第二章 冤罪



 用意された部屋は小さいが個室だった。

 それまで宿無しだったことを思えば格段の進歩である。

 ジュエルの紹介を受けることにして、先に彼女にお茶をご馳走になった。

 その後で自警団の本部に案内されたのだが。

 ベッドに身体を投げ出して小さく笑う。

「まさかジュエルが自警団のアイドルだったとはなあ」

 彼女に案内されてきたときのことを思い出す。

『隊長さん。お久し振りです』

 自警団の本部につくなり、彼女はそう言って部屋にいた男に声を投げた。

 すると男は直立不動になり敬礼した。

 ラスは目を丸くしたものだ。

 どういう反応だと思ったからだ。

『これはジュエル様っ!! ようこそいらっしゃいましたっ!!』

『ふふ。そう畏まらないで下さいな。今日はお願いがあってきたんです』

『お願い、ですか? なんでしょうか?』

『この方。職探しをされているそうなの。自警団で雇って頂けないでしょうか? 人手がなくて困っていたのでしょう?』

 可愛らしく小首を傾げる彼女に男は赤くなりつつラスを振り向いた。

 じろじろ検分されて居心地が悪い。

 まあ顔を見て惚けない男の方が珍しいので、その点は評価していたが。

『整った顔はしているが、まるで女みたいだな。自警団に入ってやっていけるのか?』

『一言余計なんだよ、テメーは』

『なんだとっ!!』

 今にもラスに掴みかかりそうな男にジュエルが割って入った。

『やめてください、隊長さんっ!! ラスさんもっ。それでは喧嘩にならない方が不思議でしょう?』

 しかしこの一言が隊長の態度を豹変させた。

 ラスという名を聞いて顔色を変えたのだ。

『ラス? お前ラスというのか?』

『だったらなんだよ?』

『右目が碧。左目が緑のオッドアイ。まさか……オッドアイのラスか?』

『オッドアイのラス?』

 ジュエルが首を傾げている。

 しかし自分から色街出身だと教える気はなかったので、ラスは不機嫌そうに隊長の言葉を遮った。

『二つ名で呼ぶんじゃねえよ。俺はあんまり好きじゃねえんだ』

『じゃあ本物かっ!?』

 そう叫んでから隊長はラスに抱き着いた。

『気色悪いな!! 抱き着くんじゃねえよ!!』

 ラスが突き飛ばしても隊長は笑顔だった。

 満面の笑みを浮かべてラスを見ている。

『いやあ。オッドアイのラスが入ってくれたら百人力だっ!!』

『さっきまでと態度が違わねえか?』

 呆れてラスが言ったが隊長のご機嫌は麗しいままだった。

 どうやら「オッドアイのラス」の異名は、こんなところにまで轟き渡っているらしい。

 そういえばさっきのスリの男も、ラスの眼を見た途端態度が変わった。

 どうやら自分で想像していた以上に「オッドアイのラス」という名は一人歩きしていたようだ。

 頭の痛い。

 まあ歓迎されているだけマシだが。

『しかしジュエル様がオッドアイのラスと知り合いとは驚きましたね。どこで知り合われたんですか?』

『そんなに凄い方なの? ラスさんって』

『凄いなんてものじゃありませんよっ。オッドアイのラスと知り合いだってだけで、周囲に自慢できるくらいなんですからっ。これからどれだけ仕事がしやすくなるかっ』

 ペラペラと色街のことまで話し出しそうだったので、ラスはここでストップをかけた。

『お喋りな男は嫌われるぜ?』

『ムッ』

 隊長は不満そうだったが、ラスが耳許で囁くとようやく口を閉じてくれた。

『彼女みたいに小さな女の子の前で、色街の話なんて出すんじゃねえよ。人格を疑われるぞ?』

『確かに』

 小さな女の子の前で出す話ではないと納得してくれたのか、隊長はにこやかにジュエルを誤魔化してくれた。

『まあちょっと名前の知られた男だってことですよ、ジュエル様』

『そうなの? そうは聞こえなかったけれど』

『とにかくっ。今日はラスの歓迎会だっ。みんなが戻ってきたら騒ぐぞーっ!!』

 調子のいい男だなとラスは苦笑して彼を見ていた。

 それから自警団のメンバーが戻ってきてから、ラスの歓迎会が開かれたが、ジュエルはちゃっかりそこにいた。

 そうして知ったのだ。

 彼女が自警団のアイドルだということを。

 ラスは色街の華だが彼女は自警団の花だった。

 なにしろ主賓のラスそっちのけで、みんな彼女の相手を進んでやりたがるのだ。

 ここまで悪し様な扱いは初めてで、ラスは却って気取らない連中が気に入ったが。

