第一章 黒い瞳の異邦人





 第一章 黒い瞳の異邦人




 3年生の卒業も間近な東城大付属中学。

 生徒の自主性を重んじる学校で、小学部の頃から生徒会のようなシステムが生きている。

 他の学校では生徒会長と呼ばれる役職は、生徒総長と呼ばれ一種のエンブレム的な要素を持っていた。

 小学4年からなれる生徒総長を中学1年の頃まで歴任。

 2年生になったときには「飽きたから」の一言で辞退したが、後釜になった生徒に泣きつかれ、副総長をやった高樹和哉たかぎ かずや。

 彼の双生児の弟、高樹静羅たかぎ せいら。

 彼がこの物語の主人公である。

 長い黒髪は背中にまで届き、細い肩は少女のよう。

 いつもは紫がかった黒い瞳を伏せて、机の上で眠っている。

 H/Rすらサボり堂々とだ。

 彼を捜していた双生児の兄、和哉は自分のテリトリー内の生徒総務室で、堂々と居眠りを決め込む姿を発見して呆れていた。

 和哉は静羅と比較すれば体格にも恵まれ、顔立ちも整っていて、長いあいだやっていた役職の影響か、優等生ぽい雰囲気の少年である。

 が、髪と瞳の色素は薄く、どこか茶色がかっている。

 そのせいか軽薄な美少年と言われても不思議はない。

 しかし不本意でも長いあいだやってきた役職のせいで、自然と優等生的な雰囲気が身に付いている。

 そのおかげで、そういう誤解はされずに済んでいた。

 和哉は文武両道に優れた本物の優等生である。

 というのも幼い頃から、殺人術と言っても過言ではないほどの、厳しい訓練を受けてきたせいなのだが。

 比較して静羅はなんの武術の訓練も受けていない。

 体格も少女と大して差がなくて、和哉の弟とみるなら、かなり違和感があった。

 似ていないのだ。

 美貌は静羅の方が群を抜いているが、それ以外の要素で男として兄に劣っているのである。

 実際のところ、その手の才能では決して兄に後れをとるものではないのだが。

 頭脳も天才と呼んで差し障りなく、順位はいつも兄に次いで第2位だが、点差はたった1点。

 まるで静羅が点数を選んでいるかのように、ふたりの点差はいつも1点なのである。

 無意識の静羅の遠慮を知るだけに、和哉は複雑な気分になる。

 しかし無意識に眠ってしまったんだろうが、果たして起きてくれるだろうか。

 静羅が昼寝をしたことはなくて不安になる。

「静羅。おい、静羅。起きろよ。授業も抜け出して、こんなところで寝てるんじゃないって」

 何度か声をかけて肩を揺すったが、やはり起きない。

 朝だって静羅を起こすのに並大抵じゃない努力が必要なのだ。

 静羅の登校に合わせて起こしているから、大抵、通学の3時間前には静羅を起こす。

 そのせいで和哉の起床時間は平均して朝の4時30分だった。

 5時に静羅を起こさないと、まず平均的な学園生活は望めないので。

 静羅は起きてからも2時間くらい人形みたいだし。

 ここでそうなったらどうしようと和哉は焦ったが、そんなに深くは眠り込んでいなかったのか。

 それともただ単に和哉をからかっていたのか、静羅がゆっくりと瞳を開いた。

 夕陽が射し込んで紫色に輝く黒い瞳が、じっと和哉を見上げている。

 少女的なその美貌に見詰められ、和哉はドキンとする。

「和哉」

 嬉しそうに名を呼ばれ、何故かいつも通りの弟の態度に、和哉はドギマギする。

 胸の動悸を悟られまいと、わざと呆れた顔を作った。

「なんでこんなところで寝てるんだよ、静羅? 捜したじゃないか」

「寝てた、俺?」

「寝てた。しっかりと」

 言われて欠伸を噛み殺しつつ、静羅が上半身を起こした。

「そっか。寝てたのか。ついウトウトしちゃったな」

 言ってから立ち上がる。

 その手にはすでにカバンが握られていた。

「和哉は高等部にあがる際の受け継ぎは済んだのか? たしか期日は今日までだと思ったけど」

「とっくに終わらせたよ。今日はおまえに付き合う約束をしてただろ? 卒業祝だ。なんでも言うこと聞いてやるよ。なにがしたい、静羅?」

「特にしたいことってないんだけどな……」と、静羅は声に出さずに呟いた。

 和哉の気遣いはありがたいが、静羅は中学の卒業にこれといって感慨を抱いていない。

 まあ隠していることはあるけれども。

 そういう意味で和哉に付き合うつもりになったのだ。

 彼とこうして過ごせるのも、もう最後だから。

 そのことを和哉が指摘しないってことは、まだバレていないということだろう。

 もうすこしのあいだバレないでくれと、静羅は祈った。

「俺はどこでもいい。特に行きたい場所があるわけでもないし。和哉に任せるから楽しませてくれよ」

「しょうがないな、おまえは。相変わらずトドなんだから」

 今は制服だからわからないが、普段の静羅はものぐさなトドである。

 服装には構う意思もなく、清潔感だけに拘っている。

 そのせいでいつも着崩したTシャツにジーンズだった。

 で、寒くなったらGジャン。

 それだけで年中過ごす。

 髪型にも頓着する気はなく、今の髪型は和哉の好みだ。

 和哉が切るなとうるさいし、美容院などは両親指定の美容師がくるので、すべてお任せだった。

