出会いと軌跡



「初めまして、この度四天王に就任したチリ言います。よろしゅう頼んます」

四天王を拝命して各地のジムリーダーへの挨拶周りもここ、ナッペ山で最後。まだ秋口にも関わらず既にリーグで過ごす真冬並のしばれる寒さに若干声が震えてしまった。 

真新しい黒グローブを差し出したが、目の前の人物は大きなマフラーで顔を隠し興味のなさそうな素っ気ない声で「どうも」と一言だけ発すると一瞬だけ手を握るや否や直ぐにコートのポケットへと引っ込めてしまった。

(これが噂の絶対零度トリックねぇ)

塩、いや氷対応とでも言うべき態度の相手を上から下まで眺め観察する。

(態度の悪さは置いとくにしても、ほんま綺麗な顔しとるわ。こりゃパッと見、女や言われても並の人間じゃ騙されてまうな)

しかし女性然とした見た目とは裏腹に、この足元の悪い雪上で突風が吹いてもぶれることのない体幹と、着こんだ下に隠れているであろう筋肉は確かに男性のものなのだろう。面接官に抜擢された持ち前の人間観察力で目の前の人物の本質を探っていく。この若きジムリーダーのこちらへの第一印象は《どーでもいい》《早く帰ってくれ》と言ったところか。にしても仕事なのだからもうちょっと表面上だけでも友好的にしてもらわないとなんともやりにくい。頭をがしがしと掻きながら、自分を置いてさっさと歩き出した背中を追った。

二人の出会いは決して良いものとは言えなかった。これがお互いの人生を変える出会いだとは今はまだ知る由もなく──。


◇◇



若くしてプロスノーボーダーとして将来を嘱望されていた天才少年。前人未到の大記録と世界ランキング一位を目前に事故で引退を余儀なくされた。

事前に知っているグルーシャの情報はこんなところだ。この少年がケガを負ったとき、自分は故郷のジョウトを飛び出し、パルデアで武者修行をしながら各地を渡り歩いていた頃だった。特段興味のない話題だったが道中の街や治療に訪れたポケモンセンターで、少年の大記録達成なるかの高揚感や悲劇的な結果は群衆の反応で知り得ていたのだが。

(そうかあのぼん、あかんかったんか)

自分の力量を信じて疑わずライバルを挑発する物言いをしていた少年は、見る影もなく腕で顔を隠し痛々しく担架に乗せられていった。傍らのチルットとアルクジラが傍を離れることなく会場を後にしていった映像が彼を見た最後の姿だった。

今はスノーボードの世界から引退をし、何の因果か自分の夢を奪った山でジムリーダーの任に就いている。まともな精神なら二度とこの山を踏むことなどないだろうに。何が彼をこの山に縛りつけているのだろうか。力量確認と称したバトルの中でグルーシャの一挙手一投足から寡黙な彼の真意を探りだそうと技を繰り出す。

「マニューラ、シャドークロー」
「ナマズン、だいちのちから!」

バトルコートが揺れ、マニューラの鋭い爪がナマズンの背に当たるか否か。パンパン!と乾いた音を響かせバトルの中止を知らせるとピタリと動きを止める二匹。

「はいはーい、ここまででええやろ。よう鍛えられとるポケモン達やったなぁ」
「……よく言う。今のだってわざと隙を作ってマニューラを懐に入れたくせに」
「さぁ、それはどうでっしゃろ」

なるほど。あちらもバトルを通じてこちらの品定めをしていたようだ。口にするのは最低限の指示のみで、表立って手持ちポケモンに感情をぶつけることもない。しかし驚くほど統率の取れたポケモン達から、トレーナーへ忠誠を誓い慕っているのがバトル中とモンスターボールへ戻っていく時からも伝わってくる。

(ジムリーダーの素質は充分ってわけやな)

オモダカの抜擢はここでも冴え渡ったということか。毎度毎度、適材適所に人を配置するのがお得意なこって。ここには居ない上司への皮肉を心の中でぼやくと、グルーシャへと歩み寄り右手を差し出す。

「グルーシャ。引き続きナッペ山ジムリーダーとしてこの山と挑戦者達を守ってください」

自分の突然の口調の変化と差し出された手にグルーシャは一瞬目を開いて驚いた様子だったが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻ると今度はしっかりと握手を交わす。すると彼の後ろに控えていたチルタリスがグルーシャの傍へと歩み寄る。

(あん時のチルットか)

