第二章 ふたりのラーダ
闇の中赤い光が輝いた気がした。
一際高い断末魔の悲鳴があがる。
そうして辺りは急に静寂を取り戻した。
「全く。バカの一つ覚えのように同じ言葉ばかり繰り返して」
妖魔の騎士は苛立っているらしかった。
たしかに魔族たちはみな、殺されるのを承知で彼へと近づき、戻れと懇願している。
それはなにも闇世に戻れ、ということではないだろう。
血と殺戮に餓えた妖魔の王に戻れということだ。
そうなったら人間にとってはたまらないので、彼が心を変えていないと知ってホッとするグレンだった。
「もうすこしどうにかならないのか、妖魔の騎士。おまえが出てくれば簡単に片づくとはいえ、出現した魔族を片づけるだけでは進展しない」
「一番簡単な方法は闇世へと通じる道を封じることだ」
「そんなことができるのか?」
「俺にならできる。だが、それには強い魔力の導き手が必要なんだ。俺の力を正確に流すことのできる力の強い者が。残念ながら今、この場にはそれだけの魔力の持ち主はいない」
「魔門……」
レジェンヌの将軍が呟く。
やけに魔門に縁があるなと思いながら、グレンが口を開いた。
「そういえばラスターシャ王家が魔門で有名だったな。今、彼らがいたらこんなに苦労していないのに」
ラスターシャ王家の名にレジェンヌ側が騒ぎだす。
そういえばレジェンヌではラスターシャ王家の名は禁句だったかと思い出し、グレンはポリポリとこめかみを掻いた。
生きていたとしても彼らは名乗り出ないだろう。
それでなくても暗殺と背中合わせなのだ。
そんな危険な真似には出られまい。
「人間というのは愚かなものだな。権力を守るために自分たちの王を暗殺するんだから」
冷たい口調にざわめく人々。
それらを無視して言を継いだ。
「今回は凌いだ。俺は帰る。後は適当にそっちで処理してくれ」
「帰るってどこへ帰るんだ?」
「闇の中へ」
たった一言の冷たい言葉にだれも答えられなかった。
「全く。あの様子だとまだ諦めていないな。ショウの暗殺など俺は認めない」
闇の中で呟く。
受け取る者はいなかったけれど。
「最近、魔族の横行がすこしましになってきたみたいだな。噂だと妖魔の騎士が魔族を処理してくれてるらしいけど」
今日はラーダの身の回りの品を買うために大通りにきていた。
ラーダを覗き込んでそう言ったショウに、ラーダは曖昧に笑う。
昼の姿のときに夜の姿の話をされるのがラーダは苦手だった。
自分でも夜の姿はあんまり好きではないので。
「実は俺って妖魔の騎士ってあんまりきらいじゃないんだよな」
「どうして? 彼っていわゆる妖魔の王で人間の敵でしょ? 普通はきらうと思うけど」
「そうなんだけど。なんでかな? 俺はあんまりきらいじゃないんだ。今回の魔族の事件だって現王家はあいつの仕業だって決めつけてたけど、俺は違うと思ってたし」
わかってほしい人にわかってもらえるのは難しいことである。
思わず笑ってしまうラーダにショウは不思議そうな顔をしている。
ショウにはわからないだろう。
今の言葉がラーダにとって、どれほど嬉しかったかなんて。
もちろんショウがラーダの正体を知ったら、変わってしまう可能性は否定しきれないけれども。
それでも信じていたい。
ショウは変わらないと。
(変だな。最近ショウのことばかり考えてる。この気持ち、昔どこかで感じてたよ。そう。グレンに対する気持ちに似てる)
自分の考えに驚いてラーダはマジマジとショウの顔を覗き込んでしまった。
「どうした?」
不思議そうな顔のショウに、答える言葉なんてなかったけれど。
(俺、ショウのこと気にしてる?)
普通に普通にと言い聞かせるほど、ラーダはぎこちなくなっていった。
様子の奇妙なラーダにショウは呆れ顔である。
「服でも買おうか? おまえいつも似たような格好だし」
「楽なんだよ、この格好」
ごく一般的な格好をしているのだが、ショウにはラーダに似合う服は他にあるような気がした。
「ブティックに行くぞ」
「ちょっと待ってよ、ショウ。そんなに沢山いらないよ。それでなくても俺ってただ飯食いの居候なのに」
「気にするなって。大した出費じゃないから」
そう言えるのはひとえにショウがラスターシャの王子だからである。
だからといってこれ以上たかれない。
どう言って諦めてもらおうかと思った矢先、ラーダは二の腕を掴まれて路地に連れ込まれた。
前を歩いていたショウは気づいていない。
ラーダは悲鳴をあげようとしたが、後ろから布を口許にあてられて果たせなかった。
(これ、薬。俺には無効だけど普通なら意識を失う類の物だ。どうしよう。人間のフリをしてるから逃げられないよ)
意識を失ったフリをして、ラーダがその場に崩れ落ちる。
だれかに抱え上げられるのを感じたが今は逆らえなかった。
(ショウ。心配するだろうなあ。あーあ。失敗したなあ)
心で呟きながらラーダはこれからどうなるのかを考えていた。
「なあ、ラーダ? あれ? ラーダ?」
遠くでショウの呼ぶ声が聞こえる。
わかっていてもラーダにはなにもできなかった。
人間ではないと悟られるわけにはいかなかったので。
どこかの建物に入ったらしいことをラーダは空気で感じ取った。
空気の密度が違う。
近くから知った気配がする。
(この気配。ネジュラ・グレン?)
「ご苦労だったな。こちらで休ませてくれ。丁重にもてなすんだ」
その声は間違いなくネジュラ・グレンのものだった。
(どうして彼が?)
