第四章 皇家の鍵

「貴方が色街の華と言われるオッドアイのラスですか?」

 コクンとラスは頷いた。

 これで諦めるだろう。

 彼はそう思っていたのだが、エリザベートは意外な反応を見せた。

「オッドアイのラスの噂ならわたくしも聞き及んでいます」

「へえ。まあろくな噂じゃないだろうけど」

「いえ。あなたが色街の華と呼ばれる所以です」

「は? そんなものがあるのか?」

 言われたラスの方が唖然としたが、エリザベートははっきりと頷いた。

「あなたが色街の華と呼ばれているのは、その……あなたが花街の女性たちの誘いを、すべて断っていたからです」

 花の誘いを断り続ける美少年。

 ついた渾名が「色街の華」だった。

 花にも落とせない気高い「華」

 そういう意味で。

「あんま嬉しくない動機だ、それ」

 男として不完全と言われているような気もする。

「ですが噂が事実なら、わたくしはあなたが色街の出身でも、あなたを差別しようとは思いません」

「あんたまだそんなこと言って……」

「あなたは色街に染まって生きてきたのですか? あなたの身も心も汚れているのですか?」

 そう言われると色街に染まらずに生きてきたラスにはなにも言えない。

「あなたが女性を弄ぶような男性だったなら、わたくしも認める気にはならなかったでしょう。でも、あなたは色街で育っていながら、そういう価値観とは無縁。だったらわたくしはあなたを否定しようとは思いません」

「ふう」

 肯定されてもただ困るだけのラスは軽くため息を吐き出す。

「あなたの氏素性を知った上で、あの子の母親としてもう一度訊ねます。あなたの嘘偽りのない気持ちを答えてください。あの子が……お嫌いですか?」

「別に……嫌ってない」

 身分違いだから好かれていても、困るとは思っていたが、だったら嫌いかと問われたら肯定はできなかった。

 ラスは別にジュエルのことは嫌いではなかったので。

 だったら好きかと言われると答えに詰まるのも事実だが。

「夫が反対したらわたくしがあの子の味方になってあなたを庇います。だから、身分を気にせずにあの子と付き合って頂けませんか? その上で好きになれないなら好きになれないと答えを渡してあげて下さい。このままではあの子は一歩も前には進めない」

 付き合えないと言われてもラスには仕事があるし、今と同じようにしか付き合えないのだが。

 ラスの顔から疑問を読んだのか、彼女が小さく微笑んだ。

「あなたがあの子から逃げなければ、それでよいのです」

「別に逃げてなんて……」

「最近逢えなかったのは仕事が忙しかったからだけではない。違いますか?」

 図星をつかれてラスは黙り込むしかなかった。

 仕事でわざと見回りを多くしたり、ジュエルが来そうな時間帯を留守にするように仕向けたり、そうやっていたのは事実だったので。

 深入りする前に諦めて貰った方がいい。

 ラスはそう思って彼女とは逢わないように努力していた。

「あの子の母親としてお願い致します。身分を理由にして避けないで下さい」

「……わかったよ」

 頭を下げるエリザベートの姿に自分を産んで、すぐに死んだ母親が重なって見えて、そう答えるしかなかった。

 ラスがこの世で一番弱いもの。

 それこそが母親だったので。





「では三日後に迎えを寄越します」

 彼女はそう言ってジュエルを連れて去って行った。

 迎えというのはジュエルの家族とラスを引き合わせるのが目的だ。

 これはラスは慌てて断ったのだが、なんでもジュエルの婚約が進んでいるという噂があるらしく、ジュエルの気持ちがラスのところにあるのなら、その話はなんとしても止めたい。

 だから、協力してほしい。

 そう言われて押し切られたのである。

「千客万来だなあ。ラスが来てから」

 後ろから声が聞こえてラスが恨めしげに振り向いた。

「隊長。今までどこに隠れてた? 確かふたりが来るまで一緒に事務所にいたはずだよな?」

「いや。まさかあの方がお見えになられるとは思わなくて、咄嗟に奥の部屋に隠れてた」

「あの方って? そんなに偉い人なのか?」

「もう隠さない方がいいのか、それともラスが紹介されるなら、そのときまで隠していた方がいいのか、自信がなくなってきた」

「なんの話だよ?」

「一言だけ言っておく。ラス」

「なんだよ?」

「ジュエル様とのことを真剣に考えるつもりなら、あの方が言ったように身分を意識するな。身分を意識したら考えることなんて、おそらく誰にもできない。俺たちみたいな立場ではな」