 ただ長い髪が本人は鬱陶しいので、後ろで雑に括ってしまっているが。

 これは和哉には不評だったが、静羅は直そうとしなかった。

 そこまで和哉の意向を取り入れる気はないという意思表示である。

 このくらいで我慢しろ、と。

 ふたりは大財閥の御曹司なのである。

 高樹財閥と言えば世界的に有名な大財閥だ。

 和哉はその正式な跡取りである。

 東城大付属は入るときに家柄の有無が問われるため、入学するのがとても難しい。

 おまけにエリート校だけあって、頭の出来は全国でもトップクラス。

 そのせいか生徒たちにも特権意識のようなものが垣間見れた。

 それがないのは、頂点に位置する高樹の御曹司であるふたりくらいだ。

 長い黒髪を背中に流し、兄を見上げる静羅は影のよう。

 対して生まれつき色素の薄い和哉は光のようである。

 そのふたりが並ぶとどうしても眼が行ってしまう。

 そこだけ異次元。

 そんな感じだった。

 ふたりが並んで歩いていると、廊下の途中で和哉は声をかけられた。

「あれ、和哉。今帰りか?」

 振り向けば曲がり角のところに同級生の天野東夜あまの とうやが立っている。

 排他的とも言われる和哉にしてみれば、珍しく親しくしている相手だ。

 2年前に1学年年上の従兄と転入してきて以来、親しくしている。

 和哉が排他的なのはすべて静羅のためなのだが。

 本当に排他的なのは静羅だ。

 静羅は兄以外とは打ち解ける気がないとばかりに、ほとんど話もしない。

 笑いもしなければ怒ることもない。

 眼中にないのだ。

 それでも東夜だけは相手にしている部類に入る。

 その好意が本物だとわかるので。

 が、和哉とふたりきりだったときは、笑顔の出し惜しみなどしない静羅だが、東夜が絡んできたとたん、突然ムスッと黙り込んでしまった。

 これもいつものことである。

 別段いやがっているわけではないのだ。

 興味がないだけで。

「東夜も今帰りか?」

「忍しのぶを待ってんだ。卒業祝に羽目外してもいいって言ってくれたから。散々奢らせてやるんだ。おまえらは?」

「オレらも卒業祝に街に繰り出すところだぜ? 静羅と約束してんだよ、前から」

「だったら一緒に行かないか? ちょうど忍もきたみたいだし」

 言われて視線を投げれば高等部の方向から、浅香忍あさか しのぶがやってくるところだった。

「忍先輩。お久しぶりです」

「やあ。お久しぶりですね、和哉さん。元気そうでよかったですよ。静羅さんも」

「名前で呼ぶんじゃねえよ」

 ボソッと愚痴る静羅である。

 静羅は幼い頃から「修羅しゅら」というあだ名を持っていた。

 そこにも意味はあるのだが、今ではその名を気に入ってしまって、本名は家族だけに呼ばれたいと思い始めていた。

 そのせいで学校でも「修羅」と呼ぶようにと、周囲にも徹底させている。

 しかしこの忍と東夜のふたりだけは、何度注意しても名前で呼ぶのだ。

 おかげで文句もボソッとしか言えない静羅である。

 無駄だと知り尽くしているので。

「なあ、忍。和哉たちもさ、街に繰り出すんだってさ。だったら一緒に行かないか? その方が絶対に楽しいぜ?」

「それもそうですね。でも、あまり期待しないでくださいよ、東夜」

「あれ? 和哉に東夜じゃないか!! それに忍先輩もっ」

「俊樹としき」

「俊樹も街に出るのか?」

 東夜に言われ、明るい笑顔で頷く俊樹である。

「卒業も間近だし、すこしくらい羽目外しても許されるだろうから。そっちもか?」

「ああ。なんだったら一緒に行くか? そうしたら和哉も楽しいだろうし」

「嬉しい誘いだな。乗らない手はないだろうな」

 すでに4人のあいだで話が纏まってしまっていて、それを眺めていた静羅がふっと口を開いた。

「仲間ができたんなら、そっちと楽しんでくれよ、和哉。俺は家に帰ってるから」

 全員が呆気に取られる中、ひとり歩きだした静羅を見て、和哉が我に返った。

「ちょっと待てよ、静羅。そういうわけにはいかないだろう? おまえも卒業するんだから主役だろう? 主役が帰ってどうするんだ?」

「したくてするんじゃねえよ。義務教育だ。俺や和哉なら黙ってたって卒業できるさ」

「だからってオレだけに楽しんでこいっていうのか、静羅?」

「俺は元々気乗りしてなかったんだ。でも、和哉も卒業する当人だし、付き合った方がいいかと思ってただけで。仲間ができたんならそっちと楽しんでこいよ」

「どうしてもか?」

「真っ平御免だぜ」

 吐き捨てる静羅に和哉は複雑な顔である。

 ふたりの後をついて歩いていた3人も複雑な顔になっていた。

 こういう感想は当人ではなく、周囲にいる者を複雑な気分にさせるが、静羅はそれに頓着する気はなかった。

「わかったよ。どうしてもいやだっていうんなら強制はしない。土産を買って帰るから、まっすぐ家に帰れよ?」

 苛立ったように静羅が振り向いた。

「心配すんなよ、和哉。もう俺はおとなしく誘拐されるほど子供じゃねえし素直でもねぇよ」

 常に誘拐、その他の危険の付きまとう静羅である。

