出会いと軌跡



グルーシャがコーチを申し出てくれた特訓も今日で五回目。お互いの中間地点であるカラフシティで、都合の合う日曜にボードを見てもらっている。ここは平らな道も多く、パーク用の専用コートもあるため初心者から上級者まで集まるいわゆるスケボーの聖地。昔、グルーシャもここでスノボのオフシーズンはボードを滑っていたと雑誌のインタビューにもあった。彼にとって思い出の場所で過ごせることを嬉しく思う。

待ち合わせ場所へ向かう道中、思い出すのは2ヶ月前の初回のやりとり。初めて外で会うということでこちらは緊張していたのに、グルーシャと来たら会うなり服装へのダメ出しが始まった。

「動きやすさと肌の露出が無いのを選んだのは合格だけど、生地薄すぎ。これじゃケガする」

肘と膝の生地を摘ままれながら、手厳しいお言葉が突き刺さる。そういうグルーシャは確かにストリート系のセットアップを着ているが、生地は厚手で説得力がある。

「とりあえず服買いに行くよ。練習はそれから」

そのままあれよあれよと言う間にスケーター御用達の店でフルコーディネートされ、着ていた服はショップバックの中に押し込められた。その後、パークを臨めるオープンテラスの喫茶店で膝を付き合わせたのだが。こちらは恐縮して目の前のアフタヌーンティーに口をつけられないでいるのに、グルーシャは砂糖を一粒ぽちゃんと溶かし入れると優雅に口へと運んでいた。

「今更やけど時間とってもろて、えらいすんません。しかも服まで奢ってもろて」
「別に。こっちが気になって勝手にやったことだからチリさんは気にしなくていいよ」
「いやでもな!こっちが休みの日に頼んでお願いしてる身やし、それに年下に奢ってもらうんは申し訳ないちゅーか」
「ここのお茶代はそっちもちじゃん」
「額が全然ちゃうやろ!」
「じゃあチリさんの論理で言うなら、コーチであるぼくの言うことに弟子のあんたは聞くべき、そうじゃない?」

うっ、そんな風に言われてしまったらこれ以上何も言えないじゃないか。

「……ありがたく頂戴します」
「そうして」

再び紅茶を口に運ぶグルーシャはまるで絵画のように美しかった。結局その日は今の自分が出来るトリックの確認と、無意識に出ている悪い癖、そして次回までの宿題を端的に伝えられ終わったのだった。




いつもの待ち合わせ場所に近づくにつれ、心拍数が速まりショーウインドで身嗜みをチェックする。そこに映る自分の姿はまるでデートの待ち合わせを心待ちにしている一人の女のようではないか。まぁ、それは表情だけで特徴的な長い髪はキャップの中にしまい込み普段以上に女には見えない風貌なのだが。

(いやいや!特訓やからこんなもんでええの!あっちからしたら上司の接待ぐらいにしか思てへんのやから。期待したらあかんで!)

煩悩を退散するように頬を二回叩いて気合を入れる。今練習中の大技を成功させて、少しでも彼に近づいてから自分の気持ちを伝えよう。いわばこれは願掛け。早くトリックを成功させてこの想いを告げたい気持ちと、このまま練習の名のもとに彼と会える機会を失いたくない気持ちとがせめぎ合っていた。

『ワアァァァァァ!!』

突如上がった歓声と大きな拍手にびくつく。

「なんやなんや、大道芸かなんかやっとんのか?」

待ち合わせの噴水前で何やら人だかりが出来ている。まだグルーシャとの時間まで間があるし少し覗いてみよう。二重三重の人垣を縫って進むとアクアマリンの髪を靡かせてボードを自在に操る想い人がいた。ラン後で火照っているのか羽織っているスプリングジャケットごとバサバサ服を扇ぐとちらりと鍛えられた腹筋が覗いて思わず目を反らしてしまう。アルクジラに持たせていたドリンクを口に含むと、キャップを目深に被り直して再び滑り出していく。

足に負担が掛からぬよう、フリップやオーリーといった花形のトリックは封印しているものの滑らかなライディングと勢いのある速度、小技の効いたトリックだけでここまで魅せられるのは天性のセンスだろう。興奮した観客達はトリックが決まる度にトリック名を叫び、時折指笛や拍手でグルーシャを称賛している。

(やっぱり今でもボード好きなんやなぁ。顔は変わらんけど目が輝いとる)

彼から視線を外せないでいるとこの友好的な雰囲気に似合わない舌打ちの音が隣から聞こえた。見上げると五分袖と七分丈のカーゴパンツの身軽な服装を着崩した男がボードを手に、タバコを咥えたまま忌々しそうにグルーシャを睨み付けている。

「けっ、デケェ技のひとつもないのにちやほやされやがって。ちょっと顔がいいだけのガキじゃねえか」

怨みのこもった言葉と同時に吐き出された紫煙。咥えていたタバコをあろうことかボードのヘッドに押し付けて火を消している。ボーダーにとって相棒とも言えるボードに対してなんてことを。

