第二章 四大国家





 第二章 四大国家





 古王国ルノールを出発した大国シャーナーンの皇子の一行は、現在は東方の小国華南を目指して旅をしていた。

 ルノールを早々と出た理由のひとつとして、次期国王でありアレクが最も警戒している王子レスターが国にいなかったことが挙げられる。

 アレクは23歳。

 カインが19歳。

 シャーリーが15歳。

 ケインは13歳。

 そして華南の第一皇子瀬希がカインと同じ歳。

 第二皇子古希は12歳で皇族の中では一番幼い。

 ダグラスの大統領ウィリアムは現在28歳。

 若くして民衆の支持を集め選挙によって正当に選ばれているので、ダグラスでは英雄扱いされている。

 そしてシャーナーンの隣国であり、皇子としては最年長の立場にいるアレクにとって、一番目障りな古王国ルノールの第一王子レスターは15歳。

 世継ぎとしては最年少だが、とても優れた王子と噂されていて、なにかと逸材だとされている聡明な王子だった。

 華南は国の位置的に他の三国とは意味を違えているせいか、あまり噂が届かない。

 だが、旅に出てから集めた噂によれば、第一皇子瀬希は自国では人望も厚く、また文武両道で聡明な世継ぎの皇子として支持されているらしい。

 第二皇子古希は幼いせいか、あまり悪い噂も良い噂も聞かない。

 敢えて印象を挙げるなら、優秀な兄の影に隠れてしまった悲運の皇子といったところだろうか。

 シャーナーンを統べているのは皇帝。

 華南を統べているのが帝。

 ルノールを統べているのは国王。

 そのためこの三国には世継ぎと呼ばれている後継者がいるが、ダグラスだけにははっきりとウィリアムの後継者と名乗れる人材がいない。

 選挙によって選ばれるので、次期大統領候補なら沢山いるが、誰が大統領になるかは民衆によって決められるため、ほとんど意味がないせいだ。

 そういう意味で新興国だけあってダグラスの民主政治は異端だった。

 そのせいだろうか。

 世継ぎとして最年長という位置にいるアレクは、つい他国の世継ぎたちと自分を比べてしまう。

 レスターも瀬希も世継ぎとして優秀と噂され、どちらも民にも人気が高く臣下からも信頼されている。

 それだけでアレクはこのふたりを無視できない。

 敢えて不安材料を挙げるなら、ルノールならレスターの従兄弟に当たる王弟の息子、ロベール卿だ。

 彼が第二王位継承者なのだが、彼は年下の(ロベール卿は18歳なので)レスターが世継ぎを名乗っているのが気に入らないらしく、なにかと彼に逆らい王位を得ようと虎視眈々と狙っている。