 言われても不安が拭えなくて、和哉は曖昧に頷いた。




 時計は午後10時を指していた。

 高樹財閥の本宅、3階かにある自室で静羅はふと時計を見る。

 和哉がこんなに遅くなるなんて珍しい。

 この分だと帰ってくるのは午前零時を過ぎるかもしれない。

 午後10時をすぎると和哉は絶対に静羅の部屋には現れない。

 父親に制止されているのだ。

 だから土産を渡すのは明日にするだろう。

「ならちょっとぐらいなら時間はあるかな?」

 呟いて静羅はクローゼットの方に歩いていった。

 だれにも内緒で改造し二重構造にしたクローゼットの内部には、お手伝いの手にも見つからないように隠された静羅秘蔵の品がある。

 流行の最先端をいくような服や、宝石類の数々。

 すべて普段の静羅なら身につけないような、興味もない類の数々である。

 その中から純白のシルクのタンクトップを取って身につける。

 黒いジーンズを履いて、まだ春先なので革のジャケットを着る。

 タンクトップ以外はすべて黒で統一されている。

 そこに貼り付けるタイプのピアス。

 何故かというと本物のピアスをして穴を空けてしまったら、両親や和哉にばれるからである。

 最高の純度を誇る金の。

 同じタイプのブレスレットをして寂しい首元にはスカーフを巻き付けた。

 華美にならない程度に抑えられたファッションである。

 普段のトドの静羅からは想像もできないほど決まった姿だった。

 モデルばりである。

 そこに夜のトレードマークの黒いグラサン。

 そのまま出ていこうとしたが、今日は街に和哉もいることを思い出して、黒い帽子を目深に被った。

 帽子を目深にかぶりグラサンで顔を隠すと、素顔なんてほとんどわからない。

 これで見抜く者がいるとしたら……。

「東夜と忍くらいかな。あのふたりもどことなく人間離れしてるからな。俺とは似て非なる意味で」

 苦い声で呟いて窓に近づいた。

 サンルーフに続いた窓を開いて外に出る。

 それから窓を閉めた。

 バレるわけにはいかないのだ。

 この夜遊びは。

 近くにある大木を伝って音を立てずに降りていく。

 直接、地面に着地する術もあったが、音を立てない方法を選ぶとこうなってしまうのだ。

 木を揺らさないようにするのが大変だが。

 3階から飛び下りても静羅なら怪我もしないし。

 こうして静羅はだれにも気づかれることなく、高樹の屋敷を後にした。




「よお、世羅せら。久しぶりじゃん」

「世羅じゃない。元気だった?」

 次々かかる声に軽く手を振って応え静羅は歩を進める。

 世羅というのは静羅の夜の通り名だ。

 あだ名の修羅も本名の静羅も使えないので、どちらにも似ている世羅という名を使っていた。

 昼と決別するのが動機だから、夜の静羅は昼ほど排他的ではない。

 やはり高樹財閥ほどの大財閥になると色々あるのだ。

 静羅の耳にもよく聞きたくない噂話が耳に入る。

 ストレスが高じてすべてぶち壊したくなるときがある。

 そんな破壊衝動を抑えるために夜遊びを覚えたのだ。

 そのため、家族には内密にしていた。

 もちろん和哉にも。

 そのときの静羅ほど通り名の修羅が似合うこともないだろう。

 切れるような鋭さを秘めた瞳。

 その鋭利な雰囲気。

 普段のやる気なさげで、どうでもよさそうな静羅とは別人である。

 夜に遊び歩く人々の中でも、静羅はドンのような存在だった。

 だれもが静羅の気を惹きたがる。

 夜のルールはひとつ。

 静羅が認めた相手が静羅に関するすべての権利を一夜だけもてるのだ。

 その代償はキスひとつ。

 それ以上の行為は認めない。

 その代わりその夜は静羅のためにかかるお金は、すべてその者が払わなければならない。

 従って御曹司の宿命として、現金など持ち歩いたこともない静羅だが、お金には困っていなかった。

 これは夜遊びを始めた当初、遊びでファーストキスを奪われ、それ以後はキスぐらいでは動じなくなった静羅が、周囲の奪い合いにげんなりして取り決めたことだった。

 だから、だれもがその最初の権利を得ようと、静羅の気を惹こうとするのだ。

「世羅? 本物かよ」

「和泉いずみ?」

 路地の隅の方に見知った相手がいた。

 壁にダラリと背中を預けているのは、夜の遊び仲間、和泉だ。

 これも夜の通り名で本名ではない。

「なにやってんだよ、タバコなんて吸って」

 近づいていくと微かにアルコールの匂いがした。

「酔ってんのか、和泉?」

「別に。ちょっと一杯引っかけただけだって。それより久しぶりだよな。最近はあんまり見かけなかったのに」

 それは静羅の事情である。

 教えるわけにはいかないとアルカイックスマイル。

 ちぇ、負けたと和泉は軽く上半身を起こす。

 彼の隣にあったお酒の自販機を、静羅が軽く蹴っ飛ばした。

 すぐにカシャンと音がして静羅が手を差し入れると、缶ビールを取り出した。

「ほら」

 しり上がりの口笛を吹いて和泉は受け取った。

「よくまあ毎回、毎回蹴っ飛ばすだけで缶を落とすよな。これだけ成功すると金出して買うのがバカに思えてくる」