 それにしても……とラスは今更のように気になった。

「彼女……どこの誰だったんだろ? 名前しか聞いてないけど」

 自警団のみんなにそれとなく探りを入れてみたが、返ってきた答えはみんな同じだった。

「ジュエル様がラスに言っていないなら、お前には知られたくないということだ。教えてくださるときを待つんだな」

 といった内容だったのだ。

 まあ裕福な家の令嬢か、最悪、貴族という可能性もあるが。

「どっちにしろ俺には関係ないか」

 彼女がどこの誰だったとしても、色街育ちのラスとは住む世界が違う。

 自警団にいればこれからも逢うことはあるだろうが、それだけだ。

 彼女も深入りはして来ないだろうと思って眼を閉じた。





「ジュエル」

 回廊を歩いていると名を呼ばれ、ジュエルは振り向いた。

 そこには彼女の自慢の兄が立っている。

 彼女と同じ髪と瞳の色をした。

 ジュエルは常々男性で兄より綺麗な人はいないと思っていたが、最近になって認識を改めていた。

 世の中。

 上には上がいるものだと。

「お兄様」

 満面の笑みを見せるジュエルに近付いて、長い銀髪を撫でてから彼は口を開いた。

「最近よく街へ出掛けているらしいね?」

「え、ええ」

 しどろもどろなジュエルに彼女の兄は呆れた嘆息をつく。

「また自警団のところかい?」

 答えない彼女に彼は少し厳しい言葉を投げ掛けた。

「あそこは男ばかりが住んでいるから、なるべく行かないように言っておいただろう? どうして言うことを聞いてくれないんだい?」

「どうしていけないの? 皆さんそれはよくして下さるわ。わたくしが行くといつも歓迎して下さるし」

「仕事の邪魔をしているジュエルを歓迎、ね」

 そっぽを向いて呟く兄にあの人の困ったような顔が浮かんだ。

 逢いに行く度に困ったような顔をしている人の顔が。

「まさか気になる男でめ自警団にいるんじゃないだろうね?」

「……え?」

 気になる人と言われて、あの人の綺麗な笑顔が思い浮かんだ。

 あの人は口は悪いが人柄はいいし、なにより優しい。

 ジュエルがどんなに困らせても、本気で怒ったこともないし、ジュエルが危険な目に遭いそうになると、さりげなく庇ってくれる。

 滅多に笑ってくれないが、助けてくれたときに「大丈夫よ」と言って笑ったとき。

 彼は笑顔を見せてくれるのだ。

 その笑顔がとても好きだった。

「その顔……いるんだね?」

「……気になっているだけよ? 別に特別な感情を抱いているわけでは……」

「そう。だったら自警団に行くことは、今後一切禁止すると言っても受け入れられるかい?」

 兄の厳しい言葉には答えられなかった。

 そんな妹に兄はため息を漏らす。

「ジュエル。自警団にいる男なんて好きになっても、その恋は実らないよ。身分が違いすぎる」

「そんな言い方をしなくたってっ」

「わたしだって身分で人を差別するつもりはないよ。でも、恋愛沙汰だけは別だ。きみは何れこの国の重鎮か、もしくは他国の王族に嫁ぐ身だ。わかるね? 自警団の男なんて好きになっても、きみにはどうしようもないんだってことが」

 それはジュエルにとっての決定事項だった。

 自分は何れ政略結婚する身だ。

 ずっとそう覚悟してきたはずだった。

 でも……。

 泣き出しそうに顔を歪める妹に兄は困ったような顔になる。

「ジュエル」

「お兄様のバカ!!」

 それだけを叫んでジュエルは駆け出した。

 その背中がどんどん遠くなる。

 なにも言わずに見送ることしかできなかったけれど。

「殿下」

 それまで黙って付き従っていた護衛騎士、マックスが口を開いた。

「醜態を見せたね、マックス」

「いえ」

「今日のジュエルの予定は?」

「姫様のご予定はあってないようなものですから。最近は特にその傾向が強いですね」

「つまりそれだけ何度も自警団に行っているということか」

 呟いてこの国の第一王子ジェラルドは背後を振り向いた。

「ジュエルを今日は宮殿から出さないように」

「と、申されますと?」

「わたしがお忍びで自警団に様子を見に行く。ジュエルをあそこまで夢中にさせている男がどんな男か気になるからね」

「畏まりました。ユリアに頼んでおきましょう」

「ああ。ジュエルの専任護衛騎士だね。情に流されないといいけれど」

「大丈夫でしょう。殿下のご命令とあれば」

 言葉の意味を少し考えたが、ジェラルドは深く気にすることなく頷いた。
1/3ページ
スキ