特別講師・グルーシャ先生



リーグ本部から速達で届いた封筒。何事かと急いで封を切れば中から出てきたのはトップと四天王連名による通達。


            辞令

     ナッペ山ジムリーダー・グルーシャを                  
      アカデミー特別講師に任命する



「はぁぁぁ!!?」

一人きりの執務室に叫び声が響いた。




──ロトロトロト♪ロトロトロト♪

「はいなぁ、チリちゃんやで。そろそろかけてくると思っとったわ。今、手ぇが離せんから声だけですまんなぁ」

至極呑気な声が電話口の向こうから聞こえる。しかしその声の主は見えない。映し出されているのは彼女の仕事場である面接室ではなくリーグ内にある私室だろう。ジョウトとカントーの境にあるシロガネ山のポスターが見えている。

「ちょっと、チリさん。なにあの辞令。アカデミーで講師なんて初耳なんだけど」
「さっすがアオキさんのムクホーク便。さっき飛ばしたばっかやのにもう届いたんか。迅速な仕事やなぁ」

けろりと言われる言葉を聞いてムクホークとアオキさんに同情してしまう。きっと他のジムリーダーの所にも彼のポケモンが伝書鳩よろしく飛ばされているのだろう。常々思うのだがリーグの人達はアオキさんをスーパーマンか何かだと勘違いしているのではないか?彼がいつか疲労困憊で倒れないことを願うばかりだ。

「トップとクラベル校長のお考えでな。生徒の知識向上と親しみやすいリーグの浸透っちゅーのを目標に特別講師の企画をやってみるんやと。まぁ、本音はジムリーダーの人気に肖ってパルデアのバトルレベルを手っ取り早く底上げしたいんやろな」

確かにここ最近は挑戦者の数もピークに比べて右肩下がりで、ジムを突破できる強者も少なくなっている。だからと言ってジムリーダーが講師に訪れたぐらいで意欲が変わるものだろうか。思案していると長い髪を靡かせながらひょいと画面に映り込んできた。

「あ、その顔。ジムリーダーが行ったくらいで何も変わらない思てるやろ」
「うっ」
「あんたたちの人気舐めたらアカンで。ひとたび顔出しすれば動画は視聴率爆上がりの、雑誌は売り切れ。会いたいけどバトルレベルが低いと気軽に会いには行けん。要は高嶺の花やねん。そこで親しみやすく講義をしてあんたたちにまた会いたい気分になってくれれば……」
「自然とジム戦へ挑戦したくなり、そのためにバトルレベルを上げてくる。結果パルデアの全体レベルが上がるってワケ」
「そういうこと!ちゅーわけでよろしゅう頼んますわ。講義言うてもそない固く考えんでええで。自分の得意分野に関することでも、ポケモンとの関わり方でもなんでもええ。生徒達がわくわくすること教えたってや」
「何でもいいが一番困るんだけど……」

ここでいくら文句を言ったところで決定が覆らないのは分かりきっている。渋々受け入れる旨を伝えると、少し高めの甘える声が鼓膜を震わせた。

「んで聞きたいことは終わりかいな、グルーシャ・・・・・
「そっちこそ珍しいね。もうシャワー浴びてたんだ」

先ほどから声だけは聞こえど、姿は見えなかった彼女は髪を下ろしバスタオルでタオルオフしながら画面の向こうに現れた。キャミソールだけを身に纏った鎖骨に、ぽたりぽたりと雫が落ちていく様から目が離せない。

「後であんたんちのシャワー借りるのもええかな思たけどその時間勿体ないしな」
「じゃあぼくが帰ったら用意はできてるってことだね。今から急いで帰る」
「……なんの用意のことやろか。まっ、気ぃつけて帰ってきてな。待っとるで」

チャリと音を鳴らしながら映るのはアルクジラのキーホルダーがついた我が家の鍵。

今からチリと会えるのに電話した理由わけ。そしてチリもまた、ぼくから電話がかかってくると分かっていた理由。それはこれからの二人きりの時間に仕事のことを持ち込むのがナンセンスだからだ。仕事は仕事。プライベートには侵食させない。

「チリってほんと健気で可愛い。うちで待ってて」
「~っっ!もうええな!切るで!」

頬を染め慌てふためいた彼女が見えなくなると、ブラックアウトした液晶には口元が緩みきった自分が映し出されていた。



◇◇◇



チリとの電話の後、急いで山を下り我が家へ向かうと出迎えてくれたチリを抱き締め、準備が整っていたその身体をおいしくいただいた。久しぶりの恋人との逢瀬に我慢なんてできるはずもなく、その夜は長く甘い一夜を過ごしたのだった。

