第五章 ラスターシャの王子
この準備はすべてメイディア側の魔法使いたちがやってくれたのだ。
ショウの指導の元に。
魔門はそういう意味の知識も持っているので。
すべてが整って四半刻、妖魔の騎士はまだ現れない。
ラーダの現状を知るショウは心配していたが、グレンは怒っていた。
現れると言った妖魔の騎士が現れないことで。
その頃、ラーダはやっとの思いでショウの屋敷に辿り着いたところだった。
体力が根こそぎ奪われていて、ここまで転移するのも大変だったのだ。
まず姿を変化させるのにしばらくかかった。
ラーダは姿を変えないと妖魔としての力は使えないので、かなり頑張ったのだ。
その後の転移もショウの屋敷までもたなくて、何度か繰り返す羽目になった。
こんなに弱っていたなんて、ラーダ自身も思っていなかった。
ショウがリョガーザを栽培していなかったら、一体どうなっていただろう。
「案外、死ねたかもしれないな」
冷たい声で呟く。
もうすっかり妖魔の騎士の姿だ。
全身を包む黒衣に素顔を隠す黒いマスク。
素早く動かないと倒れるかもしれない。
ショウに迷惑はかけられない。
レジェンヌ側だって今回のやり方には疑問を感じているだろう。
そこからショウの存在を探り当てないとも限らない。
「行くか」
呟いてラーダの姿は消えた。
「遅いっ。奴はまだなのかっ!?」
グレンが部下に問い質している。
そのとき、ショウが呟いた。
「心配するな。もう来たよ」
「……え?」
グレンが振り向いた瞬間、ショウの隣に妖魔の騎士の姿があった。
「遅いっ。なにをやっていたんだっ!?」
「そう怒鳴るな。こっちにも都合ってものがあるんだ」
「グズグズしていたらレジェンヌ側にばれるだろうがっ。そのくらい考慮しろっ」
「グレン。怒るなよ。仕方のないことなんだから」
「ショウはちょっと寛大すぎるぞ」
「そうかな?」
庇ってくれたショウにラーダが複雑な視線を向けている。
やっぱりバレているのだろうか、と。
「では始めるか。ラスターシャの王子は中央に立って、地面に両手を当ててくれ。かなり苦しいだろうが耐えてくれ」
「わかってるさ。どのくらい苦しいかはね。でも、これも王子の務めだろ」
言ってショウは魔方陣の中央に立って、それから屈み込んだ。
地面に両手を当てる。
魔方陣に直接、気を送り込むためである。
それを見届けてラーダも魔力を解放した。
強大な気が膨れ上がる。
それがすべてショウへと集中し、ショウは想像を絶する苦痛に耐えていた。
気を抜けば地面に倒れそうになる。
でも、ラーダはもっと辛いはずだ。
そう思って耐えていた。
「凄いですね」
「そうなのか? おれにはよくわからん」
「魔力の高まりは現在最高峰です。こんな力を人間が扱えるなんて、本当に魔門は凄いですね」
エスタの感心する声にグレンは曖昧に頷いた。
グレンは魔法使いではないのでよくわからないのだ。
「王子」
「我々を裏切るのですか」
「王子」
妖魔の騎士に縋ろうとした魔族たちも、力の巻き添えになって消滅していく。
それだけ凄い力が行使されているということだ。
現在まで魔族の介入がなかったのは、メイディアの魔法使いたちの手柄だった。
ショウに言われた通りの方法で結界を張り、今まで防いでいたのである。
邪魔をされてはなんにもならないので。
隙をついて入り込んできた者たちも次々と消滅していく。
ショウもラーダも限界にきていたが、今は耐えなければとどちらもが気力と体力を奮い立たせていた。
「次元の扉、封印っ!!」
事の終わりをラーダが宣言する。
その次の瞬間、力が収縮していった。
ショウがその場に座り込む。
自分もかなり辛かったが、ラーダは大丈夫なのかと見れば、ラーダは長居は無用とばかりに姿を消してしまった。
一言の言葉もなく。
