第五章 男と女の境界線





 第五章 男と女の境界線





 来夢が大神殿の神官たちに襲われた事件は、当事者の閻魔の口からクリスたちに報告された。

 なぜ自分が召喚されることになったのか、閻魔の口から説明したのだ。

 彼も来夢からは言わないだろうとわかっていたので。

 神官たちが実力行使に出たと知って、クリスは慌てて大神殿に向かった。

 その際に来夢たちを同行するように閻魔に言われ、最初は渋ったクリスだったが、弟のアルトに諌められた。

「兄上。閻魔王やケルベロスが護衛につくほどの人物であるとハッキリした方が神殿の神官たちも行動に出にくいと思います。
 ここは閻魔王の言葉通り同行するべきではないですか? ライムの身は閻魔王やケルベロスが護るでしょうし」

 こう言われてしまうと言い返す余地がない。

 クリスとしてはこれ以上神話の登場人物である閻魔たちに表に出てきてほしくなかっただけなのだが。

 閻魔たちが護衛につくほどの人物と思われたら、確かに手を出しにくくなるだろう。

 だが、反面、危険視されやすいのも事実だ。

 これがゼウスとかアポロンならよかったのだ。

 彼らはどちらかといえば光の神。

 閻魔やケルベロスを派遣したハデスは闇の神。

 その違いが来夢を危地に追い込みそうで、だから、クリスはふたりに表に出てほしくなかったのである。

「そなたは結構不遜だな、人の子の王子よ」

 神殿へと向かう道中は閻魔の意見により馬車だったが(それは閻魔やケルベロスが目立たないためにも、それしか方法がないと言われたのだが)名を呼ばれ、クリスは閻魔を振り向いた。

「不遜、とは?」

「そなたはわたしやハデスが闇の神だから、来夢の身に危険が及ぶ事態を懸念しているのだろう?」

「否定はしませんよ。実際にあなたは地獄の覇王だ。その場合人々が恐怖に駆られてあなたに護られているライムを危険視しても不思議はない。違いますか?」

クリスは弟や妹がいる分、実は過保護だった。

自分で率先して護るので、危なっかしいタイプに弱い。

 出逢ってから次々と厄介事に巻き込まれていく来夢は、そういう意味では彼にとって目の離せないタイプだった。

 同時に来夢が唯一アレルギーの出ない同性ということもあって、クリスは彼を気に入っているのだ。

 もちろん来夢が大神殿を破壊したかもしれない人物だということは熟知している。

 だが、現状はそれを重要だと感じ取らせないほどの事態が連続で起きている。

 今となってはそれが事実だとしても、来夢なら当然だといった気分だった。

「光の神、闇の神、か。そういう区別を人がしていることは事実だが、光だとか闇だとか、そういう区別に意味がないことを、人の子はいつになったら気づくのだろうな」

「どういう意味ですか?」

「たとえばハデス。彼は全知全能の神と言われている大神ゼウスの兄だ。兄神である彼が闇の神であるわけがないだろう?」

「しかしハデスは冥府の王で」

「たまたま彼が治めているのが冥府だったというだけだ。本来、全知全能の神と呼ばれ、大神を名乗るべきだったのはハデスだ。その気性的に彼はゼウスにその座を奪われはしたが」

「へえ。そうだったんだ?」

 来夢がのんびり口を挟む。

「実際のところ、力でゼウスはハデスに勝てない。それで全知全能を名乗ること自体、わたしにしてみれば不遜なのだ。ハデスに勝てない分際で全知全能を名乗るなどおこがましいとは思わぬか?」

「ハデスってそんなに凄かったんだ? 俺はただのバカだと思ってた」

 感心する来夢に閻魔が苦笑する。

「実際に現在ゼウスは冬眠しているがハデスは活動中だ。それは何故なのか人の子の王子、そなたにはわからぬか?」

「……ハデスの力の方がゼウスよりも優れているから、ですか?」

「わたしの立場から言わせてもらっても、だ。冥府とか地獄を治める者が、例えばハデスの場合だと大神ゼウス。わたしの立場だと釈迦如来に勝てないようでは、そもそも秩序が成り立たない」

