初恋は実らない?
休日の昼下がり。グルーシャと休みが重なり、家でのんびり過ごせるのは貴重なことだ。と言っても同じリビングにいるだけで、お互いてんでばらばらなことをしているのだが。自分は録り貯めていた番組の消化を。グルーシャはラグの上で手持ちポケモンの毛繕いをしている。おおかた録画も見終えたところで、背伸びをしながら地上波にチャンネルを戻すと制服姿の男女の俳優が見つめあっている姿が映し出される。
『好きだ。ずっと前からお前のことが』
『私も初恋だった……子供の頃からあなたが好き。やっと言えた……!』
クッションを抱えながら、なんとなくドラマを見ているとどうやら昨年大流行した青春ドラマだと気づく。話題になっていたのは噂で知っていたが、放映当時仕事が山積しておりドラマを見る時間なんてとても無かった。翌日ポピーが興奮しながら伝えてくれるあらすじを、うんうんと聞いていただけだったのだが。
「初恋ねぇ……」
想いが通った幼馴染みの男女が強く抱き締め合っている感動のシーンが流れる。チラリとグルーシャへ視線をやると毛繕いに集中し、ドラマの内容なんて全く気にも止めない様子でポケモンの健康観察に余念がない。それも一段落したのかモンスターボールに戻すと、定位置である自分の隣に座ってくる。その一連のグルーシャの動作をぼーっと目で追ってしまう。
「なに?人の顔じろじろ見て。なんか付いてる?」
怪訝そうに問われ、つい思っていたことをぽろりと溢してしまう。
「グルーシャの初恋っていつやった?」
「………………は?」
予想だにしていなかったであろう問いに、ポッポが豆鉄砲を食らったように固まってしまった。その珍しい顔も自分にとっては可愛らしく見えてしまうのだから、存外彼に惚れ込んでいることは認めざるを得ないだろう。
──本人には絶対言うてはやらんけど。
「せやからグルーシャも恋の一つや二つしてきたんやろ。チリちゃんと出会う前はどんな人を好きになったんか気になってもうて。コイバナ聞かしてや」
「コイバナなんて、男がそんなんしてもサムいだけだろ」
「そら偏見やで。性別関係なく初恋の甘酸っぱい思い出は共通やん。せっかくやしグルーシャのコイバナ知りたいわぁ」
「初恋……。そんなに言うならチリから聞かせてよ。言い出しっぺなんだからお手本。はい、どうぞ」
ローテーブルにあったリモコンをマイクに見立て、ずいと顔の前へ差し出される。こちらはグルーシャの初恋を知りたかったのにまさか自分の思い出話をする羽目になろうとは。しかし彼の言う通り言い出しっぺの法則は理解できる。リモコンを受け取り、初恋のときめきと甘酸っぱい記憶を辿っていく。
「チリちゃんはコガネにいた時、近所のお兄ちゃんに憧れとったなぁ。そのお兄ちゃんは背ぇが高くて物腰柔らかなのにポケモンバトルがめっちゃ強うて。うちは子供ん頃から男勝りな性格やったし、しょっちゅう同年代の男の子とやり合うててな。そんたびに、口でもポケモンバトルでもぼこぼこに
「ぼこぼこ……ふっ、チリらしい」
ソファの背もたれに肘をついてこちらの話に相槌を打ってくるグルーシャ。容易に想像がつくと言わんばかりの呆れた表情でこちらを見ると、先を促すように目配せされる。
「んである日、いつもみたいに因縁つけてきた相手とバトルしとったら、負けた腹いせにその子の兄ちゃんが来よってな。しかも草タイプで手持ち揃えてたもんやから、あっちゅう間に追い詰められて絶対絶命の大ピンチ!そんな所に現れたのが……!」
自分の口元にあったリモコンをグルーシャの方へ向け続きを求めてみる。嫌々そうに口を開き、うちの言葉を引用した答えが返ってくる。
「……背ぇが高くて物腰柔らかでバトルがめっちゃ強いお兄ちゃん……ってわけ」
「ピンポーン!大正解。そん時目の前で庇ってくれたキュウコンの神々しさったら今も目に焼き付いとるで。『女の子一人に二対一とは卑怯やろ?まだやる言うんなら俺が相手しよか』って言ってくれてな。チリちゃん、女の子扱いなんてされたこと無かったから、そらもうドキドキしてもうて。今思えばあれが初恋なんやろなぁ」
「ふーん……それは素敵な思い出デスネ。で? 結局告白したの?好きだったんでしょ《おにいちゃん》のこと」
身振り手振りを交えその時の様子を再現していると、いつにも増して棘のある声が投げやりに掛けられる。
「まっさか!告白なんて大それたことできんって!年も離れとったし、お兄ちゃんにはお似合いの幼馴染みのお姉ちゃんがおったから。子供ながらに邪魔しちゃあかんって思っとったわ」
お兄ちゃんは誰にでも優しかったが、こと幼馴染みのお姉ちゃんには特別な眼差しを向けていたのを覚えている。風の噂で二人は結婚したと聞いたが喜ばしい気持ちしか起こらず、やはりただの初恋もどきだったと気づかされた。
「初恋は実らん言うけどほんまそうやなぁ。あ、これはポピーには内緒にしといてや。あの子、初恋に憧れとるみたいやから。チリちゃんの話はこれにておしまい!ほな次グルーシャの番!」
