お題 間接キスで照れる



ハッコウシティにある映画館向かいの喫茶店。そのオープンテラスで普段より角砂糖一個分多い甘めのカフェラテに口をつけながら、想い人がやってくるのを待つ。掌を擦り合わせて早く彼に会いたいと願う気持ちと、再会したら自分が言い出しっぺの約束への葛藤とで、心はぐるぐると渦巻く。

いつもならグルーシャの方が待ち合わせ場所に早く着いているが、珍しく今日はこちらが先だ。なんでも時間に余裕をもってナッペ山を下りたのはよかったが、麓で迷子の子供にぺったりとくっつかれ保護者探しにフリッジタウンを奔走したらしい。手持ちポケモン達とジュンサーさんの助けも借りて、なんとか保護者と再会でき一件落着となったようだ。

そんなこんなで遅れる旨の連絡を貰ったのだが、それは待ち合わせ時間の三十分も前のことだった。三十分前と言えばこちらはまだボウルタウンを抜け東一番と二番エリアの境辺りを通過した頃なのに、律儀というかまめというか早すぎる連絡に面食らってしまった。電話口からは終始駆け足の音と荒い息遣いが聞こえ心配にもなる。「慌てへんでも、ケガせんように来てくれればええから」とこちらがいくら言っても「貴重な二人きりの時間を減らしてたまるか……っ!」と聞く耳持たずな様子だったので、なんとか話を聞いてもらえるよう一つ趣向を凝らしてみた。

「せっかくちびちゃんのために頑張ったグルーシャにご褒美あげよ思てんやけどなぁ。チリちゃんの言うこと聞いて焦らんと来てくれたら、うた時にハグしてチューしたるで?」

こちらの言葉を聞いた途端、足音がピタリと止まった。

「それほんと?」
「ほんまほんま。ただしチリちゃんと会うた時にちぃとでも息上がっとってみ。今の話は無しやからな」
「………………」

長い無言の間がグルーシャの葛藤を物語っているよう。早く会いたい気持ちと、遅くはなるが珍しいご褒美は貰いたい気持ちとの狭間で揺れ動いているのだろう。その悩んでいる顔が目に浮かぶようで可愛らしい。

「……着くのは少し遅くなるけど必ず行くから。チリは喫茶店にでも入って待ってて。外は絶対ダメだから。いい?分かった?」
「はいはい。耳にオクタンできとるってば。ほんなら映画館前のカフェテラスにるから。そこならグルーシャが着いたの見えるやろ」
「了解。じゃあまた後で。……約束、忘れないでよ」

最後の約束を強調して言われると通話が切られる。

「心配しすぎやっちゅーの」

グルーシャが早く待ち合わせ場所に来る理由。それはこちらを待たせたくない、早く会いたいといった気持ちも少なからずあるのだろうが、一番の要因は【ナンパ防止】の為なのは分かっている。

パルデアは情熱の国と称されるほど、男女の関係がオープンで積極的に楽しむという国民性だ。街を歩いていればナンパをしている様子をよく見る。それが男性のみならず女性からもグイグイ迫るのだから逞しい。チリが一人街中で突っ立っていようものなら、性別問わず情熱的なお誘いがかかる。その現場を最初のデートで彼に見られてからは、次回以降グルーシャが先回りしてチリを待たせることのないようにしているのだ。

(とは言うても今度はグルーシャが声掛けられまくっとるけど)

そう。チリが声を掛けられないようにすると言うことは、グルーシャがそこでチリが来るまで待ち続けなければならない。チリに負けず劣らず中性的な美丈夫のグルーシャもまた、道行く人に囲まれることも珍しい光景ではなかった。

思い出すのは前回のデート。待ち合わせ時間より少し前に集合場所へ到着すると、代わる代わるタイプの違う美女に声を掛けられているグルーシャの姿があった。彼に見つからないよう物陰に隠れて観察していると、ダイナマイトボディのお姉さまが投げキッスをしたり、一見清純派のお嬢さんが獲物を狙い定めた目で道を尋ねる振りをしていたり。しかし、そのような熱烈なアプローチも主人の前に立ち塞がるツンベアーによって一歩足りとも近づくことが許されず、すごすごと引き下がるより他ない女性たち。

(ほんまパルデアの女は肉食系やなぁ)

自分の恋人が狙われていることに対する嫉妬よりも、女性達の強かさに感心してしまう。しばらくその様子を眺めていると、ツンベアーの鼻がぴくぴくと反応し主人の肩を叩いてこちらを指し示す。大通りの方を見ていたグルーシャが振り返ると、バチっと目が合う。すると今までの絶対零度の塩対応の瞳から、愛おしそうに目を細めてこちらを見ているではないか。その甘い視線に居たたまれなくなり、小走りでグルーシャの元へと駆け寄ると先ほどまでの番人だったツンベアーがすっと横にはけ、まるで許可をくれたかのように主人の元へと案内される。それがグルーシャだけでなく彼のポケモンからも自分だけは傍へいることを許されているようで、優越感を覚えたのだった──。




