第六章 宮殿にて
第六章 宮殿にて
「う~。久し振りに呑みすぎた」
二日酔いでガンガンする頭を抱えながら目が覚めた。
ボーッとしたまま部屋に視線を彷徨わせる。
見たことのない部屋だ。
少なくとも自警団の寄宿舎ではない。
痛む頭を抱えたまま上半身を起こせば、突然扉が開いて声が響いた。
「お目覚めですか、殿下」
「誰……だっけ?」
「近衛隊の将軍ヴァンと申します。今日から殿下の護衛の任につくことになりました。何卒宜しくお願い致します」
「ってことはここは宮殿?」
「はい」
「にしてはこじんまりしているような」
連れ戻された以上ジタバタするつもりのないラスである。
いつかはこうなると覚悟もしていたし。
ラスの疑問にヴァンと名乗った将軍は衣服を準備しながら答えてきた。
「離宮ですから宮殿と比較したら、多少はこじんまりして見えるかと」
「離宮? なんでそんなところに……」
「なにも覚えていらっしゃらないのですか?」
「なにを?」
「殿下は街中でドルレインの者に襲われました。連れ去られようとしていたのです」
「ゲッ。全然覚えてない」
居酒屋で飲み潰れたのか、呑んでいた途中から記憶にないのだ。
そもそもどうやってここまで来たのか知らないし。
ラスの顔から大体のことを悟ったのか、ヴァンは手際よくお茶の準備をしながら答えてくれた。
「マックスがひとりで殿下を護ろうとしたのですが、丁度わたしがきな臭い噂を聞いていたこともあって、それを陛下にご報告しておりました」
「もしかしてあのオッサンが助けてくれたのか? だから、俺は今ここに連れ戻されてる?」
「殿下。陛下はお父上ですよ? ましてや皇帝陛下です。オッサン呼びはいけません」
幼い子供を叱るような声音にラスは本能的に「あ。こいつ苦手なタイプかも」と悟った。
ラスは非常識な花街育ちのせいか、常識を諭す相手が苦手なのだ。
それと墾々とお説教する相手と。
こいつはどうやら両方に当て嵌まりそうだ。
「でも、オッサンだし」
「殿下!!」
確かめる意味で逆らってみれば、そこからは延々とお説教が続いた。
途中からラスは目を逸らし、右から左に聞き流したが。
こういうタイプは基本的にそういう態度にうるさい。
当然なように注意され、ラスは渋々「もうオッサンなんて呼ばない」と誓わされた。
二日酔いで頭がガンガンしていたのだ。
こんなお説教なんてとても聞いていられない。
「それで? なんで俺が狙われたんだ? もしかしてドルレインに素性がバレてる?」
「いえ。詳しいことは今調査中です。殿下の素性がバレている可能性も否定はできませんが、陛下の読みではおそらくそのお顔立ちのせいだろうとのことでした」
「母さん譲りのこの顔か」
皇帝から聞いた話によれば、ドルレインの国王は亡くなった母に片想いしていたらしい。
だったら同じ顔をしているラスを見掛けて連れ帰れろうてすることは十分考えられる。
しかし相手が同じ男であることを少しくらい気にしてくれと言いたいのは、ラスが自分で考えていたよりモラリストだったせいだろうか。
花街でも男を求めて男が来るパターンも決して少なくなかった。
かくいうラスもよく誘われたし。
でも、そういうことには否定的だったなと気付く。
ラスは自分で思っている以上にモラリストだったらしい。
「それで? 連れ戻したのになんで離宮なんだ? 離宮ってことは王城からは離れてるんだろ?」
「いえ。同じ敷地内にはあります。ただ皇族に病人や怪我人などが出たときに静養するのが目的の宮なので、かなり離れてはおりますが」
「もしかして俺、隔離された?」
首を傾げて問い掛ければ、ヴァンは苦い顔で首肯した。
「ドルレインは過去に王城にまで攻め込むほど、キャサリン様を執拗に狙っていました。殿下のお顔立ちのことを考えれば、どうしても慎重にならざるを得ません」
「だからってなにも隔離しなくても」
「それにキャサリン様を陥れた真犯人のこともございます」
「真犯人?」
「キャサリン様を陥れた時期とご出産が重なっていたこと、殿下は偶然だとお思いですか?」
この問いにはラスは答えられなかった。
ジェラルドからも前以て指摘されていたので。
「真犯人にとって邪魔なのはキャサリン様だけではございません。キャサリン様がご出産されるはずのお子様も邪魔だったのです」
「それはわかってるよ。ジェラルドにも指摘されたし」
「これがお生まれになったのが皇女殿下だったなら、まだ危険は半減されたでしょう。ですが殿下は皇太子です。おそらく真犯人が最も邪魔に思っていた存在として生まれてきてしまった」
