お題 電話越しの声を聞いたら
日も沈み、ヤミカラスの甲高い鳴き声が遠くから聞こえ出す。今日は珍しく恋人との休日が重なったものの、家には自分一人だけ。彼女がいないとこんなにも部屋は広く静かだったか。ポケモンの毛繕いをして時間を潰していたが、目の前にいるアルクジラでそれもおしまい。いよいよ手持ち無沙汰になってしまった。
「そういえばチリの荷物届いてたっけ」
目線の先にはさっき届いた宅配便の荷物。そんなこと帰宅してから伝えればいいのに、何故だか無性に彼女の声が聞きたくなってしまった。
~~♪
数回のコール音の後、がやがやとした雑音の中でも決して聞き逃すはずのない、いつもより高揚した声が聞こえた。
「グルーシャ?どないしたん?」
「楽しんでるとこごめん。さっきチリ宛の荷物届いたから一応報告だけしておこうと思って」
「あちゃー、すっかり忘れとったわ。グルーシャ代わりに受け取ってくれたん?おおきになぁ!」
「ううん、どうってことない。じゃあ用件はそれだけだからもう切るよ。飲み会終わったら連絡して。駅まで迎えに行く」
事務的に用件のみを伝えて電話を切った。自分でチリの声が聞きたくて電話をしたくせに、これ以上己の知らないところで楽しんでいる彼女の様子を知りたくはなかった。電話越しに聞こえたのは男女の盛り上がった笑い声と、チリへと話し掛けられる男の声。友人だと分かってはいても、彼女のこととなるとこんなにも狭量になる自分自身に嫌気が差す。
「ほんと性格悪っ……」
ソファにずるずると沈み込むと天井を見上げ照明を遮断するように腕で目元を覆った。脳裏に浮かぶのは自分の傍にいる時のチリの笑顔と幸せそうにくっついてくる姿ばかり。
「……早くぼくのところに帰ってきてよ」
喉の奥から掠れ出た言葉は、誰にも聞かれることなく宙へとかき消えていった。
◇◇◇
──ぺしっ ぺんぺん
腹を柔く叩かれ続けていたが、一向に起き上がる気配のないぼくに業を煮やしたのか頭突きを一発かまされる。
「いった!なんだよ、アルクジラ」
腹を
「うちを狙うなんて運が悪いね」
アルクジラを後ろへ下げ、モンスターボールを手に廊下を進むと勢い良く開け放たれるドア。ポケモンを呼び出そうと投球フォームをとると気の抜ける声が玄関に響き渡る。
「ただいまぁ~!チリちゃんのお帰りやで~。ってグルーシャどないしたん、そない恐い顔して」
「チ、リ?なんでここに……。まだ時間早くない?」
扉の向こうにはこの家のもう一人の家主が、前時代的な寿司折を手に立っていた。壁に掛けられたポッポ時計を見ても飲み会終わりには向かない健全な時間を示している。
「あっちは途中で切り上げたん。なーんやグルーシャの声聞いたら無性に会いたなってしもて。ほれ、つまみも買うてきたから一緒に二次会始めんで」
(ぼくの声を聞いて……)
彼女のプライベートを邪魔してしまった罪悪感と、それを上回るむず痒い喜びがじんわりと身体を巡っていく。
「ぼくの声なんか毎日聞いてるのに?」
「それはそうやけど。好きな人の声やったら飽きもせんとずーっと聴いていたいと思わん?グルーシャはチリちゃんの声聞いてどう思った?」
チリの真っ直ぐな言葉にいつも心を射抜かれる。
どうして彼女はこんなにも素直に好意を示せるんだろう。
どうしてぼくが望んでいる言葉を掛けてくれるんだろう。
どうしてそんなに……嬉しそうに微笑んでくれるんだ。
「ぼくは……チリがここへ帰ってきてくれて嬉しい」
「そぉかぁ!ほんなら帰ってきた甲斐があるっちゅーもんや」
本音が自然に零れたら、愛しくて堪らない満面の笑顔が返ってくる。チリを腕の中に閉じ込めようと手を伸ばすと、二人の間に何かが割り込み足元にタックルしてきた。
「おおぅっ!アルクジラ~!ただいまぁ~、チリちゃんが帰ったで~」
「くぅーーー!」
アルクジラの背丈に合わせて屈んだチリに、こちらの腕は虚しくも空を掻き抱いた。きゃっきゃとじゃれ合っている二人を見たら文句なんて出るはずもなく。彼女の手から寿司折を奪うと、酒と熱い緑茶を用意するためキッチンへと足を向ける。両手が空いたチリはアルクジラのヒレをとり、もう片方の掌は歩き始めたこちらの手を握ってぶんぶんと振りだした。
「チリちゃんってほんま幸せもんやなぁー。大好きな人たちにお出迎えされて、こうやって一緒に住めとんやから」
「……なに当たり前のこと言ってんだか」
言葉とは裏腹にこちらも彼女の細い指を離すまいと力を込めて絡める。鼻歌交じりのチリを先頭に三人でリビングへと戻ったのだった。
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