第五章 暗躍
ラスはルイだとはっきりしてから、王城内に留めおきたい父である皇帝と、喧々囂々のやり取りを展開していた。
というのも皇帝としては暗殺される可能性もあるし、なによりも素性がバレれば色んな意味で危険が増す。
ラスを監禁してでも人々の目に触れさせたくないのだという溺愛ぶり。
エリザベートは複雑な気分になりながらも、19年振りの再会では仕方ないと納得していたが、初恋が無惨に散った娘が気掛かりだった。
ラス自身の意見としては、自警団でやりかけの仕事もあるし、特に色街の自警団との連携絡みでは、どうあってもラスが陣頭指揮を取らなければ意味がない。
だから、せめてそれが片付くまでは、ここに戻ってくる気はないと言い張ったのだ。
これに皇帝は激怒した。
ラスは息子として愛されていることは否定しない。
ただそれが度が過ぎているような気がして仕方がなかった。
例えは悪いかもしれないが、一歩間違えば肉体関係でも迫られそうなくらい異常な執着だった。
まあラスが亡くなった先の妃に似ていることが、すべての原因なのだろうが。
ジュエルは塞ぎがちであの対面の後、父である皇帝に別にすぐにでも婚約を決めてくれても構わないと言っていた。
誰が相手でも構わない。
決めてくれた相手に嫁ぐからと。
それがラスへの気持ちが禁じられた反動のような気がして、ラスはどうしても落ち着けなかったのだが。
結局その日は自警団の寄宿舎へは戻れなかった。
どう言っても皇帝を言い含めることができず、ラスは半ば監禁に近い状態に追い込まれてしまったのだ。
勿論ラスが皇子だと明かしたわけではない。
ただの客人という扱いにはなっていたが、決して素顔をさらすなという指示が出ている。
だったら引き留めないでほしいとは、ラスの正直な感想なのだが。
ずっと素顔を隠すのは無理があったので。
その日の深夜、ラスは怒っていたので中々眠れなかった。
まんじりともせずに天涯を睨む。
すると控えめなノックの音がした。
「誰だ?」
「ジェラルドです。兄上。起きていらっしゃいましたか?」
「なんだ。お前か。起きているから入れよ」
許可を出すとラスはムクリと起き上がった。
寝台から出ようかと思ったが、その前に彼の方が入ってきてしまった。
じっと見ている。
背後にはいつか逢ったマックスという騎士を連れている。
彼には隠していないということなのだろうか。
「そいつには俺のことは隠していないのか? ジェラルド?」
「ええ。隠していません。マックスは信用できますから。それにわたしがキャサリン妃の事件を調べるとき、手伝ってくれていたのがマックスですから」
「ふうん」
「マックスと申します。ルイ殿下。あのときはご挨拶もせずに申し訳ございませんでした」
一礼されてラスは苦い顔である。
「その名前では呼ばないでくれよ。普通にラスって呼び捨てでいいから」
「しかし皇太子殿下に対してそのような無礼な真似は……」
「敬語も禁止」
「いえっ。それはさすがにっ」
焦る護衛騎士を見てジェラルドが仲介に入る。
「マックス。兄上がそう仰っているんだ。暫くの間は身分は忘れて、ただの自警団員として振る舞ってくれないかい?」
「しかし殿下……」
「今兄上の素性を悟られるわけにはいかない。それはわかってくれるだろう?」
「はい」
「兄上に危険を近付けないために身分は明かせない。つまり皇太子としては扱えないということなんだ。わかってくれたね?」
「……承知致しました」
主にそう言われてはマックスも逆らえない。
渋々説得に応じた。
それを見ていたラスが寝台の上からふたりに声を投げる。
「で? なんだってこんな時刻にやって来たんだ?」
「兄上は自警団に戻りたいのでしょう?」
「まあな。やりかけの仕事だってあるのに放り出せないじゃねえか。なのにあのオッサンっ!! 全く言うことを聞きゃしねえっ!!」
皇帝が実の父とは言え恐れ知らずな発言である。
青くなるマックスに気付いて、ジェラルドが教えてやった。
「兄上はね、父上に対してこういう口の利き方だけれど、信じられるかい? あの父上が全く怒らないんだよ?」
「信じられませんね。キャサリン様の事件から、あまり人に対して打ち解けるということのない陛下でいらしたのに」
「そうだね。それだけ兄上が特別だということだろう」
そこまで言ってからじっと黙っているラスを振り向いた。
「やりかけた仕事は放り出せない。最後までやり遂げたい。そう主張される兄上のお気持ちはわかります。ですがそれを父上に認めてほしいと望むのは……おそらく無理でしょう」
「だろうな。今日一日だけでそれは思い知ったよ。あれがホントの水掛け論だ。なにを言っても右から左に抜けるんだから」
「兄上のお気持ちは確かにわかります。ですが父上が危惧されるように、兄上に危険が付きまとうのも事実。ですからマックスを護衛につきます」
「え? でも、そいつお前の護衛なんじゃ」
