第一章 落ちこぼれ剣士

「水を触るのがそんなに気持ちいいのか、瑠璃?」

「とってもっ。こんなに冷たいなんて知らなかった」

 振り向いた瑠璃に笑顔で言われ、真弥はちょっと赤くなった。

 瑠璃が少女かもしれないと疑惑を抱いたせいだったが。

「湖ってどうしてこんなにきれいなの? どうしてこんなに大きいの?」

 はしゃいで問われて真弥は呆れてしまった。

 興奮しているせいか、言葉遣いが変だ。

 隠すのを忘れているとしか思えない。

 どこから聞いても女言葉である。

(やっぱりこの子、女の子なんだ。にしても、ちょっとひどくないかい? これで性別や素性を隠そうとするのは無謀だ)

 思わず複雑な気分になる真弥である。

 瑠璃はあまりに世間知らずすぎた。

 これでは素顔で接していたら、瑠璃を騙して手に入れようとする男なんて、さぞ大勢いるにちがいない。

 その当人がこれほど無防備でいいのだろうか。

 自分が性別や素性を偽っていることすら忘れている。

 おそらく本来は素直で嘘なんてつけない少女なのだろう。

 真弥が1番親しい少女は、どちらかといえばワガママで、いつも振り回してくれる。

 そういう意味で瑠璃のような少女は意外ですらあった。

 こんな娘もいるんだ?

 と、妙に感心してしまっていた。

(なんとなく可愛いね。口に出したら赤くなりそうだけど)

 クスクスと笑う。

 その笑顔で我に返ったのか。

 瑠璃が困ったような顔になった。

 どうやら自分がはしゃぎすぎて、羽目を外したことに気づいたらしい。

 これではイジメているようだ。

 これは話題を変えるしかないらしい。

 本来なら突っ込むべき場面かもしれない。

 だが、真弥にはどうしても瑠璃が間諜だとは思えなかった。

 だとしたらとんだ無能者である。

 どうして素性を隠すのか、どうして性別を偽るのか。

 それは付き合ってみればわかる日がくるかもしれない。

 そう判断をくだした。

「夏の終わりとはいえすぐに日が暮れるから、あまり遅くなると危ないよ?」

「うん」

 ここへきた目的に対するものだと知って、瑠璃がふしぎそうな顔になる。

 バレていないのだろうか?

 すっかり隠すのを忘れていたのだが。

 まあいい。

 今は知りたいことを訊ねるべきだから。

 真弥が自然に湖の畔に腰かけて、瑠璃がちゅうちょしていると声を投げてきた。

「座らないの?」

「え? でも、土の上に直になんて」

 呆れる深窓の令嬢のごとき発言に、さすがの真弥もあっけに取られた。

 村長の娘でもこんなことは言わないだろう。

 村長と呼ばれているが、他の部落や国と比較して言うなら、一応、国主である。

 つまりその娘は王女と呼ばれるべき立場なのだ。

 真弥は安岐(あき)のことはよく知っている。

 その安岐ですら、こんな言葉は言ったことがない。

 いったいどういう育ちなのだろうか。

「気になるなら、これでどうかな?」

 呆れつつも手持ちの布を隣に敷いてやる。

 すると、瑠璃はあからさまにホッとした顔をした。

 それでも何故か近づいてこない。

(?)

 しばらく見上げていると、真弥とその距離を見比べているようだった。

(ふうん)

 と、ひとり納得する。

(この娘ってどうやら男と付き合ったことがないんだね)

 それがはっきりわかるほど恥じらっている。

(たぶん近づいたこともない。それで迷ってるんだ? いったいどんな立場の姫なんだ?)

 さすがに非常識な瑠璃に悩んでしまう。

 もうすこし離そうかと思ったところで、瑠璃がおずおずと近づいてきた。

 そのままおっかなびっくり隣に腰かける。

 ここまで怯えられると、なんだかなあといった気分だった。

 それでもすごく勇気を出したのだろうということは、すぐに見抜ける。

 臆病な娘ではないらしい。

 それに戦について知りたいと言ったときの眼。

 あれはふしぎな瞳だった。

 まるですべての責を背負っているかのような厳しい瞳だった。

 現実から眼を背けずに受け入れようとする者の眼をしていた。

 だから、断りきれなくてここにいるのだ。

 本当にこの瑠璃と名乗っている、自称少年はいったい何者なんだろう?

「それでなにを知りたいって? ぼくに答えられることなら答えるけど?」

「うん。戦について知りたい」

「大雑把に戦と言われてもね。それこそ規模も理由も様々だし」

 困ったように言うと瑠璃が隣から見上げてきた。

 振り向いた黒い瞳に違和感を感じる。

 瞳も睫毛も黒、だ。

 伏せられたらさぞ長いのではないかと思わせる睫毛が震えている。

 なのに髪は亜麻色?