「偶然だろ。俺はただ蹴っ飛ばしてるだけだぜ」

 缶ビールを一気に煽って、和泉は壁に背中を預けている静羅の横顔を覗き込む。

 顔は隠れていて見えないが、かなりの美形なのは間違いない。

 素顔が見えないものだろうかと、儚い望みを抱くが、叶えられそうもなかった。

「そういや最近、ちょっと毛色の変わったのが出入りしているらしいぜ、世羅」

「毛色の変わったの? なんだよ、それ?」

「いや、よくわかんねーんだよな、それが。ただ時々、街に現れて徘徊してるんだ。
 なにしてんのかは全く不明で、見かけないときになにやってんのかも全く不明。
 話しかけた奴もいないから、名前も不明。ただ夜の通り名で黒豹って呼ばれてるけどな」

「黒豹?」

「世羅みたいに群れないんだよ。一匹狼っていうのか? なんかそんな感じ。ミステリアスだって話題になってんだ」

「相変わらずみんな暇なんだな」

 呆れ顔の静羅に和泉はちょっと笑う。

「そいつの感じが、なんか世羅に似てるからってのもあるみたいだぜ?」

「変に意味付けすんじゃねえよ、迷惑だ」

 吐き捨てる静羅に和泉がクックッと肩を震わせて笑う。

 世羅のクールさはポーズではない。

 ポーズでは作れないシニカルさがある。

 シビアな話題にも危なげなくついてくる。

 どんなに危険な話題も世羅にかかると赤子の手を捻るように簡単だ。

 そのストイックなクールさが世羅に人々が群がる原因である。

 だれも落とせない高嶺の花に焦がれて。

 かくいう和泉もそのひとりだ。

 世羅だけが血も身体も熱くする。

 その感覚をなんて表現すればいいのか、和泉にはわからない。

「なんかこうしてるのも暇だな。どっか付き合わないか? どこかに食いに行かないか?」

 静羅のこの問いは今夜の権利に関わることだった。

 まさか誘ってもらえるとは思わなくて、和泉がまたしり上がりな口笛を吹く。

「そうだな。今日は全部、俺が持つから」

 静羅のグラサン越しの素顔に「しまったっ!!」と言いたげな光が浮かぶ。

 本人はそんな気なく言ったのだ。

 たしかにお金は持ってないから、奢ってほしいという意味だったが、だからといって誘ったわけではない。

 静羅は中1のとき、遊び半分でファーストキスを奪われた。

 それ以来キスくらいでは動じなくなったし、時には励ましの意味で自分からキスをすることもある。

 まあその場合は必ず異性相手だが。

 だが、何故か奢ってほしいと意思表示すると、同じ事態になり相手はキスをしようとしてくる。

 奢ってもらっている立場上、あまり無下にもできないし、仕方ないのでそれだけは許すが、それ以上は御免だと言い切ってあった。

 それが何故か決まり事みたいになって、静羅が奢ってほしいと意思表示すると、相手はキスの権利を得たと思い込んでいる。

 認めていないのだが。

 そのキーワードが「全部奢ってやる」だったりした。

 その証拠に和泉はもうその気だ。

 顎を固定され、唇を奪われて嫌悪感が走る。

 静羅は同世代の者より精神的な成長が遅いのか、この反感はなかなかなくならなかった。

 思い切りのディープキスをひとつ。

 これ以上は御免なのでスッと離れた。

「ホントに今日はおまえが持てよ、和泉」

「仕方ねえな。男が相手のときはどんな奴でもキス止まり。どこかで女とよろしくやってんのか?」

 嫌味な言われ方にムッとした。

「今日の相手はおまえだろ。そういう科白はルール違反だ。他の奴に乗り換えてやろうか?」

 降参とばかりに和泉は大きくかぶりを振った。

 肩に腕を回されて歩き出す。

 慣れることのない悪寒を顔にも出さず、静羅は普通に振る舞っていた。

 ある意味で学校での静羅が別人に思えるほど普通に。




 その頃、和哉は街で偶然出逢った同級生たちとカラオケに行って、二次会、三次会と付き合わされていた。

 中学生なので本当はダメなのだが、そういうことはだれも意識していなかった。

 何故なら和哉がいたからである。

 和哉がいれば少々の事態は高樹財閥の力でもみ消される。

 それを当て込んでのことなので、当然、和哉が解放されることはなかった。

 和哉はさっきから苛立って時計ばかり見ている。

 このままでは午前零時を回りそうだ。

 そう思ったとき、角を曲がりかけたショーウインドウで、可愛い細工のロケットが売っているのが目に入った。

 そういえば土産を約束していたんだと思い出す。

「あのロケットなんて可愛いな」

「静羅への土産か?」

「東夜」

「でも、男に贈るにはちょっと可愛いすぎないか、あれ?」

 似合ってるけどと付け足す東夜に、和哉は苦笑いするしかない。

 静羅の名の意味はだれにも教える気はない。

 静羅の危険を増やすだけなので。

「でもさ、静羅って特に欲しいものとか、凝ってるものとか聞かないけど?」

「あいつは物に執着してないんだ。自分からはあれが欲しいだとか、これが欲しいだとか絶対言わないし。俺が選んで贈れば礼を言ってくれるし、大事にもしてくれるけど、別に贈らなくてもなんにも言わないぜ。あいつには欲がないんだ」