問いかけたい言葉も声にならない。
あの薬の強さだと、もうすこし気絶していないといけないから。
寝台に横たえられたのを感じる。
丁重にもてなせという言葉通り、とても丁寧な扱いだった。
だったら誘拐なんてするなと言いたかったが。
それから半刻ほどが過ぎて、ラーダは苦しそうに目を開けた。
もちろん演技だ。
あの薬を使用されると苦しいらしいと知っていたので。
「王子さま? なんであんたがここに」
「おまえと話がしたかった。このあいだのように逃げられたくなかった。だから、多少強引だが館に招かせてもらった」
「そういえば薬……誘拐?」
「誘拐に近い形になったのは謝る。だが、おれが屋敷に招いても、おまえは受けなかっただろう?」
たしかに素性を知られたくないラーダは、必要以上に近づかれても受け入れなかっただろう。
だからといってこれはない。
一国の王子がすることではない。
「だからって誘拐なんてするなよ。一国の王子のすることか?」
あの薬ではまだ起き上がれないはずだ。
だが、これ以上こんな状態に置かれるのはいやだった。
ショウだってきっと心配している。
無理に起き上がるフリをして、ラーダが上半身を起こすと、付き添っていたグレンが、慌てたように寝台に押し戻した。
「離してくれよ。俺は戻らないと。きっとショウだって心配してる」
「そんなにあいつが大切か」
苛立ちの籠った声にラーダが怪訝そうな顔になる。
それでも気持ちを自覚したばかりだったので、頬が染まるのは止められなかった。
それを見てグレンが更に不機嫌になる。
「ラーダにとってあいつはなんなんだ」
「あんたには関係ないだろうっ」
思わず怒鳴り付けていた。
ショウのことをどう思っているか。
1番わからないのは自分なのだ。
周りからあーだ、こーだ言われたくない。
だが、怒鳴り付けるとグレンは堪らないとばかりに怒鳴り返してきた。
「あるさっ。おれはおまえが好きなんだからっ」
いきなりの告白にラーダは面食らった。
グレンがラーダに一目惚れしたのだと理解するまでに、すこしの時間が必要だった。
(自分の孫相手だなんて御免だよ、俺はっ)
我に返って思ったのはそのことだった。
グレンには可哀想かもしれないが、ラーダとグレンは血が繋がっているのだ。
祖母と孫なのである。
それで恋愛対象だと思えと言われても無理があった。
夜のラーダなら、そういう禁忌も軽く越えるかもしれないが。
が、どちらにしろ、ラーダはこの王子に恋愛感情など抱いていない。
諦めてもらうしかない。
「バカなこと言わないでくれよ。俺はアンタのことをそんなふうに思ったことはないよ。そんな用件なら帰してくれ。ショウが心配してる」
「あいつのためか」
暗い声だった。
ラーダはマズイと本能的に判断して、寝台から抜け出そうとしたが、押さえ付ける力の方が強かった。
本気を出せば逃げられるが、人間には不可能なことである。
ここでもまた人間ではないと悟られないために、ラーダは逃げられなかった。
「放せよっ」
「あいつの下には帰さない」
言ってグレンが枕元に置いてあったビンを手に取ると一気に煽った。
それを口移しでラーダに飲ませる。
それはさっきの薬よりもずっと強い睡眠薬だった。
こんな薬を飲まされたら、明日の昼頃まで絶対に起き出せない。
起き出したら人間ではないと悟られてしまう。
(最悪。グレンも不器用で時々意外な行動に出ることもあったけど、この王子もそうなんだ? 薬で問答無用なんて、好きになってもらえるはずないじゃない。全く。困ったなあ)
眠ったフリをしてラーダが目を閉じる。
そんなラーダをグレンが愛しそうに抱いていた。
髪を撫でる仕種も愛しそうである。
それを感じながらラーダは改めて不器用だと思った。
好きになってもらいたくて、ショウにラーダを渡したくなくて、反射的にしてしまったことなんだろうが、やってしまったことは最低最悪。
好きになってもらえる可能性なんて限りなく零に近い。
でも、この愛しそうな仕種からわかる。
本当は優しい少年だということが。
それが今は間違った方法で表現されているだけで。
頭の痛い事態になった。
(ショウ。心配してるだろうなあ)
失敗したなあと呟いてラーダは心で大きなため息をついた。
「王子」
「エスタか」
「王子にこんなことを申し上げるつもりはなかったのですが、誘拐など一国の王子として許されない行い。その方をすぐに解放してあげてください」
「いやだ」
「王子っ」
「大事なんだ。大切なんだ。手放せない」
「王子のやり方では心は伝わりません。好きになってもらえません。それがわからないんですか?」
エスタの真摯な説得にもグレンが頷くことはなかった。
今はラーダを腕の中に捕まえておくことしか頭になかったからである。
まずいことになったとエスタはため息をつく。
この王子は元々頑固なのだ。
どうにか説得するしかない。
王子の方からこの少年(?)を解放してくれるように。
「それにしてもこの方は本当に聖妃さまに瓜二つですね」
王子から聞いたときは半信半疑だったのだが、目の当たりにして事実だったんだと納得していた。
王子がすこしだけ笑う。
説得するのが大変そうだとため息が漏れた。
「ラーダ……」
その頃ショウはひとりの屋敷で心配そうに呟いていた。
大通りではぐれてからラーダは戻ってこない。
荷物もそのままだから旅に出たということはないだろう。
なんらかの事件に巻き込まれている可能性が高い。
最初は自分の問題に巻き込んでしまったのかと青くなったショウだったが、そのせいだとしたら今までなんの動きもないことが解せなかった。
その場合ショウはとっくに襲われているはずである。
ではショウの問題とは無関係ということになる。
ラーダの身になにが起きたのかわからなくて、ショウは不安を抱えていた。