担架に運ばれた時と同様にグルーシャの傍で彼を見つめている。随分と信頼関係が深いのだろう。今まで尖った氷のようだった彼の目元が少し緩み、優しく羽を撫でている。

「チルタリスと仲がええんやね」
「え……あぁ、子供の頃から一緒だから。そういうあんたのドオーだって随分と懐いてるみたいだけど」

今回のバトルで出番のなかったドオーが背後から自分に構え構えとのし掛かかろうとする巨体をなんとか支える。

「なはは、甘えたちゃんやからな。昔からこんなもんや」
「ふーん、大事にしてあげなよ。……そういえば、あんた次ここに来る時はピアス外して来ることだね。耳、切り落としたくはないでしょ」
「急におっそろしいこと言うなや!」

無表情なまま指で耳を切り落とす仕草をされ、発言の真意に身震いする。こちらが慌ててピアスを外す様を見てチルタリスと顔を見合せながら微かに顔を綻ばしている。

この子はポケモンの前でだと無意識に本来の自分に戻っているのだろう。きっと本当の笑顔はこんなものではないはずだが、いつか心からの笑顔が見れたらいい。そんなことを頭の片隅でぼんやりと願いながらチリは山を下りた。



◇◇◇



初対面から2ヶ月後。再び訪れたナッペ山はすっかりと佇まいを変え、辺り一面極寒の銀世界になっていた。幸いにも吹雪は止んでいてちらちらとダイヤモンドダストが舞う一方、木々は氷を纏い不気味に聳え立っている。あらゆる物音は新雪へと吸い込まれ、響くのは自分が運転しているスノーモービル特有の雪を掻き分ける音のみ。ようやく明かりの点いたジムへと辿り着くと、音を聞きつけて中からジムの主自らがおいでなすった。

「まいど!チリちゃんや……」
「なにもこんな日に来なくても。あんた物好きだね」

開口一番、こちらの挨拶を遮って溜め息と共に皮肉たっぷりの嫌味を浴びせられる。カチンと脳天に来たが、こちらは年上かつ上司の余裕で貼り付けた笑顔で冷静に応対する。

「本物の冬の厳しさを知らんと自分の上にいる資格あらへんやろ」

各土地の特徴、そしてその場を任されているジムリーダーを知った上で、その彼らを越えるような力を持たないと四天王として心から認めてはもらえないだろう。もしも自分の立場が逆だったら、口だけでふんぞり返っている四天王の下で信頼関係を築きたくもないし、命を賭けて仕事なんてやってられない。ジムに背を向けロトム片手にずんずんと進んでいくと後ろから少々声を荒げた声が掛けられる。

「ちょっと!どこ行くつもり。ジムはこっちなんだけど」
「雪が降ってへんうちにポケモンセンター行っとこ思て。一人で大丈夫やから、自分はジムの中に戻っといてええで」
「……はぁ、あんたバカなの?土地勘の無い人間が一人でうろうろしないでくれる」
「あんなぁ、バカやのうてせめてアホって言うてくれん?ちゅーか、ポケモンセンターはこの坂上ったらすぐやん。大丈夫大丈夫」
「バカもアホもどっちも一緒じゃん。都会にいらっしゃる四天王さんはご存知ないと思いますけど、ナッペの天気はすぐに変わる。今が晴れてると思って気を抜いてると、5分後は吹雪で何も見えないなんてザラだよ」
「うっ……」

正論をぶつけられぐうの音も出ない。この山を知り尽くしてる彼が言うのだからそれが正しいのだろう。しかし、こちらもハイそうですかと引き下がるような可愛い性格ではない。どうしようか逡巡していると、やれやれといった様子で大きな溜め息と共に問われる。

「……で、ポケモンセンター行きたい理由は?」
「今度は雪ん中でグルーシャ君とバトルしよ思て。本来のナッペ山のフィールドで勝たんことにはうちのこと認めてくれんやろ。それにはこちらも相応の準備せんと勝てんことは、この前のバトルで分かっとるからなぁ」

首に巻かれているマフラーを鼻先まで上げ、しばらく考えこんだかと思うとこちらの横を通りすぎていく。

「ちょい待ち!どこ行くん!」
「ポケモンセンター行きたいんでしょ。とっととついてくれば」

これはつまり道案内を買って出てくれた、と思って良いのだろうか。分かりづらすぎる彼なりの気遣いに自然と笑みが浮かぶ。すたすたと慣れた様子で雪坂を上っていく背中へ追い付くとエルボーを一発お見舞いするが、体幹がいいグルーシャは一歩もびくつかないのがこれまた憎たらしい。

「こんの色男!もちっと分かりやすく言わんと女の子にモテへんで!」
「興味ないんで。そういうあんたはモテて大変そうですね」
「せやねん。チリちゃん、女の子からモテるから困っとってー。っておい!今のどういう意味やねん!」
「どうってそのまんまの意味…………危ないっ!!」
「えっ」

こちらへと振り向いたグルーシャの叫びと共に足元が崩れ落下する身体。グルーシャの手がこちらへと伸び咄嗟に掴むが、雪山の足場ではさすがに二人分の体重を支えることができず彼もろともクレバスの中へと落ちていった。