「相変わらず淡白な奴」

 東夜がそう言ったとき、和哉が弾かれるように振り向いた。

「なんか変なこと言ったか、俺?」

「いや。東夜もそう思ってるのかって思っただけだ。なんでもない」

 俯いたその顔はなんでもないといった感じではなかったが、和哉が突っ込まれたくないと意思表示したので、東夜はこれ以上同じ話題は続けなかった。

「それよりここらでフケないか? このまんまじゃ抜けられないだろ?」

「そうしてくれると助かる。このまんまじゃあ日付変わりそうだし」

「どこか近くのファーストフードにでも行こうぜ」

 和哉の腕を引っ張って移動する東夜が、忍に向かって顎をしゃくってみせる。

 それだけで意思の通じるふたりは、本当に自分たちに似ている。

 適当な店で待っていれば、忍がやってくるのだろう。

 事後処理を全部頼んで悪かったなと、和哉はそんなことを思った。

 和哉と東夜が選んで入った店は、わりと大きな店舗だった。

 入り慣れていない和哉は、おっかなびっくりで注文を済ませ、東夜に勧められるまま、ハンバーガーにかじりついた。

「ハンバーガーってこんな味なんだ?」

「お坊ちゃまの発言だな」

 同じようにダブルバーガーをかぶりつきながら、東夜がそうコメントした。

 言われると思っていたので、和哉は言い返さずに慣れていない味の薄いコーヒーを飲んでいる。

 慣れていない味に軽く噎せたところで扉が開いた。

 入ってきたのは静羅と和泉である。

 和哉は背を向けていたので気づかなかったし、たぶん、見ても気づけなかっただろうが、正面を見ていて気づいた東夜は、ムッとしたように静羅を見た。

 いつもと雰囲気がまるで違うし、別人のようにしか見えないが、あれは静羅だ。

(俺たちの誘いは断ったくせに、なんでこんなところにいるんだ? おまけに人間嫌悪性のくせに、肩を抱かれていてもいやな顔ひとつしない。だいたいあいつあんなにお洒落だったか? あの嫌味な笑顔はなんだよ?)

 注文をしながら馴れ馴れしく肩を抱いた男の手をはねつけて、静羅が笑う。

 それは今までに見たことのない顔だった。

 東夜はムシャクシャしてきている。

 ムスッとしながらバーガーにかじりついている。

 どうみてもヤケ食いだった。

「おい、東夜。そんなに急いで食べたらつっかえるぞ、おまえ」

 和哉が心配そうに言っても、東夜は聞いていなかった。

 静羅と和泉が和哉たちがいるテーブルとは反対側の、入り口付近に陣取ると、静羅は入り口に背を向けるように腰掛けた。

 その関係で東夜には一緒にいる男の顔は見えなかったが、静羅の様子はよく見えた。 

 おっかなびっくりな和哉みたいに恐る恐るではなく、慣れた食べ方だった。

(つまり和哉にも秘密をもっていたってことだ。知っていたら和哉が夜に静羅をひとりにするわけないし)

 たぶん、和哉は知らないのだろう。

 夜に静羅がこうして別人のように出歩くことがあるなんて。

 不機嫌が増す東夜に和哉はお手上げである。

 静羅が相手なら余裕を持って振る舞えるが、東夜のことは忍に任せておけばいいと思っているだけに、ふたりきりのときに機嫌が悪くなると対処に困った。

 早く忍がこないかとチラチラと扉に視線を向ける。

 ちょうどそのとき、忍が笑いながら入ってきて、和哉や東夜に向かって片手を振った。

 その真横にいた静羅は息が止まるかと思うくらい驚いた。

(和哉が……いる?)

 わからないように忍を追えば、たしかに和哉と東夜がいた。

 和哉は忍を出迎えるように立ち上がり、その正面に腰掛けた東夜は、それを見るでもなく、まっすぐに……静羅を見ていた。

 間違いなく。

(やっぱりバレてんな。なんでわかるんだ? これだけ徹底して変装してるのに。とにかく和哉に気づかれる前にバックレた方がよさそうだ)