テレビを切ってリモコンを渡すと、掴んでいる掌ごと握られグルーシャが話し出す。雑音が無くなった部屋にグルーシャの声が凛と響く。
「ぼくの初恋は実ったよ」
「そうなん!?想いが通じて付き合えたなんて、素敵やんかぁ。なになに、グルーシャから告白したん?どこで?」
滅多に聞けないグルーシャのコイバナだ。この時を逃すまいと前のめりになって矢継ぎ早に質問を畳み掛ける。
「100万ボルトの夜景を見ながらぼくから伝えたよ」
(うん?100万ボルト……それってうちらもそこやったな)
グルーシャの中であそこが告白スポットと認定されているのだろうか。初恋の相手と同じ場所とは嬉しいような、ほんの少し胸が痛いような複雑な感情が入り交じる。固まっていると、いつの間にかリモコンを握る手に骨張った指が遊ぶようになぞられている。
「他は?何聞きたい?」
「えっと……その人のどこを好きやと思ったん?」
「芯が強くて心も身体も綺麗なところ。でも気を許した人やポケモンの前で見せる可愛いところが好きだと思ったよ」
「へぇ……そうなん」
こちらの質問に食いぎみに返ってきた言葉も聞き覚えがあった。忘れられるはずのないあの日のグルーシャの告白。握られた手を離そうとしてもガッチリと包み込まれていて微動だにしない。彼を見ると楽しそうにアイスブルーの瞳が細められ、次の質問を待っている。
「もう終わり?聞きたいこと」
「うっ……ほんなら、その人のこと今でも好きなん?」
「愚問だね。現在進行形で膨らんでいってるよ。今、この瞬間も」
リモコンをローテーブルに少々乱暴に投げ置かれると遮るものが無くなり、隙間のないよう絡められる指と指。その力強い温もりに安堵してしまう自分は、随分と欲張りだったようだ。自分からも絡め返してやる。
「意外に純情やったんな、自分。色んなことそつなくこなしとるから、それなりに経験しとんのかと思っとった」
「あいにくそんな暇無かったんでね。物心ついた頃にはスノボのことで頭がいっぱいだったから。今になってようやく人並みに初恋とやらを満喫させてもらってるよ」
「満喫って。言うてもチリちゃん以外にもいたやろ?かわええなぁとか憧れの人とか」
なんとか自分以外の胸キュンエピソードを聞き出したいのだが、グルーシャは「いたかな……」となんとも望み薄な様子で天井を見上げて思い出を探っている。
「氷ポケモン遣いのカンナさんやスノボのコーチには憧れはあったかな。でも僕が傍にいたい、可愛いって思ったのはチリが初めてだよ」
照れる素振りは微塵もなく、すらすらと紡がれる自らへの恋心に自分ばかりが照れくさい思いにさせられている。そんなこちらの様子も分かっているのか、小憎たらしい笑顔で宣言される。
「初恋は実らない、だっけ?そんなの迷信だね。ぼくは実ったしこの恋だけで十分」
「そないはっきり言われてもチリちゃん自信ないで。もしあかんかったらどないすんねん」
「ふーん。ぼくたちが《あかんようなこと》になると思ってるんだ。じゃあチリはあと何回恋に落ちる予定なの。答えによってはこの手、離してあげない」
離すつもりなんてさらさらないくせに、こちらの答えに委ねるなんてほんまいい性格しとるわ。おあいにく様。こっちかてあんたを離すつもりなんてさらさらないわ。
「さぁ?残りの人生考えたらあと二万回ぐらいやろか。初恋の人とは正反対の人がずっと傍におってくれたらな」
「チリより背が低くて血気盛んでポケモンバトルは弱い年下の相手って?」
「そこまで言うてないやろ。まぁ、バトルはチリちゃんの方が勝ち越しとるけどな」
「勝ち越しって言っても昨日の一勝だけで、ほぼ互角じゃん」
二人の間で定期的に行われるポケモンバトル。出会った頃は自分が連戦連勝していたのに、最近ではグルーシャの勝率が上がってきてほぼ五分にまで持ってこられてしまった。それでも昨日はうちが勝ったんやから四天王の面子はなんとか保たれている……はずだと思いたい。
「ま、まぁ、バトルの強さは置いとくとしても。ええやん、初恋と最後の恋。お互い忘れられん特別なんやから」
「特別は同感だけど、こっちは初恋から最後の恋まで全部チリのものだよ。覚悟しといて」
「……重いなぁ。チリちゃん受け止めきれるやろか」
「二万回に分けてぼくが贈ればいいんじゃない?」
やんわりとした未来の約束。こんな些細なやりとりがたまらなく好きで大きな幸せを感じる。絡めた指はそのままにグルーシャの胸へとすり寄ると、空いている手でぐいと胸元へ抱き寄せられる。大好きな香りと温もりにらしくもなく甘えてしまいたくなる。
「ほんなら、今からグルーシャに落とされたい言うたら困る?」
「まさか。何度だってぼくに落としてやるよ」
顎を取られ口づけを交わしながらソファへと沈みこむ。甘く重たい恋心を交ぜ合い、このまま二人で堕ちてしまおう──。
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