お題 プラネタリウム



想い人に意を決してプラネタリウムに行かないかと誘った。その時のぼくはマフラーで顔が半分隠れていたけれど、きっと赤くなっていたに違いない。でもどうしても誘わないといけない。そう思ったんだ。



◇◇◇



チリさんがナッペ山に来て一緒に見上げた夜空。ここへは絶対に昇ることのない天体を見たいと小さく呟いた願いを叶えてやりたかった。

「ナッペ山のお星さんはほんま綺麗やな」
「まぁ、綺麗だとは思うけど、こんなのいつものことだよ。見えすぎてなにがどれの星座かなんて分かんないし」
「なははっ、相変わらずリアリストなんやから。 ……なぁ、グルーシャは南十字星って見たことある?」
「南十字星って……サザンクロスのこと?流石にないよ。スノボの遠征でも行ったことないし、もちろんここじゃ見れるわけないし。チリさんは見たことあるの?」

サザンクロスと言えば、南半球のごく限られたところでしか見れない十字形の星座ではないか。ぼくの人生とは全く重なることのない星達だろう。そんなこちらの様子に気づくこともなく、なおも彼女は星空を見上げたまま呟く。

「チリちゃんは一回だけあるなぁ。パルデアに着く前、武者修行してたアローラで見た南十字星はむっちゃ綺麗やった。また見たいとは思うけど、長期休みなんて夢のまた夢やしな」

諦めたように笑った彼女を見たら、なんとかしてやりたくなり気づけば細い腕を掴んでいた。

「行こう。ぼくがチリさんに見せてあげる」
「見せるったって、どうやって……」

突然のぼくの行動に呆気にとられ、大きな瞳をぱちくりしている珍しい表情の奥には、微かな期待が見え隠れしていた。

「任せなよ。来週末、リーグに迎えに行くから予定空けといて」
「おおきにな、グルーシャ。楽しみにしとる」

半ば強引に取り付けた予定に、訝しがりながらも首を縦に振ってクスリと笑ったチリさんはいつもより大人の女性に見えた。



◇◇◇



次の金曜の夜。約束通りリーグへ向かうと既に仕事を終えていたチリさんが掌に息を吹き掛けながら待っていた。

「チリさん!」
「おお~っ!グルーシャ、お疲れさんなぁ」

赤くなった掌をぶんぶん振りながら出迎えてくれている姿を見たら、自然と足が速まり自分が着けているブルーグレイの手袋を彼女の冷たくなった掌に被せる。

「ありゃ、早技。ハルクジラのこおりのつぶて並やん」
「ごめん。ぼくが遅くなったせいで冷えさせちゃったね。今まで使ってたので悪いけど、行くまでそれ着けてて」
「寒さは大丈夫やねんけど。まぁ、せっかくやしご厚意に甘えとくな。……これ、めっちゃ温いなぁ」

頬へ擦り寄せて手袋の感触を確かめている姿に腕が伸びるのをぐっとこらえて、コートのポケットに手を突っ込み歩き出す。

「行くよ。迷子にならないように着いてきて」
「へいへい。よろしゅう頼んます」

チリさんを連れて来たのはハッコウシティにあるプラネタリウム。パルデア一の大きさを誇るここでは、夜の上映も充実しており仕事終わりの恋人たちがシアターへ吸い込まれている。ぼくたちも端から見ればそのように見えるのかもしれないが、悲しいかな隣から聞こえるのはけろりとした声。

「おおっ!プラネタリウムやん!チリちゃん、久しぶり過ぎてなんや興奮してきたわ!グルーシャはどれくらいぶりなん?」
「ぼくもプラネタリウムなんて行かないよ。ナッペで星は見えるし、そもそもどっかのリーグのせいでそんな時間ない」
「あはは~、そら耳が痛いセリフやなぁ。じゃあ、お互い初心者同士っちゅーことでまったり見ようや」

デートと思っているのはこちらだけで、彼女は友達と遊びに来たような振る舞いだがこれで今はいい。自分もまだ恋に割く心の余裕はないし、ただチリさんの笑顔を見れればそれで……。

二人でシートへ横並びになって沈み込むと徐々に照明が暗くなり、ちょんちょんと隣から控えめに腕をつつかれ小言で話し掛けられる。

「なぁなぁ、手袋返すの忘れとった。これ、おおきに」

手に握らされる手袋。戻ってきたそれには彼女の温もりがまだ残っていた。距離を取ろうとする彼女の掌を気づけば握り締め、離すことができそうにない。

「あの……」
「手袋貸してたからぼくの手も冷えた。チリさんのせいだから温めてよ。……この上映中だけでいいから」

我ながらとんでもないことを言ってしまったが、もう後には引き返せない。暗がりに浮かび上がってきた星の輝きに照らされた紅眼を見つめると、ふいと目線を反らされるものの掌は柔く握り返される。

「……チリちゃんも手袋返してもうて寒いから、 グルーシャがあっためてや。ほれ、始まるで」

掌を通して交換し合う温もりが、ゆっくりと心を包んでいく。

──次に東の空から昇ってきたのは南十字星です。

アナウンスが流れぼくらの真上にサザンクロスが瞬いている。初めて見た空に輝く十字架はとても神々しく美しさに満ちていた。隣にいるチリさんを見やると、ぱちりと目線が絡み空いている腕で星を指差し微笑んでいる。

──綺麗やな。

そう微笑んだ彼女がなにより美しくて繋いだ掌に力を込めて返事を返すことしかできなかった。

プラネタリウムを出てからは、二人とも言葉を発することなく彼女の家まで歩を進めていく。ジムリーダーと四天王としての距離を越えてしまった。彼女の気持ちを確かめることもなく思わせ振りなことを多々したことへの罪悪感が雪崩のように押し寄せてくるが、不思議と後悔の念は無かった。チリさんのアパートメントの前の信号が点滅し、走って渡りきったチリさんと渡らなかった自分。この数メートルがまるで今のぼくらの距離のようだ。

「じゃあ、ぼくはここで。今日は付き合わせてごめん。それじゃ……」

ポケットに入ったまま、着けることの出来ない手袋を握り、彼女へ背を向けると街の静けさに響く彼女のアルトボイス。

「グルーシャ!あんたと南十字星見れて嬉しかった!ほんま、今日はおおきに!」

その響く声は大きいくせにどこか震えて聞こえる。この距離では彼女の表情までは読み取ることが出来ない。信号が青になると同時に彼女の元へと駆け出し、細い身体を腕の中へと閉じ込める。

「チリさん……。今夜は離れたくない。このままチリさんを一人占めしていたい」
「…………今夜だけでええの?うちはグルーシャのこと、ずっと一人占めしたいけどな」

素肌の掌が再び合わさり、指を絡め合う。この温もりからも、自分を見つめてくれる瞳からももう逃れられるわけがなかった。

「いいよ。チリさんにぼくをあげる。その代わりチリさんを頂戴」

二人を見下ろす夜空に南十字星は昇っていないけれど、ぼくらの心には同じ輝きが瞬いていた──。


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