 そういう内情を抱えていた。

 華南は華南で第一皇子瀬希と第二皇子古希は仲の良い兄弟だが、周囲がそれを歓迎しない傾向にあるという。

 何故なら華南では最高権力者は確かに帝だが、権力を握る宰相大志(23歳)が、第二皇子古希を擁立しようとしていて、王位争いが表面化しつつあったからだ。

 華南の宰相の地位はとても高いので、瀬希も苦労しているらしい。

 そういう意味でこの二国は王位を巡って王族同士が争っている状態なので情勢は不安定だ。

 最後の一国ダグラスは民主政治を行っているせいで、正当な後継者というのがいない。

 上手く後継者が育っていればいいが、今はウィリアムがあまりに優秀なため、後継者が上手く育たないという難題を抱えている。

 今彼になにかあればダグラスは国家存亡の危機である。

 だから、召還獣を召還し続けて、国の安定を図るのだろう。

 つまりこの三国は今、後継者争いで揺れていることを意味した。

 どれほど優秀な世継ぎがいても、権力を巡る争いというのは絶えないし、そもそも世継ぎの存在しない政治では、後継者を育てるのはとても大変。

 その意味で我が国は助かっているなとアレクは思う。

 アレクの世継ぎとしての地位は揺るぎなく、第二王位継承者であるカインは、兄に心酔しているため、王位には執着していない。

 第三皇子ケインはそもそも皇帝になる気がない。

 音楽家になりたいと夢見る芸術少年である。

 そのため四大国家と呼ばれている中で、シャーナーンだけが安定した政治を行えていた。

 華南は東国。

 シャーナーンが北国。

 ルノールが南国。

 ダグラスが西国。

 それぞれが東西南北に別れているため、今までアレクは華南を訪れたことがなかった。

 瀬希もまた自国を出ることがなかったので、アレクと瀬希の間では面識はない。

 取り敢えず謁見までに情報を仕入れておくかとアレクは手元の書類に視線を落とした。





「ダグラスではあまり収穫がなかったね、ロベール」

 そう屈託なく声を投げるのは、ルノールの第一皇子レスターである。

 レスターはダグラスが召還したという人形の召還獣の噂を確かめるため、ダグラスへと出向いていた。

 しかしダグラスはそういう召還獣はいないの一点張りで、如何にも早くレスターを追い出したいといった感じだったので、これでは収穫が望めないと早々に国を後にしていた。

 レスターは15の子供らしく屈託がないが、将来は美形に育つだろうなと思わせる容貌を誇っている。

 その美貌にロベールは軽蔑の目を向ける。

 レスターは自分の地位を彼が狙っていることは知っているので、なんとか親しくなって無意味な争いの芽を潰したいのだが、ロベールは中々打ち解けてくれない。

(これでボクが隠していることを知ったら、ロベールはなんて言うかな。知ったら望みがなくなることを突き付けられたら……)

 話し掛けたものの睨まれただけのレスターはため息をつく。

 そうして馬車の外を見た。

 ダグラスでの唯一の収穫は、大統領ウィリアムと会食したことだろうか。

 ウィリアムはまだ28歳の若者だが、切れ者と噂されるだけあって、どこか油断ならない人物だったとレスターは思う。

 内面に獅子を隠しているというべきか。

 自然教に関しても自国で、それが浸透する分については、特に気にしていないし布教する気配もない。

 他国が違う宗教を信じるのも自由にすればいいと思っている。

 ウィリアムも自由な発想を持っているとされているダグラス人らしく、常識に囚われない考え方をするようだった。

 しかしこれが国同士の問題となると違うのだろう。

 正式に訪れてきたルノールの世継ぎに対しても、きちんと大統領として振る舞っていた。

 だが、それでも隠すべきところは、しっかりと隠している。

 人形の召還獣が召還されたのはほぼ事実だ。

 噂好きの使用人たちから確認したから確かだ。

 ダグラス人そっくりの色を持つ男女。

 しかし顔立ちはダグラス人ではないらしい。

 言葉も通じないらしく、現在ダグラス語を教えている真っ最中。

 収穫といえばそれくらいだった。

 まあ実在することがわかっただけよしとするべきだろうか。

 ウィリアムはこの点については、しっかりと隠していた。

 会食の後に探りを入れたレスターに「そんな事実はありません」と笑顔で否定したからだ。

 やはり大統領に選ばれるだけはあるなと思ってしまった。

 レスターは王子に生まれついたから世継ぎを名乗れるが、ウィリアムは実力で今の地位まで登り詰めた。

 その点だけは凄いなとは思っているが。

 次に向かうべき場所は華南。

 自国へ戻るまでにあまり接触のない華南にも寄っていこうという判断である。

 こうしてシャーナーンの皇子一行と、ルノールの王子一行が向かっていることを知らず、華南の宮殿では瀬希が連れ帰ったふたりの少年について問題が起き始めていた。





『兄上様』

 ここではもう妹からしか聞けない母国語を聞いて、ルパートは顔を上げた。

 その顔付きはどこの国とも知れないが、髪は赤で瞳は金。

 肌は褐色だった。

 美形といってなんら遜色はない。

 年の頃は20歳に満たない程度。

 本人は18だと言いたいのだが、言葉が通じないので周囲はルパートの年齢をよく知らない。

 名前だけは言葉を教わってなんとか教えたが、年齢まではまだ伝えられずにいた。

『ルノエ』

 そこでは双生児の妹ルノエが立っている。

 ルノエは美少女なので、こんなところに召還されてしまったルパートは、とても心配している。

 この国を統べているのはまだ若い男性で、ウィリアムというらしいが、彼に目をつけられないかとヒヤヒヤしている。

 ルノエは兄の隣に行くとそっと腰をおろした。

 バルコニーに腰掛けていたルパートは、妹が落ちないようにそっと肩を抱く。

『国の者は心配しているでしょうか。わたくしたちのことを』

『心配していないはずがないだろう? ここでは誰も信じてくれないだろうが、わたしは世継ぎだったし、きみは唯一の王女だったんだ。それがいきなり姿を消せば騒がれる。ただ』