◇◇


「いたたた。ひどい目に遭うたわ」

新雪がクレバスの上にうっすら積もり、それに気付かず乗って足を踏み外ししたのだろう。幸いなことに暗い谷底へまっ逆さまではなく、高さはそれほどなかったため落ちた入口も手を伸ばせば届く所に見えてはいる。ただ自力で上がるには身長が僅かに足りず、仮に届いたとしても再び足場が崩れるかもしれない恐れがありそうだ。

「こりゃ、あかんわ。すまんなぁ、グルーシャ君、うちのせいでこないな目ぇに遭わせてもうて。大丈夫やった……って、どないしたん、その顔!」

お得意の嫌味口撃もなくやけに静かだと思っていたら、左膝を押さえ苦悶に顔を歪めるグルーシャがいた。落ちた時にこちらを庇い、膝を痛めたのか。しかしそれにしてはやけに辛そうにしているが……。

「別に……これぐらい問題ない。……いつものことだから」
「何言うてんの!?そない真っ青な顔で言われても説得力無いで!待っとき、今バクーダで暖を……」
「止めろ!こんなところでバクーダを出したら、あっという間に雪が溶けて雪崩が起きる!」

そうだ、これじゃバクーダは出せない。もしも雪崩が起きでもしたら、ここだけじゃなく麓にまで被害が及ぶ。いついかなる時も冷静に周りの状況を判断し、自分のことより大局を優先する。

(この子……この若さでパルデア最難所を任されてる理由はこっちが本当の理由やったんか)

しかしいくら雪崩を起こさないためとはいえ、このままという訳にも行くまい。何かないかと辺りを見渡していると、小さく舌打ちが聞こえこちらへ声が掛かる。

「あんた……そこに落ちてるぼくのモンスターボール拾ってくんない」

指差した先には落下の際に腰から外れたモンスターボールが一つ落ちている。急いで彼のもとへ届けると、オープンボタンを開けるか一瞬躊躇しながらも小さくため息をついてボタンを押した。飛び出して来たのはチルタリス。心配そうに喉を鳴らしながらグルーシャの傍へ寄り添い、心得たかのように彼を包み込む。両翼が重なる一際温かくなる場所に、彼の押さえている患部が来るよう抱き締めている。

「大丈夫だから……そんなに心配するな」

今まで聞いたことのない柔らかい声色でチルタリスを労う。

(そうか、チルタリスに心配かけたないからボールを開けるかどうか悩んだんか)

美しきポケモン愛とトレーナー愛に涙腺が緩む。どうにも自分はポケモンが絡むと涙上戸になってしまう。ぐすぐすと涙を拭っていると、ぎょっとした目でグルーシャがこちらを見ている。

「なに泣いてんの。どっか痛めた?」
「ちゃうちゃう、自分とチルタリスの絆の深さに感動してもうて。うちは居ないもんと思って、どうぞ気にせんと続けてや」
「続けてって……ぷっ、ははっ!なに言ってんのあんた!変な奴」

鼻水をチーンと盛大にかんでいると、チルタリスと顔を見やった後なんのツボに入ったのか身体を震わせながら笑いをこらえている。その表情はどこにでもいる年相応の青年のものだった。やっと彼の笑顔を見れ、胸が少し揺さぶられたことにまだ気付いていなかった。


その後、グルーシャのモスノウが外へ助けを呼び、駆け付けた人達によって二人とも無事に脱出できた。ジムへと戻るとグルーシャは治療のため医務室に、こちらは浴場へと案内される。ここで温かい風呂に入れるのは正直有難い。ナッペジムには悪天候で下山できなかった挑戦者たちのために簡易的ではあるが宿泊施設の設備も整っている。数人でも入浴が可能なゆとりある大きい湯船に浸かると自然と漏れる声。

「あ~~~、沁みるなぁ~」

まるでどこぞのおっちゃんかのようにしみじみと湯を堪能する。タオルを頭に乗せ、ふんふんと鼻歌を口ずさみながら身体を伸ばす。

ふと思い出すのは先ほどの光景。あの膝の痛がりようと、チルタリスの手慣れた処置。憶測に過ぎないがスノボの大会で負った古傷が疼いたのではなかろうか。あの悲劇の事故から3年は経っているはずだが、まだ痛むとは心身ともに辛いことだろう。それにしてもそこまでしてなぜナッペ山に居続けるのか。ぶくぶくと湯に顔を沈めしばらく考えたが止めた。自分がどれだけ想像しても詮ないことだ。身体も温まり、タオルを巻いて扉を開くと何かにぶつかった。