「どうして?」

 不思議そうな来夢に閻魔は彼の髪を撫でる。

「冥府や地獄の本来の役割とは、言ってみれば破壊ではなく創造だからだ」

「「創造?」」

「生命を創り出すこと。それが創造でなくてなんだというのだ?」

 そう言われてしまうと言い返せない。

 転生を促す役割が冥府や地獄。

 だったら本来の役割は破壊ではなく創造なのだろう。

「わたしの場合、釈迦如来とはまみえることがないが、ハデスの場合はゼウスと対立しているからな。もっと顕著にそれがあらわれる。
 釈迦如来は秩序を保っているが、ゼウスは力で神の世を統治しようとしている。だが、実際にはハデスに勝てない。
 そのせいでハデスとゼウスはやりあうことが多いのだ。その度に負けるのもゼウスなのだが」

「そのわりに冥府にも地獄にも言えることですが、魔の者が多くないですか? たとえば冥府なら魔物、地獄なら妖怪といった具合に」

「闇の側面をもつことも事実だからな。行き場のない者に居場所を提供しているうちにそうなった。それに彼らは力に従順だ。わたしやハデスが力に優れているから、彼らも集まった。それだけのことだ」

 閻魔の言うことはすべて筋道が通っていて来夢などは感心していたが、クリスは説明されるほど来夢の立場が危うくなりそうで不安だった。

 何故ならそんなことを自覚している人間がほとんどいないからだ。

 確かに閻魔やケルベロスが護衛していれば、滅多なことでは危険な目には遭わないだろう。

 だが、閻魔たちが守護しているから、来夢が排除されるかもしれない。

 それもまた事実なのだ。

「まだ納得していないらしいが、わたしやハデスは邪ではない。そう言っても納得できないか?」

「納得できないというよりも不安なだけです。ライムが危険な目に遭いそうで」

「来夢を危険な目には遭わせはしない。わたしとてハデスに頼まれたから。それだけの理由でここにいるわけではない。護りたいからだ」

 閻魔にそう言われ来夢はキョトンと彼を見る。

「もしかしてそれクルスライムに言ってます?」

 来夢の口調から大体のことを掴んで閻魔は笑ってみせた。

「いや。栗栖来夢に向かって言っているが?」

 微妙な発音の違いは来夢にしかわからない。

 だが、来夢を護りたいと言われて、来夢は照れて視線を逸らした。

 そんなふたりのやり取りをクリスはじっと見ていた。

 閻魔王とケルベロスを従えて、クリスが大神殿を訪れたことで、一時的に混乱が起きた。

 神官たちにしてみれば、閻魔王やケルベロスは対極に位置する存在。

 神殿に立ち入ることができるということ自体意外なことだった。

「殿下。なぜ閻魔王やケルベロスを従えて」

「神殿に連れ込むなどあってはならぬことっ」

 口々に責める神官たちにクリスは呆れ顔だ。

 どういう立場であれ、ふたりは神の位置にいるというのに、神官たちの不遜さはどうだろう?

 クリスも不遜だと閻魔に言われたが、神官たちの態度は絶対にクリスを越える。

 その証拠にケルベロスは低く獰猛な唸り声をあげて威嚇し、閻魔は不機嫌そうに神官たちを睨んだ。

「そなたたち、わたしも神だと忘れておらぬか? ケルベロスにしても神の番犬。そなたたちとは立場が違う。その態度、不遜を通り越しているぞ?」

 閻魔には脅しているつもりはない。

 だが、神官たちは喰うぞと脅された気がして「ヒッ」と悲鳴をあげた。

「今のはきみたちが悪いね、神官たち」

「殿下」

「閻魔王がたとえ地獄の覇者だとしても、だ。神であることは変わらない。わたしたちとは立場が違う。神官であるきみたちが、そんな不遜な態度を取るとは、わたしも思わなかったよ」

「しかしここは大神殿」

「本来、閻魔王やケルベロスが立ち入るべき場では」

 口々に言い募る神官たちにクリスは壁際に立つ大神官を振り向いた。

「きみも同じ意見なのかい、大神官?」

「閻魔王が釈迦如来とも立場を同じくする神であることは存じております。
 そしてケルベロスは冥府の番犬。ケルベロスの許可なくして人は冥府には入れない。
 それは転生できないということです。不遜と言われればそうでしょうな。このおふたりの機嫌を損なえば、転生する可能性が潰れてしまう」