『ただ?』

 顔を覗き込んでくる妹にルパートは憂い顔になる。

『世継ぎ不在のままでは問題視されるし、なによりも国家の存亡に関わる。不在が長引けば……わたしたちが帰る場所を失いかねないね』

 由緒正しい血筋に生まれ、それなりの扱いを受けてきたふたりにとって、いきなり見知らぬ国に召還され、言葉も通じない環境にいるというのは、かなりのストレスになっていた。

 ふたりの手が驚くほど荒れていなかったこと。

 召還されたときの身形が立派だったことなどから、今は丁寧な扱いがされているが、ウィリアムがそれを命じなかったら、今頃どうなっていたかルパートにもわからない。

 ここでは自分たちは無力なのだと思い知らされる。

『わたくし。こちらに来て少し変わりました』

『どんな風に?』

『怪我をしてもすぐに治るのです。ほとんど血も出ません。でも、他の人にはできないみたいです。自己治癒だけみたいで』

『そういえば……きみの周囲では花も散らないね?』

 今更のようにルパートは気付く。

 こちらに来てから妹の傍で枯れていく花とか草を見ていないことに。

 それは妹が自分の傷を癒せることとなにか関係があるのだろうか?

『実はわたしもね。熱を感じなくなっている。火を触っても火傷しないし、熱さも感じない。おまけに高いところが好きになってしまったんだ』

 妹が呆れた顔をする。

 ルパートは困ったように笑った。

『風を受けていると気持ちいいんだ。何故だろうね?』

 ふたりとも理解できない変化を感じて同時に口を噤んだ。





「全くっ!! どうしてくれるんだっ!!」

 イライラと怒鳴り散らすのは朝斗である。

 場所は華南の王城、佐那城。

 第一皇子、瀬希の居室である。

 瀬希はふたりを連れ帰ると、すぐに事情を説明したが、ここでひとつの問題が浮上。

 ふたりが異世界から来たこととか、ダグラスやルノールとはなんの関係もないことは、信じられないが瀬希の一言だけで信じて貰えた。

 瀬希は相当発言力のある皇子らしく、彼がそういうならと皆信じたのだ。

 ふたりを宮殿に置くという発言にも、特に反対意見は出なかった。

 しかし問題はここからである。

 朝斗が同性であることは見ればわかる。

 しかし綾都はどうしても少女に見えるし、しかも一見すれば物凄い美少女だ。

 お陰で瀬希皇子が見付けてきた側室扱いされ、綾都は否応なく女装させられていた。

 しかも悲しいかな。

 さすがに女の人に風呂の世話をされるのは嫌だったので、兄である朝斗にして貰っているせいか、未だに少女だと誤解されている。

 何度かは男だと言ってみたが、皆冗談を言っているとしか受け取ってくれない。

 これには瀬希も途方に暮れていた。

 別に側室にする気なんてないし、そもそも綾都は男である。

 これで今夜夜伽なんて用意されたら、どうやって逃げようかと彼も悩んでいた。

「しかしお前そうしていると驚くほど綺麗だな。本当に男なのか?」

 思わず確認してしまう瀬希に寝台に腰掛けている綾都が彼を睨んだ。

「男だよ。なんなら脱いでみせようか?」

「……いや」

 さすがに顔が美少女だと抵抗があるのか、瀬希はそう言って赤い顔を背ける。

「瀬希皇子は幾つなんだ?」

 弟が倒れないように寝台に腰掛けて支えている朝斗が訊ねる。

 このふたりは仲がいいなと感じつつ瀬希は答えた。

「この間19になった」

「ここの成人年齢は?」

「20歳だ」

「じゃあ来年成人?」

「ああ。だから、今のわたしは未成年だし、なによりも帝というわけでもないからな。そんなに心配しなくても、周囲だって夜伽の準備はしないだろう」

「よとぎ?」

 ろくに学校に行けなかった綾都は意味がわからず首を傾げる。

 自分の知識の中にその言葉がないと、どうやら便利な変換脳を持っていても、意味は理解できないみたいである。

 学校に行けなかったのは同じでも、勉強する暇はあった朝斗はムッとして瀬希を睨んだ。

「あんた本気で綾が男だって主張したのか?」

「ああ」

「だったらなんで未だに女装なんだよ? 綾はこれでも弟だっ!!」

