出会いと軌跡
今までの練習のお礼とトリック完成の祝いを理由にグルーシャを何度か食事に誘ってはみるものの、返ってくるのは「忙しい」「先約がある」「体調が悪い」と突っぱねられてばかり。リーグで顔を会わせても目線を反らされ必要最低限の会話しか交わしていない。しかも必ず他の職員が帯同しているため、プライベートの会話なんて出来る筈もなく。
「絶対避けられとる」
執務机に頬を預けるとひんやりとした感覚が肌を震わす。避けられている理由に思い当たる節はいくつもある。自分のせいで過去の傷を抉るようなスケボーの練習に付き合わせ、あまつさえそのせいで変な輩に因縁を吹っ掛けられ嫌な思いをさせてしまった。そもそも貴重な休日に接待のような形にさせてしまったからかもしれない。
「望み無し……やな」
せっかく心の距離が縮まって会話も弾み、笑顔も多く見られるようになったのに。行き場のない彼への思いをどうしたらいいのか分からず天を仰いで顔を腕で覆った。しかし、いつまでもめそめそしているのは自分らしくもない。吹っ切るためにも机の上に積まれた仕事へと気持ちを切り替えた。
数日そのように、がむしゃらに仕事へ打ち込んで気持ちを紛らわせていたが、タイミング悪くトップからの命でナッペ山への出張を打診された。他の人にお願いしようにも皆それぞれ仕事があり、渋々了承する他なかった。
久しぶりのナッペ山は積もった雪もだいぶ溶け歩きやすいにも関わらず、足取りはひどく重たい。
(あ。ピアス付けたままで来てもうた。もうそんな寒ないけど、一応外しといた方がええか)
初対面で忠告されて以来、ナッペ山へ赴く際は注意していたのに今日はどうにも気もそぞろのようだ。コートのポケットに外したピアスを無造作に突っ込むと、とぼとぼとあの日のグルーシャの背中の温もりを思い出しながら歩を進める。すると前方に雪山らしからぬ可愛らしい青い小花たちが咲き誇っている。思わず駆け寄ろうとすると足が取られ、覚えのある浮遊感が身体を襲う。
「うっ、うそやろーーーー!!!」
自らへの盛大なツッコミと共に奈落へと落ちていった。
◇◇
「チリちゃん、いつの間にこんな腑抜けてもうたん」
まさか人生で二回もクレバスに足を取られ真っ逆さまになるとは思ってもみなかった。しかも今回は土地勘のないところに自分一人。おまけに左足首を捻ってしまったみたいで立ち上がることもできない。なんとか身体を起こし這いずりながら壁に寄りかかると、ただのクレバスではなく奥行きのある洞窟のようになっているのが分かった。しかしこの先がどこかに繋がっているのか確認しようにも動くのはこの足では厳しい。
「……っ、今度はほんまにアカンかもな……」
飛行できるポケモンを自分は連れていないし、こんなところで叫んだとて気づいてもらえるはずもない。右膝を抱えると前回の時のことを思い出す。
グルーシャと軽口を言い合った。
彼とポケモンとの絆を目の当たりにした。
初めて見た笑顔に胸が動いた 。
「そっか……あん時にはもうグルーシャのこと……」
鈍い自分に嫌気が差す。膝を抱え直すが段々と足首の熱が上がる一方、逆に身体は冷えてガクガクと震え出す。ポケモンはモンスターボールに入っているから当分の間は大丈夫だろうが、早く見つけてもらわないとこの子達も危険なことに変わりはない。
「堪忍なあんたら。こんなところでおっ[[rb:死 > ち]]ぬトレーナーで。最高の仲間やった。……ほんま神さん恨むわ」
5つのモンスターボールを一つずつ撫でていく。グルーシャにも伝えたいことがたくさんあったけれど、最後に浮かぶのはたった一言。
──あんたのことが好きやった。
瞼に映る笑い合ったグルーシャの顔を思い浮かべながら、ゆっくりと意識を手放した。
◇◇
「……リさ……チリさんっ!……チリッッ!!!」
自分の名を呼ぶ切羽詰まった叫び声が聞こえる。
(ああ、ついにお迎えが来よったか。でも思ってたより冷たないんやな。ひんやりして気持ちええくらいやわ)
心地よい場所を撫でるとそこは先ほどまで熱と痛みを持っていたところではないか。それにこのナッペ山らしからぬ空気の温さ。これはうちのポケモンの……!
