第五章 男と女の境界線

 これまではなんとか男として生活できた。

 だが、身体はどんどん女の子へと変化している。

 その変化に耐えきれずに倒れたのだと言われ、来夢は突然、選択を迫られた。

 男として生きるか、女としてやり直すかの選択を。

 そこにはこんなオマケもついてきた。

 このまま男として生きることは確かに可能。

 だが、来夢は元々女の子。

 男として生きた場合子はなせない、と。

 子供を残したければ女として生きるしかない。

 そう言われたのだった。

 栗栖の直系としては子孫を残して名を継いでいってほしがっていた両親である。

 だが、来夢の意志を尊重するといって、特に女の子として生きろとは強制しなかった。

 それが理由でこちらにくる直前、来夢は部屋に閉じ籠っていたのだった。

 男、女。

 その狭間で来夢は揺れている。

 来夢はその事実はこちらでは伏せている。

 明らかにしたら来夢が「クルスライム」であるという保証を与えそうで。

 でも、いつまて隠し通せるか、それはもう謎になってきていた。

 少なくとも来夢が実は同性ではないということなら、閻魔たちだけでなくクリスも知ってしまったから。




「あのライムがねえ。同性じゃない?」

 感心したように言うアルトにクリスはため息をつく。

「状況証拠に過ぎないけれどね。まだ証拠はない。本人も認めていないし」

「まああの外見なら納得もできるんじゃない? 実はわたくしもライムと一緒にいても、どうしても異性とふたりきりでいるとか、そういう意識を持てなくて、どうしてかしらと思っていたのよ、兄さまたち」

 大神殿から戻ってきたクリスから一部始終を聞いて、彼の弟と妹はそんな感想を漏らす。

 顔立ちがどうであれ、本当に異性ならルヴィは当然だが、その現実を意識するだろう。

 彼女には兄たち以外の異性との免疫はなきに等しいので。

 だが、来夢とはどれだけ近くで過ごしても、特に意識することがない。

 異性といるという意識を抱けない。

 感覚がない。

 それを不思議だと思っていたのだ。

 同性だったとしたら、生粋ではなかったとしても、だ。

 まだ納得できる。

「確かに同性のお友達といるような感覚だったものね。最初は顔立ちのせいかしらって思っていたけれど。そう。同性だったの」

「いや。ルヴィ。まだそうだと決まったわけではないし、本人も認めていないから、あまりそういう方向で決めつけてほしくないのだけれどね?」

 焦ったように言う兄にルヴィは怪訝そうだ。

「どうして兄さまが焦るの?」

「いや。本人が認めていないだろう? でも、異性である可能性があったら、彼に……といっていいのかどうか悩むけれど、ライムにつけている侍従を侍女にかえるべきかで悩んでいて、ね。
 わたしは確かに同性相手だとアレルギーが出るから、一定の距離をとっているけれど、その……異性が相手となると」

「ああ。なるほどっ」

 ポンッと両手を打ち鳴らす弟に兄は途方に暮れた顔をする。

「兄上はあまりに同性と距離を取っていたので、異性からはそういう趣味と誤解されていましたね?」

「……普通、逆の方向に感じられてもいいと思うんだけれどね。何故かそうだね。悲しいことに」

 クリスは第一王子だし女性からの人気も高く、彼自身も女遊びは派手にやっている。

 だが、深い仲になれないのは、クリスが「男好き」と思われているせいだった。

 女性と付き合うのはカモフラージュ。

 そう思われているのが実情である。

 クリスが同性に対して一定の距離を取るのは「男」を意識しているから。

 そんなふうに解釈されているのだ。

 クリスにしてみれば、それだけはやめてくれ、という世界なのだが。

 実際に男と付き合ったことなんてないし、本当に苦手なのだが、何故だかそういう解釈はされない。

 そこにはクリスが母親似であることもあげられるかもしれないが。

「最近は女性と付き合おうとしたら、最初にカモフラージュでしょ? わかってるわよ。と言われる始末で、自分から進んで付き合おうとしなかったからね。ライムが女性かもしれないとなると、どう接していいやら」