 喧々囂々と非難され瀬希は困った顔になる。

「何度も言ったんだが信じて貰えなくて。まさか皆の前で裸になれとも言えないだろう? それでは晒し者だ」

「っ」

 グッと詰まる朝斗に瀬希は赤くなる。

 大勢の前でストリップなんて御免である。

「それに兄であるお前の呼び方もまずいんだ」

「どうして?」

「お前は綾と呼んでいるだろう?」

「それがなんだよ?」

 瀬希はまだわからないのかと言いたげな顔になった。

「綾って普通は女性名だろう?」

 これにはふたりとも口を噤んだ。

 綾都と呼べば男性名になるが、愛称の綾は普通は女性名と受け取られがちだ。

 今まで特に気にしたことはなかったが。

「お前が綾なんて呼ぶから、周囲は性別を疑っていないんだ。逆にわたしたちが男だと言っても、冗談だとしか受け取ってくれない」

「だったら綾都と呼べば……」

「呼んでも誤解は解けない気がするが」

 だったらどうすればいいんだと朝斗は瀬希を睨む。

 睨まれた瀬希は咳払いしてみせた。

「問題は父上が絡んだ場合なんだ」

「えっと確か帝……だっけ?」

「そうだ。帝は一夫一妻制だが、夜伽の相手に指名するくらいなら特に問題視されない。非常に言いにくいが、相手が男だとしても、だ」

「えー。ぼく嫌だよ。男相手なんて」

 綾都は意味はわかっていないのだが、男を相手に女みたいに扱われる可能性だけは理解していて嫌そうな顔になる。

「どういう意味だよ?」

「さすがの帝でも他の皇族の側室、または正妃に手を出すことは認められていない。つまりそんな事態を回避するためには、この誤解は必要ということだ」

「そんなっ」

 感情的に言い返しそうになってから、朝斗は矛盾点に気付いた。

「あのさ、さっきこの国は一夫一妻制だって言ったよな?」

「ああ。それが?」

「だったらなんで側室もてるんだ?」

「側室は所謂妾だからな。妻という扱いにはならないから、何人迎えても自由。ついでに言うと男でも側室にはなれる。この世界がそういう風習だからな」

 これは他国でも同じことが言える。

 悪い癖だと瀬希も思うのだが、寝台の相手に男女の区別はあまりなかった。

 皇族以外なら同性との結婚も許されているほどである。

 全員が全員同性と結婚されると出生率が落ちるので、認められるための条件みたいなものはあるが。

 皇族はどこの国でもそうだが、后を迎えなければならないという決まりがあるので、同性とは結婚できない。

 その代わり側室扱いにして傍に置き寵愛することは自由とされていた。

 そういう風習だが他人のものに手を出すことだけは禁じられていて、これには国の統治者とか関係ない。

 つまり帝に目をつけられる事態を回避したければ、性別を誤解されていようと誤解を解こうと、瀬希の側室扱いという誤解だけは解いてはいけないのである。

 瀬希の側室と思われていれば、瀬希にも綾都を庇ってやれる。

 自分さえ手を出さなければ、身体の弱い綾都に無理をさせることもない。

 だから、瀬希は性別の誤解こそ解こうとしたが、側室扱いとして迎えたという誤解だけは、積極的に解こうとはしなかった。

 そのせいで余計に性別の誤解が解けないのだが。

 この他人のものとなった人物には手を出せないという決まりは、自由の国ダグラスでも同じだという。

 その辺はやはり世界最古の王国の末裔だなといった感じだ。

 但し皇族に限って言えば、一度側室から外せば、他の者になるのは自由とされている。

 一般の庶民で言えば婚約者、或いは恋人でなくなれば、他の誰と付き合おうと誰のものになろうと自由ということだ。

 これは夫婦にも言えて離婚すれば、それは可能となる。

 つまり関係性が持続しているときだけ有効なのだ。

 簡単に言えば法的に認められていようといまいと特別な関係にある場合に浮気は許されないということだ。

 他の相手とそういう関係になりたければ、関係性を解消しなければ法的な罪に問われる。

 そのため、略奪婚とかはあり得ない世界なのだった。

 まあそれも本当に性的関係を持っていればの話だが。

 だから、どこまで手を出さずに庇えるか、瀬希にも自信はなかった。