それから二週間後。いよいよアカデミーでの講義初日を迎える。教室へ向かう足取りは軽やかとは程遠く、頭を過るのは先日のチリとの会話。逢瀬に仕事の話は持ち込みたくはなかったが、なにぶん大勢に向けて講義するなんて人生初の出来事だ。人前で喋ることを得意とする彼女にご教授願うとつらつらと語り出してくれた。

「まずは見た目。知的で冷静に見える眼鏡なんてオススメやな。髪は纏めておいた方が清潔感がある。んでもって体型が分かりやすい服。特にグルーシャの場合、かいらしい顔しとるから、男子生徒の恋泥棒にならんよう男らしい格好で行きや」
「恋泥棒って……」

酷い言われようだが強く否定できないのも事実だ。この見た目のせいで何が悲しいか同性から間違えられて告白されることが、一度や二度ではなかったからだ。

親しみやすさということでネクタイはつけずジャケットとスラックス、少々ごつめな腕時計を嵌め、髪は一つに結んで首周りを見せればワイシャツの第一ボタンが開いた隙間から喉仏が見えるだろう。

(これでどこからどう見ても男なはずだ。いや、紛れもなく男なんだけど )

悲しいかなチリのような一人ツッコミを心の中でしてしまった。仕上げに彼女と色違いのだて眼鏡を装着すれば即席講師の完成だ。



チリからのアドバイスを思い返していると、気づけば本日のバトルフィールドである教室の前に着いていた。教材を握る手に入った力を抜くように、一つ深呼吸をしてから引き戸を開けて入室する。

「初めまして。特別講師のグルーシャです」

ざわついていた教室が静まり返ると、一瞬の沈黙の後に叫び声があちらこちらから上がった。


◇◇◇


午前のコマが終わると中庭で手持ちポケモン達を外に出し、噴水でじゃれあっている姿をぼんやりと眺める。

「随分とお疲れのようですな。コーヒー奢りますぞ」
「ハッサクさん……。ありがとうございます」

ボタンを押す電子音の後に豆を挽く音と芳ばしい香りが辺りを包んでゆく。暫くすると紙カップに入ったコーヒーが差し出された。

「どうでしたか?初めての【指導者】というものは」
「難しいですね。分かってはいたけれど、全然ダメでした。時間配分と親しみやすさの両立。それにこちらが伝えたいことを噛み砕いて説明しようとしても、そもそも個人の能力にばらつきがある。知識の浅い子に合わせようとすると深い子には物足りない。逆に深い子に合わせて専門用語を使って話すと途端に居眠りする子が増える。どうしたら全員に興味をもって最後まで聞いてもらえるか……悩ましいです」

午前の二つのコマは散々だった。一コマ目は緊張こそはしなかったものの、生徒からの個人的な質問攻めをかわしながらの授業は大して進まずあっという間に終了のチャイムが鳴った。二コマ目は初回の反省を生かし、自己紹介と質問は最低限にして講義を進めたが間の取り方、言葉の選び方、興味をもたれる構成が未熟だと痛感したのだった。

「うぼぉぉぉぉい!!!わずか午前中だけでそのように自己を省みれるだなんて!あなたは指導者としての才能もありますぞぉぉぉ!!」
「そんなものは無いですから。ハッサクさん、落ち着いてください」

ぼくの上司でもある旧知の仲のハッサクさんは涙もろく、ことあるごとに泣き叫んでしまう。善意からくる気持ちなのは分かっているが、毎度こうだとどう対応していいのか困ってしまう。

「先ほどあなたの講義を聞かせてもらいましたが、内容はよく練られていて知識としての価値は高い。ただ伝える術がぶれているのです。もしや誰かをイメージしながら話していたのではありませんかな?」

その言葉にハッとする。確かにぼくの中の理想の教師やこうあるべきという話し方をしてしまっていた。目の前のハッサクさんや恋人のチリを知らず知らずのうちに演じようとしていたのだ。

「【先生】の先輩として小生が言えることは背伸びしないことです。あなたにはあなたのやり方がある。熱くなってもクールになっても、それがグルーシャなのですから。好きなように生徒達にぶつかってみなさい!」
「そう……ですね。やってみます。ありがとうございます、ハッサクさん」
「うっ、うぼぉ……!!」
「それは大丈夫ですから。そろそろ昼休憩終わります。午後のコマ行きましょう」

再び叫び出しそうになるハッサクさんの口に手を押し当て、なんとか大声を塞いだ。ポケモン達をモンスターボールへ戻し、足早に教室へ続く階段の一段目に足をかけると楽しみを隠しきれない声が背中へと掛けられた。

「そうそう。グルーシャ。この後来るそうですぞ」
「来るって……誰がです?」
「あなたの大切な人が」
「!!」
「トップへの報告もあって各部屋を回るそうです。彼女に見せつけてみなさい。あなたの魂の講義を!」
「ええ、やってやりますよ」

