お題 魔女の一撃 縋った手は



──ああ、これは夢だ。

あの日、最終滑走のラストトリック。大技を成功させると着地も決まり、ガッツポーズをしてポケモン達と抱き合う自分。その華々しい姿を観客席の最前列で他人事のように見ている本当の自分がいる。

我ながらまだ未練があるのか。あの時出来なかったトリックを決め世界ランク一位になるという途方もなく大きな夢を。

手袋の中で握っていた拳は熱をもった痛みとなって心に突き刺さる。気づけば、ひしめきあっていた観客が誰一人おらず、残ったのは同じ顔をしたぼくらだけ。突然の吹雪が二人の間に吹き荒び、向こうの自分が口を開いて何かを告げている。激しい雪と風で声は聞こえず視界も悪い。腕でなんとか吹雪を躱しながらもう一人のぼくと対峙すると蔑んだ表情でこちらを見ている。

なんだよ、その顔。勝ち誇ったような顔で見るな。お前は確かに世界一になったかもしれない。でもぼくにはこんな自分を許してくれる人に巡り会えたんだ。決して負けてはいない……!

目の前の自分が一歩横にずれると背後から人影が覗く。見間違えるはずもない。だってあの髪は……!

「チリさんは世界一のぼくにこそ相応しいひとだ。お前はそこで止まっていろ。じゃあね、世界ランク《二位》」
「やめろっ!ぼくからその人までも奪うのか!その人はぼくの…………っっ!チリさんっっ!!」

飛び起きると無機質な景色と、こちらの手を握っている蒼い顔をしたチリさんが目を丸くしてこちらを見ていた。

「ここは……」
「グルーシャ君、大丈夫!? ここはリーグ本部の医務室や。あんたトップの部屋を出るなり倒れてからずっと気失っててな。ずいぶんうなされとったで」

そうだ、思い出した。今朝から体調がそんなに優れなかったが、久々にリーグでの仕事があり想い人であるチリさんにどうしても会いたくて無理を押して山を下りたんだった。トップとの会談を終え扉を開けたらチリさんが待っていてくれて、その顔を見たら気が抜けて彼女の肩に倒れ込んだんだ。

「そう……ぼく何か言ってた?」
「うえっ!?ああ~、ええっと、うん!なんも言っとらんかったで!別に誰かの名前とか叫んだりしとらんかった!」
「………………」

額に手を当て先ほどまで見ていた夢を思い出す。これは確実にチリさんの名前を叫んでいたな。顔をほのかに朱色にしながら、誤魔化してはいるものの握ってくれている手は離そうとしないことに小さく安堵する。とりあえず嫌われてはいないようだ。

「ずっと看病してくれてたの?面接忙しいだろうに」
「今日の面接は午前中でしまいやねん。午後は時間空けとこ思てな。あいにく看護師さん今日は不在で、このままグルーシャ君一人にさせられんから。見よう見まねですまんが処置させてもらったわ」
「そうだったんだ。ごめん、せっかくの半休だったのにぼくのせいで潰しちゃったね。もう大丈夫だから出掛けてきていいよ」

本当はまだ傍にいてほしかったけれど、彼女の予定を潰してしまった申し訳なさが胸に押し寄せる。

「えっ!出掛ける予定なんかないで?」
「だって今、午後は時間空けてるって言ってたじゃん」
「そ、れは……その……」

──ロトロトロト♪

「すまんっ!電話や、ちぃっと外に出てくるな!」
「うん、いってらっしゃい」

チリさんが居なくなり再び頭が重くなった気がしてぼすんと枕へ後頭部を落とすと、先ほどの悪夢で縋っていた手が無くなった寂しさを覚える。だんだんと彼女の温もりが消えていく掌に唇を寄せようとすると、黒い影が天井と僕の間に割り込んできた。

「うわっ!」
「あら。その分だとだいぶ熱は下がったようですね?グルーシャ」
「オ、モダカさん……!」

びっくりした。そりゃそうだ。ここはリーグの本部だし、ぼくがチリさんに倒れ込んだのもその直前まで一緒にいたトップに目撃されているのも頷ける。

「ふふっ、すみません。どうやらお邪魔してしまったようで。続きをどうぞ」
「ーーっっ!」

見られていた。チリさんが握ってくれていた掌に口づけしようとしていたことを。誤魔化すように腕で顔を覆うとからかうような笑い声がクスクスと聞こえた。

「貴女ほど忙しい方がたかが一介のジムリーダーの見舞いですか?それともまだ何か御用でも?」
「あら、人聞きの悪い。あなたは私が直々に見出だしたトレーナーの中でも指折りの実力者ですよ。たかがなんて仰らないでくださいな」

いつもの事務的な微笑みではなく、まるで姉のように微笑みかけられるとどう反応していいか困ってしまう。視線を泳がせていると楽しそうな声の独り言が始まった。

「そうそう、今日のチリったらやけに仕事が早くて感心しました。どこかの誰かさんがナッペ山から下りてくると聞いて、私に時間変更まで願い出てきて。『会談は午後で頼んます!それまでに面接も仕事も終わらせますんで!』って。いつもそれくらい熱心なら有難いのですが」
「それってどういう意味……」

トップの言葉を自分に都合の良いように受け止めるとするならば答えは一つだ。

「さぁ、どうでしょうね。あら噂をすれば」

何故か紫紺の瞳がこちらに近づいてくると、ダダダダという足音と共に医務室の扉が豪快に開かれる。

「お待たせ、グルーシャ君!……ってあんたらなにしとんの!?」
「おやチリ。お帰りなさい」
「いやいやいやいや!近すぎやろ!あんたら離れんかい!」

至近距離のオモダカさんがべりっと引き剥がされる。しかし……

──え。病人の僕の方を力を込めて押し倒すわけ?

「あらあら、チリったらずいぶんと熱烈ですね。そういえば貴女のお陰で私の仕事ももう終わったんでした。私も久しぶりに今日は早く帰れます。残っているのはあなた達だけなので一晩共に過ごしても差し支えないですよ。ではごゆっくり」
「「!!?」」

リーグ本部のあらゆる鍵がついたキーリングを、ベッドへ向けて綺麗な放物線を描いて投げられる。緻密に計算しつくされた話術を持った、魔女とも言える彼女の一撃がぼくとチリさんを顔を真っ赤に染め上げた。扉が閉まるとチリさんの茜色の瞳が、ぼくから目線を反らさずに見下してくる。

「ねぇ、なんでぼくとトップが一緒にいたらあんなに焦ってたの?」
「いや、あれはな!あないにくっついとって、トップに風邪移ったらアカンと思てやな!」
「ふーん。じゃあ、なんでチリさんは午後の予定空けといたの?」
「そ、れは……グルーシャ君がここに来るって聞いた……から」
「最後の質問。どうしてぼくの上からどかないの?風邪移っても知らないよ」

彼女の頬に添えるように掌を当てると、そこに重なる温もり。先ほどまでそうしてくれていたように小さな掌で包んでくれる。

「グルーシャ君の風邪なら移されてもええよ」
「なら、移してみせようか」

細い身体を反転させてやると、マラカイトグリーンの髪が白いシーツに散らばった。

彼女が望むなら移してしまおう。
風邪も、熱い想いも、ぼくの全てを──。



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