お題 記念日じゃないケーキ


──ピロン

仕事用の端末画面に新着メールを知らせるアイコンが表示される。すぐに目を通すと、この後会合予定だった先方からの予定変更の知らせだった。

「ありゃ、予定キャンセルになってもうた。ってことは、思ったよりはよ上がれるなぁ。どないしよ」

トップに見られたらお小言が飛んできそうだが、腕を頭の上で組み椅子を船のように揺らしながら宙に向かって呟く。このまま久しぶりの定時上がりを満喫するか、溜まっている事務作業に手をつけるか悩ましい。ふと目に留まったのは今朝方、食べ物には目のない同僚からもらったケーキ屋のチラシ。チラシには《新規オープン特別サービス!!》と銘打って、3個購入するともう1個無料で好きなケーキが貰えるクーポンが付いている。

「折角やしこれ持って会いに行こかな」

思い浮かぶのは遠距離恋愛中の恋人。いくら無料と言っても自分一人でケーキを4個も食べるのは、チラシをくれた同僚じゃあるまいし出来っこない。ちょうど場所はハッコウシティにあるようだし、ケーキ屋に寄ってから彼の家のあるフリッジタウンに寄ればちょうど良い時間になりそうだ。恋人とケーキを食べながら、のんびり過ごすのもたまには良いかもしれない。早速ロトムでその旨をメールすると間髪入れずに電話が掛かってきた。

「はいな、チリちゃんやで」
『仕事お疲れ様。メール見たよ。お誘いは嬉しいけど、せっかく早く上がれるのにいいの?ぼくのところなんかに来るより自分の時間を過ごした方が……』
「こら。ぼくのところなんか、って言わんの。久しぶりの自分の時間やからこそ、グルーシャと一緒に過ごそ思たんに。でもグルーシャが迷惑や言うなら止めるわ」
『ごめん。迷惑なわけないよ。チリさんが来てくれるのに嬉しくないわけない。会えるの楽しみにしてる』
「そうそう。変に謙遜されるより、素直な気持ち言われる方がうちも嬉しいで。ほんならまた後でな」
『うん。気をつけて来て』

ネガティブ発言をしそうになるグルーシャにストップをかけ、彼の隠しがちな真意を聞き出し満足する。通話が終わるとズボンのポケットへ手を突っ込む。

「今日はこの合鍵使えるやろか」

出てきたのはアルクジラのキーホルダーがついた彼のアパートメントの合鍵。そして彼の手元には、ウパーのキーホルダーがついたうちの家の合鍵を渡してある。自分が居ない時でも自由に入っていいとお許しをもらえてはいるものの、実際にコレを使ったのはまだ数回しかない。この時間ならグルーシャより早くアパートメントに着くはずだ。そうと決まれば善は急げ。コートとチラシを手にし、リーグを足早に後にした。


◇◇


フリッジタウンの郊外。ナッペ山の麓近くにあるアパートメントの角部屋の前で仁王立ちしてどれだけ経ったか。鍵を差し込んでは引いて、を繰り返す。気付けばここへ到着した時には上り始めたばかりの満月はそこそこの高さに上がっていた。

「なにをビビっとんねん!女は度胸!いけ、チリちゃん!」

電気は点いていないのでまだ家主は帰っていないはず。だからこそ、今扉を開けたら完全に自分だけが彼の部屋にいることになる。思えば今まで合鍵を使った時はグルーシャが在室していた。先ほど電話をした際も特段慌てた様子は無かったグルーシャのことだから、見られて困るものはないのだろう。浮気相手とベッドでこんにちは!なんてこともあり得ない……はずだ。そうは言っても無人の恋人の部屋は緊張しないはずがないだろう。

──ガチャ

「開いた……。そらそうやな。お邪魔しまーす……」

ノブをゆっくりと回し、忍び込むようにそろりと玄関へ入るとグルーシャの香りが鼻腔を擽る。靴は散らばることもなく下駄箱に収納され、三和土たたきに出ている靴も隅に整然と並べられていた。手にしているケーキを冷やしにキッチンへ向かうと、寝室の扉が完全に閉まりきっておらず室内が見える状態になっている。

「珍し。グルーシャが開けっぱやなんて」

閉めようとドアノブに手を掛けるとベッドが不自然に膨らんではいないか。まさかほんとに間男ならぬ間女が寝室にいるだなんてドラマ顔負けの筋書きだ。真相を確かめるべく、足音を立てずにベッドへ近寄って思いきり布団を剥ぐと現れたのは人間のフォルムとは程遠い……

「ど、ドオー……のぬいぐるみ……?」

おおよそグルーシャには似つかわしくない、可愛いフォルムとつぶらな瞳が家主のベッドの中央を陣取り、こちらを見上げている。

「なんでグルーシャがこんなもの……」
「チリさん!!」

本物より随分と軽いドオーを抱き上げると、ドタバタと鳴る大きな足音と共に名を叫ばれる。振り向くと血相を変えた家主のグルーシャが扉の前で息を切らして、扉に寄りかかっていた。

