第二章 森と湖の国

「つまりさ、患者の身体を直に触って治療するわけなんだ。切開って言って悪い部分を切り取ったりする手術とか、ひどい怪我を負った場合に、まだ皮膚を繋ぐのに手術したりとか。後、血が足りないときに輸血したりとかね」

 自分でもわかる説明を選んでしたが、治療方法が魔法というこの世界では理解できなかったらしく、ややあってレックスが出した納得の声は、思わずずっこける内容だっだ。

「すごいですね。人の身体を直に触って切開するような魔法が使えるなんて。神族にしかできないことです」

「魔法じゃないって言ってるのに」

「つまりなにか? おまえの言っていることを信じると、おまえが住んでいた国には魔法が存在しないと?」

「だからさっきからそう言ってるじゃないか。こっちでは医学も魔法の一種として栄えてるみたいだけど、オレの世界ではひとつの学問だよ。人体についてだって色々と研究されてるし」

 同じ治療を目的とする行為でも、魔法と呼ばれるものと、学問と呼ばれるもの。

 理解できる単語を出されることで、ふたりもようやく亜樹の言いたいことを理解した。

 つまりこちらでは魔法で成されることが、亜樹の住む世界では、学問を学ぶことで成されているのだ。

 勉強は種類は違っても、どんな世界にもある。

 だから、治癒魔法を使って成される治癒が、学問だと言われることで納得できたのだった。

「するとおまえは本当にこの世界の人間ではないのか?」

「たぶん。オレはこんな国は知らないし、見覚えも聞き覚えもないから。大体オレの世界で、そんな格好をしてたら仮装だって。まるでコスプレ……」

「また意味不明な言葉を」

「ごめん。ちょっと落ち込んでたから。で。オレはさっき名乗ったんだけど、あんたの名前はなに?」

 亜樹が王子に向かって対等な口をきいたので、レックスはちょっと引きつっていた。

 王子に向かって「あんた」はないだろうと思ったのだ。

 てっきり怒るかと思っていたが、さっきから会話で、好奇心でも刺激されたのか世継ぎの君は怒らなかった。

「わたしはリーン・アディールだ。湖の国と呼ばれているリーン・フィールド公国の皇太子。17歳だ」

「さっきから疑問に思ってたんだけど、この国は公国なのに、どうして王子なんて名乗ってるんだ? オレの世界だと王国とか帝国の場合は王子で、公国は公子と呼ばれてたはずなんだけど? こっちは違うのか?」