 瀬希が手を出していないと悟られると、下手をしたら側室ではなくなる可能性もあるのだ。

 これは瀬希が未成年であることを最大限に活用するしかないだろうと瀬希は今からため息の嵐だ。

「つまり帝に手を出されないために、瀬希皇子の側室という身分が必要? でないと綾は夜伽に指名される恐れがある?」

「そうだ。これだけ美しければ、その恐れは当然出てくる。男だとはっきりしても、だ。父上は特に拘りはないし」

「えっと。ごめんなさい。手を出すっなに? そくしつってなに?」

 真面目に問われて瀬希が狼狽した。

 そんなこと真面目に問われて、どう説明しろというのか。

 これには兄の朝斗がやんわりと弟を諭した。

「綾は知らなくていいことだよ」

「でも、よとぎとか知らない言葉が沢山出てくるし、全部ぼくに関わってくるんでしょ?」

「大丈夫。俺が護るから綾はなんにも心配しなくてもいいんだ」

 抱き締めて頭を撫でられて、綾は困った顔をする。

 知らないとなにが起きても回避できない気はしたが、綾都は兄を疑う気にはなれない。

 兄が一度護ると言えば、絶対に守ってくれるからだ。

「わかった。兄さんを信じるよ」

 ニッコリ笑って言われ、朝斗は笑顔になって弟の頭を何度も撫でた。

 そのやり取りを瀬希が信じられないと凝視している。

「お前たち……本当に兄弟か?」

「……どういう意味だよ?」

「いや……どこから見ても恋人たちの逢瀬の場面だ。兄や弟の振る舞いではないぞ?」

 染々と瀬希はそう言ったが、綾都は言葉の意味を理解しなかったし、理解している朝斗は特に反論しなかった。

 元の世界でも散々言われたことだ。

 今更である。

「兄上っ!!」

 バンッと扉が開いて元気な声がした。

 振り向けば弟皇子の古希がいる。

 宰相大志のお陰で微妙な関係になりつつあるが、瀬希はこの幼い弟をとても可愛がっていた。

「どうした? 古希?」

「側室を迎えたってホントっ!? あれだけ男の人も女の人も近付けなかったのに!! それに兄上は妃以外は迎えないってあれほど」

 言いかけて古希の目が丸くなった。

 寝台の上にそれは可愛らしく美しい姫がいたからだ。

 当然だが綾都である。

「綺麗。これなら兄上が誘惑されるのも無理ないかも」

「綺麗? あんまり嬉しくない」

 やはり綾都も男だ。

 綺麗と言われるより格好いいと言われたい。

 まあ過ぎた望みなのは理解しているが。

「……声。思ったより低いね? 女の子としては」

 古希は綾都を女の子だと信じて疑ってもいない。

 瀬希は近付いていくと弟の髪を撫でた。

「周囲に何度も言ってるんだけどな。男なんだよ、あれ」

「……兄上。冗談はもっと上手く言ってよ。あれのどこが男の人なの? どこから見ても麗しい姫だっては」

「いや。冗談じゃないんだけど」

 瀬希は困ったように笑っている。

 兄を疑わない古希はマジマジと綾都を見た。

「ホントに男の人?」

「あ。うん。今年17になる。綾宛っていうんだ。よろしくー」

「17っ!?」

 古希は絶句したが、瀬希も振り向いて絶句していた。

 朝斗なら今年17と言われても納得はできる。

 しかしあの外見で今年17と言われても、それこそ冗談にしか聞こえない。

 どう見ても古希より少し年上。

 大人びて見えると解釈したら、同い年くらいにしか見えない。

 それで瀬希とふたつ違い?

 悪い冗談だと思った。

「あのさ。俺と双生児なんだ。外見がどんなに幼くても17になるんだよ。そこまで絶句するなよ、ふたりして」

 朝斗がブスッとして口を挟む。

「いや。しかしどうしたらそんな17歳ができるんだ? 女の子ならともかく」

 瀬希は信じられないとそう言ったが、すぐにそう言ったことを後悔した。

 綾都の事情を忘れていたのだ。

 ムッとしたように朝斗が説明する。

「綾は一年のほとんどを病院に入院しているか、軽くて家で寝ているか。どっちかだったんだ。体調のいいときは学校にも行ったけど。ほとんど外には出てない。それで普通に成長できるわけないだろ。失礼だろ。そんな態度」