その余裕もなかったのかもしれないが。
(なるほどね。どこで着替えてるのか知らないけど、あの姿からいつもの姿に戻って更にグレンが戻るまでに屋敷に戻っていないとならないから、無駄なお喋りなんてしている暇はないってことか)
なかなかラーダも大変だ。
「あいつも一言くらい声を掛けてから消えればいいのに」
「俺たちの前に姿を見せること自体、異例のことなんだ。無理もないさ」
「平気か、ショウ?」
「ああ。術を受けてる最中は辛くて仕方なかったけど今はなんともない」
「なら戻ろうか。長居は無用だ」
「わかった」
言ってからショウは立ち上がった。
グレンたちと一緒に引き上げていく。
その後ろ姿を見ている影があった。
「ラスターシャの王子はいつもメイディアの者と一緒にいるな」
「はい。離れませんので仕掛ける隙がありません」
「離れないなら離すまで」
「では……」
「このどさくさを狙うぞ」
「はい」
答えてふたつの影は消えた。
不吉な言葉を残して。
それは屋敷に戻って落ち着いた頃に起きた。
「ショウ。どうやらおまえに客らしい」
「客? なんで俺がここにいるって知ってるんだ? 知人には知らせてないのに」
「さあ? だが、確かに知人らしいぞ。ここではおまえの名前は出さないようにしているのに確かにショウと言ったらしいから」
「わかった。逢ってくるよ。ラーダを頼むよ、グレン」
「引き受けた」
短い言葉を交わしてグレンとは別れた。
屋敷に戻ってみると、やはりラーダは昏倒していた。
その手当てを終えたところだったのである。
だれだろう? と、玄関へと急ぐ。
客がいると言われて玄関へときたが、だれも居なかった。
扉を開けて怪訝な顔になる。
それから扉を閉めようとして、強い力で扉を反対側から引っ張られた。
思わず慣性に従って倒れそうになったところで鳩尾に一発食らってしまった。
急激に意識が遠くなる。
不意をつかれたことを自覚したときには意識はほとんど消えかけていた。
(……ラーダ)
消えそうな意識で名を呼ぶ。
そこまでが限度だった。
「ショウ!?」
反射的に飛び起きた。
クラリと目が回る。
「ショウがどうした、ラーダ?」
「ネジュラ・グレン? ショウは? ショウはどこっ!?」
「ショウなら知人が逢いにきて玄関の方へ」
「知人? おかしいよ。ショウの知人なら一般人のはず。メイディアの王子が滞在中の屋敷にやってくるなんておかしい」
言われてグレンも青くなった。
あのときは伏せていた名前を出されたから納得してしまったが確かにおかしい。
「だれかっ!! だれかいないかっ!?」
「どうなさいました、王子?」
「エスタっ。すぐに玄関を調べてくれっ。ショウを探してくれっ」
「承知しました」
反問はなかった。
王子の態度からただ事ではないと悟り、すぐに行動に出ていた。
ラーダは落ち着かない気分だった。
すぐに動きたい。
でも、グレンの前で夜の姿にはなれない。
どうしよう……。
答えはすぐに出た。
戻ってきたエスタが青ざめて報告したからだ。
「ショウがどこにもいない?」
「門兵たちも気絶させられていました。これは連れ去られたと思うべきではないかと」
「王宮か」
呟いてからグレンは立ち上がった。
「出掛ける支度をっ」
グレンが出ていくまでの間、ラーダはなにも言わなかった。
ただその眼がきつい。
今にも真紅に染まりそうだった。
ラーダはわざと動かなかった。
連れ去った以上すぐには殺さないと判断して。
そうしてグレンが出ていくのを待ってショウの屋敷へと転移した。
「ショウ。必ず助ける。必ずだ」
呟く声は妖魔か。
それとも昼のラーダか。
ショウの行方は闇に消えたまま。
ラーダはショウの気配を追って転移した。
ぴちゃん。
遠くで水音がする。
寒い。
ここはどこだろう?
