第二章 ふたりのラーダ

「ショウ」

 ショウの考えに気づいていたのか、ラーダが反対するように軽く首を振った。

 身分を明かすなということだろう。

「そろそろ失礼するよ。晩飯の支度もあるし」

「あ。もうすこし、もうすこしだけ付き合ってくれないか?」

 追いすがるグレンにラーダは困ったように答えた。

「俺が言えることは全部言ったし、できることも全部やったよ。これ以上は必要ないと思う。じゃあ元気で」

 それだけを言い残してラーダはショウの後をついて出ていった。

「おれは……」

 初めて逢った祖母の血脈は、グレンが想像していたよりずっと素敵だった。

 憧れのような気持ちがグレンを支配している。

「一目惚れ?」

 だとしたら最悪の一目惚れだ。

 向こうは素性を隠したいのだから、グレンには警戒を解かないだろう。

 でも、もっと近づきたい。

 こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。

「また機会を見て探そう。そのときは聞いてもらうんだ。この気持ちを」

 不器用な王子は自分の気持ちに振り回されている。

 一目惚れなんて初めての経験なのだ。

 どうすればいいのかまるでわかっていない。

 それが次なる事件を招くと、この時点ではだれも知らなかった。





「ラーダってラーダ・サイラージュ妃の親戚だったんだ?」

 その日の夕飯の席でショウがそんなことを言った。

 やっぱり言われたかとラーダは苦笑している。

「あまり公にしたくないんだけどね」

「容姿がそっくりだってあの王子は言ってたけど」

「そうらしいね。俺も噂で聞いてる程度だけど」

「だとしたら名前も譲り受けたってところ?」

「うん、まあね」

 ラーダの歯切れが悪い。

 突っ込まれたくないということだろうか。

 だとしたらこの辺が潮時だろう。

「そろそろ寝ようか?」

「ショウは王位には未練はないの?」

 突然の質問にショウは驚いた。

「どういう意味だよ」

「王位はどうでもいいのかって訊いてるんだよ。ショウは王位はどうでもいいの? この国のことは興味もないの?」

「王位には未練はないよ。でも」

「でも?」

「現王家に任せていたらレジェンヌは廃退するだけだ。それを食い止めることができるなら」

 そのためなら王位は取り戻したい。

 ショウの宣言を聞いてラーダが微笑んだ。

 それがショウの望みなら果たすだけだ。

 この王子を守る。

 それがラーダの願いだった。




「月が登るな……」

 ショウに与えられた3階の自室で、ラーダは月を見ている。

 その瞳はやや赤い。

 斑になっていた瞳の赤がきつかった。

「毎晩、毎晩狩りに出て魔族を狩ってもキリがない。一掃するためには大きな魔力の導き手が必要だ。それをショウに頼むわけにはいかない。危険なだけだ」

 口調がいつものラーダのものではない。

 冷たく響く人のぬくもりの欠如した声。

「グレン。おまえに誓ったあの誓いを守るために、今の俺は戦っている。見守っていてくれ。俺が血の誘惑に負けないように」

 部屋へ戻っていつもの黒衣に着替える。

 同時に首を軽く振る。

 髪が揺れ、やがて髪が黒く染まっていく。

 同時に瞳も赤く染まっていた。

 これが妖魔の騎士の素顔だった。

 昼は黒髪は銀に。

 赤い瞳は碧と赤の斑の瞳に。

 それだけでラーダのすべてが変わる。

 昼のラーダと夜のラーダとは性格も別人なのだ。

 昼にはできない残虐な真似も夜のラーダは平然と行う。

 だから、ラーダとラーダ・サイラージュが親戚というあの話も作り話である。

 ラーダこそがラーダ・サイラージュ本人だったのだ。

 ネジュラ・ラセンは生命を懸けて戦っていた相手を妃に迎えたのである。

 ふたりのあいだに隠されていた秘密とはそれだった。

 ネジュラ・ラセンとラーダは幼なじみだった。

 だが、あるときラーダは闇世へと連れ去られ、そこで数年の空白が生じた。

 戻ってきたときには、ラーダは変わっていた。

 妖魔の騎士として振る舞うようになっていたのである。

 あの当時、ラーダは妖魔として生きていくのがいやで血も力も封印していた。

 それを知った闇神がラーダを捕らえ、妖魔の王として復活させたのである。

 それがメイディアでの宴に繋がったのだ。

 グレンというのはネジュラ・ラセンが素性を隠すために使っていた名前で、再会したふたりはすぐに恋愛的な意味で揉めるようになった。

 ネジュラ・ラセンはまっすぐにラーダを求愛し、ラーダは自分の秘密故に応えられず、逃げつづけていたのだった。

 最初は妖魔の騎士の正体がラーダだとは気づかなかったネジュラ・ラセンだが、やがてラーダの様子がおかしいことに気づく。

 そうして最終的に彼を突き放せなくなったラーダは、自分から宴をやめる。

 そうして彼の元を去ろうとしたのだが、それをネジュラ・ラセンが止めた。

 全身全霊で引き止めて求婚したのである。

 ラーダの正体を知りながら。

 こうしてラーダは生まれて初めて幸せというものを手に入れた。

 だから、彼の死後、人間を手にかけない。

 もう宴はしないと誓った気持ちは本物である。

 自分のために早世した愛する人のためにも、この誓いだけは違えないと決めていた。

「出るか。ショウのためにもこの国に平和を取り戻さなければ」

 呟いてラーダの姿は闇に消えた。




 袈裟懸けに魔族を斬り捨ててネジュラ・グレンが毒づいた。

「妖魔の騎士はなにをしてるんだっ。魔族の処理は自分でするとか言っておきながら、この体たらくっ」

 上空から降ってきた魔族を力任せに斬り捨てる。

 キリがなかった。

「愚痴の多い王子だな」

 声と共に魔族たちの断末魔の悲鳴があがる。

 妖魔の騎士はいつも姿を見せないが、鮮やかな手腕で魔族を葬っていた。

 その証拠に彼が現れると、それまで相手をしていた人間たちは突然暇になる。

 魔族をすべて彼が処理しているので、人間に関わっている余裕がなくなるのだ。

 どうやればそんなふうに戦えるのか知らないが、これで今日も一安心だ。

 これ以上の被害も出ないだろう。

「王子」

「お戻りください、王子」

「我等が皇子よ」

「くどいっ」
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