かき氷を食べよう



蝉のつんざくような大合唱は体感温度を更に上げているように感じるのは気のせいだろうか。アカデミーの夏休み中であろう子供達が、モンスターボールを腰に着け虫取り網を抱えながら追い抜いていく。

(元気だな……。そういえば虫取りってどうやるんだろう。この時期は雪が少なくてスノボの練習も出来なかったからスケボーばっかしてたし)

今さらながらに普通の少年時代を過ごしていなかったことへの寂寥感を覚える。思えばスノボ一本に青春を費やしてきた人生は、世間一般の遊びも冗談も恋愛も人並みに比べると経験値不足なのは否めない。恋の分野においては特に顕著だろう。このうだるような暑さ故か最近自覚したばかりの恋の相手へ向けてなのか分からない大きな溜め息を吐いて再び歩き出す。定期報告に訪れたリーグの門をくぐった所で、またもや後ろから誰かに颯爽と追い抜かれる。

(テーブルシティの人は皆こうなの?暑さに強すぎだろ)

と心中でぼやいていると、珍しく露出している手首を取られそのまま冷房の効いたロビーへと引きずりこまれた。汗ばんでいた額をぐいと肩で拭うと、反対の肩へヒヤリとしたペットボトルが当てられる。綺麗な緑髪を翻し振り向くのは恋慕うその人に他ならなかった。

「遠い所からご苦労さん!ほれ、お駄賃代わりにこれ、飲んどき」
「チリさん……あのさ、突然引っ張られたら驚くんだけど。それにお駄賃がスポドリって子供じゃないんだから」

現れたのは四天王が一人・じめんタイプ遣いのチリ。そして密やかな想いを向けている女性でもあった。本部で会えたらと淡い期待をしてはいたが、まさかもう出会えるとは思ってもみなかった。口では悪態をついたものの想い人に逢えた嬉しさと正直喉は乾いていたので、差し入れを有り難く受け取り喉へと流し込む。口元をぐいと拭うと手が伸びてきた。

「ん」
「なにその手は」
「チリちゃんにもちょうだい。今走ってきたから喉カラッカラやねん」

けろりと言い放った言葉で呆気に取られてしまう。

(何言ってるんだよ。人が口をつけた飲み物を欲しがるだなんて)

これが自分だけならまだしも、他の男にも勘違いされる言動を繰り返しているのかと思うと胃が痛くてならない。しかしいつもより血色のよい、顔が火照っているチリさんを放ってはおけずペットボトルは弧を描いて彼女の手元へ戻っていった。自分はチリさんに特別甘いんだ。そんな分かりきったことを今更ながらに思った。

「……このど天然」
「なんやて?」
「別に」

訝しんだ視線が突き刺さるが、そんなものは無視して彼女の上下する喉の様子をじっと見つめてしまう。

「ぷはーっ!生き返ったー!」
「で?なんでこんなとこにいるの。しかもなにその大荷物」
「ああ、これ?ふふふ、後のお楽しみちゅーことで」

彼女の手には透明な袋が提がっている。その中には外から見ても目立つカラフルなボトルが数本入っていた。そこそこの重さに見えたので、彼女の手からスマートに荷物を奪おうと試みたが、ガッチリ袋を止められ片方の取っ手のみを引っ張る格好になってしまった。

(サムッ……。チリさんの前だとなんでキマらないことばっかなんだろ)

「これはチリちゃんの買い物やから一人で持てるって」
「いいから。スポドリのお礼」
「あかんあかん!半分チリちゃんも飲んでもうたし」
「いいって」

ビニール袋を間に取っ手を引っ張り合い、どちらが運ぶか揉めている間にビニール袋が徐々に左右へ伸びていく。

「分かったわ。ほんならこうしよ」

片方ずつの取っ手はそのままに、一つの袋を二人で横持ちするということで彼女の中では決着したようだ。「楽チンやなぁ~」と自分の良案に満足した様子で足取り軽く歩き始めてしまった。仕方なくこの珍妙な格好のまま本部内を進んでいく。

「まぁーっ!チリちゃんとグルーシャさんがママとパパみたいですのっ!」
「!!?」
「おーっ!ポピーちゃん!今からお勤めでっか!」

(お勤めって言い方!ヤの付く人じゃないんだから。ってか突っ込むところそこなの?)