「和泉、もう出るぜ」

「いいけど、なんか今かなしばってなかったか? さっきもキョドってたし」

「どうでもいいだろうが。早くしろ。ノロマなカバは置いてくぞ」

 言うが早いか立ち上がった静羅に、トレイを片しながら、和泉が慌てて後を追った。

「待てよ、世羅っ!!」

「世羅?」

 急に聞こえた名前が弟の名に似ていて、自然と和哉の視線が向かう。

 入り口付近で静羅が和泉を殴り付けていた。

「あいつが世羅? よく人前で連れを叩くよな」

 感心する和哉に東夜はその理由を悟る。

 おそらくこちらに気づき、慌てて席を立とうとしたのに、連れが大きな声で偽名を呼んだからだ。

 つまり知られるとマズイことだと、静羅自身が自覚してるってことだ。

 静羅は和泉を見捨てるように、夜の闇の中に消えていった。

 その後を慌てたように和泉が追いかける。

 それを見て東夜が立ち上がった。

「悪い、忍。和哉のこと頼むな。俺ちょっと用事できた」

「え?」

「東夜?」

 ふたりの驚きの声には答えずに東夜は店を飛び出した。

 顔を見合わせて頷き合い、残されたふたりも東夜の後を追う。

 静羅が闇に消え、その静羅を追うように東夜が店を飛び出し、その更に後を和哉と忍が追いかけるという、まるで鬼ごっこのような構図が出来上がってしまった。

 東夜も静羅を見失ったが、和哉たちも足の速い東夜を見失ってしまった。

 東夜が静羅を見つけたのは15分ほど経ってからだった。

 肩で息をしながら遠くを見る。

 路地の片隅に10人ぐらいのグループが集まっていた。

 静羅はその中心にいて、周囲の揉め事をどうでもよさそうに見ている。

 そうそうところはいつもの静羅だった。

 息を整えながら近づいていく。

 すると会話が聞こえてきた。

「今日の特権は和泉が持ってったのかよ」

「そうよ、ズルいわ、和泉。和泉はいつもズルをして権利を手に入れるのよ」

「悪いか? 世羅は最初の奴が手に入れる。それがルールだろ?」

 言って静羅の肩を抱き寄せると、いきなりキスをした。

 さすがにびっくりする。

 静羅がそれを許していることにも。

 すると静羅は相手の胸を押して引き離した。

 いやそうな顔をしているような気がした。

 帽子とグラサンで顔は隠れているが。

「見せつけるためだなんて俺は御免だ。出直してくるか?」

「どうしたんだよ、世羅? 今日は不機嫌すぎるぜ? こんなのいつものことだろ?」

 困惑顔の和泉に静羅はプイッと顔を背ける。

 すると静羅の隣に並んでいた美少女が、甘えるように静羅の腕を掴みしなだれかかった。

 露骨な色仕掛けにげんなりする。

 静羅はなんとも思っていないようだが。

「ねえ、世羅。卒業祝はくれないの?」

「なんの卒業祝だよ? ナミは18って言ってなかったか?」

 笑いながらそう言うと「意地悪ね」と腕をつねられた。

 その顔に幼い素顔が覗いて、静羅は細い腰を抱き寄せた。

 その耳許にささやく。

「15の祝いだ。高校行っても負けんなよ、ナミ」

「世羅」

 一度イジメの問題で世羅に愚痴ったことのあるナミは無防備な顔をした。

 その唇に静羅がキスをする。

 漏れる声も奪うようなキスに、生唾を飲み込む音が幾つも聞こえた。

 権利を持っている和泉が気に入らない場面に抗議を言いたそうな顔をしている。

 静羅がゆっくり離れると、解かれていくその場の緊張。

 静羅が中心人物である証拠だった。

 いつまで続くかわからない夜の狂宴。

 東夜は靴音をわざと立てながら、静羅に近づいていった。

 夜の路地裏に響く靴音に静羅が何気なく視線を向ける。

 ついで絶句した。

 振り切ったと思った東夜が立っていたからだ。

 見覚えのない新顔の登場に周りが気色ばむ。

「さっきはよかったよな、バレなくて」

「……」

 無駄な抵抗と知りつつ静羅は顔を背ける。

「気づいたとたんにバックレて、今度はシカトかよ。ナメてんじゃないぜ」

「おまえ、だれだよ」

 和泉が怪訝そうに言う。

 だれに対して言っているのかわからなくて。

「こいよ。俺にはバレてんだぜ。それとも御本尊を呼んでこようか? それで困るのはおまえじゃないのか?」

「……なに熱くなってんだよ?」

「おまえがサイテーな鈍感野郎だからだろうが。くるかこないかはっきりしろっ。殴りたくなるだろうがっ」

「他人のことで熱くなれる。おまえは変わった奴だよ、トーヤ」

 変わったイントネーションで名を呼んで、静羅は歩き出した。

「おい、世羅っ!?」

「悪いな。この埋め合わせは今度するよ。今日は帰らせてくれ」

 一度帰ると言った以上、世羅を引き止められる奴なんていない。

 その証拠に悪いと言いながら、世羅は振り向きもしなかった。

 その背を追いかけて追い抜いて、腕を掴んだ東夜に静羅が視線を向けている。

「トーヤ」

「遊びであんなことするんじゃないぜ。あいつが見つけてたらどうする気だ。認めないぜ、あいつは。わかってんじゃないのか?」

「おまえが言わなきゃわかんないはずだろ」

 ムッとしたように言い返す静羅の腕を掴んで、東夜が先を促す。

 その背に声が飛んだ。

「あんた、ほんとにだれなんだ……」

 世羅を特別な意味で捉える相手。

 周囲の認識はそんなものだった。

 男女以外にもさっきのような行為が行われていたのなら、もしかしたら誤解されたかもしれない。

 だが、別にモラリストを気取るつもりのない東夜は特に言い訳はしなかった。

「淡白なバカを迎えにきただけの相手さ。後はそっちで適当に考えてくれ。ほら、こっちだ」