「あ、お帰りなさい。合鍵使てお邪魔しとるで」
「ああ、うん。ただいま。合鍵使うのは全然いいんだけど、その……見た、よね?」
「見たって、ああこれ?ドオーがお行儀よく布団で寝とったで。可愛らしかったなぁ」
「~~~っっ、サムすぎる……っ!」

腕で顔を隠しながらしゃがみこんでしまった。

「大丈夫かいな。疲れたんならさっさとお風呂入って寝よか。ケーキは明日の朝にでも食べればセーフやろし。待っとき、急いでお風呂沸かしたる」
「待って。疲れてるわけじゃないから、ここにいて」

グルーシャの横を通り抜けようとすると屈んだままの彼に手首を掴まれ足を止められる。よく見ると疲れているというより、照れて顔を見られたくないようだ。ああ、なるほど。抱えているこの子が原因か。

「そない恥ずかしがらんでも。このドオーぬいぐるみ、めっちゃかわええし男が持っとったって変なことあらへんよ」
「……半分はそうだけど、もう半分は別の理由だよ」

人を見る観察眼は鍛えているつもりだったが、他にも理由があったとは。でもグルーシャが言いたくないのなら別に聞き出すつもりはない。どんな趣味や嗜好があろうと、それが彼の一部なら驚くのは失礼だろう。

「そっか。ほんなら一緒にケーキ食べよ?グルーシャと食べるの楽しみにしとったん」
「残りの理由は聞かなくていいの?」
「言いたないなら、チリちゃんかて無理に聞きとうない。グルーシャとるときは楽しいこといっぱいしたいし、うちに対しても無理して欲しない」
「……ほんとチリさんには敵わないな」

立ち上がったグルーシャにドオーのぬいぐるみと共に抱き締められる。

「好きだよ。チリさんといるとなんでこんなに落ち着くんだろう。カッコ悪いとこばっか見られてるけど、チリさんといて無理なんてしたことない」
「こらまた突然の告白やな。そんな風に想ってもらえて嬉しい。グルーシャにカッコ悪いとこなんかあらへんし、うちもあんたと居ると落ち着くで」

ドオーを落とさないよう空いている片腕だけを彼の広い背中へ回すと、抱き締められる腕に力が込め直された。グルーシャが満足いくまで抱き締められたままでいると、しばらくしてゆっくりと身体が離れていく。

「そろそろケーキ食べようか。チリさんの好きなコーヒー豆買ってきたから淹れるよ」
「ほんま?おおきに!ほんならグルーシャの紅茶はチリちゃんが淹れよか」
「それは今度お願いしようかな。今日はぼくもコーヒーな気分なんだ。チリさんは食器用意してくれる?」
「よっしゃ、任しとき。あ、この子置いてくるな」

元の場所へと戻そうと踵を返すが、ドオーはこちらの手元から離れてグルーシャの小脇に抱えられてしまう。

「いいよ。こいつも持っていこう」
「グルーシャがそう言うなら別にええけど」

どうやらこちらが思ってる以上にドオーはお気に入りのようだ。まさか寝室だけでなくダイニングにつれていくほどだとは。自分の相棒ポケモンが、恋人にここまで慕われているのは嬉しい反面なんだかむず痒い気もする。食事の準備のために部屋を出ていこうとすると、グルーシャはクローゼットの前へ進んでいった。

「先、キッチン行ってて。着替えてから向かうから」
「ん。ゆっくりでええで」

さて。ケーキは食べる直前まで冷蔵庫に入れて冷やしておこう。やかんを火にかけ、カトラリーを用意していると着替え終えたグルーシャがドオーのぬいぐるみと一緒にダイニングへ入ってきた。グルーシャの椅子の横にドオーが置かれ、コーヒーを淹れる工程が始まる。

グルーシャの向かいは自分の指定席だ。そこに腰掛けると、カウンターキッチン越しの彼とドオーのぬいぐるみが重なって見えるため、そのなんとも和やかな光景につい笑ってしまう。目線はコーヒー豆にやったままのグルーシャがこちらへ声を飛ばしてくる。

「なに。随分ご機嫌じゃん」
「いやなぁ、グルーシャの知らなかった一面が知れたのと、このドオーやっぱめちゃかわやなぁと思て。なぁなぁ、待っとる間抱っこしとってもええ?」
「ダメ。暇ならテレビでも見てれば?今の時間ならポケモンニュースかいくつかスポーツ番組やってるだろうし」
「なんやケチ。はいはい大人しくテレビ見てますー」

