第六章 宮殿にて




 ヴァンとラスとの立ち稽古の様子をじっと見守る視線があった。

 ジェラルドである。

 ジュエルはラスへの気持ちが禁じられた反動で、ラスの話題を出すとヒステリーを起こすが、ジェラルドは彼が実兄だとわかって却って興味が湧いていた。

 外見と気性のアンマッチもそうだが、なんていうのだろうか。

 彼には人を自分に惹き付ける「なにか」がある。

 彼の外見ならやわな皇子が似合いそうだが、実際の彼は例え勝てないと決まっていても、果敢に立ち向かっていく、その現実にも負けずに挑戦する、言ってみれば獅子のような性格の持ち主だ。

 笑えば華のような印象を纏うのに、実際の彼は紛れもない「男」

 そのアンマッチさが彼の魅力だとジェラルドは思う。

 我が兄ながら面白い人だと。

 それに負けず嫌いもここまで来ると凄いと思うが、ジェラルドがこうして稽古を眺めるようになって半月。

 ラスは今ではヴァンと対等にやりあえるほどに腕を上げていた。

 その成果にヴァンは上機嫌である。

 最初の頃、ジェラルドが偶然見かけた場面では、ラスは散々でヴァンにこてんぱんにやられて満身創痍といった感じだった。

 さすがに止めようとしたが、一緒に見ていたマックスが言ったのだ。

『父は殿下の御為に厳しく稽古をつけています。どうか見守っていて頂けませんか? 殿下には多少厳しく思えても、こうすることが必要なのだと』

 確かに常に暗殺の危険に晒されている兄である。

 主張は一理あった。

 だから、その場は退いたのだが、あまりに満身創痍な状態が続き、見ていられなくなったジェラルドが少し間を空けて、そうしてまた見守るようになった半月後。

 彼はまるで別人みたいに腕を上げていた。

 軍で一番と言われる剣の達人であるヴァンを相手に対等にやり合う。

 ジェラルドがそこまで持ち込むのにどれだけかかったか。

 それを彼は僅か数ヵ月で成し遂げたのだ。

 凄いことだと感心していた。

「今日はここまでに致しましょう。殿下」

「もう終わりか?」

「殿下も腕を上げられましたね。これだけ長くやりあっても息も乱さなくなりました」

「アンタ。どれだけ俺に手厳しかったか忘れてんじゃねえだろうな?」

「ご自分の身は護れる方がいいでしょう? いつなにが起きるかわからない。それが殿下の立たされているお立場ですから」

「まあな。じゃあちょっくら休憩にするか!!」

 晴々とした笑顔でそう言ってラスは剣を鞘に戻した。

 ヴァンは護衛もあっただろうに何故か席を外したが。

 そのときにチラリと隠れているジェラルドを見たので、どうやら気を利かせてくれたらしいとわかった。

 ジェラルドが声も掛けられずに見守っていたことをヴァンは、きちんと見抜いていたのだろう。

 もしかして今終わりにすると宣言したのも、ジェラルドがいることを知っていたからかもしれない。

 兄弟が語り合う時間を用意してくれたのだ。

 ジェラルドは覚悟を決めて兄に近付いた。

 ラスが気付いて眼を丸くする。

「ジェラルド」

「お久し振りです。兄上」

「ほんと久し振りだよな。俺がこっちにいるせいもあるけど、全然見掛けないからどうしてるのかと思ってた」

「兄上のご様子はよく知っていましたよ、わたしは」

「?」

 わからないと顔に出すラスにジェラルドは少し悲しかった。

 彼は弟や妹がどうしているか、調べることすらしなかったのだと知って。

「なんでそんなに悲しそうな顔をしてるんだ? ジェラルド?」

「兄上は離れている間、わたしやジュエルがどうしているか、全く気にならなかったのですか?」

 自分が気にするほどには気にされていなかったのかと思うと、どうしても問わずにはいられなかった。

 ラスはキョトンとしただけだが。

「そりゃ気にはなったけど、確かめようがないし」

「おばあ様に訪ねるとか、方法は幾らでもあったでしょう?」

「……お前のことだけ訊いて、ジュエルのことは訊かないなんて、できるわけねえだろ?」

「兄上?」

 顔を背けるラスに怪訝な気持ちになる。

「俺だってあんたたちのこと気にならないわけじゃない。気になるし何度も確かめようとも思った。でも、ジュエルのことを確かめる勇気がなくて」

「……兄上」

 意外だった。

 そこまで気にしてくれているとは思わなかったから。

「ジェラルドのことを確かめるだけならできた。でも、そこでジュエルの話題を出さなかったら不自然だし、話題を出したら俺は絶対に苦しくなるから」

「もしかして兄上もジュエルのことを?」

「そういう意味じゃねえよ」

 呆れたようにラスはそう言って笑った。

 どう解釈してもそう聞こえたが?