「腕、痛いってっ。このバカっ」

 簡単には逃げられないほどの力で引きずられて静羅が怒鳴る。

 その声が遠くなるのを和泉たちは黙って聞いていた。




 静羅が連れ込まれたのはすこし離れた路地裏だった。

 周囲に密着する壁が人の目から隠してくれている。退路は後ろだけ。

 後ろに続く道だけだった。

「東夜」

「おまえは俺らをナメてんのか。なんで俺たちの誘いを断ってまで、あんな奴らの中に混じってんだよ? 言い訳できるもんならやってみなっ」

「俺にはおまえがそんなにキレる理由の方がわからないぜ? おまえは和哉の腰巾着だろうが」

 静羅には関心がないくせにと言うと、信じられないが叩かれた。

 グラサンが飛び、静羅の紫がかった黒い瞳が、驚いたように東夜を見ている。

「本気で言ってるなら、もう一度叩くぜ、俺は」

「イテーよ、バカ」

 うつむいて愚痴る。

「痛いのはこっちも同じだ。どうして俺たちの誘いを断ってまで、あんな奴らに混じってんだよ!!
 おまけに人間嫌悪性のくせに触られてもいやな顔ひとつしない。
 あんな場面みせられたら裏切られたような感じしかしないんだよっ。言い訳できるならやってみろっ」

 落ちて割れたグラサンを拾い上げる。

 それから帽子に手をかけてとった。

 静羅の素顔がはっきりする。

 すると服装こそ見慣れないが、そこにいるのはたしに高樹静羅だった。

「おまえにはバレてるから教えるけど、絶対に和哉には言うなよ」

「いいぜ」

 東夜も和哉を傷つけるような内容なら教える気はなかった。

 和哉の腰巾着という静羅の揶揄は、あながち外れていなかった。

 だからこそ、叩いてしまったのだ。

 静羅を心配する気持ちも本物だったので、その矛盾を責められたら気がして。

「高樹の家がかなりの資産家なのは知ってるだろ?」

「知らなかったらモグリだろ?」

「あの家は……息が詰まる」

「静羅」

「親戚連中は財産目当てだなんて嫌味を言ってくれるけど、俺はそんなものいらないね。
 必要なら自分の力だけで築くさ。ゼロから。でも、あの家にいるかぎり、そんな主張はだれも認めてくれないんだ。
 父さんや母さん、和哉から愛されることが、俺の不当な権利だと思われるから」

「それは」

 考えすぎだと言えなかった。

 静羅を取り巻く環境は決して甘くはなかったので。

「俺がなにを言って、どんなに否定しても、あの家にいるかぎり意味はないんだ。俺は赤の他人のくせに籍もおいてるしな。法的に相続権は認められてる」

 自分は他人だと主張する静羅に、東夜はなにも言ってやれない。

 それは静羅の抱えている秘密の一欠片だった。

 学園では知らぬ者はいないが。

 公然の秘密といったところだろうか。

「それが親戚連中には許せないのさ。高樹の跡取りである和哉の双生児の弟という立場も、小判鮫連中には許せなかったのさ。いつ鳶に油揚をさらわれるかと思うと面白くないんだろうな」

 なにも言ってやれなかった。

 どんなに耐えてきたかわかるから。

「正面きって、邪魔だ、目障りだ、どこかへ消えろって言われつづけてみろよ。いい加減性格だって悪くなるぜ」

「そうだな」

 それだけしか言ってやれなかった。

 静羅の抱える闇の深さを知って。


「愛されることが重荷だなんて絶対に言えない。父さんも母さんも俺に住む場所をくれた。名前のなかった俺に名前をくれた。
 感謝こそすれ恨みなんてしない。でも、ため込んでるだけの気持ちって重いんだ。なんとかしないと。そう思って夜遊びを始めたんだ」

「おまえの事情も知らないで責めたりして悪かったけど」

「別に怒っちゃいねえよ、それがおまえの真心だっていうのは、俺にもわかってるし。ただ和哉には言わないでほしいんだ。愛されることが重荷だなんて和哉には絶対に言えない。もし言ったりしたら……」

「あいつは認めないよな。分家の連中のせいでおまえが傷ついてるなんて知ったら、下手をしたら本家と分家が絶縁状態になる。だから、なにも言わなかったのか」

 なにも言わないでひとりで耐えていた静羅の境遇を思うと胸が痛くなる。

 だが、それでも裏切られたような痛みは消えなかった。

 意外な素顔を見せていた静羅。

 和哉は傍にいないのに和哉がいるときと同じ顔を見せていた。

「だからってあんな態度取られたら、俺たちは納得できないよ」

「東夜」

「あいつらは本当のおまえを知らないから素顔を出せる? 和哉がいなくてもいるときと同じ態度を取れる? じゃあ、本当のおまえを知っている俺らは信用できないのかよ?」

「さっきは俺はいらないならいらないって切り捨てた。他のやつらもそれが夜のルールだってわかってるから追いすがらない。
 でも、昼に関わる奴らはそうじゃないだろ。俺が迷惑だって言っても関わってこようとするだろ? それが裏表のない真心だから。そうして最後には俺が異端だって眼で見るんだ」

「だから、素顔を出せるって? 和哉がいなくても、和哉がいるときと同じ態度を取れるって?」

「それが悪いのか?」

 切り込むような静羅の口調に、東夜は不可思議な瞳をみせた。

 一体幾つなのかわからなくなるような眼差しである。

「生きるってことをナメてんじゃないぜ。絶望なんて高々15年生きた奴が感じるなんて、1000年早いんだよ。おまえが知ってることなんて世の中のすべてじゃない。諦めるのはまだ早いんじゃないのか?」

「おまえ」

 一体東夜が幾つなのかわからなくなって、静羅は戸惑いに瞳を揺らす。

 高々15年などと言うが、東夜だって同い年のはずである。

 いや。

 違うのだろうか?

