第三章 雨上がりの再会
第三章 雨上がりの再会
シトシトシトシト。
音という音は聞こえないのだが、とにかく鬱陶しい雨が降り続いている。
ラスはうんざりしたようにそれを見ていた。
「ラスは最近不機嫌そうだな? どうかしたのか?」
本部で書類を書いているときに、ふとラスはそんな声をかけられた。
振り向けば同僚のドレークが立っている。
姓か名前か知らないが、みんなその名で呼ぶ。
自警団は確かに国の機関になったが、元々の組織が組織だったので、身元にはとやかく言われない。
だから、本名だろうと通称だろうと誰も気にしないのだ。
「いや……なんか雨が好きじゃなくてさ」
つい憂鬱になる。
あの男と逢ったのが雨の夜だったし、その男を思い出させる身元不明の若様と逢ったせいで、余計に雨が鬱陶しい。
「まあなあ。オレも雨は好きじゃないな。雨が降ると見回りがキツイ」
「いや。そういう意味じゃないんだけどな」
「わかってるって。色街じゃ雨は喜ばれるんだろ?」
「なんで知ってんだ? ドレーク?」
きょとんと言えばドレークは豪快に笑った。
「有名な噂じゃねえか。雨が降ると客が大人しくなるから、色街じゃ雨は喜ばれるって。それに雨が降ると揉め事が減るから、オッドアイのラスに逢える機会も減る。そういう噂も伝わってたぜ?」
「変に有名だな。俺も」
「そりゃオッドアイのラスって言えば色街の華だからな。お前を見たときは納得したぜ? まさに華だよな。お前って」
「男の俺に華だとかなんだとか。そういうお世辞を言って嬉しいか?」
「お世辞じゃねえよ。お前がなんで色街一の華なのか。最近はわかってきたしな」
「あのな? 花ってのは一応娼婦を指すんだよ。俺は男。おまけに男娼でもない。それ嫌味なだけだぜ?」
「ああ。そういやお前花街の花とも親しいんだって?」
「マリアの姐さん? 確かに親しいけど」
「どうだ? 可愛がって貰ったか?」
「誘われたけど一度も」
「なんでだよーっ!! 勿体ねえ!!」
「姐さんが俺みたいな子供を誘うなんて、どう考えても気紛れだろ。本気で相手したらこっちがバカをみるぜ?」
「ってお前……花に誘われたの幾つのときが初めてだ?」
「あー。……7歳?」
「それ花街の花? それとも他の花?」
「最初はマリアの姐さんだよ。それがあってから、なんか競争みたいになって」
「へえ。すげーな。お前。僅か7歳で花街一の花に誘われた男、か」
「っていうかドレーク? 人の話、聞いてるか? 7歳の子供相手に誘ってくる花がどこにいるよ? 気紛れだろ。どう考えたって」
ラスはまるで相手にされていなかったと訴えたのだが、ドレークはなにやら頻りに感心していた。
言っても無駄らしいので口を噤む。
また外を見る。
雨は止みそうだなとなんとなく思う。
「あれ? あの顔……」
雨を避けるように近くの軒下で休んでいるひとりの男。
忘れたくて忘れられない顔だった。
ふっと振り向いた男と視線が合う。
(あれ、どう考えてもここを目指してるな。なんで俺がここにいるってわかったんだ? 取り敢えず出るか。ややこしい話になりそうだし)
「ドレーク。俺ちょっと見回りに行ってくる」
「え? こんな雨の中をか?」
「もう止みそうだって。とにかく出てくるから」
「ラス?」
呼び声を無視して事務所を出た。
案の定男も移動する。
人気のない方へ歩いていき、完全に途絶えたところで立ち止まった。
あの若様から聞いた話が、この男の前の奥さんなら、絶対に物騒な会話になるから。
待っていると男が黙って近付いてきた。
ぎこちなく笑う。
「久し振りだな、ラス」
「なんで俺がここにいるってわかった?」
「蛇の道は蛇だ」
「よく言うぜ。どうせ息子から聞いたんだろ?」
「おや。気付いていたのか」
「俺とそっくり同じ顔の女が、そう何人もいてたまるか」
別に自分が特別な顔立ちだと自慢しているわけじゃない。
ただ自分と同じ顔、それも女性がふたりも3人もいるなんて想像してみろ?
どこが嬉しい?
できればひとりだけだと思いたい。
だから、あの若様とこの男を繋げたのだ。
それに身の危険を訴えられる同じ顔の女性なんて、そう何人もいるとは思えない。
そうなると必然的にあの若様は、この男の息子という意味になるのだ。
どっちの名前も知らないが。
「ところでアンタ幾つ?」
「唐突だな。なんだ? いきなり?」
「いや。19の息子がいるはずとか聞いてたし、外見見ると30代後半でも通りそうだけど、息子が来年20なら、もしかして40かなあとも思ってたんだ。なのにあの若様は俺よりふたつ年下なだけだって言ってたし。自信がなくなってきて」
来年20歳になる息子がいる。
そう聞いていなければ30代後半で納得していただろう。
だが、長男の歳が20と聞いて40を過ぎていると認識を改めていたのだ。
なのに17の子供がいる。
30代なのか40代なのか、どっちだ?