「……済まない。病弱なのを忘れていた」

「兄上」

 古希が兄を見上げ兄は弟を見下ろした。

「凄く綺麗だから兄上が誘惑されるのもわかるけど、ほんとに男の人なら男の格好をさせた方がいいよ? それにひとりも女の人と付き合わない間に男の人を、それもこんなに綺麗な人を側室に迎えるのってどうかと思うよ?」

「……古希」

 嬉しいんだか嬉しくないんだかわからないと瀬希の顔には書いていた。





 それから一週間ほどが過ぎて、寝込んでばかりだった綾都も、なんとか出歩けるくらいにまで回復した。

 帝とは逢っていない。

 これが皇族の決まりだと聞いているが、帝や皇子たちはそれぞれ別の棟で暮らしているらしく、瀬希の元にはあまり現れないという。

 そのせいで瀬希が側室を迎えたと聞いても、特に確かめるようなこともなかったのだ。

 だが、綾都が元気になってきた頃に事情が変わった。

 ルノールの王子一行が華南にやってきて、綾都は一応瀬希の側室ということで、謁見はともかくとして会食には出なければならなくなったからだ。

 しかしこの世界のテーブルマナーなんてわからないし、そもそも綾都は未だに女性と誤解されている。

 女装にも大分慣れたが、だが、テーブルマナーに関しては、未だに瀬希から注意される綾都である。

 綾都は勉強をしてこなかったので、実は物覚えが悪い。

 一度覚えてしまえば間違わないが、覚えるまでに時間がかかるのだ。

 覚えるコツを知らないので、効率よく覚えるという真似ができないせいで。

 その点、綾都とは違い普通に勉強してきて(何故かというと弟がわからないとき教えるためだ。自分が理解していないと教えられないので)朝斗は、完璧にテーブルマナーを覚えている。