 今の東夜は幾つなのかわからないような眼をしてる。

「おまえと忍だけはごまかせないって思っていたよ」

「静羅?」

「夜の俺をみて素性を見抜くとしたら、和哉以外ならおまえと忍しかありえない。そう思ってた。どこか普通じゃないからな。おまえたちふたりも」

「そう……か?」

 指摘されたのは初めてで東夜は戸惑ってしまった。

 それだけでも見抜けるなんて大したものである。

 静羅が自分を自戒する気持ちもよくわかる。

 声を投げようとした次の瞬間、静羅は突然、帽子を目深に被ると一目散に逃げ出してしまった。

 後ろもみない見事な逃げっぷりだった。

 驚いて追いかけようとすると背後から声がかかった。

「やっと見つけた。こんなところでなにやってんだ、東夜?」

「和哉」

 振り向いて納得した。

 和哉の気配に気づいたから、静羅は物も言わずに逃げたのだ。

 ここまでくると感心するしかない。

 余程知られたくないらしい。

 まあそれもわからないではないが。

「東夜も見つけ出しましたし、今日はもう帰りましょうか? これ以上遅くなると和哉さんの家の人たちが心配するでしょうから」

「おまえの口調って時々、嫌味だよな、忍」

 言ってから東夜は先頭で歩き出した。

 忍に促され、和哉も歩き出す。

 そうして和哉を屋敷まで送り届けると、忍が東夜を振り向いた。

 ふたりだけの帰り道で。

「なにかあったんですか、迦陵かりょう? 静羅さんは捕まえられたんでしょう?」

「捕まえて色々訊きだした。それで落ち込んでる。和哉に言えないと言ったその気持ちはわからないでもないんだけど。あいつの境遇は可哀相なものがあるし」

「天には言えないと言ったんですか。人間も色々と大変そうですね。いっそのことわたしたちのように、完璧に人間から離れてしまっていたら、静羅さんも楽だったんでしょうけど」

「だけどな、祗柳きりゅう。俺には静羅が自分を戒める気持ちもわかるんだ」

「何故ですか?」

「あいつは俺たちが人間じゃないって薄々気づいてる。今は勘の段階らしいけど、それだけでも見抜けるなんて大したものだ。それは人間を超えた能力だからな」

「まさか同族ではないでしょうね」

 難しい顔になる忍……祗柳に、東夜……迦陵が答える。

「ここ最近で行方不明になった同族の噂なんて聞かない。
 大体俺たちのように術を行使しないで人間に化けられる同族なんているわけないだろう。
 俺たちのような状態でもない。和哉とも違う。そんな奴がいるか?
 それに同族なら迎えがきてもいいはずだろう。和哉のことにしたって一族の巫女や神官が気づいてる。なら静羅にも迎えはくるはずだろう」

「和哉さんという前例もありますけどね」

「確かに可能性家はゼロじゃない。でも……俺は静羅のために人間ならいいと思っているのか、それとも和哉のために、和哉の未練を断つために、静羅も同族ならいいと思っているのかわからないよ」

「わたしも不安なんです、迦陵。和哉さんが覚醒されたとき、天ではない和哉さんが、帰還と静羅さんを秤にかけたとき、和哉さんがどちらを取るか、それは自明の理です。だから、不安なんです」

「どちらにしろ、俺たちは傲慢だな。悪心のないことが、唯一、自慢できる特徴か」

「弱気になるなんて迦陵らしくありませんよ」

「わかってる」

 天野東夜に浅香忍。

 それは世を忍ぶ仮の姿。

 そのことを思うとき、胸が苦しくなる。

 高樹和哉という自己を覆すため、和哉を変えるために傍にいる。

 守るためであろうと監視しているのは事実だ。

 そのことを思うとき、たまらない気持ちになる。

 祗柳は迷うなと言うけれど、それが自分たちの傲慢だと知っているから尚更。

「それより静羅の例の件、天はまだ知らないのか」

「ええ。気づいていないようです。学校側も静羅さんから圧力をかけられているらしく、言えずにいます」

「そういうところは高樹の家の権力の使い方を、静羅もよく知ってるんだな」

 やっぱり御曹司である。

 高樹の家は普通の家じゃない。

 その権力を行使されたら、学校関係者はなにも言えない。

 まして相手は世界の共有資産とまで言わせる高樹静羅だ。

 怖くて動けないといったところか。

「しばらくは静羅の作戦でもつとしても、何ヶ月もというのは無理だろうな」

「無理でしょうね。和哉さんに弟離れを期待するのは無茶というものです」

「だとすると俺たちもついていくことをどう納得させるかが難問だな」

「困りましたね」

 迦陵と祗柳は同時にため息をついた。

 卒業後に控える問題について考えるとため息が止まらない。

 尤も。

 人ならぬ身で気にするのもおかしな話ではあるが……。
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