「ちょいとあんた。今のセリフ、訂正しいや。それにボードに対してなんなんその態度」
「あぁ?誰に向かって口聞いてんだよ。俺は世界ランク6位様だぜ?身の程を弁えろ」
「6位だろうがなんやろが、ボードへのリスペクト忘れた人間に偉そうに説教されたないわ」
「はっ、生意気言いやがって。上等だ、来いよ」

腕を掴まれると人垣から引きずり出され、観客達のざわめいた視線がこちらに向く。

「俺に向かってそこまで言うんなら、よっぽどのテクニックを持ってるんだろうなぁ。滑ってみろよ」
「あいにく、まだ初心者でな。お見せ出来るほどのレベルやないで」
「舐めやがってッ!」

アッパーに振り上げられた拳をのけ反りながら避けると、つばを掠めてキャップはそのまま空へと舞い上がっていった。覆うものが無くなった髪ははらりと腰まで落ちてくる。

「へぇぇぇ、よく見たら良い女じゃねぇか。今ならまだ謝れば許してやるぜ、その身体で、な」
「あんたみたいな下衆野郎、願い下げやわ」
「こんの……!」

不躾に顎を持ち上げられ、その手をはたくように振り払うと殴りかかってくる拳を受け流す。懐へ入り込み、鳩尾へカウンターを仕掛けようとするとぐいと後ろへ引っ張られる。

(しもたっ!仲間がおったんか!)
「なにしてんのっ!なかなか来ないと思ったらこんな奴に絡まれて!」
「グ、ルーシャ……」

血相を変えたグルーシャの背中へと追いやられる。いつの間にか自分達三人を取り囲むように民衆の注目の的になってしまった。目立って噂になりグルーシャへ迷惑をかけたくなかったら変装までしていたというのに、これではなんの意味もないではないか。

「ボウズ、その女の連れだったのか。どう落とし前つけてくれんだよ」
「落とし前って!あんたが暴言吐いてボードに酷いことしてたんやろ!」
「はんっ、あの程度で暴言呼ばわりとはずいぶん甘ちゃんだな。プロの世界はヤジなんて当たり前だぜ。その中で普段の自分が出せるかどうかがホンモノなんだよ」

確かにこいつの言わんとすることは不本意ながら理解できる部分もある。四天王故、バトル中にやっかみやヤジを浴びることだって少なくない。その中で冷静にポケモン達に指示を出し挑戦者の力量を見抜いていくのが自分の仕事なのだ。それはジムリーダーを任されているグルーシャとて同じこと。

「それとな、俺の縄張りで許可なく勝手に滑ってんじゃねぇよ」
「はぁ!?みんなのパークやろ。あんた何様やねん!」
「だから言ってるだろ、世界ランク6位様だって」

終始噛み合わない押し問答にグルーシャの背から前へ出ようとすると、肩に腕を回されその場を後にしようと歩を進めだした。

「勝手に邪魔して悪かったね。ここへはもう来ないから。さ、チリさん帰るよ」
「ちょっ、グルーシャ!言われっぱなしでええの!?」

こちらの言葉を無視してずんずん進もうとするグルーシャの前に、ボードを突き付けた男が立ち塞がる。

「そんな謝罪で済むと思ってんのか?それにお前、随分ちやほやされてたじゃねぇか。よっぽどボードに自信があるんだろ、ボーダーなら勝負でケリつけようぜ」
「あいにく勝負に興味ないんで。失礼します」

男の横を通り抜けようとすると、腕に走るギリリとした痛み。

「いった!なにすんねん!」
「勝った方がこの姉ちゃんを好きに出来るってのでどうだ」
「……その汚い手を離せよ」

絶対零度の凍てついた声と光のない瞳が男を突き刺す。横にいるこちらまでぞわりとした悪寒が走った。

「生意気な目ぇしやがって……っ!なら勝負に乗るな?」
「いいよ、やろう」
「グルーシャ、あんた足が……!」
「チリさんは黙って見てて。こいつら頼むよ」

渡されたのはモンスターボールと羽織っていたスプリングジャケット。パーカーだけになった上半身はいささか身軽そうに見える。観衆が直線ロードの周辺を取り囲み、スタート位置に移動した二人に注目している。

「先手は俺から行くぜ。華麗なランにビビって逃げんなよ」
「勝手に言ってなよ」

荒々しい蹴りだしと共にスピードに乗る相手のボード。世界のトップクラスと吹聴するだけはあり、大技のオーリーやフリップを中心にトリックを披露していく。技が決まるたび観客の歓声を浴びて優越感に浸っている顔が憎らしいが、確かに技術は高い。

満足げにスタート位置に戻ってくるとグルーシャの耳元で何かを囁いている。男の言葉を聞くや否や拳を握り、鋭く睨み付けた。こちらを向いたグルーシャと目が合い「気張りや!」と拳を突き上げると、返事代わりにひらひらと手を上げて駆け出していく。