爆弾発言を投げ掛けたポピーは、ててて、とチリさんの足元にすり寄ってきた。

「ママとパパもお買い物の時にそうやってお荷物持ったり、ポピーをよいしょしてくれるのです!」
「そらよかったなぁ。ポピーちゃんのおうちはみーんな仲良しでええね」
「はいっ!」

(え。なんでこの会話でそのまま流せるの。ぼく、男として見られて無さすぎじゃん)

こちらは幼子の発言になんて返したらいいか分からず、二人を交互に見やることしか出来ないのに。そんなぼくを尻目に、家族の話で盛り上がっていく女性陣。すると、つかの間のチリさんとの時間の終了が無慈悲に告げられる。

「ほんならグルーシャ君、ここまででええよ。トップんとこ行くんやろ?」

廊下を突き当たって左に進めば最奥にトップの執務室。右には休憩室や食堂がある。きっと二人は右に用が有るのだろう。チリさんと繋がっていたビニール袋からゆっくりと手を離す。

「グルーシャさん、お話いってらっしゃいなのです!」
「ああ、うん。いってきます」

ポピーが溌剌と手を振りながら挨拶をしてくれるので、こちらも見よう見まねで手を振り返してみる。チリさんは何故かそっぽを向いてしまい顔は見えなかったが、髪から覗く耳朶が赤く染まっているように見えたのは気のせいだろうか。熱中症でないといいが、冷房の効いた建物の中にいるしとりあえずは大丈夫だろう。トップの部屋へ向かって歩き始めると、廊下に響き渡る声が背中へと掛けられた。

「グルーシャ君!トップへの報告終わったら食堂集合な!待っとるから!」

さっきまで一緒に持っていたビニール袋を顔まで掲げ、真っ直ぐに誘われた。



◇◇◇



「さて、と。食堂だっけ」

トップとの話が終わり、半ば無理やり取り付けられた約束の場所へと向かう。食堂が近づくにつれ、わいわいと楽しそうな賑やかさが廊下まで漏れ出ている。

「チリちゃん、ごちそうさまでした!今度は違うお味で食べたいです!また作ってくださいね」
「どういたしまして。気ぃつけて帰るんやで」

小さな背中が嬉しそうに走り去っていくのを見届けると、入れ違いに食堂へと入る。

「報告終わったけど。なんか作ってるの?」
「おっ、ちょうどええところに来よった!報告お疲れさん、そこ座ってみ」

食堂に並ぶ長机の中央にでんっと鎮座するのは、腹が大きく開いたポッチャマをあしらった置物。そのポッチャマの頭をぱかりと開けると、そこへ投入したのは氷の塊。頭を閉じるとガリガリと小気味の良い音と共に、開いた腹へ置かれたガラス器に氷の山を築いていく。

「グルーシャ君は何の味がええ?そこにある中からシロップ選んだってや」

テーブルに並んだ色とりどりのボトル。さっき彼女が買い込んでいたのはこれだったのか。赤、黄、緑、白。 味の想像がつかない色もあり、気になった青のボトルを手に取ってみる。

「チリちゃんおすすめはそのブルーハワイやな。グルーシャ君にピッタリやと思うで」
「じゃあ、これで」
「はいよー!」

慣れたな手つきで青い液体が氷の山の頂上から振りかけられる。

「おまちどおさん」
「どうも」

何がなんだか分からないまま目の前の食べ物であろう物体を恐る恐る口へと運ぶ。思えばチリさんの初・手作り料理ではないか。有り難くいただくとしよう。

「……冷たい」
「そらまぁ氷やからな」
「でも美味しい」

こちらの答えに満足したのか、頬杖をついたチリさんは目尻を下げて微笑んでいる。

「氷のプロのグルーシャ君に食べさせるんはちぃっと勇気いったけど、お口に合うたようで良かったわ」
「これなんて食べ物?氷を削ってシロップかけただけ?」
「かき氷言うんよ。チリちゃんの故郷ではな、暑い時に食べる夏の風物詩やねん。ポピーちゃんとその話になって、今日は出張かき氷屋ちゅーわけや」
「へぇ、氷を食べるんだ」

母国では氷と言えば長い冬の象徴でしかないし、氷は身体を冷やすものとして避けられているため、口にするなんて考えたこともなかった。初めての甘味にスプーンを動かすペースが上がる。

「あ!グルーシャ君、そない一気に食べたら……!」

突如こめかみを襲う痛みに手が止まり、眉間に皺が寄る。

「いった……!」
「あちゃー、かき氷の洗礼受けてもうたか。じっとしてたら治るから安心してや」
「洗礼……?なにそれ」

ズキンと血管が締まるような痛みに頭を抱えると、背中を宥めるように擦られる。小さくも温かな掌のぬくもりのお陰か痛みがすっと引いていった。

「どや?落ち着いた?」
「ありがとう。ってか、なに今の。味わったことのない痛みだったんだけど」
「かき氷は一気に食べると頭キーンなんねん。神経の勘違い?で起こるんやと。まぁ、天然の純氷やったらそうはならんみたいやけどな。チリちゃんも食べたことないから試してみたいわ」
「ふーん」

今度は痛みが来ないように気をつけて、もそもそと食べ進めていると再びポッチャマの頭に氷が投入される。削れた氷に今度は赤のシロップをこれでもかとかけまくり、もはや下地の氷はうっすらと見える程度になっていた。