 もちろんライムはクリスが男性アレルギーであることを知っている。

 そういう意味では事情に通じた唯一の異性、ということになるのかもしれないが。

 事情に通じているからこそ、男性アレルギーになった理由を想像されるのではないかと、クリスは落ち着かないのだ。

 実際には理由なんてない。

 物心ついたときにはすでにそうだった。

 お陰で父親にまでアレルギーを示す息子になってしまい、父王からは嫌味の連発を貰っていた。

 しかし来夢はそこまでは知らない。

 それが気が重いのだ。

「しかし兄上の男性アレルギーも、どうして出るんでしょうね? 小さい頃はぼくが触るのもダメだと言われて、これでも気にしていたんですよ。幼い頃はアレルギーと言われてもわかりませんから」

「済まないね、アルト」

「おまけに後から生まれてきた妹のルヴィには、アレルギーなんて出なくて普通に兄妹として接しているし。一時期は嫌われているのではないかと真剣に疑っていました」

「悪い。本当に」

 真剣に謝罪するクリスにアルトは苦笑い。

 現実を把握したのはクリスが父親に対してでさえ、触れることがダメだと知ったときだった。

 あのときはさすがに呆気に取られ、自分なりにアレルギーについて調べてみた。

 その結果ようやく納得したのだ。

 兄が自分を嫌っているのではなく、ただ単純に同性に触れられるのが我慢できないだけだと。

 それからは兄を困らせたくなくて、無理に触れようとするようなこともなくなった。

 触れることさえしなければ、兄は普通に兄として振る舞ってくれたし、別段嫌われていると錯覚するような態度も取らない。

 だから、これまでのことは自分が悪かった。

 そう判断したアルトなのである。

「しかしそうですね。確かにライムが異性なら侍従をつけているのは問題ですね。着替えとか入浴とか」

「そうなんだよ。どうするべきだろう?」

「でも、ライムって今は男の子なんでしょう? 確か着替えや入浴でも同性と判断されてるって兄さま、言ってなかった?」

「そうなんだよ。それで侍女をつけてもライムが嫌がりそうで。本当にどうしたらいいんだろう?」

 3人はウンウン悩んだが、これについて答えは出なかった。

「じゃあわたくしが探ってきましょうか?」

 ルヴィがそんなことを言い出したのは堂々巡りが続いた後だった。

「「ルヴィ?」」

「ライムが男の子かどうか探ってきてあげるわ。それで女の子だとはっきりしたら侍女をつければいいじゃない? 一時的なものでも男の子のままなら、このまま侍従でいいし」

「しかしどうやって?」

 問いかける兄たちの声にはルヴィは「内緒」としか言わなかった。

 それで出ていく妹を不安そうに見送る兄たちだった。




 同じ頃、来夢は神殿から戻ってきてから、体調がおかしくて寝込んでいた。

 ケルベロスも不安そうにしていて、部屋の隅でジッと待機している。

 閻魔は視察だと言ってどこかに行ってしまった。

 まあ居てくれてもただ具合が悪いとしか言えないので、来夢としても助かっているが。

 ただでさえ護ってくれる相手なのだ。

 負担を増やしたいわけがない。

「うっ。気持ち悪……」

 来夢が呟くといつからそこにいたのか、ケルベロスが覗き込んでいた。

「クルスライム? どこか痛いのか?」

「わかんない。ただ気持ち悪くて」

 吐きたくて吐けないような、貧血のときのような、妙な感じだった。

「肌の色に血の気がない。本当に大丈夫か?」

「寝てれば治る」

「ならいいが。癪に触るが閻魔を呼ぼうか? 我よりも役に立つとは思うが。一応同じ人形だし」

「人形って」

 形だけの問題でもないんだけどなと来夢は思う。

 閻魔は神で来夢は人間だ。

 それによる違いも出てくるだろう。

 おまけに来夢は人間としても厄介な事情持ちだ。

 普通に判断できるレベルかどうか自分でも自信がない。

「ライム? いないの?」

 数度ノックの音がして返事を返せずにいると、オズオズとルヴィが入ってきた。

 寝台で来夢が寝込んでいるのを見て驚いたように駆けてくる。

「どこか具合が悪いの?」

「気持ち悪くて」

「どこがどんなふうに?」