 それだけではなく最近はこちらの歴史の勉強なども始めていた。

 綾都はテーブルマナーで精一杯で、それどころではなかったが。

 朝斗が歴史を勉強しているのは、この世界の知識を得ることで、元の世界に戻れる可能性を探るためだった。

 こんな寝台の相手に男女の区別もない世界に、しかも皇子の側室として最愛の弟を置いておきたくなかったので。

 まあ瀬希が悪い人でもなければ、皇子の権力を嵩にきる者でもないということは、彼に対して好意を抱いていない朝斗にも理解できてきていたが。

 綾都が倒れていたからとはいえ、瀬希は綾都に仕掛けるような真似はしなかったから。

「ねえ、兄さん」

「なんだよ?」

 机で勉強していた兄の傍に近付いて綾都が覗き込む。

 その姿は華南の皇族の、それも側室だけが着る衣装で、しかも女物だ。

 着飾っているため、とても綺麗だ。

 この頃、弟がとても眩しく見えて朝斗は戸惑う。

 女装しているから、だけではないだろう。

 最近綾都は特に綺麗になった。

 こちらの空気が合っているのだろうか。

「ルノールの王子との会食に兄さんも出られない?」

「でも、俺にそんな権限は……」

「瀬希皇子に頼み込むから、お願いだから出てよ。ぼくテーブルマナーに自信……ない」

「しょうがないなあ。出られるようなら出てやるから、そんな泣き出しそうな顔するなよ」

「うんっ」

 嬉しそうに微笑む綾都に朝斗は、さりげなく目を逸らした。

 弟の笑顔が眩しすぎて。





 そうしてルノールの王子が到着する日、綾都はなんとか女装姿ではなく、男として出られないか、瀬希に問い合わせていた。

 これまでは瀬希しかいなかったし、周囲の誤解のせいだったから、別段構わなかった。

 朝斗が気にしないと言えば嘘になるが、それで迷惑を被るのは綾都だけだったから。

 だが、他国の王子の前で女装して出迎えるのは、さすがに非礼だろうと思われた。

「わたしは構わないが周囲がなんというか」

 瀬希にしてみれば綾都は元々、同性だし男物の服を着ること自体は問題はない。

 しかし周囲は未だに少女だと誤解しているのだ。

 それで男物を着せることに同意するとは思えなかった。

 だが、他国の王子の前で女装は失礼と言われてしまえば瀬希にも断れない。

 反対する周囲を押し切って瀬希は綾都に男物の服を着せるように命じてくれた。

 それでホッとした綾都である。

 兄の会食への参加も認めてくれたし、瀬希ってほんとに好い人だと、綾都は染々と感じていた。

 初めて華南の民族衣装で男物を着た綾都はご機嫌だった。

 瀬希の側室ということで、服装は綾都とは違う。

 だが、瀬希や朝斗を見て憧れていたのだ。

 自分も着たいと思っていたので浮かれてしまう。

 会食が始まるまで退屈だった綾都は、同じように正装に身を包み持っている兄に声を投げた。

「ルノールの王子様ってどんな人かな?」

「俺が調べたところによるとまだ15歳で、世継ぎの王子としては最年少らしいな」

「ふうん。大変そう」

 15歳なら普通なら中3。

 早生まれなら高1。

 それで世継ぎの王子をやっているなんて凄いと綾都は思う。

 それを言うなら成人を来年に控えた瀬希も立派だとは思うけれども。

 あれ?

 でも、地球でも王子に産まれた者は、年齢に関係なく王子なんだと気付いた。

 王子として大変なのは生まれることではなく、王子として生きていくことだと気付いて、綾都は王子という役目の重責を思い眉を寄せる。

 そんな弟に兄はここ最近で仕入れた知識を披露していた。

 この世界では絶対に知っておくべきことだったので。

 因みに何故朝斗が書物を読めたかと言えば、例の自動変換脳のお陰だ。

 こちらの字で書かれていても、朝斗には日本語として理解できる。

 同時に朝斗が日本語で書いた言葉も、相手が華南人だったら華南語として伝わる。

 これは瀬希で確認済みだった。

 また瀬希に違う言語を使って貰って、直後に同じ言葉を書くと、その言語になる。

 これも確認済みである。

 ふたりの自動変換脳は耳と脳が直結しているので、耳にした言語に引き摺られるという特徴を持っているようだった。

 つまりふたりに限って言えば読み書きでは、どんな言語でも苦労しないということである。

 そのことは綾都にも言っておいたが、テーブルマナーに苦戦している綾都は、まだそこまでの余裕はない。

 そのせいかこの世界のことについて、あまり詳しくなかった。

「この世界は大きく四つの国と四つの宗教で分けられている」

「どういう意味で?」

「例えばこの華南国に東国に位置していて、東で最も勢力のある国であり、四大国家と呼ばれる国のひとつだ。そして華南が崇拝している宗教は四神教。火神。水神。風神。地神の四神を崇拝していて、その中でも火を司る火神を主神としている」

「だから、四神教なんだ?」

「俺はこれは地球で言う四神に当てはまるんじゃないかと思ってる」

「なにか似たような言い伝えでもあるの? 地球に?」

「おそらく火神とは鳥の姿をしていて、水神は龍、風神は虎、地神は亀に蛇が巻き付いている姿だ。それと似た絵姿も確認している。これと同じ神なら地球にもあって、そちらも四神と呼ばれていて、火を司るのは朱雀。水を司るのは青龍、風は白虎、地は玄武だ」

「えっとつまり? それが鳥、龍、虎、亀ってこと?」

「そう。そしてそれぞれの神々から、ひとつだけどんな願いでも叶えて貰えるという武器をこの華南国は持っている」

「神様にお願いを叶えて貰うことが武器なの?」

 単純でお人好しの綾都にとっては、神に願いを叶えられるのは、ひとつの奇跡で良い事にしか思えない。

 そんな純粋な弟に兄は苦い笑みを見せる。

「例えば華南国以外の国を滅ぼして、すべての世界を華南で征服する。そんな願いが叶えられたら、他国にとってはどうだ?」

「……そんなこと瀬希王子ならしないかもしれない。でも、どこかの時代のいつかの帝が、そんな願いを持たないとは限らない。だから、華南の持つその力を他国は恐れてる」

「そんなの……」

 自分たちが陥っている現状を思えば、そのなんでも願いが叶うというのが、単なる伝説の類いとは、綾都にも思えないので、とても複雑な顔になる。

「そして南国に位置しているのが今日やってきたルノール国。こちらは全世界精霊教という宗教を信仰していて、これによると世界にはすべての物に精霊が宿っていて、ルノールはその精霊の加護を受けた国なんだそうだ」