 閻魔とケルベロスは来夢の背後に控えている。

 それはふたりがだれに従っているのかを大神官に明らかにしていた。

 大神官はさっきから一言も発しない来夢をじっと眺める。

「あなたがライム殿ですか?」

「……そうだよ」

「閻魔王とケルベロスはあなたに付き従っているのですか? あなたは神々に守られているのですか?」

「確かにふたりは俺の護衛だけど」

 閻魔王とケルベロスを護衛にしているという来夢に、大神官は息を呑み神官たちはヒソヒソと話し合った。

「だけど、このふたりを俺の護衛につけてくれたのは冥府の王ハデスだ」

「「ハデスが?」」

「ハデスは動けないからって、まずケルベロスを護衛につけて、それから閻魔にも護衛を頼んだんだ。閻魔は俺を護りたいからここにいるんだって言って、決してハデスに頼まれたからだけじゃないって言っていたけど」

 それは裏で糸を引いているのは冥府の王ハデスであることを証明していた。

 だが、ハデスの手先のように思われるのは不愉快だったのか、閻魔が口を挟んだ。

「確かにわたしはハデスに護衛を頼まれはしたが、相手が栗栖来夢でなければ断っている。わたしにも選ぶ権利くらいはあるのだ」

「「クルスライム?」」

 神官たちがざわざわと騒ぎだす。

 大神官は驚いた顔で来夢を凝視した。

「あなたが……クルスライム?」

「確かに俺は栗栖来夢だけど」

 ハデスたちの言っているクルスライムじゃない。

 そう言おうとしたが、神官たちは聞いていなかった。

 突然その場に平伏する。

 来夢はギョッとしたが閻魔やケルベロスは平然としていた。

「大神官。何故ライムに跪くんだい?」

 自分も屈み込んで訊ねる王子に大神官は焦った声で答えた。

「殿下はご存じではないかもしれませんが、クルスライムとは『はじまりの女神』の本名です」

「へえ」

 思わずクリスはそのままの姿勢で来夢を振り向いてしまった。

 ハデスたちの言っている「クルスライム」が「はじまりの女神」だったとは思わなかった。

 それはまあ神々の主人的な位置にいただろう。

 なにしろ神々を招いたのが「はじまりの女神」だからだ。

 世界で初めて神々を召喚した人物。

 それこそが「はじまりの女神」だった。

 しかしだとしたら人違いである可能性は増したが。

 なにしろ来夢は同性。

「女神」というからには「はじまりの女神」は女性なのだから、それで同一人物だと思えと言われても無理がある。

「しかし閻魔王。だとしたら人違いではないのかな?」

「何故そう思う? 人の子の王子」

「だって来夢は同性だろう? はじまりの女神だというなら普通は女性じゃないかい?」

 この問いには来夢は苦い顔を背け、閻魔は面白そうに笑う。

「来夢が生粋の同性なら、な」

「え……?」

 クリスがぽかんと来夢を凝視して、来夢は答えられずに黙秘する。

 その様子が来夢は生粋の同性ではないと主張しているようで、クリスは目を瞠る。

「クルスライムの匂いは女性の匂いだ。あの頃から変わらずに。だから、着替えなどの場では視線を向けないが」

 ケルベロスも肯定してクリスはじっと来夢を見る。

「きみ……生粋の同性ではないのかい、ライム?」

「知らない」

 来夢から却ってきたのはその一言だけだった。

 即座に否定しないということが、ふたりの言い分を認めているようで、クリスは今更のように理解する。

 アレルギーが出なかったのも当然なのだと。

 彼は純粋な同性ではなかったのだから。




 来夢がその事実を知ったのは学校で倒れた後のことだった。

 突然学校で倒れて人事不省に陥り、病院に運ばれた来夢は原因不明と判断され、色々な検査をされた。

 その結果言われたのだ。

「きみは女の子だよ」と。

 これには来夢は嘘だと思った。

 これまでずっと男として生きてきて普通にトイレだってやっていたし、水泳だって男子生徒として参加してきた。

 自分が女のはずがない。

 そう主張したのだが、来夢は実は女の子なのだと医師に保証されたのだった。
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