「なんか頭から血の気が下がる感じ。おまけにお腹が気持ち悪い」

「今までにこんな感じになったことは?」

「ない。初めて」

「お腹を壊したわけではないのね?」

「腹は壊してないよ。そもそもルヴィたちと同じ物しか食ってない。それで下痢してたら、ルヴィたちもなっててもっと大騒ぎにならないか?」

「それもそうね。熱はないようね」

 額に手を触れたルヴィがそんなことを言う。

「寒いの? お布団を被っているけれど」

「寒いし頭痛い」

「?」

 ルヴィはハッとした。

 おそるおそる布団を捲る。

「なにしてるんだ、ルヴィ?」

 突然布団の中を覗かれ、来夢がキョトンとする。

「あなた」

 顔を出したルヴィが呆れたように来夢を見た。

「? なに?」

「ケルベロス。あなたは出ていって」

「何故に?」

 ケルベロスはムッとしたようだが、ルヴィが退かなかった。

「男の人は出ていってと言ってるのっ!! 閻魔王にもしばらく近寄らないように言っておいてっ!!」

 そのただならぬ迫力にケルベロスは脱兎の如く逃げ出した。

 部屋から飛び出してすこし走り、呆気に取られたように振り向く。

「人間の女は怖い」

「その顔では追い出されたな、番犬」

 声に顔を上げれば中庭に閻魔の姿があった。

 どうやら木陰で休んでいたようである。

「何故こんなところで休んでいる? クルスライムの護衛はどうした?」

「今の来夢には男は近付かないに限る」

「どういうことだ?」

「主人がバカだと番犬もバカだな」

「なんだとっ」

「来夢の部屋で血のニオイを感じなかったか、番犬?」

「確かに感じたが、どこかから流れてきたニオイでは?」

「本当に鈍いな。ハデスといい勝負だ」

 クックと笑う閻魔にケルベロスは怪訝そうだ。

「とにかく。そうだな。今日から1週間ほどは来夢には近付くな。近付いても逃げられるだろうし、なによりもああいうときは近付かないに限る。なにしろ情緒不安定だからな」

「なんだかバカにされている気分だ。理由をハッキリ言えっ!!」

「犬に言っても仕方ない。そなたにはわからぬよ」

 それだけ言って閻魔は目を閉じてしまった。

 ますますムッとするケルベロスだったが、実際にこれより1週間ほどは来夢には近付けなくなるのだが、それを知るのはもうすこし後である。




「あなた……もうすこし女の子としての自覚を持った方がいいわ、ライム」

 テキパキと処置に当たってくれたルヴィがそう言った。

「そんなことを言われても」

 まさか生理だなんて思わなかったんだ。

 そこまで身体の変化が進んでるなんて想像してなかったんだ。

 そういえばこの具合の悪い感じは、ここしばらく続いていて来夢は風呂に入っていない。

 着替えのときも自分ひとりでやっていて、おまけに具合が悪かったので、ろくに身体に注意を払わなかった。

 もしかして……もう男の身体じゃないんだろうか。

 生理のときの対処法なんて来夢は知らない。

 知っていてもまあこの世界では役に立たなかっただろうが。

 その知識は地球のものということになるので。

 だから、あのときルヴィがこなかったら、どうなっていたか想像すると怖い。

 この世界では女の子が初潮を迎えると、月経の間、実は男を近付けてはいないらしい。

 というのも月経を迎えるということは、言ってみれば女の子が母親になる準備をしているということらしいので、神聖なものと判断され、男は近付けないらしい。

 日本だと昔は穢れだったのにな、なんて来夢は考える。

 この世界は出生率がそんなに高くないらしい。

 そのせいで生理がくる女の子というのは貴重らしく、それだけに神聖なものと判断される傾向が強いらしかった。

 出生率が低いのも実は寿命が長いからという理由があるらしく、来夢にとっては初耳のことばかりで、ルヴィがいなかったらバレて大騒ぎになっているところだった、らしい。

 生理中の女の子にもしも男が近付いたら、即結婚という恐ろしい決まりがあるらしく、バレたときに傍に異性がいたら、来夢も厄介なことになっていたらしいのだ。

 これを聞いたときは青ざめたが。