「バクーダ!あんたなんで勝手に出て!雪崩が……!」
血の気が引いて飛び起きると、心配げにしているバクーダとその奥には巨体のハルクジラが見えた。ハルクジラの発する冷気のお陰で自分の周り以外は凍てついた温度のままのようだ。ほっと胸を撫で下ろすとこのハルクジラには見覚えがあった。足首の患部に巻かれた繊細な氷、そして首からさがっている赤と青のマフラー。
まさか!勢いよく振り向くと、今まで見たことのない焦った顔が目の前に迫ってくる。それは夢にまで見た逢いたかった人。
「このバカッッッ!!!あんたは何度言ったら分かるんだよ!」
「んなっ!バカやのうてアホにせぇ言うとるやろ!……でもまぁ、今回は確かにバカやったから返す言葉もあらへんけど……」
ごもっともな罵詈雑言に俯くことしか出来ず、己の不甲斐なさにぐぬぬと拳を握っていると力強く身体を包まれる。背中へ回された腕は力が込められているのに微かに震えている。
「何度だって言ってやる。あんたは大バカだ。トップからチリさんが来るって聞いたのにいつまで経っても姿が見えない。ぼくと会いたくないから帰ったのかと思ってリーグに確認しても戻ってないって言われて……。急いで探しに来たらこの有り様だ。なんでバクーダ出さなかったんだよ!」
「せやかて雪崩起こして皆に迷惑かけたな……」
「そんなのどうだっていい!チリさんが生き残る方が何よりも大事だろっ!!」
「グルーシャ……」
「……いい加減にしてよ。勝手にぼくの心に入り込んで固めていたのを溶かしただけじゃなく、ぐちゃぐちゃに踏み荒らしていってさ」
「うっ、ぐちゃぐちゃってそんな泥まみれみたいに言わんといてや。でもそこまで気分悪うさせてたんやったら、もうグルーシャとは会わんようにする。今まですまんかったな」
失恋確定。告白しなくて正解だった。元から玉砕は見えていたし、グルーシャをこれ以上困らせなくて良かった。それどころかここまで嫌われていただなんて、ショックを通り越していっそ晴れ晴れする。これで心置きなく彼への想いを断ち切れる。ぐっと肩を押し返そうとするが、そうはさせじと更に触れ合う面積が増える。
「違う……。チリさんのせいじゃないのは分かってる。心が溶けるのが分かっててあんたに近づこうとした罰なんだ。柄にもなくチリさんと一緒にいたい。もっと知りたい。近づきたいだなんて思ったから。ぼくは今まで通りずっと一人で……」
段々と力が抜けて離れようとするグルーシャの胸ぐらを掴み、顔をぐんと近づけ目と目を合わせる。
「なにアホなこと言うとんの!人と近づきたい思うことの何がいけないん!?人もポケモンも話して触れ合って、ぶつかりながら絆が芽生えるんやろ!あんたのポケモン達思い出してみ!」
「チリさん……」
「うちは……!あんたとポケモン達との絆が眩しくてあったかくて素敵やと思った。そんな優しい人が一人でおるなんて絶対許さへん。あんたのええとこはうちが一番知っとるんやからっ!!」
駄々をこねるように叫び終えると、急に冷静になる頭。これ、普通に告白するよりはずいこと言ってもうたんとちゃうか。自分でも顔が熱くなるのが分かる。きっとグルーシャの目には真っ赤になった自分が映っていることだろう。
「ありがとう。そんな風に言ってもらえただけで十分だよ。ただ前にも言った。危機感持った方がいいって。恋人に誤解されるから、あんまりそういうことは気軽に他人に言わない方がいい」
「…………ん?ちょい待ち、恋人ってなんやねん。うちそんな人おらんけど」
「まだ言ってなかったの?チリさんのことだからトリックが完成したその日にでも告白したのかと思ってた」
まさかグルーシャはずっとこちらの気持ちに気づいていなかったとでもいうのか。こっちはあんたに会いたくて、少しでも近づきたくて死に物狂いで練習していたのに?
