この恋に気づいて



店員の威勢の良い挨拶が飛び交い、楽しそうな客の会話があちらこちらで聞こえる。この店の大将をカウンター越しに覗きながらぼくとチリさんは無言のまま目の前の一杯に集中している。

「なぁなぁ、グルーシャ君って好きな人おんの?」
「…………は?」

 突然の爆弾発言にとんこつラーメンを食べる手を止め隣を見ると、聞いてきた当の本人は髪を耳にかけ直し紅しょうがをこれでもかとトッピングしては豪快に麺をすすっている。もぐもぐと咀嚼し麺を飲み込むと丼を持ち上げスープを喉へと流し込んでいる。

「せやからグルーシャ君は好きな人いるんとちゃうん?」
「……なんでそう思ったの」
「リーグの女の子達が言うとったん小耳に挟んでな。『最近のグルーシャさんって雄み増してない!?』『あれは彼女出来たんだわ。ショック~!』って」

 職員と思しき演技を一人二役でこなしているが、なんとも見慣れない光景である。一人は祈るかのように指を組んで上目遣いをし、もう一人は目尻を擦って泣きそうな仕草をしている。生憎そういった女性には興味が無いのですぐに目を反らしてしまうところだが、チリさんがその仕草をしているのは珍しくてついつい凝視してしまう。

「それでどうしてチリさんがぼくに聞いてくるのさ」

 他人に問われるならまだしも、よりにもよって今この瞬間も全く脈のなさそうな想い人本人から尋ねられるのは流石に堪える。

「別に深い理由はないねん。ただグルーシャ君に彼女なり好きな人がおんのやったら、今日みたいにご飯行くんは控えた方がええかな思て。ほれ、チリちゃん美人さんやから?誤解されて夜道で後ろから刺されとぉないし」

 なーんてな、あはは!と笑いながら水の入ったコップに手を伸ばすその手を止めてこちらへと向かせる。

「グルーシャ君?」
「もしぼくに好きな人がいるとしたら、チリさんはどう思うの」
「?さっき言うたやんけ。あんたと会うんは控えよ思とるって」
「チリさんはそれでいいの?こうやって一緒にラーメン食べたり、サウナ行ったり、ボーリングも出来なくなっても」
「うっ!そ、れは嫌やけどしょうがないやん。いくら仲良い言うてもたかが友達がしゃしゃるのはお門違いいうことくらい分かっとるわ」

(たかが友達……)

 改めて彼女の口からそう言われると言葉が胸に突き刺さる。会えない時でも想いばかりが膨らんで、いつか君の負担になるかもしれないとこちらは不安になりながらもなお、恋い焦がれているのに。こうも一方通行だと元から少ない自信も消え失せていく。恋人なんて高望みはしないにせよ、せめて彼女の中でかけ替えのない大事な人くらいにはなりたい。

「ぼくはチリさんのことをたかが友達だなんて思ってない」
「グルーシャ君……」

 彼女の正面に身体を向け掴んだままの掌を握り直すと、こちらのそれに重なるもう一つの小さな掌。チリさんのものに包み込まれたぼくの左手は瞳をきらきらと輝かせた彼女の顔まで近付けられる。

「ほんま?たかが友達やないの?」
「――っ!そうだよ。友達じゃなくてぼくはチリさんのことが好……!」
「いやぁ!まっさかグルーシャ君もうちのこと【親友】やと思っとってくれてたやなんて嬉しいなぁ!男女の友情は成立せんなんて言われとるけど、グルーシャ君と居ると素でいられるし落ち着くし、これはただの友達やない!ってビビっと来てたん!」
「親、友…………」

 期待していた関係では無かったが、彼女があまりにも嬉しそうにぼくの手をぶんぶん振っているので今はまだこの関係でいいのかもしれない。そう思い直してしまうほどに自分は彼女の笑顔に弱い。ひとまずチリさんの中での大事な人カテゴリーには入っているようだから良しとするが、長期戦になるのは端から覚悟していてもこれくらいの言葉を伝えることは許してほしい。

「ねぇ、チリさん」
「んー?なに急に真面目な顔しとんの」
「ぼくのこと男として見て」
「…………」
「……ちょっと、黙ってないでなにか言って……」
「なっはっは!グルーシャ君のこと男として見る? そんなん当たり前やん!ほれ、掌かてチリちゃんよりこない大きいし、ポケモンバトルも強くて頼りになるし、顔だって二枚目やしどっからどう見ても男やんか! なに今さらあほなこと言うとんの!」

 振りほどかれた手でバシバシ肩を叩かれるとばっちりとキメたはずの心に、すきま風があちこちからすり抜けるようなサムさを感じる。

 すると目の前に湯気が立ち上った餃子がそっと置かれる。見覚えのある三個の餃子は主食を頼んだ時にセットとして付けられる一番人気のサイドメニューだ。大将の顔を見上げると憐れみの眼差しで頷かれ、柄にもなく涙腺が緩みそうになってしまう。

「ずっるー!おっちゃん!なんでグルーシャ君にだけ餃子あげんの!?贔屓や贔屓や!」
「チィちゃんはべっぴんばってん、もう少し男心勉強しんしゃい。グル君可哀想やろが」
「なにが!?うちなんか酷いことした?」

 「なぁなぁ!?」と肩を掴んで揺さぶりながら聞かれても、さっきからチリさんの言動に殴られ続けて瀕死状態のぼくは彼女を気遣う言葉も出せず、大将からの情けを二ついっぺんに口へと放り込む。「あーーっ!ええなぁ……」と羨ましそうな叫びをあげるものだから、彼女に残りの一つを皿ごと渡す。