手が上に引っ張られたまま動かない。
脚は膝をついていて苦しい態勢だった。
上に引っ張られる両手首に枷のようなものを感じる。
そこに全体重がかかって痛い。
切れたのか血が流れるのを感じる。
首筋に手が伸びて、なにかがビリッと感電したような感じがした。
小さな落雷。
それに意識を揺さぶられた。
うっすらと目を開ける。
目の前に見知らぬ初老の男がいた。
狂気に染まった眼をしている。
その傍には軍人らしい男の姿。
初老の男は憎々しげな顔をしている。
伸ばした片手をもう一方の腕で押さえていた。
「だれでもよい。そなたが名を知る必要はない」
そなた……。
そしてこの扱い。
「現王家の国王か」
「将軍。双頭のラジャの首飾りを奪うのだっ」
「はっ」
軍人らしい男の手が伸びる。
しかしその手が首飾りに触れた瞬間、またビリッと小さな落雷があって男は手を引っ込めた。
「っ」
「おまえたちバカだな。双頭のラジャの首飾りは、その資格のない者には触れることもできない呪いが掛かってる。大昔に初代のラスターシャの国王が神から貰ったと言われている呪いだ。おまえたちが触れることなんてできるわけないだろう」
両手首からは途切れることなく、赤い血が滴っている。
両手首に全体重が掛かっていることもあるのだが、嵌められた鉄の鎖に刺のような細工がされているのだ。
それが体重を掛けられる度に手首を傷めるのである。
手首の傷は侮ると命取りになる。
死ぬときに手首を掻っ切るのはありふれた方法だ。
このまま途切れることなく血が流れ続ければショウも危なかった。
国王たちが手をくだすまでもなく死んでしまうだろう。
だが、ショウには国王たちがそんな手間を掛けるとも思えなかった。
グレンたちが関わっていることを知られているのだ。
時間を掛ければ奪回されてしまう恐れがあることを彼らも承知しているだろう。
どうやらここは地下牢らしい。
両足にも枷があって立ち上がりたいのだができない。
せめて手首に体重が掛からないようにしたいのだが、それができないのだ。
脚は壁際に引っ張られていて、どうしても身体が前のめりに倒れる。
手首の血が首にまで到達したのか、首飾りが赤く染まっている。
その瞬間、淡い光を放ち出した。
黄金の光である。
国王と将軍は怯えたように一歩後ずさった。
「泥簿猫のように王位をくすねていったくせに爽快なことをしてくれる」
「王位を捨てたのはそちらだ」
「そうせざるを得ない事情があったんだ。でも、それは間違いだった。今のおまえたちを見ているとそれがわかるよ」
手首の傷が深くなりショウの気が遠くなる。
両腕を伝ってくる血の量が、どんどん多くなる。
それと共に首飾りが放つ光も強くなった。
「双頭のラジャの首飾りの、このような反応の伝承など聞いたことがあるか?」
「いえ。ただ双頭のラジャの首飾りには伝説がございます。持ち主である世継ぎの王子に真の危機が迫ったとき、双頭のラジャの首飾りは、その真の力を発揮する、と」
「神から授かった伝説の秘宝、か」
だからこそ王位の証である双頭のラジャの首飾りを現王家の者たちは手に入れようと必死に努力したのだ。
だが、今までそれは成功しなかった。
世継ぎの王子を殺すことも。
世継ぎの王子を殺すことに成功するとき、その王子には大抵息子がいたのだ。
そしてその息子を殺すことはできないのである。
首飾りも息子に譲られた後だったのが常だ。
それ故に現王家は恐れてきた。
ラスターシャ王家の真の世継ぎの君を。
どうしても殺せない世継ぎを。
このショウという少年が、その世継ぎ。
彼さえ殺せばおそらく今度は首飾りの受け継ぎはなされない。
この年齢では息子はいないだろうから。
だから、こんな回りくどい方法を選んだのだ。
首飾りを所持した王子は殺せないと知っていたから。
「俺は……死なない。こんなことで死んだりしない」
言ってからショウの目が閉じられた。
身体からも力が抜ける。
「死んだか?」
「いえ。まだ息はあります」
か細いがショウは確かに息をしていた。
大量の出血をしている身で手当ても受けられずに。
ぴちゃん、ぴちゃん、と落ちる水の音は、実はショウが流す血の音だった。
ショウはぼんやりしていたので気付けなかったのだ。
自分から滴る血が音を立てていることに。
「斬ってしまえば」
「無駄だ。おそらく首飾りに護られて刃を跳ね返すのがオチだ。自然と死んでくれるのを待つしかない。……メイディアはどうしている?」
「王への目通りを願っているようです。王子自ら」
「そうか。まだここを突き止めてはおらぬか」
次第にショウの回りに血溜まりができていた。
それが池のように広がっていく。
それと共に首飾りの光は更に強くなり、今では目を向けられないほどの強さだ。