「グルーシャって女たらしなんか、鈍いんか分からんやっちゃな」
「むむむ。どういう意味だよ、それ」
「そのまんまや。ちゅーか、チリちゃんが告白しようにもどっかの誰かさんが逃げまくるからそんな機会ないんよなぁ」
「……そう。見る目ないね、そいつもあんたも。自分を好いてくれてる人を無視するようなやつのどこが良いんだか……っっ、ごめん!失言だった、今のは忘れて……!」
「確かになぁ。その人、口は悪いわ態度もデカイわでうちのこと舐めとんのかって思っとったけど、それは優しさの裏返しでな。ポケモンとの絆が深うて、辛い過去があった場所でも自分の仕事に誇りをもって取り組んでる心が強い人なんや」
「…………もういいって」
ポケットへ手を突っ込んで背を向け、こちらを拒絶する冷たい声を吐かれる。そんな彼の背中に向けて秘めてきた想いを投げつけていく。
「でもな、分かりづらい性格してるその人が心からの笑顔を見せてくれるとこっちもつられて笑ってまう。軽口叩きあってもお互い素でいられて、その人の傍におる時がチリちゃん一番落ち着くんや。せやから時間作っては会いに行って少しは距離も縮まったと思てたのに、どうやら望み薄みたいでな」
「やめろって言ってるだろ!そんな話、聞きたくない」
「いいや、やめん。これでしまいや、耳かっぽじって聞き。うちの好きな人は人に近付くことを怖がってる寂しがり屋でな。せやからチリちゃん決めたんや。その人の傍で一緒に笑って、辛い時は飛んでいって抱き締めたるって。ちょうど今がその時みたいや」
いつもは大きい背中が今はやけに小さく見える。足を引きずりながら、その背中に腕を回すとぎゅうぅぅっと力を込めて、頬を寄せる。
「誤解しとるみたいやけど、チリちゃんの好きな人はグルーシャ、あんたや。これ以上うちの好きな人、悪く言うんやったらいくらあんたでも怒るで」
「……な、に言って!嘘つくのもいい加減にしてよ」
「なにもあんたに好いてもらおうなんて思っとらん。ただ、うち人を見る目はあるんやで。せやからこの気持ちを嘘呼ばわりするのだけはやめてや」
「…………」
クレバス内に氷柱の雫がゆっくりと地面に落ちる音だけが響く。長い沈黙を破ったのはグルーシャの落ち着いた声だった。
「着いてきて」
グルーシャの腹に回していた腕を取られるとコロンと掌に落とされたのは自分のピアス。
「これ!どないしたん!」
「クレバスの入口に落ちてた。そいつのお陰でここが分かった」
「っ!そうやったんか、そら良かっ……」
バサッと彼のコートを羽織らされ、横抱きになる身体。
「たぁぁぁ!?ちょっ、グルーシャ!下ろしてぇや!自分で歩けるって!」
「その足じゃ無理。いいから大人しくしてて」
何も指示を受けていないのに、クレバスの割れ目の真下に移動したハルクジラは主人を大きなヒレに乗せ自らの頭上へ降ろすと、外で待機していたツンベアーがバトンタッチと言わんばかりに引き上げてくれた。グルーシャはポケモン達をモンスターボールへ戻すと、うちを横抱きにしたままどこかへ向かって歩き出す。辺りはすっかり日が暮れて、満月の月明かりを頼りに辿り着いたのは先ほど自分が駆け寄ろうとしたあの花畑だった。
「おおっ、近くで見るとより綺麗やなぁ!」
「もう咲き終わりだけどね。ピーク時は一面の青だったよ」
「それは勿体ないことしたなぁ。って、もしかしてここ!うちらが一緒にならした……!」
「うん。あの時の場所だよ。チリさんのお陰でここまで戻った」
ゆっくりと地面に下ろされると、隣にグルーシャも腰掛ける。あの日二人で守った地は美しく新たな命が芽吹いていた。すっかり凍えてしまったモンスターボール達も外の空気に触れさせるため腰から外して並べる。
「チリさんにここを見せたかった。こんな風に誰かと見たいなんて思うのは初めてだよ」
手袋を外した大きな掌が頬へと寄せられ、グルーシャと目が合う。
「さっきチリさんが言ってくれた言葉。ぼくには不釣り合いだ。チリさんにはもっと頼もしくて心も身体も強いお似合いな人がいる」
どうせ振るんやったらそんなこと言わんでもええのに。グルーシャに振り向いてもらえんのなら、そんな言葉なんの意味もない。涙が溢れないように瞼を閉じるけれど、耳だけは彼の言葉を聞き逃そうとはしないんやから、大概諦めが悪い女のようやな。
「チリさんがどれだけボードを頑張ってたか分かるよ。まだ始めて数ヵ月であれだけ跳べるようになったんだ。よっぽどの強い思いがないと出来ることじゃない。…………羨ましかった、チリさんにそこまでして想われてる男が。ぼくが教えれば教えるだけチリさんは上達して、そいつに近付く手助けをするのは分かってるのにどうしてもあの二人きりの時間は無くしたくなかった。それと同時に辛かった。無邪気にボードに向き合って楽しんでるチリさんを見るのが。昔の自分を重ねるだけじゃなく、ぼくじゃない他の男のために頑張ってるのは分かってるんだから」