 あのとき、ルヴィは来夢から具合が悪いという症状を聞いて、即座に生理ではないかと疑ったという。

 だから、布団の下を調べたのだ。

 血がついているかどうかを。

 そうして確認したときには来夢の身体の下は血塗れだったとかで、ルヴィは全く自覚のない来夢に呆れたという次第らしかった。

「でもまあ閻魔王はさすがと言うしかないわね」

「どうして?」

 生理のせいではっきりしない頭を抱えてそう言えば、ルヴィがちょっと悪戯っぽい瞳をして笑った。

「だって出逢ってから傍を離れなかった閻魔王が、あの日は自分から離れたのでしょう?」

「うん。視察するとかって」

「言い訳よ。だって閻魔王は視察なんてしないで中庭で寝ていたって専らの噂だもの」

「へ?」

 中庭で寝てた?

 なんで?

 疑問符が頭の中を飛び交ったが、ルヴィはクスクスと笑った。

「たぶんあなたが初潮を迎えることを知ったか、もしくはなりかけていることを知って、自分から傍を離れたのよ。女の子としてのあなたの立場を気遣って」

「バレバレだった?」

 さすがに青くなる。

「閻魔王はあのときから、あなたを女の子として扱っていた。すこしくらい自覚してあげたら? まあ傍を離れたのは自己保身のためでもあったのでしょうけれど」

「自己保身?」

「望んでいるか望んでいないかは別にして、あのままあなたの傍にいれば、1番に責任を取るように言われるのは当の閻魔王だもの」

 確かにケルベロスが傍にいても責任を取れなんて言えないが、閻魔王だと一応男性だし人間と同じ形態ということで、そういう問題に発展したかもしれない。

 それを気遣って自分から傍を離れた?

「うわあ。どんな顔で逢ったらいいんだ?」

「照れるわよねえ、それは」

 ルヴィは頻りに笑っている。

 呑気に思えて睨んだが彼女は堪えていないようだった。

「それで? 今更確認を取るのも変だけれど、あなた一体男の子なの? 女の子なの? いったいどっち?」

「……生まれたときは男だった。でも、つい最近倒れて実は女だったって言われたんだ。身体はどんどん女の子に変化してるって。でも、そんなの認めたくなくて、俺は男だって自分に言い聞かせてた」

「……そう」

 これだけ厄介な事情持ちなんて、この国にはおそらく他にいないだろう。

 それにこの美貌。

 これは厄介な事態を招きそうだとルヴィはこっそりため息をつく。

「でも、まあ様子を見に来たのが、兄さまたちでなくてよかったわ」

「ん?」

「だって兄さまたちが様子を見にきていて発覚したら、そのまま即結婚だったもの」

「うわあ。やめてくれー」

 生理だって指摘されるだけでも照れるのに、そのせいで結婚なんて考えるのも怖い。

「ルヴィ? ライムの容態は……」

 そう言って突然部屋に入ろうとしたのは彼女のふたりの兄たちだった。

 さすがに事情が事情なので彼女もまだ詳しいことは兄たちにも言っていない。

 そもそも明かすような事情でもない。

 女の子の口から「実は生理でした」なんて言えるわけがない。

 慎みがあれば。

 が、兄たちにとっては来夢はまだ同性だと思われている。

 ルヴィは脱兎の如く扉に駆け寄って、兄たちを入れまいと身体を締め出そうとする。

「「ル……ルヴィ?」」

「今のライムに近付かないでって、あれほど言っておいたでしょうっ!? なにを考えているの、兄さまたちっ!!」

「いや。ただ」

「ぼくらは普通にお見舞いを」

「普通じゃないから近付かないでっ!! お見舞いなら結構よっ!!」

「「ルヴィ?」」

 問いかける兄の声を無視してルヴィは扉を閉めてしまった。

 きっと扉の向こうでは彼女の兄たちがきょとんとしているだろう。

「ごめんな、ルヴィ? 迷惑をかけて」

「そう思うのならちゃんと女の子の格好をしてちょうだい。そうしたら兄さまたちだって迂闊に近寄らなくなるわ。こういうときは、ね」

「でも、俺は男で……」

「あなた、さすがにその状態で男だって言い張るのは、ちょっとどころじゃない無理があるわよ?」

 呆れるルヴィになにも言い返せない来夢だった。
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