「ひとつ訊いていいか?」
「なんだよ?」
「30代だろうが40代だろうが、大して変わらない気がするんだが、なにを拘っているんだ?」
「アンタ。前の奥さんにベタ惚れだったんだろ?」
「まあな。過去形ではないが」
「惚気はいいから」
一言注釈すれば男は黙り込んだ。
「産まれる前の子供がいる状態の奥さんを略奪されて、その2年後には息子が産まれるっていうのも納得できなくて。若いと特に気持ちの切り替えってすんなりいかないだろ?」
若さ故の情熱というものはあるとラスは思っている。
その場合、そんな悲劇的な過程で妻と子供を失い、しかもその妻に惚れきっている男が、僅か2年で子供を作れるか。
そこが疑問だったのだ。
これがある程度年齢を重ねているなら、自分の役目と割りきれないこともないのだろうが、若いとそうもいかない。
それで気にしたのだった。
「つまりわたしの経歴と子供の年齢が納得できないという意味か。ふむ」
言われて男は何度か頷いた。
「まあ半ば強制だったからな」
「強制?」
首を傾げれば男はため息をついた。
「わたしの立場的に跡継ぎは必要。そう言っただろう?」
その声にコクンと頷いた。
「彼女が略奪されて、そういうことから逃げていられたのは1年ほどの間だけだった。それを過ぎると言い含めるにも限度があって」
「へえ。なんか知らないけど大変そー」
「暢気だな、そなたは。とても色街で育ったとは思えない。経験済みか?」
「なんでそんなことアンタに答えなきゃいけないんだよ?」
「いや。気になったから訊いてみただけだ。オッドアイのラスなら相手に不自由しないだろう?」
「否定はしねえけど」
ラスはそれだけしか答えなかった。
それで男がホッとした息を吐き出したので、なにを安堵してるんだ? と、視線を向けてしまった。
「訊かれたことに答えるとわたしは40代始めだ」
「ふうん。20歳の子供がいるならそんなものか」
「そうでもないぞ?」
「なにが?」
「結婚したのは10代だ」
「呆れた」
「熱愛過ぎて子供がすぐにできなくてな。新婚時代は長かったな」
「御馳走様」
こうまで堂々と惚気られるとそう言うしかなかった。
「それで? わざわざ逢いに来た動機はなんだよ?」
「いや。花街へ戻るつもりはないか?」
「アンタまでそれを言うのか?」
うんざりしてそう返せば、男は真面目な顔で言い募った。
「大体の事情は息子から聞いたんだろう? 自分がどれほど危険な橋を渡っているか、少しくらい自覚してほしい」
「わかれって言われても……人違いだし」
顔を背けてそう言えば男に肩を掴まれた。
「頼むから現実を自覚してほしい。知らぬ存ぜぬでは通らないのだ。そなたが人違いだと主張したところで、誰もそれを信じはしない」
「勘違いで投獄される。それを認めて身を隠せ? そんな理不尽な話が受け入れられるかよっ!!」
「理不尽だろうがそれが現実なら、受け入れるしか道がない。それがわからないのかっ!!」
怒鳴り付けられてちょっとビックリした。
怒鳴られるなんて思ってなかったから。
出逢ったときから下手に出てたし。
「もう……失いたくないのだ」
「アンタまた俺を混同してる」
「違うっ」
「……」
「妻と同じ顔をしている相手を失いたくない。また辛い思いをするから」
「そんなことを言われても……」
この男にとって同じ顔をしているラスが、そういう目に遭うというだけで我慢できないのだ。
二度も妻を失うようで。
しかもラスが息子ではないという保証がない。
二重に自分を責めているのだろう。
わかっても認められなかった。
そんな自由を奪われるようなこと。
「もう……戻らなきゃ……」
肩から手を離させようとすると、突然抱き締められた。
唖然とする。
なに?
「監禁してしまいたい」
「は?」
「誰の目にも触れないように監禁してしまいたい。でなければ安心できない」
「そんな無茶苦茶な」
「そなたは自分が暗殺される対象であるという自覚がない。だったら監禁してでも護りたいと思ってなにが悪い?」
「暗殺? 俺が?」
言われる言葉が理解できない。
そんなの普通一般人では使わない。
「最終的には監禁してでもそなたは護る。それは覚悟しておくように」
「アンタ」
抱き締める腕に力が入って痛いほどだった。
本気で言ってるってすぐにわかった。
どこまでも拒んでいたら、本気で監禁する気だ、こいつ。
「ルイ」
「だから、違うって」
「いや。そなたはルイだ」
「なんで言い切れるんだよ?」
「親としての直感、かな。ただ似ているだけなら、ここまで不安にはならない。そんな気がするから」
そんな曖昧な感覚で断言されると、さすがに言い返す余地が見付からない。
どうしろというのか。
この厄介な男を。
「ドルレイン人には気を付けろ」
「は? この国の敵国の? そりゃ誰だって気を付けてるんじゃないのか?」
「そなたは普通よりもっと気を付けなければならない。ドルレイン人にその姿を見せてはならない」
「なんで?」
「実はそなたも自分と瓜二つということで、キャサリンがかなりの美女だったことはわかるだろうが、彼女はドルレインの国王に横恋慕されていたんだ」
「国王に横恋慕?」
どこまで話が大きくなるんだと呆れていた。
それは確かにこの国は大国で、帝国とまで言われているが、今度は両雄と言われているドルレインの国王まで出てきた。
まあ皇帝暗殺の容疑をかけられるくらいだから、それなりの地位にはいたのだろうが、まさか他国の王に横恋慕されるほどだとは。
「彼女を略奪したのもドルレインだ」
さすがに青ざめた。
その彼女とラスが瓜二つだという。
しかも相手は行方不明。
それがなにを招くのか、さすがに怖い。
「ただ略奪はしたものの、ドルレイン側も彼女を見失っていて、結果的に痛み分けみたいになっている」
「はあ。つまり王様は今も彼女を諦めていないと」
「そうだ。そこへ瓜二つのそなたが登場したらどうなるか、色街育ちのそなたのことだ。もうわかっているだろう?」
「うっ。さすがに男相手はちょっと遠慮したい……」
寒気がした。
この身を狙われると思うと。
しかも動機はかつて好きだった女性の身代わりだし。
本気でやめてほしい。