「いただきます!うーん、これこれ!夏来たって感じやな」
「チリさんの味は何なの」
「こっちはイチゴやな。ほれ」

べっ、と小さな舌が目の前に見せつけられると、その美味しそうな真っ赤な舌に目が釘付けになってしまうのは男の性か。なんとか煩悩を振り切って冷静を装う。

「グルーシャ君も見してみ」

妙齢の男女が舌を出し合う様は異様だろう。でもここにはぼくら二人しかいないし、チリさんに促されるままこちらも舌を出してみるとニヤニヤ笑いだした。

「ブルーハワイ食べてるんやし、そらそうなるわ!むっちゃかわええで!」
「むむ。なに人の顔見て笑ってるの」

鏡を差し出されると、青に変色している舌が映し出された。その気味の悪い色に怪訝な声が出てしまう。

「なにこれ」
「ブルーハワイやメロン味食べると、そういう色になんねん。クールなグルーシャ君がかわええ色のべろって、ギャップ萌え言うの分かる気がするわ!」

この色の舌が見たくてこちらにブルーハワイを勧めたのだろう。チリさんの掌の上で見事に踊らされてたってわけか。ぼくの舌をじっと見つめると勢いよく立ち上がった。

「せや、チリちゃんもたまにはブルーハワイ食べよ」

席を離れようとする腕を取り、振り向き様に自分のスプーンを開いた口にずぼっと差し入れる。呆気にとられながらも咀嚼し終えると口をパクパク開いた。その奥に見える小さな舌は紫に染まっていた。

「そういうチリさんも面白い色になってるよ」
「な、な、なに突然口に入れんの!か、間接チューやんかっ!」
「はぁ?何今さら言ってんの。自分だってさっきぼくが口つけたペットボトル飲んだくせに」
「あれは!喉乾いてただけで……!」
「そうやって男の気持ち弄んでるんだから、タチわっる」

ずっと心に秘めていた本音を、ついきつめの口調で言ってしまった。無言になったチリさんの方へ急いで向き直すと、拳を握って悔しそうに唇を噛んでいる。

「……自分、チリちゃんが誰にでもあんなことすると思てんの?あんなんグルーシャ君にしかせえへんわ!」
「ぼくにしか、って……」
「あっ!いや、その……っ!」

珍しく言葉を濁し、しどろもどろになるチリさんを追い立てて発言の真意を探り出す。

「シロップで舌の色が変わるなら試してみようか」
「試すって何を……グルーシャ君?」

チリさんを壁に追いやると青く染まった舌を見せつけながら顔を近づけていく。震えた手がぼくの肩を力なく押し返そうとしているが、そんな抵抗じゃ意味ないよ。ぎゅうっと目を瞑り唇は真一文字に結ばれ、これから起きるであろうことへ身体を固くして待っている。

(ま、十分懲らしめることはできたかな)

一向に動かないぼくを不思議に思ったのか、そろりと紅眼が開いたタイミングで額にデコピンを一発食らわせる。

「いっった!」
「なに本気にしてんの。ディープキスでもされると思った?」
「ーーっっ!」
「おあいにく様。誰かさんと違ってぼくは貞操観念しっかりしてるんで。付き合ってもいない人にはしないよ」

チリさんは涙目になってはたかれた額を擦っている。からかわれたことに気付き鋭い眼差しで睨まれるが、そんな顔で男を見たところで劣情に火を注ぐだけなのは彼女には分からないんだろうな。

「ネチネチと根にもちよって!はいはい、さっきはチリちゃんが悪うございましたぁ!ったく、年上の女からかうもんやないで!」
「これに懲りて他の男にしないことだね」
「自分もな!女の子たぶらかすのも大概にしぃ!」

顔を真っ赤にしているチリさんを見れるのは嬉しい。そこにはいつもの冷静沈着な四天王のチリさんではなく、素の彼女を見れた喜びが胸へと広がっていく。

しかし楽しい時間はあっという間に終わりを迎え、タイムリミットの時間をロトムが知らせる。雪山の日暮れは早い。もうここを出発しないとあちらに着く頃には月が上り始めてしまうだろう。

「そろそろ帰るよ。チリさんが今度こっちへ来る時、それ持ってきて。うちの氷でかき氷作ってあげるから」

ポッチャマを指差すと、そちらに気を取られたチリさんのスプーンを奪い取って口へと含む。甘酸っぱいイチゴ味の氷が口内でとろりと溶けていく。彼女と同じ色になった舌をあかんべーしながら食堂を後にする。

「ごちそうさま」
「あ、あ、あ……グルーシャ君のアホーーー!!」

チリさんの叫び声がリーグ内に響き渡った。




先ほどは足取り重く歩いた本部の階段も今は軽快に下っていく。チリさんといると、今まで自分の知らなかった感情がたくさん生まれてくる。遊びもからかいも恋愛も。ぼくに足りなかったものは全部貴女が教えてくれた。

今度はナッペ山で一緒にかき氷を食べよう。その時はスプーン越しではなく、お互いの味が混ざり合えればいいと、夏の太陽に願った。




1/1ページ
    スキ