テレビへと視線を向け、ザッピングしながらニュースに目を通す。カチャカチャとコーヒーカップの鳴る音と共にケーキの箱もテーブルへと運ばれて来た。

「う~ん、ええ香り。コーヒーありがとなぁ。グルーシャ、ケーキどれにする?」
「チリさんが先に選んでいいよ。ぼくはなんでもいいし」

顔の前でパーモットのように指を振り、グルーシャの発言に物申す。

「チッチッチ。あんなぁ、チリちゃんを優先してくれる優しさは分かっとるけど、『なんでもええ』は時に『どーでもええ』と思われてまうよ。自分の好きなもんは正直に言わんと。これから先、何回こんなことあると思ってんの。そのたんびに『なんでもええ』って遠慮しとったら窮屈なるで」
「ふっ、これから先、か」
「なにその顔。急にニヤニヤしよって」
「いや、ぼくとの未来を考えてくれてるんだなって思ってさ」
「っっ!そ、らまぁ考えてない言うたら嘘になるけど。合鍵も渡し合っとるわけやし、何も変なことやないやん」

努めて冷静に誤魔化してはみたものの、図星を突かれ内心は心臓が飛び出そうだ。いつかはグルーシャと一緒に住んで、結婚して、子供が産まれて……と未来を夢見るのは恋人がいるなら当然ではなかろうか。でも男性側からすると、そんな未来のことまで考えてはいないのかもしれない。急に不安が胸に押し寄せてきた。

「ちょい待ち。あの、な。グルーシャはチリちゃんとの将来ってどう思てる?」
「勿論考えてるよ。思ってた順番と違うけど、まぁいいか。はい、これ」

渡されたのは彼の隣に鎮座していたドオーのぬいぐるみ。さっきは抱くことを許されなかったのに今さら渡されても。腕の中にいるドオーのちいちゃな瞳をじっと見つめる。

「口に手を入れてみて」
「口に?ドオー、すまんな。ちょいと手ぇ突っ込むで」

よく見るとドオーの口は横に大きく開きポケットのようになっている。手を入れると指先に触れたのは思っていたより小さく、金属のような固さを感じる。それを摘まんでドオーの口から取り出すと輝く指輪が出てきた。

「これ……」
「チリさんとの未来?そんなのずっと一緒にいるに決まってる。それはまだ仮約束のものだけど受け取ってくれますか?」

仮にしては凝った模様の彫られた、彼の想いが込められたものだと伝わってくる指輪。

「展開急すぎやって……。こんなんいつの間に用意してたん」
「急じゃないんだけどね。ずっと渡すタイミングを見計らってたんだけど、うまくいかなくて。何度もそいつに手伝ってもらってたんだ」

じゃあさっきの残り半分の理由って……。このドオーで指輪を渡す練習をしてたってこと? そんなグルーシャの様子を想像したら愛しさで苦しいほど胸が締め付けられる。生意気で負けず嫌いなくせして、肝心なところで自分に自信がなくて不安がる。でもこちらのことをめいいっぱい大切にしてくれる優しい恋人。さっき部屋に入った時のこの子は、丁寧に毛布が掛けられ大切にされていることがすぐに分かった。本当に自分のように愛でてくれていたんだ。

「ずるいなぁ……。そこまでしてくれたのに受け取らんわけにはいかんやん」
「なら良かった。やっぱり素直に思ってることは言うべきだね。これでチリさんが絆されてくれるならどんどん口に出していくよ」
「これ以上素直になったらチリちゃん照れてまうからほどほどにしてや。……なぁ、これグルーシャが嵌めてくれん?」
「いいけど、どの指にする?」

両手をするりと取られ、悪戯っ子のように微笑みながら問われる。分かりきったことをこちらに言わせようとするのは、彼の性格故か。左手の薬指をずいと彼の前へ差し出す。

「む。ここ以外に無いやろ。そういうとこほんま意地悪なんやから」
「ごめんごめん。チリさんの気持ちを確認したくて」
「何度でも言うたるから心配せんの。うちはグルーシャのことが大好き。こんな素敵なサプライズしてもらえて、チリちゃん幸せもんやな」
「それはこっちのセリフ。チリさんに好きになってもらえて幸せだよ。ありがとう」

ゆっくりと薬指に嵌められた指輪を顔の前でうっとりと眺める。

「ほんま綺麗。大事にするな。本物買いに行くときは二人で行こうな」
「それって……!」
「~~っ、もうこの話はおしまい!せっかくのコーヒー冷めてまうからはよ食べよ!遠慮はナシの『せーのーでっ!』で指差したケーキ取るのでええな!」
「「せーのーでっ!!」」

プロポーズもどきを誤魔化すように早口で言い切ると、二人指差したのは同じチーズケーキ。もう一度「せーのーで」をやり直すと今度はモンブランを差し合う。二度あることは三度あるものなのか、次はチョコレートケーキに二人の指が集まった。この分だと残ったクリームブリュレも一致してしまうだろう。

「「ぷっ、あははっ!」」
「いや、なんでおんなしのばっか差すかなぁ!」
「考えてること同じってことじゃない?にしても凄い偶然」

4個あるケーキを2個ずつ食べようと思っていたのに、結局は全種類をナイフで切り分け同じ味を一緒に楽しむことにした。

「「いただきます」」

こんな穏やかな日常をグルーシャとずっと過ごせますように。そう薬指の指輪に願ったのだった──。






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