第三章 雨上がりの再会
同じ場面を違う男の二人連れが見ていた。
食い入るようにラスを睨んでいる。
「ご主人様。如何なさいました?」
「あれを見てみよ」
指差された方を見て中年の騎士が絶句する。
若い頃、憧れたキャサリン妃に瓜二つのラスを見て。
「何故……忌まわしい亡霊がおるのだ?」
「ご主人様……」
「そなた……確かにキャサリンを殺したのだろう?」
「弑逆の大罪人には仕立てました。ですが殺害までは……」
「わしは殺害せよと言ったはずじゃ。腹の子ごとなっ!!」
「しかしキャサリン様のお腹のお子はこの国の……」
「もしも男なら益々邪魔なだけじゃっ!! 何故殺さなんだっ!!」
「殺す必要を感じません。弑逆の大罪人の子となれば、如何に正当なお世継ぎとはいえ、誰も即位は認めません。それなら生きていても……」
「あの皇帝がそれを認めるものかっ!! 今も尚キャサリンに執着し続けているあの男が、キャサリンが産んだ子を差し置いて、他の女に産ませた息子に帝位を継がせるなどあり得んわ!!」
そんなこともわからないのかと責める主人に騎士は俯いて唇を噛む。
憧れていた女性を訪れるように命じられ、それを実行するしかなかった騎士である。
殺せと言われてできるものではなかった。
それに……。
「キャサリン様が無事にお子様を産んだはずがない」
「何故そう言い切れるのじゃ?」
「わたしではとてもあの方を殺せなかった。もしかしたら陛下の正当なお世継ぎかもしれない御子も殺せなかった。だから、海賊を雇ったのです」
「海賊?」
「雇ったというより唆したと言った方が適切ですが」
「どういう意味なのじゃ?」
「ドルレインの船に一国の王ですら欲しがるほどの美女が乗っている。奪ってみる気はないか? そう誘いを掛けました」
「それでドルレインに略奪されながら、あの女はどこにもおらなんだのか」
「海賊の襲撃の最中。出産間近なあの方が無事に生き永らえたとは思えない。万が一生きていても海賊たちが産まれたばかりの赤子など大事に扱うはずがない。キャサリン様は必要でも子供などいらないでしょうから」
「だから、ふたりとも生きているはずがない、と?」
「生きていたとしてもキャサリン様は……」
「今頃海賊たちの慰み物か」
愉快そうに笑う男に騎士は唇を噛む。
本当はすべて嘘だった。
海賊を唆したのは本当だ。
ドルレインの船に乗っている女性を救いだしてくれたら金を払うと言ったのだ。
その海賊たちは所謂海の貴族だった。
決して非道な真似をしない海賊だったのである。
彼女を奪ったなら確実に自分に渡してくれたはずだった。
そうしたら人知れず逃がしてやれる。
そう思っていたのだが海賊たちからの連絡は意外なものだった。
彼女は出産が原因で死んだと言うのだ。
しかも産まれてきた子供は死産だったと。
だから、金だけ要求されて仕方なく金を渡した。
ドルレイン側に渡っていないことは知っていたので。
これが証拠だとキャサリン妃の茶色の髪を貰って海賊たちとは別れた。
だが、子供が死産だったというのは事実だったのだろうか?
もし自分と落ち合うまでに彼女が子を産んでいて、しかも無事だったとするなら海賊にとっては、とんだ足手まといだ。
産まれたばかりの赤子を連れて船旅などできるものではない。
どこかで人知れず手放し死産だったと報告した可能性も無ではない。
そう気付いてわからないように青ざめた。
キャサリン妃は確かに死んだのだろう。
あの海賊たちが彼女の美貌に惚れ込み連れ去ったというのは、どう考えてもあり得ないからだ。
そういう事態にならないよう海賊は慎重に選んだ。
だが、子供については彼らの主張を信じるしか道がなかった。
子供の性別は……男の子だと聞いていた。
まさか……と乱闘騒ぎを静めている青年を見る。
「どちらにせよ。邪魔じゃな。あの男」
「ご主人様。まさか彼がキャサリン様に似ているという理由だけで、また……人知れず消されるのですか?」
キャサリンを葬っただけでは足りないのかと、騎士は今更ながらにこの主人が恐ろしくなった。
「皇帝があの男を見付けたら、我が子だと信じ込む可能性が高い。その場合、皇帝の一存で帝位を譲りかねん」
「幾らなんでも考えすぎです。陛下の御子だと証明もできないのに、そんな無体が通るわけがない。それはただの危惧です。諦めてください、ご主人様」
「ならばあの男の望み通り、我が子だと証明してやればよい」
「え?」
意外なことを言われ騎士がキョトンとする。
「キャサリンの子だと断言させ、それを臣下たちにも認めさせればよい。待っているのはあの男の監禁じゃ」
「ご主人様」
「そなたが言ったのではないか。キャサリンの子では誰も即位は認めないと」
それを利用する気なのだ。
この主人は。
この人が怖い。
自分の野望のためなら何人殺しても平然としているこの男が怖い。
騎士である自分でも、そこまで冷酷に人を殺そうとは思えないのに、この男には躊躇いというものがない。
それとも自分で手を汚していないからだろうか。
あの女性と同じ顔の青年。
また同じ苦しみを味わわなければならないのか?
「監禁されてしまえばいつでも殺せる。邪魔になれば、な」
「貴方という人は……恐ろしい方だ」
「これくらいでなければ権力の頂点には立てん。だから、そなたは未だに一介の騎士なのだ。それだけの腕前があれば、今頃もっと上に上り詰めることができただろうに。そなたに野心があればな」
だからこそこの男を利用できるのだがと、老人は心の中で独白する。
野心がないから傍に置いておける。
裏切られる心配がないほどにこの男は小心者だ。
そのくせ腕は立つから、なにを任せても失敗するということがない。
これほど便利な男はふたりといなかった。
誰も思うまい。
この小心者の男が皇帝を弑逆したなどと。
ラスも知らないところで運命の歯車は回りはじめてしまっている。
他国の男たち。
先帝弑逆の真犯人。
そしてその黒幕。
すべての者が注目している。
ラスに。
彼はまだそれを知らない。