「いっった!なんやの!?」
「!!?」

まるで極道者もん同士が道を譲り合わず、肩をぶつけ合うかのようにおもいっきし強打する。そこには腰にタオルを巻き、上半身裸のグルーシャが目をまん丸にして立ち尽くしていた。その左膝には手術痕が痛々しく刻まれている。

「ありゃ、グルーシャ君やん」
「あんた…………女……?」

ゆっくりと指を差されるが、ひどく動揺した様子で問われる。

「そうやけど。今までチリちゃんのことなんやと思てたん」

腰に手を当てふんぞり返る。武者修行してた時には裸の付き合い(タオルは巻いていたが)でおっちゃんたちと温泉に入ることも多々あった。別に見られて困るような女性めいた体型もしていないが、改めて女かと問われるとそうだ、としか言えない。

「っっっっ!!ごめんっ!!」

ピシャリと扉を閉められ一人浴室に取り残される。

「ちょっ!いきなり閉めるんやないわ。自分、風呂入りに来たんやろ、はよ入りぃ!」

扉を外と内とで引き合い、ぎぎぎと不穏に軋む音が鳴っている。

「そんなことどうでもいいから!なんであんたがこんなとこに居るのさ!」
「ここの職員がお風呂勧めてくれたんで、お言葉に甘えさせてもろただけやんか!」
「…………聞いてないし……」

怒りと呆れが混ざった低い声が扉越しに聞こえる。なるほど。治療を終えて身体を温めようとしたら、連絡不行きで先客がいることに気付かずバッティングしてしまったのか。

「ええから、はよ入りぃ……やっ!」

両手で取っ手を掴み渾身の力を入れ、ガラリと扉を開ける。開いた反動でバランスを崩したグルーシャの前に仁王立ちする。

「ほれ、まだ足痛むやろ?手貸したるさかい掴まり」

少し屈んで手を差し出すと、あからさまに目線を反らされ一人でさっさと立ち上がった。

「……あんた、やっぱ大バカ。自分の状況よく考えなよ。サムすぎ」

睨み付けるかのように視線が刺さり、再び勢いよく閉まる引き戸。

「なに、あの態度」

余りにも人を拒絶する言動に流石の自分も頭にきた。しかも今回は大バカ呼ばわりときたものだ。そりゃ自分の縄張りに二度目ましての人間が先に風呂に浸かっていたらいい気はしないだろうが。それにしてもあの言い草はないんじゃないか。

(ポケモンにはあんなに優しいのにな)

チクりと胸が痛む。なぜだかよく分からないこの痛みを振り払うように曇るガラス扉越しに、中へいる人物に向けて「いーっ!」と子供のように威嚇をした。


◇◇


脱衣所前の休憩室でモーモーミルク片手にグルーシャの特集がされている雑誌を読んで彼を待つ。ほどなくして幾分顔色の良くなったグルーシャが現れた。目が合うと途端に視線を外され、額に手をやり大きなため息を吐いている。

「…………まだ居たの」
「さっきはえらいすんませんなぁ。伝わってなかったとはいえ、このジムの大黒柱より先に一番風呂いただいた形になってしもて。やっぱりちゃんと謝っとかんとと思て」
「いえ、こちらこそちゃんと確認せずに………………すみませんでした」

心にも思っていなさそうな謝罪をされるが、こちらは大人やからこれで流しといたるわ。

「んじゃさっきのはこれにてチャラ言うことで。今日はもう本気のバトルどころやないんで、お暇しますわ」
「待って。ぼくはともかくとして、あんたはそれだけで平気なの?」
「平気?なんのこっちゃ」
「だから、その……男に……裸を見られたのに」
「ああ~!そんなん慣れとるし全然気にしてへんで。あ!さてはグルーシャ君、うちがトップにセクハラやー言うてチクる思とんのやろ。さっきのは二人だけの秘密にしとくさかい、墓場まで持ってったるから心配せんとき~」

ひらひらと掌を後ろ手に振り、その場を去ろうとすると手首を思いきり引っ張られ壁へと押し付けられる。

「そんなこと言ってるんじゃない。ぼくだったからいいけど、もう少し女としての危機感持ちなよ」

さほど高さの変わらない眼前にある澄んだ蒼に瞳を射抜かれる。ほんの一瞬の出来事なのにやけに長く感じるのは柄にもなく息をのんで緊張しているからだろうか。ふいと視線を反らされると手首の熱さも一緒に遠ざかっていく。

(なんやったん、今の)

可愛らしい少年だと思っていたが、どこがだ。
真剣な表情。熱っぽい瞳。
鍛えられ引き締まった身体。

(めちゃめちゃ大人の男やんけ)

今更になって顔に熱が集まり、ぶわわっと赤くなる。この胸の高鳴りを誤魔化すことも出来ず、チリはようやくグルーシャのことを一人の男として意識したのだった。


1/6ページ
スキ