精霊の声は聞こえませんので』
ロベールは先程から曖昧なことを言い出した。
わからない。
知らない。
そういう単語が多く出始めたのだ。
ではこれ以上問い掛けるのは無駄かもしれない。
しかし悪戯をするのは精霊の習慣のようなものだと聞いているし、そもそも精霊は悪戯することで相手への好意を示すと聞いている。
その場合、責められたからといって謝罪なんてするだろうか。
カインはそろそろ見切りをつけて会話を切り上げることにした。
『ああ。もうこんな時間ですね。そろそろ昼食の時間なので失礼します。ロベール卿』
背を向けて歩き出したカインの背中に焦ったような届けられた。
『カイン皇子!!』
振り向いて顔だけを向ける。
『なんでしょうか?』
『まだアレク皇子に従うおつもりですか? 皇帝になら貴方がなれば宜しいでしょう?』
カインにそれを言う愚かしさにこの人は、いつになったら気付くのだろうと、カインはため息を漏らす。
『兄は優秀な世継ぎですよ。わたしの望みは皇帝になることではなく、皇帝となった兄の右腕になることです。ですからそんなつもりはありません。では失礼します』
情報を聞き出すだけ聞き出しておいて、カインはロベールを冷たく突き放す。
古希と共に同類と言えるカインに突き放されて、ロベールは悔しそうな顔をした。
昼食の時間だというのは事実だったので、カインは少し報告を見合わせなければならなかった。
今日の昼食は華南の皇族たちとする会食だったからだ。
その場には賓客としてルノールのレスター王子はいたがロベール卿の姿はなかった。
省かれたなとカインは思う。
ここには王となった者、または王となれる者、そしてその妃たちだけが集まっている。
ロベール卿は継承権こそ持っているが、正統な王子ではないという理由から省かれたようだった。
その席でアレクとカインは初めて綾都の双生児の兄、朝斗と面識を持てた。
綾都はまるっきりの美少女めいた美貌の持ち主だったが、これが朝斗だと紹介されたとき、アレクもカインも目を疑った。
双生児だと聞いていたが、まず外見年齢がまるで違う。
朝斗の方がかなり年上に見える。
おまけに朝斗は精悍な顔立ちで、綾都とは全く似ていなかった。
似ているところを敢えて探すなら、朝斗も綾都とは違った意味での美形だということだろうか。
綾都はまだアレクやカインに怯えているのか、あまり話さなかったし、眼も合わせなかったのだが、朝斗はなにか含むところがあるのか、アレクやカインの方をチラリチラリと覗き見ていた。
実は朝斗は知っていたのだ。
アレクが綾都に強い関心を寄せていることを。
そのせいでつい警戒していたのである。
食事は何事もなく終わって、アレクとカインは部屋に引き上げた。
弟の報告を待っていたアレクは、カインからようやく報告を受けたが、その内容は意外なものだった。
「精霊の加護を受けた兄に精霊に頭を下げさせた弟か」
「この場合、どちらが重要か、精霊に詳しくないおれが言うのもおかしいが、どう考えても普通は頭を下げさせた方を重要視しないか?」
「そうだな」
「だが、あれから少しルノール側に探りを入れてみたが、どうもレスター王子以外は、綾都という側室ではなく、朝斗の方を気にしているらしい」
「それだけ数百年振りに精霊の加護を受けた人間という事実が重いんだろう。カインは意識していないようだが、ロベール卿の言った最上級の精霊使いに対する挨拶、というのはおそらく挨拶のレベルではない」
「では?」
「伝説とされている最上級の精霊使いに対する精霊たちの挨拶、だろう。おそらくな」
最上級という言葉だけなら、挨拶として最上級のものとも取れる。
だが、それが最上級の精霊使いに対するものだったら、また意味が変わってくる。
カインは思わず難しい顔になる。
「だったら何故レスター王子だけが、あの綾都という子供を重要視しているんだ?」
「精霊の加護を受けた人間というのも確かに意味は重い。だが、普通は精霊は人間には頭なんて下げない。ロベール卿の言ったような理由なら尚更だ。その現場をすべてのルノール人が見ていたのに、その事実に重要性を読み取ったのはレスター王子だけだった。ということはやはりそういうことなのか?」
「アレク?」
カインが問い掛けると眼を伏せていたアレクが、その青い瞳を開いて弟を振り向いた。