 怪訝に思ったが真弥にはわからなかった。

 この当時、カツラは非常に高価な代物だったので、その名前すら知らない者の方が多かったために。

「じゃあ半年前に起きた戦は? あの理由はなんだったの?」

「半年前って弥(ね)の国とやりあったときのことかな? どうしてきみがそんなことを知っているんだい?」

 真弥の問いには複雑な意味があった。

 瑠璃が女の子だと、ほぼ確信している真弥には、瑠璃がそういうことを知っている方がおかしかったのだ。

 戦いを生業とする者や、それに関わった者は知っているだろう。

 だが、部落の大部分の者は詳しいことを知らされない。

 それが戦の常である。

 特にこの部落は大きい。

 戦う者と護られる者。

 その区別ははっきりしている。

 剣士の仕事がなにか。

 そんなことすら知らなかった瑠璃が、知っていても構わない知識ではないのだ。

 が、やはり瑠璃には通じなかった。

 よほど世間を知らないらしい。

「あの戦はどうして起きたの? 向こうが仕掛けてきたから? この部落を護るため?」

 真面目な顔で言われ、どういう意味だろうと悩んでしまった。

「どこから出るわけだい? その理由は?」

「どこって……その……」

 まさか戦の託宣を求められたときに、理由として村長から聞いたとも言えず、瑠璃は口ごもった。

 これは言えないらしいと判断して、真弥が呆れたように言い返した。

「あれはどちらが悪いとも言えないね」

「何故?」

「だって領土を奪いあっただけだから」

 あっさり言われて瑠璃は絶句した。

 そんな理由で戦を起こし、人々が生命をかけたのか?

「弥の国はね。かなり豊かではあるけれど、弱小国でもあったからね」

 それは瑠璃も知っている。

 だから、仕掛けてきたと聞いて驚いたのだから。

「当時は軍事力の強化を図っていて、この部落にも目をつけていたんだよ」

 ここまでは瑠璃が聞いていたとおりだ。

 どこから事実がねじ曲げられたのだろう?

「なにしろこの部落を護る巫女殿は、この近隣でも1、2を争う能力の保持者。欲しがる者は後を絶たないからね」

(わたしが原因?)

 声にならない声で呟いて、瑠璃は震えだす。

 知らなかった自分の価値を知らされて。

「それにこの部落は国ではないけれど、国といっても通用するほど領土が広いだろう? だから、まあそういう小競り合いはよくあるんだよ」

 思いもしなかったことを告げられて瑠璃はため息をつく。

「戦のときに非難されないやり方で戦おうと思ったら、相手に先に攻めさせればいい。そうすれば正当な理由ができて、相手の領土を奪うために戦いを仕掛けられる。あれはそういう戦だったよ」

 戦が勝利したことは知っている。

 では、弥の国はどうなった?

「弥の国はどうなったの?」

「滅んだよ」

 身体を小刻みに震えさせる瑠璃に、いったいなにをそんなに衝撃を受けているのだろう? と、真弥がふしぎそうな顔をしている。

「今では弥の国の領土はこの部落の一部だよ」

「そこに住んでいた人々はどうなったの? 戦に負けるとどうなるの?」

「そうだね。王とか、そういう君主の血筋の者は、たいてい殺されるかな?」

 それは巫女である瑠璃も含まれるのだろうか?

 この部落を事実上、統べているのは瑠璃なのだか。

 だが、力ある巫女を殺すのは絶対的な禁忌。

 ではどうなるのだろう。

「例外は巫女や神官だね。彼らだけは生け捕りにされる。守り神はどこだってほしいから。後の人々はたいていは奴隷かな」

「奴隷」

 たしかにそういう身分の者はこの部落にもいると聞いている。

 だか、瑠璃はそういう人々にも普通の暮らしをさせてほしいと、何度も村長に注意した。

 聞き入れられているかどうかは、瑠璃に確かめる手立てはなかったが。

 結局、瑠璃は託宣するだけの巫女で、実質的な権限はすべて村長のもの。

 ただ瑠璃の託宣なくして村長が動けないというだけのものだった。

 だから、瑠璃が奴隷たちを庇っている以上、そうひどい扱いは受けないはずだ。

 それは瑠璃の託宣に背くことだから。

 巫女が口にしたことはすべて託宣。

 特にそれが「望み」という形であれば、すべて意味を伴う。

 だから、安心していたのだが、本当のところはどうなんだろう?

「この部落にも奴隷はいるよね? 彼らはどういった扱いになっているの?」

「そうひどい扱いではないと思うよ。むしろ厚遇されている方じゃないかな?」

 そう言われてホッとした。

「なんでも巫女殿がいやがるらしくて、村長も手が出せないらしいから。巫女の託宣に背くととんでもない事態になるからね」

「……それって村長は不本意ってこと?」

「そりゃあ奴隷は貴重な労働力だから」

「奴隷といっても同じ人間よ。生命の価値に貴賤はないわっ」

 思わず叫んでしまったが、言葉遣いを直していないことにも気づかなかった。

 そのくらい腹を立てていたのだ。

 知らなかったではすまない。

 では瑠璃がもし奴隷のことなど意識も向けなければ、彼らは人間らしい扱いもしてもらえず、いつかは病にかかり死んでいったことだろう。

 無知とはなんて重い罪なのか。

 瑠璃が憤っているのを間近でみて、真弥はまた驚いていた。

 ふしぎな考え方をする娘だと。

 それは真弥自身の考えでもあった。

 今まではだれも同意してくれなかったけれど。
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