「あちゃー、ぬっる」

思ったより長い時間記憶を辿っていたようで、適温をとうに過ぎてしまったラテを一気に飲み干すと、ちょうど映画館の前にグルーシャがやって来た。ノールックで紙タンブラーをゴミ箱へ投げ入れ、足早に彼の元へと向かう。こちらに気づくや否や開口一番、彼にしては大きな声で「ごめん!」と叫ぶと顔の前で手を合わせている。いつの間にか彼へ移ってしまった、ジョウト流の謝罪も堂に入ったものだ。

「なに謝っとんの。悪いことしたわけでもないのに。むしろええことしたんやから胸張らんかい」
「それはそうかもしれないけど。でもチリを待たせたのには代わりないから。待ってる間大丈夫だった?」
「大丈夫やって。ほんま心配性やなぁ」

眉根を下げて申し訳なさそうにしているグルーシャに心配されるのは少し気恥ずかしいが、それだけ彼に愛されているのだと思うと柄にもなく胸が高鳴る。

「さ、行こか。そろそろ映画始まるで」
「ちょっと待って。約束は?息も切れてないよ」
「ああ~、そう言えばそうやったなぁ」
(やっぱこのまま無視はできんかったか)

出来ればこんな往来でいちゃつきたくはなかったが、何度も言うようにここは情熱の国なのだ。周りでも似たように待ち合わせをしたカップルが、再会と同時に熱烈なベーゼを交わしている。誰もこちらのことなんか気にしていない……はず。

「はいはい。約束やからな。無事に来てくれて良かったわ。あんた、ええおとんになれるで」

正面からぎゅうっと抱き締める。出会った頃より少し背が伸び、がっしりとした身体に腕を回して久しぶりに会えた喜びを全身で伝える。グルーシャからも抱き締め返されると、温もりを感じ合い二人だけの甘い時間が流れる。このままキス……はやはりハードルが高いので、目の前にあるマフラーを引っ張って頬に触れるだけのキスをお見舞いする。チュッというリップ音と共に唇を離した途端、不機嫌極まりない声で咎められる。

「……話が違うんだけど」
「そやったかぁ?チリちゃんどこにチューとまでは言うてへんかったけどなぁ」

不貞腐れているグルーシャの手を取って、映画館のエントランスに入ろうとするとぐんっと身体が後ろに引き寄せられる。バランスを崩しそうになるが腰を抱き留められ身体が反転するとパルデア流の深い口づけがふってきた。ご丁寧にマフラーで顔周りを覆われ周囲から見えないのをいいことに、ぬるりと熱い舌が入り込むと舌を絡めて口内を堪能している。久しぶりのグルーシャとのキスに腰が抜けないよう目の前のコートにしがみついて耐えるものの、こちらの弱い上顎を一舐めされて舌が去っていくと快感に身体の芯が震えてしまう。その様子をしたり顔で見下ろしてくるものだから、なんとか睨み返してみても潤んでしまった瞳ではなんの効果もないようだった。

「ご褒美なんだからこれくらい貰わないと。それに、ぼくがいいおとんになるなら、おかんは誰か……分かってるよね?」

唇を一舐めしながらいけしゃあしゃあと言ってのけている。続けて「なんか、いつもより砂糖多くない?」とキスの余韻もへったくれもないことを言い出したので、「余計なお世話や」とに照れ隠しの一発をお見舞いしてやった。

お腹を抱えるグルーシャを尻目にずんずんと映画館を突き進み、シアター最後列の自分の指定席へとどかっと座り込む。気になっていた映画は終映間近ということもあり、観客はまばらで自分達の周りには姿が見えずほとんど貸切の状態だった。少し遅れてグルーシャも隣の席に来たが、チュロスとカップに入ったミルクティーを差し出される。

「ん。チュロス好きだったでしょ。ミルクティーは砂糖少なめだったよね」

チュロスに目が無くて、紅茶は微糖派。うちの味の好みをバッチリと覚えてくれている。きっと彼のもう片方の手にあるカップには、今日も無糖の紅茶が入っていることだろう。グルーシャの心配りに感謝すると同時に、先ほどの自分の態度の悪さに反省せざるを得ない。

「おおきに。……さっきはごめんな。人前が恥ずかしゅうてかわいない態度とってもうた」
「そんなことあった?チリはいつでも可愛いけど」

映画館にも関わらず変な声で叫び出しそうになる。さらりと何を恥ずかしいこと言っているんだ。しかし、当のグルーシャはきょとんと「どの時だろ」と本気で考えこんでいる。

「さっきここ殴ってしもたやろ。本気やないにしても痛かったよなぁ」

鳩尾に手を伸ばす手を掴まれ、触れる寸前で止められると耳朶に息が吹き掛かる。

「ダメだよ。こんなところでそんなとこ触っちゃ。止められなくなるだろ」
「止められなく……っ!?」
「ほらもう始まるから、映画に集中集中」

不穏な台詞を吐いたまま、するりと指を絡めると二人の間の肘掛けに乗せられる。

(もしかせんでも二時間このまんま?)