アンダーフリップでボードへ飛び乗り、勢いをつけショービットを連続でこなすとスピードを全く落とさないままチックタックを流れるように滑らせていく。

時折パワースライド180でブレーキをかけ、抑揚あるランをしていくと腕を上げオーディエンスのレスポンスを求めるとバックサイドターンで回転を繰り返す。その華麗な舞いと速さに歓声が沸き起こる。

再び滑り出すとエンドウォークからのオーバーを流れるようにこなし、ラストはインポッシブルピックアップでボードはグルーシャの手の中へと戻ると静まり返ったパーク広場。花形である大技は一つも無かったにも関わらず圧巻のランに観客は魅了されていた。一呼吸おいて大歓声が響き渡り、その音に驚いたムックル達が噴水から飛び立っていく。決して大技に頼らない構成力と魅せ方、そして観客の盛り上げ方。誰の目から見ても勝敗は明らかだった。

「ふざけんな!あんな初歩トリックだけで盛り上がりやがって!こっちは世界ランク6位なんだぞ!」

ボードを路面へ叩きつけ、納得いかないといった表情でグルーシャへ指を差しながら叫んでいる。それを見て観客がひそひそとざわめきだした。

──もしかして、絶対零度トリックのグルーシャじゃない?
──スノボの元世界ランク2位だった?
──パルデア6大会連続優勝だったよな?

「う、嘘……だ、ろ……」

自分が見下していた相手の正体を知り項垂れる男。その顎に今度はグルーシャがボードを突き付け、顔を持ち上げると言い捨てる。

「誰の連れに手を出したか分かった?6位サン」
「~~っっ!! お前なんか、大技の1つも出せない足のくせに!」

ビクッと身体を強張らせたグルーシャの姿を見て堪忍袋の緒が切れてしまった。

「言わせておけば好き勝手言いよって!せやったらその大技を跳べばグルーシャの完全勝利やな!うちが代わりにやったるわ!」
「何言って!チリさんのはまだ完成してな……!」

グルーシャが止めるのを振り切ってボードへ飛び乗る。

スピードに乗って大地を蹴って駆ける。
うちの想いも一緒に乗せてこのランに賭けたる。
あんなやつにうちらは、グルーシャは負けへん!
うちの一世一代の大技決まれ!

「跳べ、チリッッ!!」

ずっと練習してきたバックサイド180

グルーシャの掛け声が聞こえ、今までにない身体の軽さと浮遊感を覚える。ボードが足へ吸い付くように高く跳び、身体をひねる。

「わっ、とっと!」

ガンっとボードは音を立てて着地し、ぐらつきながらもなんとかバランスを取ってスピードを落としていく。散々グルーシャにお小言を食らっている悪い癖である着地のブレがまた出てしまった。今日もネチネチ言われると思っていたら、観衆からの大きな拍手でトリックが成功したことがわかった。称える歓声と拍手にあいつがいつの間にか姿を消していることに気づく余裕なんてなく。ボードを抱えトリックが成功した興奮冷めやらぬままグルーシャの元へ駆け寄ると初めての温もりに包まれる。

「やったでー!グルーシャ、跳べ……っ!!」
「おめでとう。きれいに跳べてたよ」
「!?!?ちょっ、人が見とるって!!」

パルデア人からすればハグなんて大して珍しくもない光景なのだろう。指笛と歓声で煽っているが、こちとらちゃきちゃきのコガネ人だ。付き合ってもいない人間同士でのハグはハードルが高過ぎる。慌てて離れようとしても、グルーシャは離すどころかより力を込めてくるのでこちらもおずおずと手を背に回す。

「グルーシャのお陰で成功したで。ほんま今までおおきに。迷惑ばっかりかけてもうて、すまんかったなぁ」
「ううん、チリさんが頑張ったからだよ。本当におめでとう。……これでもう」
「ん?」

──お役御免だ

グルーシャの温もりがゆっくりと離れていくが、同時になにか呟いていた。はっきりとは聞こえなかったが無性に心がざわつく。 言わないと。願掛けでバックサイドが跳べるようになったら告白するって決めていたじゃないか。パーカーの裾を掴んでグルーシャをこちらへ振り返らせると驚いた表情で見つめられる。

「チリさん、どうした……」
「あんな……うち、グルーシャのことが!」
「「きゃーーー!スノーボーダーのグルーシャさんですよね!ずっとファンだったんです!サインくださーい!!」」

突如自分と彼の間に流れ込んできた女性の集団に、出掛かっていた想いは飲み込まれてしまった。女性達の向こうで困ったように応対しているグルーシャを見ていたら黒いモヤモヤが身体を巡り、気づけば彼の腕をとって走り出していた。

「すまんな、お嬢さん達!うちら急用入ってもうて、失礼するな」

ウインクと共に謝罪のポーズをすると、黄色い悲鳴を浴びながらその場を後にする。結局今日はこのまま解散という流れになり言葉少なに互いに帰路へと着いたのだが、身体も心も不自然な距離を感じずにはいられなかった。

次会う時は、きっといつも通りに話して笑い合えるはず。
そう信じていたのに──。

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