「罪悪感で苦しくなるって言ってるんだ」

「……そういう意味ですか」

「今婚約されても、俺には自暴自棄になってるとしか受け取れない。それをさせたのは俺だって責められてる気しかしない。だから、オッサンには婚約させるなって言ってるんだけど」

「父上はそれを認めましたか?」

「却下はしなかったよ。ま。考えておくとしか言わなかったけど」

「考えておく」という言葉は遠回しな却下である。

 相手のことを思って相手の言い分を正面から断れないときに使われる常套句。

 しかしラスは気付いていないようだった。

 指摘するべきか悩んでいるとラスが顔を見下ろしてきた。

 2歳の歳の差は大きいというべきか。

 ジェラルドはラスより小さいので。

 これいつか逆転してやると心に誓う。

「ジュエルは……どうしてる? 元気にしてるか?」

「元気ですよ? 少々元気すぎて困っているくらいですから」

「笑ってるか?」

 問われて答えに詰まる。

 どうしてこの人はこう答えにくい問い掛けをするのだろう。

 ジュエルが笑っているわけがないではないか。

 初恋が叶わなかったどころか、想いすら否定され禁じられたのだ。

 それで笑っていられたら嘘だと思う。

 ジュエルが元気だと言ったのも、実は空元気だった。

 それとラスの話題が出たときだけヒステリーを起こすので、却って元気に見えるという事情もあったが。

 それだけピリピリしているということだ。

 答えられないジェラルドにラスは苦い笑み。

「俺を気遣って妙な嘘つくんじゃねえよ、ジェラルド」

 指先で額を小突かれる。

 子供扱いが妙に勘に触った。

 その手を叩き落とす。

 ラスが驚いたように目を丸くする。

「ジェラルド?」

「子供扱いはやめてください!!」

「そんなことを言われても、実際子供だし」

「目線がほんの少し違うだけじゃないですか!!」

「いや。それ以前にふたつも年下だろうが? 弟君?」

 ラスは呆れたような顔だ。

 子供が癇癪を起こしているようにしか見えないらしい。

 自分でもらしくないと思う。

 だが、止まらない。

 怒りでなにも考えられなくなる。

 そのくらい彼に子供扱いされるのが辛かった。

 感情が昂るままに兄の肩を掴んで、近くの大樹に押さえ付ける。

 兄は驚いたようだが、意図を悟ってもいないのか抵抗はしなかった。

 だから、瞳を閉じた。

「っ!!」

 腕の中の身体が強張る。

 突き放そうと動いた身体を拘束するように抱き締める。

 身長差を埋めるために、真上から押さえ込んだ。

 耐えきれずに兄が膝をつく。

 それを更に押さえ込み、抵抗を封じる。

 華奢な身体だなと遠く心のどこかで感じる。

 最後の抵抗とばかりに歯列をを閉じて、開かない兄のおとがいを押さえ込む。

 無理に唇を開かせた。

 スルッとと侵入できて少し驚く。

 身長差はあっても体格的に勝っているとはこういう意味かと今更のように知る。

 逃げ回る舌を奪い絡める。

「ジェ、ジェラルド!!」

 必死になって逃げようとする兄が名を呼んだ。

 唾液がお互いの唇を伝う。

 それを感じながら色の違う眼を覗き込む。

「子供はこういう真似……しませんよ、兄上?」

「お前……」

 初めて子供扱いに対する抗議だったと気付いたのか、兄が怒髪点をついたといった勢いでジェラルドの身体を押し退けた。

 抵抗することなく離れる

 気絶いた目の色を見ていると逆らえなくて。

「子供はこういう真似しない? 逆だろ? 子供だから、こういう真似するんだ」

 立ち上がった兄に諭され口を噤む。

「本物の大人だったら子供扱いされたくらいじゃ怒らない。まして体格的に勝てるとわかってる相手に無理強いなんて絶対にしない!!」

「兄上。わたしはっ!!」

「少し頭を冷やせ。こういう形で抗議してくる奴は子供以下だ!!」

「酷すぎます!! ご自分の言動を少しくらい振り返って下さいっ!!」

「バカが!! それはこっちの科白だ!! 実の弟に襲われた兄貴の気持ちも、少しくらいは気遣え!!」

「……すみません」

 真剣に怒っているようだったので、取り敢えず謝っておけと頭を下げた。

 本音としては謝りたくないし、今すぐまたキスしたいなんて考えていたが、それを言うと本気で嫌われそうだったのでやめておく。

「全く。本気で泣きたい。なんで初めての相手が実の弟なんだよ?」

「え?」

 驚いて顔を見上げようとしたら、兄はそのときには離宮に向かって歩き出していた。

「兄上?」

「疲れたから部屋に戻る。じゃあな」

 それだけを言って片手を振った兄の姿が離宮に消える。

 その余韻に浸りながら意外な言葉を思い出していた。

 兄は口付けはさっきが初めてだったのだと。

「え? なんだ。この動機?」

 跳ねる心臓の音が聞こえてくる。

 早鐘を打つ。

 頬が熱くなる。

 それは初恋に似てジェラルドを悩ませた。
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