がっちりと絡んだ指はほどけそうにない。こうなってしまった以上諦めるしかないと、貰ったミルクティーを口にする。ホッとする優しい甘さが気分を静めてくれるようだ。館内の照明が一段階落ち、上映前の注意事項が流れ始める。カップを肘掛けのホルダーに戻すと間髪入れずそのカップがグルーシャの口へと運ばれていく。視線はスクリーンから外さず、カップの間違いに気づいていないようなので耳元で指摘してみる。

「ちょいグルーシャ、それうちのやで。自分のはそっちにあるやろ」

目線でグルーシャのカップを指し示すと、薄暗い館内でも分かるほどぶわっと赤く染まる顔にこちらが驚いてしまう。

「っ!?ごめん、わざとじゃないんだ!ほんとに間違えただけで……!」
「別にどーってことないけど……あんた、まさか間接チューなんかで照れとんの?」

繋いでいない方の腕で口元を覆い声を潜めるように言い訳をされるが、なぜ日の下の衆人環視の中熱烈なディープキスはできて、こんなに薄暗く誰も見ていない間接キスなんかで照れるのか理解に苦しむ。

「さっきのは同意の上だしチリもその気だったからいいけど、これは……いつもそういうことばっか考えてる下心丸出し野郎みたいじゃん」
(なんやて?ちゅーか、いつも下心丸出しやんか。まさか自覚無しなん?)

呆気にとられて自分でも分かるくらい口をぽかんと開けてしまう。

「いや、チリちゃんがいつその気になって同意したんよ。グルーシャが勝手にチューしてきたんやないか」
「は?だってチリがキスしてくれるって言ったんじゃん。てっきり照れて頬にキスしかできないと思ったから、望み通り唇にしたのに。……じゃあなに。そんなつもりないのに軽率なこと言って、年下の恋人弄んで楽しんでたんだ。ワッルいお姉さん」

繋いでいた指がほどかれると二人で腕を乗せていた肘掛けにどんっと頬杖をつき、足を組むとぷいとそっぽを向く。見るからにご機嫌斜めになってしまった。

「弄んでへんって!そらさっきは照れくさかったんは認めるわ。けどグルーシャにチューされて嫌やなんて思うわけないやろ」
「……どうだか。じゃあ証拠見せてよ。ぼくのこと好きだって証拠」
「証拠ってあんたなぁ……」

ああもう。こうなったらテコでも動かんで、このワガママ年下彼氏は。映画も始まるというのにこんなギスギスした空気で長時間は耐えられそうにない。しゃーないか。ほんならさっき反古にしたやつを一発お見舞いしたるわ。

上映前の注意事項も終わり、もう一段階照明が落ちていく。館内が真っ暗になったタイミングでグルーシャの首に腕を回し、頭を引き寄せる。すると待ってましたと言わんばかりに薄い唇が開いて中へと誘われる。

(チリちゃんの行動はお見通しやて?ふん、甘いわ)

焦らすように舌先をちろちろと掠めて遊ばせる。片手は首に回したまま、もう片方の手で先ほど触れなかった鳩尾を服の上からつぅ……となぞってやる。するとやはりここは弱いのかびくっと身体が強ばり遊んでいた舌が止まる。こちらが優位になったところで手を休めることなく、これまた彼の性感帯でもある膝を掌で撫で、指先で擽るように円を描いて触れるとガシッと掴まれる手首。吐息のかかる至近距離で視線が合うと耐えるような声が漏れ聞こえる。

「あんた……どういうつもり」
「どや?これでチリちゃんがちゃあんとグルーシャのこと好きなん分かったやろ」
「……わかんない」
「え?」
「まだ全然わかんないからぼくが納得するまで教えて」

アイスブルーの瞳が乞うように瞬くと、どちらともなく吸い寄せられるように再び重なる唇。ほんのり甘い揃いのミルクティー味の口内のはずなのに、どんな砂糖より甘く蕩けるグルーシャとの口づけ。

(これじゃあ映画どころやないやんか……)

心の中で毒づいても両手はグルーシャの頭をしっかり抱え込んで自分から唇を押し当てているのだから、下心を隠せていないのはお互い様なのかもしれない。



結局二人でこの映画を通して見れたのは、家で鑑賞会をした数ヶ月後のことだった。


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