澄んだ夜風が二人の間を通り過ぎていく。ゆっくりと瞼を開けると眉根を寄せ苦しそうに思いを吐き出すグルーシャの顔があった。
「例えチリさんが見てる先にぼくが居なくても、この時間のチリさんはぼくだけのものだって思いたかった」
「グルーシャ……」
「でも無理だった。チリさんを誰にも渡したくない。ぼくだけを見てほしい。チリさんのことを……好きになっていた、から」
言い淀みながらも瞳を反らさず真っ直ぐに伝えてくれた言葉。不器用な彼の精一杯の告白。頬にある掌に自分のものを重ね握り締める。
「なに、言うとんの。とっくの昔からチリちゃんの目にはグルーシャしか映っとらんわ。グルーシャのことが知りたくて、少しでもあんたに近づきたくてここまでやってきた。なに心配しとるんか知らんけど一回チリちゃんのもんになったからには二度とグルーシャを一人ぼっちにはさせんから。せいぜい今から覚悟しとくことやな」
「その言葉、そっくりお返しするよ。どうやらぼくは自分が思うより独占欲強いみたいだから。もうチリさんを離せやしない」
「お~、そら望むところや。ほんならうちららしく勝負といこか。どっちが最後まで相手のこと離さんでおられるか。まっ、チリちゃんの方が先に惚れたんやから勝つに決まっとるけどなぁ」
「どうだか。ぼくは後半追い込み型なんで。あっという間に抜き去ってやるよ」
悪戯っ子のように笑った顔は、画面越しでしか見たことのなかった彼本来の笑顔で。こちらまでつられて微笑んでしまった。目の端に留まっていた涙がひとつ頬を伝っていく。
「なぁ、グルーシャ。好きや。あんたのことが誰よりも大好きやで」
やっと言えた。再びの告白に目を丸くして驚いている彼に向けて、腕を伸ばそうとすると身体がぶるりと震える。
「は、はっくし!う~っ、サムッ。やっぱナッペ山の晩はまだまだ冷えるなぁ」
「……ムードぶち壊し」
「なっ!今のは生理現象やから、しゃーないやんか!あんたみたいに寒さに強ないんやから!」
「ふーん」
訝しげに見られると、花の上に並べたモンスターボールからチルタリスを呼び出した。
「チルルっ!」
「チリさん、寒いんだって。ジムに着くまであっためてあげて」
「チル……チィルル!」
チルタリスの様子がどうもおかしい。首を幾度も横に振り何かに焦って心配するようにグルーシャの傍から離れようとしない。
「ぼくのことはいいから、ほら早く」
「ちょ、ちょい待ち!どういうことやねん。もしかしてあんた、足が!」
「……こんなのいつものことだから。ちょっと筋が張ってるだけ。少し休めば治る」
いつものこと?そんなわけない。グルーシャは挑戦者と闘ってる時も、一緒にここをならした時も、スケボーの特訓中だってこんなこと一度だってなかった。だとしたら足を痛めているのは間違いなく自分のせいだろう。クレバスに落っこちた自分を探し回ってくれた。凍てつく穴の中で足を冷えきらせてしまった。こちらの足首を庇って抱えてくれた。
「ごめんなさい!うちのせいで……!」
「チリさんのせいじゃない。これはぼくの問題だからそんな顔しないで」
せめて少しでもと自分の掌で傷痕の残る箇所を上から覆ってみるけれど。人間の小さな手じゃたかが知れている。今まで照らしてくれていた月明かりに影が出来るとチルタリスがこちらを覗き込んでいた。
「チルル」
「チルタリス……そうやな、これはあんたの仕事やった。すまん、うちがしゃしゃっちゃあかんわな」
「チィ!チィルッ!」
ぐんと引っ張られグルーシャと密着させられると、うちら二人を包み込むように羽が回される。羽が重なりあう箇所は以前見た時と同じように、こちらの掌ごとグルーシャの膝に優しく触れている。
「ええの?これはあんたの……」
この子にしか許されない行為だったのではないか。横にいるチルタリスに尋ねると小首を傾げ、ひとつ横に振ると頬へとすり寄ってくれる。まるで一緒にやろうと言わんばかりの仕草に胸が締め付けられる。
「……おおきにな、チルタリス。これからはグルーシャのこと一緒にあっためていこうなぁ」
澄んだ鳴き声が夜空に響き渡る。他の誰でもない彼のポケモン達に認められたのが嬉しかった。グルーシャに視線をやると掌で口元を隠している。
「……二人ともサムすぎ」
「な~んや、照れとんのかこの色男!美人さん二人からあっためてもろて、今どんな気持ちなん!」
「……あったかい。チリさんとポケモン達が傍にいてくれて。すごく幸せだよ」
肩を抱き寄せられるとグルーシャに身体を預け、視線が交わる。
「ありがとう、チリさん。ぼくと出逢ってくれて、ぼくのことを好きになってくれて」
「…………うちのセリフ盗るんやないの。これからもよろしくな、グルーシャ」
互いに温もりを与え合いながら額をつけて笑みを交わす。そんな二人の姿を見ていたのは、空に瞬く星々と彼らのポケモン達だけであった──。
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