お題 ごめんのメモとプリン



ことは一時間前に遡る。

昨夜の夜更かしのせいで遅めの朝食を二人でとっていた。何気ない会話。これからの予定の確認。笑顔を交えながらごく当たり前のやり取りをしていたのだが。彼女の言葉を聞くや否や、箸を乱暴にテーブルへ置くと鬱憤が口から出てしまった。

「……チリさんの分からず屋。ぼくにはぼくのやり方があるんだからほっといて」
「おーおー、せっかく善意で言うてんのになぁ。そんなにチリちゃんの意見が気に食わんのやったら実家に帰らせてもらおか」

バンッと机を叩く音と共に椅子から立ち上がり、緑髪を翻して背を向けようとする身体を肩を掴んでこちらへと振り向かせる。

「それとこれとは話が別。ここから居なくなるなんて許さないから。チリさんが出てくって言うんなら、ぼくが出てけば同じだろ」
「ちょっ、グルーシャ!本気なん!?」
「じゃあね」

頭に血がのぼり息巻いて我が家から飛び出してきたものの。外の空気に当たって冷静になってみると、己の短絡的な物言いと包容力の無さに後悔が押し寄せる。何より一番胸を占めているのは彼女が恋しくてならない寂しさだった。

道に落ちている小石を蹴ると、自然と足が向かう先は二人で住み始めたばかりの愛の巣だった。

「意思よっわ……」

手には詫びのアイスが提がる。手持ちポケモンが作った保冷剤のお陰で足取りは重くても、アイスが溶ける心配はないはずだ。

「どうしよう。別れるって言われたら」

悪い想像ばかりが頭を駆け巡り、心に影を落としていく。売り言葉に買い言葉でついアツくなってしまった。なんでこういう時に限って絶対零度のクールな対応が出来ないんだろう。彼女の前だといつもこうだ。これじゃいつまで経っても頼れる大人の男像へは近づけないではないか。自問していると気づけば既に我が家は目の前。

恐る恐る玄関のノブに手をかけると扉が開く。ぼくがこの家を出た時は確かに鍵はかけたはずなのに。 不用心にもほどがある。恋人にまた小言を言いたくなる気持ちをぐっと堪えてリビングへ進むと、彼女の相棒であるドオーが所在なさげにローテーブルの周りを這っていた。

「ドオー、お前一人?チリさんはどうしたの」

ぺちぺちと短い足(ヒレか?)で示すのは先ほどまで二人で一緒にいたダイニングテーブル。そこには少し震えた字で「ごめん」と一言だけ書かれたメモ。そしてぼくの好きなプリンが添えてあった。

「チリさん……」

意地っ張りで弱みを他人に見せようとしない彼女の精一杯の謝罪。さっきまで渦巻いていた怒りも不安もどこかへ消え去り簡単に彼女を許してしまう。惚れた弱みと言えばそれまでだが、結局は自分がチリさんから離れられるはずがないんだ。

彼女の部屋へ向かおうとすると「そっちじゃない」と言わんばかりに、ドオーが後ろから彼女の部屋の反対方向へと足を押してくる。

「ここ……ぼくの部屋なんだけど」

こくこくと頭を縦に振って肯定すると踵を返してリビングへ戻っていく、敏い彼女の相棒。

「ありがとう、ドオー」
「どーお~」

控えめに鳴いたその声色は主人を頼むぞ、と激励されているように感じるのはこちらの都合のいい解釈だろうか。

ゆっくりとドアノブを回すと、部屋の奥にあるベッドにこんもりとした山がある。その可愛らしい山を包み込むようにそっと抱き締め素直になってみる。

「……ごめん。ついムキになってきつい言い方になった。目玉焼きなんて好きなものかけて食べたらいいよね。チリさんがソースが美味しいって言うなら次は食べてみるから」
「………………」
「ねぇ、まだ怒ってる?チリさんの声が聞きたい」

一向に返事が返ってこない。これはかなりご立腹なようだ。どうやったら許してもらえるか頭をフル回転させつつ、毛布をそっとめくると正座をしたまま枕に顔を埋めた恋人が小さく丸まって眠っていた。これは以前ポケモンの動画で見せてもらった……

「ごめん寝……だっけ」

ああもう、可愛すぎやしないか。

きっとぼくが家を飛び出てから慌ててお詫びのプリンを買いに行き、いつ帰って来てもいいように鍵を開けっ放しにしておいてくれた。でも耳タコになるほど言い聞かせている防犯のために、ドオーを番犬代わりに出しっぱなしにしていたんだろう。最終的にこの部屋に入り込んだはいいものの、待ちくたびれて寝てしまった……といったところか。

とても愛らしい体勢だが、このまま眠るのは人間にとっては厳しいものだろう。華奢な身体を横に倒して手足を伸ばしてやると、幾分楽になったのか表情が少し緩んだ。

「……グ、ルーシャ……ごめん、なぁ……。チリちゃんとこに帰ってきてや……」

夢の中のぼくに謝っているのか、掌を強く握られる。まるでもうどこへも行かせまいとするかのように。

「大丈夫、チリさんの傍にいる。もう離れないから安心して寝てていいよ」

こちらの言葉が聞こえたのか、すぅすぅと穏やかに眠った彼女を見ていたら急に瞼が重くなった。やっぱりチリさんの傍が一番落ち着く。握られた掌はそのままに、彼女を腕の中へ閉じ込めるとこちらも意識を手放すことにした。


「おやすみ、チリさん」


目覚めた恋人の大絶叫が寝室に響くまで、残り二時間──。

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