驚くラスにジェラルドは屈託なく笑った。
「兄上が王宮に戻られるまでの短い間だけなら、わたしひとりでも平気です。鍛えてますしね。兄上のように細腕ででもありませんし」
「細くて悪かったな」
睨むラスにジェラルドは笑ってみせる。
「父上も一度都に戻ってしまえば、殊更に大騒ぎはしないはずです。それは兄上の身辺に危険を招く行いですから」
「だけど、俺が逃げるのに手を貸したりしたら、そっちが困らないか?」
「マックスのことはわたしが庇いますし、そういう心配は必要ありません。そのために兄上の身辺には万全の注意を払いますし」
「つまり俺に何事もなねけば、俺を逃がしてもジェラルドの身には害は及ばない?」
「はい。ただ」
「ただ?」
「王城に戻ってから、兄上はもしかしたら父上に監禁されるかもしれません。もう逃亡できないように。それは覚悟しておいて下さい」
「うっ。それは嫌だ」
「ではこのまま大人しく籠の鳥に甘んじますか?」
「それも嫌だ」
往生際の悪いラスにジェラルドも笑ってしまう。
「兄上。それはちょっと往生際が悪いです。ここで我慢して半監禁状態に甘んじるか、一度逃げてそのせいで監禁されるか、ふたつにひとつですよ、普通は」
「どっちに転んでも監禁されるんじゃねえか。それは」
「まあそうですね。19年も生死不明だったご自分が悪い。そう思って諦めて下さい。それとキャサリン妃そっくりなそのお顔立ちが悪いのだと」
「なんかなあ」
頬杖をつくラスにジェラルドは一瞬だけ見とれてしまう。
絵になるというのだろうか。
彼は本当に綺麗だ。
生きていた頃、キャサリンがどれほどの美女だったか、彼と知り合ってから痛感させられた。
父が忘れられないのも無理はないと思えるほどに。
「あのオッサン見てると、言いにくいけど……肉体関係でも強要されそうで、時々怖くなる」
「さすがに父上もそこまでは……」
「だって幾ら19年も生死不明で生き別れだった息子に命の危険があったとしても、それで普通ここまで執着するか? 異常だって!!」
「なんていうか。兄上は暢気ですね」
「なんでお前にまでそんな言い方されなきゃいけないんだよ?」
「弑逆の罪を被せられたということは、キャサリン妃と同時に彼女のお腹にいた兄上、貴方も邪魔だったということです」
「……」
「あれが冤罪だったとします。その場合、動機はキャサリン妃が邪魔だった。彼女の産む子供が皇女ならまだしも、皇子なら尚更邪魔だった。だから、陥れた。そういう仮説が成り立つのです」
「……そうかもしれねえな」
それはラスも認めている。
どこの誰なのかは知らない。
だが、その「誰か」にとって自分は邪魔なのだろうと。
「その貴方が無事に生きていた。陥れた真犯人にしてみれば邪魔で仕方がないわけです。すぐにでも殺したいほどに」
「……」
「父上が監禁してでも護りたいと思い詰めるのも、わたしにも理解できないわけではありません。現実にルイ兄上。貴方はそこまで危険な状態に置かれているんです。過保護ではないんですよ?」
「おまけに俺には身を護る術がねえし?」
「おや。気付いておいででしたか?」
「そりゃ気付くよ。お前が相手ならまだしも、あのオッサン相手でも、俺は押さえ付けられたら逆らえねえからな」
「それ……父上に押し倒された覚えでもおありなんですか?」
「腕付くで鍵を確認されそうになっただけだ。変な妄想するんじゃねえよっ!! お前も変態か、ジェラルド!?」
「変態……? それは酷い」
「十分変態だろ。親子だと知っていて、そういうことを問い掛ける神経がわかんねえ」
「まあ実態まではまだ沸いてませんからね」
言われてみればそうである。
兄弟だと今日わかったばかりなのだ。
それで実感があったら変だ。
「それに貴方の外見も悪いんです。そんなに綺麗だから、そういうことがあったとしても不思議はない気がして」
「どういう感想だよ。やっぱり変態じゃねえか」
呆れるラスに自分が美女の外見をしている自覚がないのだろうかと、ジェラルドは言えない感想を抱いていた。
ラスの外見は絶世の美女と言われるものなのだが、本人にはその自覚はなさそうだ。
あったらここで文句は言わない。
「とにかく寄宿舎へ戻るなら急いでください。朝になったらわたしでも逃がせないですから。父上の目がありますからね」
「わかった。支度するよ」
言ってからラスは寝台から降りたが、ふたりとも出ていかない。
ジロリと睨んだ。
「着替えるから出てけ」
「何故ですか? 男同士でしょう?」
「俺の場合、着替えを見たいなんて言い出す男にろくな魂胆を持ってる奴はいねえと決まってるからな」
「弟まで疑いますか? 貴方は?」
「実感がないって言ったのはオメーだろ」
「それもそうですね。出よう。マックス」
「承知致しました」
頷いたマックスを連れてジェラルドが出ていく。
それを見送ってラスは慌てて支度した。