「それは……」

 言いにくいことを訊いたのか、リーン・アディール王子は、困ったように黙り込んでしまった。

 傍らのレックスに視線を投げると、彼も気まずい顔をしている。

 どうやらわけありらしい。

 だったら突っ込まないのが礼儀だろう。

「ところでさあ」

「今度はなんだ?」

「リーン・アディールでひとつの名前なのか? オレはなんて呼んだらいいんだ?」

「リーンは親しい者だけが呼ぶ愛称で、アディールは公式名だ。正式に名乗るときにリーン・アディールと名乗るのが礼儀だ」

「じゃあリーンって呼んでもいい?」

 このときの亜樹はあまりにもこの世界について、そしてリーン・アディールについて知らなかったので、無邪気にそう言えた。

 親しげな態度など取られたことのないリーンはすこし驚いていたようだったが。

 レックスも意外そうな眼差しを亜樹に向けていた。

「別にかまわないが……変わった奴だな」

 あまりに意外そうに言われたので亜樹はちょっとむくれた。

「それでわたしはおまえをなんて呼べばいいんだ? クサナギアキとは変わった名だが。いったいどこで区切るんだ?」

「草薙が名字で亜樹が名前だよ」

「みょうじとはなんだ?」

「う~ん。この国にそういう習慣があるのかないのか知らないけど、この国の公家にも公家名ってあるのか?」

「どういう意味だ? 国に呼び名はあっても、国を治める一族に呼び名はない。言っただろう? 愛称と公式名があるだけだと」

「はあ。その場合、理解されにくいかもしれないけど、草薙っていうのはオレと同じ血を引き同じ家の名を名乗る者だけが名乗る名前で、オレ個人を意味するものじゃないんだ」

「? 一族の名、ということか?」

「その辺で妥協しておくか、オレの名前は亜樹。オレの国の言葉でこう書くんだ」

 亜樹は使い慣れない羽根ペンと羊皮紙を受け取ると、サラサラと名を書いた。 

 亜樹、と見慣れない文字が現れる。

 それをリーンとレックスが驚いたように見ていた。

「ふしぎな字だな。これでアキと読むのか?」

「そう。死んだ母さんが名付けてくれたらしいよ」

「らしい?」

「生まれてすぐに亡くしたから、顔も憶えてないんだ」

 ちょっと困った顔でそう言うと、リーンもレックスも気まずい顔になった。

 訊いてはいけないことを訊いたと顔に書いているので、亜樹は可笑しかった。

 母のことはもうずいぶん前に割り切ったので。

 少なくとも割り切ったつもりでいたから。

「そういえば……字がこれだけ違うのなら、どうして言葉が通じるんだ?」

 突然、気づいたと言いたげにリーンが言って、レックスもハッとした。

 今更だが本当にそうなのだ。

 亜樹にしてみれば助かっていることなので、あまり意識しないがどうしてお互いに理解できるのか不明である。

「たしかに不思議だよな。オレは日本語を喋ってるし、オレの頭の中にはふたりの言葉も日本語として聞こえてくるけど、ふたりともこの国の言葉を遣ってるんだろ?」

「ニホンゴなんてわけのわからない言葉は遣っていないぞ、わたしは」

「だよなあ。なんで言葉が通じるんだろ? 字は書けないし読めないみたいなのに」

 でなければ漢字で亜樹と書いたときに通じただろう。

 通じなかったということは読み書きに関しては、この不思議な現象は影響していないということだ。

「エルシア殿たちにきていただいては如何でしょうか?」

「レックスっ!!」

 突然、リーンがレックスを叱りつけて、亜樹はビックリした。

 リーンは本気でいやがっているようだった。

 顔に嫌悪感が浮かんでいる。

 さっきから無表情に近かった彼が見せる表情としては、かなり意外だ。

「王子の拘りもわかりますが、この件はわたしたちの手にはあまります。守護神族である彼らの力を借りるべきでしょう。それにこの蒼いピアス」

 レックスが亜樹の左耳に触れて亜樹は条件反射的に身を引いた。

 なんとなくピアスを庇う癖がついているのである。

「この蒼いピアスに独特の力を感じます。底知れぬなにかと共に。神族の手が必要でしょう。アキ殿になんの力もないとは、わたしには思えません」

 ピアスに問題があると言われて亜樹が青ざめた。

 その反応にリーンが怪訝そうな顔になる。

「さっきはなんの力もないと言ったのに、ピアスのことを指摘されたとたん、そんな顔を見せるなんて心当たりでもあるのか、アキ?」

 呟くリーンに亜樹は困ったような顔をしている。

「言えないことなのか?」

「いや。言えないっていうか、オレにもよくわからないことだから」

「言ってみてくれないか?」

 日本では隠さなかったことだから、別に打ち明けてもいいのだが、さっきみたいなことを言われた後だとためらいがあった。

「実はこのピアス……外れないんだよ」

「外れない?」

「物心ついたときには、もう身につけてた。どういう謂われがあって身につけてるのか、オレも知らないんだ。父さんからは母さんの形見だって言われてきたけど、それだけにしては絶対に外れないピアスなんておかしいし」

 曰くがあると言えばあるのだ。

 外れないピアスなんて、どう考えても普通じゃない。

 亜樹の言いにくそうな説明に、リーンも難しい顔になっていた。

 できるならエルスたちは呼びたくない。

 だが、この話が本当なら亜樹の問題はリーンたちの手にはあまるだろう。

 これはどう考えても神族の領域だ。

「アキは知らないかもしれないが、この世界でピアスを身につけることができるのは神族だけだ」

「さっきから何度か会話に出てるけど、なに? そのしんぞくって」

「遠く神々の血を引く一族のことだ。今の時代にはたったひとつの一族しか生き残っていない。風神エルダの血を引く一族で、我が国の守護をしてくれている。世界広しと言えども神族の守護を持っているのは我が国だけだ。おかげで他国に侵略されずに済んでいる」

「ふうん。すごいんだ? じゃあしんぞくって文字通り神の一族って意味なんだ? だから、神族なんだな」

 何度も頷く亜樹に、リーンはため息をつきつつ話しだした。

「風神エルダの守護色は白。だから、みな白真珠のピアスを身につけている。白真珠が大きければ大きなほど身に宿す力も大きく強くなる。ピアスは神族の力の源なんだ」

「こういう色のピアを身につけていた一族もいたのか?」

 不安そうに問いかける亜樹に、リーンはかぶりを振る。
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