「ん。食べな」
「これ……ええの?おおきに!グルーシャ君大好きー!」
「……僕も大好きだよ……」

 こちらの告白なんか既に聞こえていない様子のご機嫌の彼女は、たった一個の餃子に大事そうに特製タレを回しかけ口へと含むと熱かったのか、はふはふしながら美味しそうに味を堪能している。

(悔しいけど可愛い……)

「おっちゃん!次またグルーシャ君と来た時に今度はチリちゃんにオマケしてや!」
「それまでにチィちゃんが【れでぃ】とやらになっとったらな」
「はぁぁぁ?チリちゃんはどっからどう見てもレディやろ!今日の大将、意味不明やで。なぁ!?」
「…………僕に聞かないで」

 若干伸びてしまったラーメンにチリさんの好きな紅しょうがを乗せて勢いよく啜ってはほろ苦い恋心と共に流し込んでいく。

 会計は大将自らが応対してくれ去り際に「頑張らんばい。ありゃ手強か相手やなぁ」と髪がぐしゃぐしゃになるほどに撫でられ、店を後にする。軒先で待っていたチリさんに「どしたん、その頭」と不思議がられたが、ズボンの尻ポケットに突っ込んでいたキャップ帽を取り出すと「男同士の秘密」とだけ言っておいた。



 しばらく他愛ない話をしながら帰路を進むと、チリさんとぼくの家へ向かう分かれ目に佇んでいる花屋の前で足を止める。

「ちょっと買い物あるからそこの公園にいて」
「せやったらチリちゃん一人で帰ろか?その方が気兼ねなく買い物できるやろ」
「だめ。すぐ戻るから待ってて」

 被っていたキャップ帽をチリさんの頭へ被せると心得たかのように公園へ足を向け、「いってらっしゃーい」と手を振りながら見送られる。


 あまり待たせているとチリさんのことだ。すぐに人だかりができてナンパされることも珍しくない。手早く用事を済ませて彼女の元へ戻らないと。

 いつもチリさんを家まで送る際に横目で見ていた花屋。入店するのは初めてだが、店前の隅に置かれている目当ての花を包んでもらうと彼女のいる公園へと駆け出す。どうやら今日は懸念していたようなことには遇っていないようで、屈んで手持ちのドオーの頭を愛おしそうに撫でていた。

「お待たせ」
「えらい早かったなぁ。なにも駆けて来んでもええのに」

 ドオーをモンスターボールへ戻すと、目線の高さが同じになり帽子が頭へと返ってくる。こちらの心配なんて微塵も気づいていない様子だ。

「これ。チリさんに」
「うん?チリちゃん今日誕生日やないで。誰かと勘違いしてへん?」
「間違えてないよ。ずっとこの花をチリさんに渡したかった」

 白を中心に色違いの桃、黄色で彩られた花束。仕上げに水色のリボンで括られているこれをチリさんの胸元へずいと差し出すと、瞳をぱちくりとさせながらおずおずと花束へと手を伸ばす。

「かわええ花やね。なんや、ちいちゃいトサキントがいっぱい泳いどるみたい」
「リナリアって言って小さな金魚草の意味もあるらしいから。チリさんの言った通りだよ」
「名前もかわええなぁ。でもなんで急に花束なんかくれたん?」

 突然、しかも初めての花束を【友達カテゴリー】──先ほど親友へと格上げされたようだが──のぼくから渡されればそれは不思議に思うだろう。でもこちらとしてはずっと言いたくて言えなかった気持ちをこの花に託して君へと贈りたい。

「あっ!もしかしてさっきのこと気にしとるん?こないなことせんでもグルーシャ君はちゃんと男の子やって思っとるってば」
「ううん、言ったろ。ずっと贈りたかったって。この花の名前覚えてる?」
「リナリア、やったっけ?」
「そう。いつかチリさんがぼくのことを親友以外のなにかに思えるようになったら調べてみて。その時にもしも答えがあるなら聞かせてほしい。……ずっと待ってるから」

 今はこの関係を壊したくない。でもぼくのことを意識してほしい。そんな自分勝手なエゴを押し付けてしまうようだが、こうでもしないと一生このままの関係な気がして少し焦っているのかもしれない。

「親友以外……か。そんなんとっくに思っとるのになぁ」
「?ごめん、聞こえなかった。もう一回言って」

 リナリアの香りを吸い込みながらなにか呟いていたようだが、小さくて聞き取ることが出来なかった。

「なんでもあらへーん。しっかし駆けてくるグルーシャ君と花束やなんてどこの俳優さんかと思たで。よっ!色男!」

 結局チリさんがなにを呟いたのか分からないまま、雑な褒められ方で濁されてしまった。

「ほなここで。今日はありがとなぁー!お花も大事にすんでー!」
「うん。こっちこそ楽しかった。またね」

 贈った花束を掲げてはぶんぶん振って別れを惜しんでくれる。別れ際に抱き締めることすら今は許されない関係だけれど、いつか僕の気持ちに気づいてくれたらと願わずにはいられない。それに寂しい顔ではなく楽しそうな笑顔で次回の約束ができるのならそれで十分ではないか。踵を返し彼女に背を向け歩き出すと一際大きな声が掛けられる。

「グルーシャ君!今度はうちがお花あげるからなー!覚悟しときーー!!」

 振り向くと花束を大事そうに胸に抱えて、走り去っていくチリさんの姿があった。

 もしかしたら思っていたより早く、親友から格上げされる日が来るのかもしれない──。



リナリア(姫金魚草)の花言葉
《この恋に気付いて》

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