ハッサクさんの檄に拳で応え階段を駆け上がった。


◇◇◇


チリがぼくの講義の視察に来たのは最後のコマだった。いつもの仕事着とだて眼鏡にジャケットを羽織った格好で、出入り口近くに寄り掛かりながらバインダーを手に何やら書き込んでいる。

ハッサクさんの助言のお陰もあって午後の二コマは生徒との距離感も講義の流れもスムーズに進んでいると思う。折に触れ手持ちポケモンをモンスターボールから出し、生身のポケモンに触れさせながら進めていった。

「──以上で講義を終わります」
「特別講師・グルーシャ先生に挨拶!」
「「ありがとうございました!!」」

日直の号令と共に終わりの挨拶をされると、パチパチパチと生徒達から拍手で見送られる。出入り口に目をやるとチリも同じように拍手を送ってくれていた。廊下へ出るやいなや彼女がヒールを鳴らしてつかつかと寄ってくる。

「お疲れ様です、グルーシャ先生。とてもいい講義であなたにお願いして正解でした。きっとトップも喜ぶことでしょう」
「いえ、ぼくなんてまだまだ全然です」
「ご謙遜を。では次の機会もよろしくお願いします」

肩にポンと手を置かれると、すれ違いざまに何かを握らされる。急いで振り向くが彼女は既に数人の女子生徒に囲まれていた。

「チリちゃん先生だー!今度はうちのクラスで講義してよー!」
「この前の講義、めっちゃ分かりやすくて面白かった!」
「はいはい、順番やから。ええ子にして待っとき」
「「キャーーッ!!!」」

相変わらず罪な発言をさらりとしている格好いい彼女。そのチリから渡されたメモを開く。

──放課後、図書室で

綺麗な筆跡で書かれたメモを胸ポケットにしまいこんだ。


◇◇◇



日も沈みかけた放課後の図書室。講義で使った参考書を手に訪れると、最後のコマだったクラスの女子生徒二名に後ろから捕まった。ため息を深く吐くと、ずれた眼鏡をかけ直す。

「グルーシャ先生、質問がありまぁす!」
「それは今じゃなきゃダメですか?」
「もっちろん!緊急かつ可及的速やかに答えてください!」
(覚えたての言葉を使いたがるのは、まだまだ子供だな)
「……いいよ。何について聞きたい?」
「グルーシャ先生は彼女いますか!?」
「そういう質問はノーコメント」
「出た!絶対零度の返し!でもそれって裏を返せばいるってことでしょ!ねぇねぇ、どんな人ですかぁ?可愛い系?綺麗系?」

全く怯む様子のない質問に思わず恋人を思い浮かべるが、確かに綺麗系の見た目ではあるけれどぼくの前では甘えたり花咲くような笑顔がすごく可愛い。顎に手を当てたまま思い耽っていると、入口から今まさに思い浮かべていた人物の声が広い図書室に響く。

「こぉら。あんたたち、もう下校時間過ぎとんで。この後大雨予報やから、急いで帰りぃ」
「チリちゃん先生だ!うわっ、空の色やばっ!」
「ほんとだ、急がないと!チリちゃん先生、教えてくれてありがとー!グルーシャ先生、またね~!」
「廊下は走らんと、気ぃつけて帰りや」
「さよなら」

隣にいるチリより控えめに手を振って生徒達を見送る。パタパタと廊下を走り去っていく二人が廊下を曲がったところで、よそ行きの声ではないアルトがかった声が掛けられる。

「で?グルーシャ先生の彼女ってどんな人なん。同僚として気になるとこやわ」
「人を呼び出しておいて第一声それなの?無意味な会話は止めたいんだけど。時間が勿体ない」
「はぁぁ、つまらんやっちゃなぁ。遅なったのは悪いけど、ほんのジョークやんか」
「ジョークね……ぼくには甘えてるようにしか聞こえないな」

出入口の鍵を下ろしカウンターにチリを押し倒すと、美しい紅の瞳がもっとよく見えるように自分と色違いの眼鏡をそっと外す。

「聞きたいなら何度だって言ってあげるよ。あんたは誰よりも綺麗で、ぼくの前では誰よりも可愛い女だって」
「一分の隙もない完璧な解答はさすがグルーシャ先生やな。でも女心は分かっとらん。チリちゃんが聞きたいんはそない模範解答やのうて、恋人としてのあんたの答えや」
「それは言葉だけじゃ足りないな。座学じゃなく実践で教えようか」
「ええで。グルーシャ先生の実地試験とやら、手取り足取り受けさせてもらおか」

伸びてきた手が今度はこちらの眼鏡を外すと、先に置いてある彼女の眼鏡の隣にそっと置かれる。

「試験開始といこうか」

降りだした雨の音が僕らの色濃い気配をかき消してくれた──。


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