「だから、二重に守護するために隔離が必要?」
低い声の問い掛けにヴァンは「はい」と同意した。
「俺、もしかして離宮から一歩も出られない?」
「いいえ。この離宮は特別な離宮ですから、迂闊な者は近付くこともできません」
「特別? どういう風に?」
「わたくしの宮だということですよ、ルイ」
突然の声に突然扉を振り向けば、そこに老婦人が立っていた。
かつては美しい貴婦人だったのだろうと思わせる上品な老婦人だ。
じっと見ていると彼女は近付いてきて、まだ寝台で上半身を起こしたままのラスの前髪をその手で撫でた。
「あの?」
「皇太后陛下。マリアンヌ様です」
「……もしかして俺のお祖母さん?」
「ふふふ。お祖母さんなんて呼ばれるとは、この年になるまで想像しませんでしたよ、ルイ?」
「えっと」
ラスが困っているとヴァンが耳打ちしてくれた。
「普通皇族の方々。ジェラルド殿下やジュエル殿下は、皇太后様のことはお祖母様とお呼びです」
なるほど。
どうやら不遜な呼び方だったようだ。
かといって気を悪くしているようにも見えないが。
「ああ。本当によく似ていること。貴方はキャサリンにそっくりね」
「……ごめん」
「どうして謝るのです?」
「真偽の程は別として母さんがじいさんを殺したことになってるんだろ? 俺の顔なんて見たくないんじゃ」
言いかけたラスを皇太后マリアンヌは頭から抱き締めてくれた。
「なんと悲しいことを言うのです」
「お祖母さん」
「キャサリンが陛下を殺していないことなど、わたくしが一番よく知っています」
「へ?」
ここでラスは初めて先帝暗殺の直後の話を聞かされた。
母が薬を盛られていたこと。
それにより流産寸前までいったこと。
母は何者かに呼び出された後の記憶がなかったこと。
マリアンヌはすべて知っていた。
「わたくしの方こそ貴方に謝らなければなりません」
「謝る? どうして?」
「キャサリンを救えませんでした。無実だとわかっていたのに。そのために貴方にまで迷惑をかけて」
マリアンヌは渋る息子から、ラスの生い立ちについては聞き出していた。
ラスを預かるのだから生い立ちくらい教えてほしいと言い募って、言いたがらない息子から聞き出したのだ。
その内容は彼女にはショックなものだった。
この国の正当な後継者だというのに、ラスは海賊の手によって商人に売られた上にそれ以後は花街で育てられた。
とても苦労して操を守り抜き、ひとりきりで生活していたのだ。
そのことを知ったとき、マリアンヌは自分を責めた。
キャサリンさえ救えていたら、そんな目には遭わさなかったのにと。
彼女にとってジェラルドもジュエルも可愛い孫だったが、息子が溺愛していたキャサリンが産んだはずの初孫を救えなかったことが、ずっと引っ掛かっていた。
安らかに眠っているラスと引き合わされたとき、これが神の与えた試練なのか、それとも慈悲なのか。
彼女には判断できなかった。
あまりにキャサリンに瓜二つだったので。
涙する母をリカルドは黙って抱いて慰めてくれたけれど。
「俺は不幸なんかじゃなかったよ?」
「ルイ」
「皇妃様にも言ったけど、人間てさ? 上を見たらキリがないし、下ばかり見ていてもキリがない。俺より不幸な子供なんて、この世には数えきれないほどいるよ」
「貴方の強さは悲しい強さですね」
「強さに悲しいもなにもないよ。人間てさ。現実がどんなに受け入れにくくても、それに慣れてしまえば、大して抵抗は感じないものだって、俺は知ってるから」
ラスが自分は不幸じゃない。
恨んでなどいないと言うほどマリアンヌは辛かった。
そういう感想そのものが、彼が普通に育たなかった証に思えるので。
「ルイ。貴方は今日からこの離宮でヴァンに剣術を習いなさい」
「え?」
キョトンとすると彼女は優しく微笑んだ。
「身を護る術は得るべきでしょう。リカルドはわたくしが説得しておきました」
「よく認めたな。危ない真似なんて絶対にさせないと思ってたのに」
「過保護に扱うことだけが、貴方を護ることだとは限りません。戦って未来を勝ち取る気概も必要でしょう?」
「凄い。あのオッサンよりよっぽど現実的だ」
「殿下!!」
皇太后の前で皇帝を「オッサン」と呼んだラスにヴァンが慌てている。
マリアンヌは可笑しそうに笑っただけだったが。
「でも、日に何度かはわたくしのお相手のお願いしますよ? 貴方を可愛がりたいのは、なにもリカルドだけではないのですから」
「はーい」
不思議と素直に答えられた。
この女性が祖母。
そう思ったら。