「隊長?」

 わからないと名を呼んだが、それ以上教えてくれる気配はなかった。





 そして約束の三日後。





 ラスはどんな格好をすればいいのか迷ったが、ありのままでいいと言われていたので、自警団の制服を身に纏った。

 ありのままの自分と言われれば、今はこうだと思ったので。

 自警団の制服には帽子があるので、被り慣れていないが被らなければならない。

 少し深めに帽子を被った辺りで隊長に名を呼ばれた。

「ラス。迎えが来たぞ」

「わかった。すぐに行く」

「お前本気でその格好で行く気か?」

「だってありのままでいいって言われたんだよ。改まった格好って言われてもそもそも持ってないし」

 実際ラスにしてみれば一番当たり障りのない格好というのが、この制服姿だったりした。

 色街育ちのラスは普通より服が派手な傾向があるらしく、持っている服をどう比べてみても、場違いな感じが否めなかったので。

 色街では地味な服は手に入らない。

 街全体が派手好みだからだ。

 それに慣れてしまって特に違和感は抱いていなかったが、世間一般的には派手なのだと気付いたので、これから買う服は感覚的に地味だと感じた物にしようと決めていた。

 深手じゃなければ黒一色の二者択一。

 今更だが色街って普通じゃないんだと認識した次第だった。

 ラスは迎えの馬車に乗せられて、ただ黙って連れられていたが、やがて向かう方向が変なことに気付いた。

 どう見てもラスには縁のなさそうな場所。

 王城に向かっているように見える。

 皇帝陛下が居を構えている居城。

 まさかなあと楽観しようと努力していると、馬車は本当に正門を通過して城に入ってしまった。

 さすがに青くなる。

 自分がどんな立場に立っているのか、今更のように不安になって。

「どうぞ」

 馬車が止まって扉を開けた者が恭しく頭を下げている。

 ラスは声を投げようとしたが諦めた。

 明らかにこれは声をかけてはいけない雰囲気だ。

 ここで話し掛けられても対処に困るのだろう。

 仕方がないので黙ってついていった。

 へえ。

 ほお。

 内心でそんな言葉ばかり呟きながら、ラスは王城の内部を歩いていた。

 向かう場所の確認だけしたが、どうやら謁見の間ではないらしく、誰かの私室らしい。

 誰の私室かは到着するまで内密にするように言われているらしく、問い掛けても答えてくれなかった。

 自警団の寄宿舎もラス的には、新築だから綺麗だと思っていたが、王城はやっぱり規模が違う。

 それに決して新築じゃないだろうに、綺麗さも負けてない。

 凄いなあと感心していると侍従が立ち止まった。

「こちらです」

 扉を開かれ案内されるまま中に進む。

 中央にはドレスを着たジュエルがいて、彼女の傍には母親の姿があり、ラスから見えない位置に後ふたりいるようだった。

 だって椅子の下に足があるからわかる。

 どうも男のようだが。

「いらっしゃい」

 ジュエルはご機嫌に迎えてくれるが、ラスは状況的に姿を見せていない方のひとりが、彼女の父親だろうとわかっていたので声が出なかった。

「緊張しているの?」

「……そりゃ」

 ラスが答えようとすると唖然とした声が聞こえてきた。

「この声……まさか?」

 上がった声にラスの方が唖然とする。

 お互いにびっくりと顔に書いて、立ち上がって顔を合わせた男は、間違いなくあの雨の夜に逢って、雨の日に再会した男だった。

「アンタ!!」

 それだけ言ってラスが口をパクパクさせて指を突き付けている。

 男の方も唖然としているようで反応は見せなかった。

「あれれ? ジュエルの紹介したい相手ってきみでしたか」

 その声に視線を向ければ、もうひとりはあの若様のようだった。

 まさかとラスがジュエルを凝視する。

「そなたがここへ来るとはな。まさかジュエルと付き合っているのか?」

「アンタの娘だとは思わなかったんだよ。わかっていたらさすがに引き受けてない。引き受けたところで意味がないし」

「「ラス?」」

 ふたりの女性たちだけが意味がわからず怪訝そうな顔をしている。

 ラスがルイかどうか。

 それはこの際どうでもいい。

 ルイかもしれない可能性があるということ。

 それが大事なのだ。

 兄ではないと保証されるまで、ジュエルとの交際なんて認められるはずがない。

 それでラスを婚約の引き合いに出して、付き合っているから婚約は見合わせてくれ、なんて言ったところで、誰も認めはしないだろう。

 いや。

 待てよ。

「もしかしてジュエルの婚約を急いだ理由って……もしかして俺?」

「そうだ。認められるはずがないだろう?」

 苦々しい顔で認められため息をつく。

 ジュエルは信じられないと瞳を見開いた。

「どういうことなの? お父様?」

「ジュエルにはなにも言っていなかったのか?」

「私が再婚していることは知っている。だが、わたしの過去については詳しくは知らない。エリザベートもだ。知っているのは息子のジェラルドだけだ」

「あんな大事件。隠せるのかよ」

「そういう事件があったことそのものはふたりとも知っている。特に皇帝弑逆については歴史的な大事件ということもあって隠せないからな」

「だよな」

「だが、その後についてはわたしが個人的に調べていたことで、ふたりにはなにも言ってない。ジェラルドが知っているのは、あれも自分で調べていたからだ」

「ふうん」

 だから、一目でラスの顔を見て事情を察したのだろう。

「きみ……と言う呼び方は失礼かも知れませんね」

「別にどう呼ぼうとアンタの自由だよ。えっと……ジェラルド?」

「全く。こうなる前にわたしの言う通りに動いてくれていたら、ジュエルを本当の意味で傷付けずに済んだのに。あなたにも困ったものです」

 ここまで言ってから一度区切り、ジェラルドははっきりとこう呼んだ。

「ルイ兄上」

 思わず深々とため息をつくラスである。

 ジュエルとエリザベートに目をやれば、ふたりとも強張った顔をして瞳を見開いていた。

 目の前で展開されている会話が理解できないと、ふたりの顔には書いている。

「兄上って……どういうことなの? お兄様? お兄様には兄なんていないでしょう? だってお兄様は長男で……」

「いや。わたしは次男だよ、ジュエル。父上にはわたしが生まれるよりも早く子供が生まれている。それが第一皇子、ルイだ」

「「……」」

「本来わたしは第二皇子を名乗るべき身。帝位を継ぐべきなのはルイ兄上だ」

 ジュエルの視線が信じられないとラスに向く。

「それが……ラスだというの?」

「そんな証拠どこにもねえし、そもそも俺は認めてない」

「「ラス……」」

「でも、このオッサンはそう信じてるみたいだし、ジェラルドもそれを認めてるみたいだな。俺の意思とは関係なく」

 そこまで言い返してから、ラスは一言も口を挟まない男を睨んだ。
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