「凄いねえ。神様から比べるとなんか格下に感じるけど」

「そうでもないぞ? 華南にできることは、あくまでも願い事を四つ叶えることだけ。ルノールにはそういう制限はない。精霊が存在し、その精霊を使役できる精霊使いが存在する限り、無限に力を振るえる。また精霊はルノール人以外には見えないため、攻撃されても防げないという利点まである。そういう意味だと便利で脅威なのは華南よりルノールだよ。勿論最終的な威力では華南には敵わないだろうけど」

「力をとるか数をとるか、だね。質より量ってことかな?」

 綾都でも理解できる言葉で口にする弟に兄は「そういうこと」と頷いた。


「西国にあるのが新興国ダグラス。このダグラスが信じる宗教が一番古くて自然教という」

「自然教?」

「この世のすべてに意味があるとされていて、中心に位置するのは太陽神。太陽神の恩恵を授かることで、召還術という別の世界から獣を召還する術を持っているらしいんだ」

「え? それって……」

「だから、最初瀬希皇子は俺たちにもダグラスが関わっているんじゃないかと疑ったわけだ。現状でダグラスが関わらずに異世界から招くことはできないから」

「そういうことだったんだ?」

 妙に感心してしまった。

 疑われていたことにも意味はあったのか。

「最後にこれが一番厄介だと思うんだが、世界一の大国シャーナーン。シャーナーン人が信仰しているのは唯一絶対の大神イズマルで、一般にイズマル教と呼ばれている。言ってみれば地球のキリスト教だな」

「どんな力を持ってるの?」

「いや。ダグラスや華南、ルノールと違って、一番普及している宗教なのに、シャーナーンにはそういう加護はない」

「それでどうして一番浸透しているの? 普通なら実績のある方を信じない?」

「加護がないのにイズマル大神を信じるシャーナーンが、他国それも神の加護を持つ3か国を退けて頂点に立っているからだ。そのことからイズマル大神を主神とするイズマル教が広がった。シャーナーンが頂点に立ったのは、イズマル大神の加護だと彼らは信じているから」

 ここまで言われて綾都は大体のことを把握した。

 綾都は確かに物覚えは悪いが、頭が悪いわけではないのだ。

 でなければほとんど学校を休んでいて、単位が必要な高校以外を留年せずに進級できなかっただろう。

 ただお人好しだし、すぐに人を信じるので騙されやすく、勉強が嫌いなため、物覚えが悪いだけだ。

「つまり? シャーナーンにとっては他の3か国は目障りで、とても脅威的な存在なんだ? 自分たちにはない加護を持っているから」

「そういうこと。同じ意味で違う力を持っているが故に残りの華南を含む国々も、互いを敵対視していて世界は四つの国々の争いに常に怯えている。それが大まかな成り立ちかな」

「悲しいねえ。どうして人は争わないで生きていけないんだろう?」

「それは俺たちがどうこう言える筋合いじゃないよ、綾。俺たちは所詮余所者だ。なにを言っても責任なんて取れないし、この世界のことはこの世界の人間たちにしかどうにもできないよ」

「それはわかってるけど……」

「ただ俺たちが異世界から来ていて、すべての言語を操り、尚且つ四大国家のひとつ、華南に保護されているのは事実。それに俺の怪力のこととかあるし。だから、綾に教えたんだよ、今の説明。知っておかないと危険を避けられないと思ったから」

 朝斗はできるなら綾都は真綿に包んで、どんな危険も近付けず自分の力だけで守ってやりたい。

 でも、こちらの知識を知れば知るほど、自分ひとりでは守りきれない局面が必ず出てくるのではないかと思われた。

 だから、教えたのだ。

 そうでなければ余計な知識なんて与えていない。

「今日来たルノールの王子が、どんな人物かによっても、ぼくらの立場って変わってくるのかな?」

「さあな。取り敢えず目立つなとだけ言っておく。余計な興味を惹かないでくれよ、綾都」

 このとき朝斗はそう言ったのだが、最初的に目立つようになるのが、実は自分だとこの時点では気付いていなかった。

 綾都と朝斗の違い。

 それによりルノールにとって有益なのは、綾都ではなく朝斗だということになるので。

 ルノールが華南にやってきた。

 そしてすぐにシャーナーンもやって来る。

 このことがふたりをこの世界の宗教と国を巡る争いに巻き込んでいくことになるのだった。
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