部下と同僚の恋愛事情



アカデミーでの仕事を終え、リーグのエントランスを進むと何やら人だかりが出来ている。胸に抱えていたフカマル先輩も気になったようで、ぴょんと床へと飛び降りると人垣の足元を縫って行ってしまった。慌てて小さい背中を追うが、小生の体格ではとても通り抜けられるはずもなく。最後尾で背を伸ばして覗くとフカマル先輩の姿を最前列に確認する。人垣の輪の中心で我らがトップと会話を交わしている、小生のよく知った人物がそこにはいた。

「おや、あれは……」

 見知った姿ではあるが、ここに居るのは珍しい。普段はパルデア最難関の要所であるナッペ山の番人として君臨しているグルーシャ。四天王は東西南北のエリアを一つずつ任されているが、小生の北エリアはフリッジタウンとナッペ山が管轄のため、グルーシャは自然と他のエリアのジムリーダーよりは顔を合わせる頻度も多く勝手に親しみを覚えているのだが。それにしてもなぜグルーシャがわざわざあの山を下りてここに居るのだ。

 物思いに耽っていると、周りの大半を占める女性陣たちがひそひそとグルーシャを指差しながら会話をしている。盗み聞きとは教育者としてあるまじき行為だが、自分の息子とも言える年齢の部下の心配をするあまりつい聞き耳を立ててしまう。

「ねぇねぇ、グルーシャさんって彼女いるのかな?」
「どうかしらね。あの顔だからいてもおかしくないけど、相手も相応の美人じゃなきゃ自信喪失して釣り合わなくない?」
「でも顔に似合わず結構毒舌よね?前によそ見しててグルーシャ君にぶつかったら『ちゃんと前見て歩きなよ』って絶対零度の冷た~い瞳で見下ろされたもん」
「そうそう。あれは絶対ドS!何人の女泣かしてきたんだか。……でも」
「「泣かされてみた~い!!」」

 有ること無いことをきゃっきゃと楽しそうに話している職員たち。言葉数が少なく物言いがきつい彼は誤解されがちだが、断じて悪意のない普通の青年だと一言言ってやろうとすると、後ろから肩を掴まれ動きが止められる。心なしか指が肩に食い込んで痛みすら感じるのだが。ゆっくりと振り向くとそこにはグルーシャに負けず劣らず整った顔を持つ、露払いを担っている仲間がにこにこと微笑んで立っているではないか。
しかしなんとも不気味な笑みだ。美しい笑顔ではあるが、まるで古代の宗教画のように口元は微笑んでいるにも関わらず瞳は真顔のまま、にこりともしていないではないか。

「……チリ?どうしたのですかな」
「ここはチリちゃんに任しとき」

 ああ、これはかなりのお怒りのようだ。彼女は普段人懐こく誰とでも打ち解ける術を持っているが。それは逆を言えば彼女の気持ち一つで拒絶もできるということではなかろうか。信のおける者に対して刃が向けられるとチリは別人のように冷たくなるのだ。

「お嬢さんたち~、おもろそうな話しとるやん。チリちゃんも混ぜてぇや」
「「きゃっ!チリさん!?どうぞどうぞ!」」

 両肩を広げ、職員達を自分の腕の下へと捕まえる。彼女達からしたらチリをこんなに至近距離で見れ、さらに話せるなんて天にも昇る喜びだろう。ただこの幸せがいつまで続くのか。
……この後に地獄を見なければよいのだが。

「なんやグルーシャ君がどうのこうのって聞こえたけど?」
「そうなんです!えっと、グルーシャさんって彼女いるのかなって。綺麗な人だけど、あの顔に釣り合う人って中々いなそうじゃないですか?」
「綺麗ねぇ……そう言われればそうなんかもしれんけど、いつもは綺麗言うよりかは可愛い感じやけどな。でもチリちゃんと並ぶとお似合いやんな?」

(うん?可愛いですと?)

 いい年をした青年を例えるには些か不適切ではなかろうか? それとお似合い、とは? こちらの疑問など置いてどんどんと進む会話。

「いくら顔が良くても性格に問題アリはちょっと嫌じゃないですか? 結構毒舌だって聞きますけどチリさんはどう思います?」
「確かに口は悪いなぁ。誤解ばっかされとるけど、ありゃ全部優しさの裏返しやねん。まっ、チリちゃんだけはちゃんと分かっとるからええねんけど」

(はてさて?)

 小生の耳はおかしくなってしまったのか。これではまるでグルーシャの本質を知っているのは自分だけだと言っているようなものではないか?

「で、でもドSそうなのは女からしたら怖くないですか? ちょっと虐められたいって気持ちもありますけど」
「ドSどころかチリちゃんの下では可愛く泣いとるで。ああ、鳴いとるの間違いか」

(!?☆&●▽@◆!?
チリ、あなたナニを言ってるんですか!?)

 職員たちも小生と同じように度肝を抜かれていたり、顔を真っ赤に染めていたり、グルーシャとチリの顔を交互に見ていたりと各々の驚きが見てとれるが。爆弾発言をした当の本人はけろりとした様子で尚も続ける。

「まぁ、うちの可愛い彼氏のことどう思おうが勝手やけどなぁ。チリちゃんの目ぇが黒いうちはグルーシャの傍には一歩たりとも近よらせんさかい、よぉ覚えとき」

 組んでいた肩を下ろすと、腕を組んで足を床へと打ち鳴らしている。今までの友好的な態度は一変して鳴りを潜め、それこそ絶対零度の瞳で彼女達を見下ろしているではないか。

「「す、すみませ……!」」
「何やってるの」

 職員たちの謝罪をかき消すように重なったのは、普段より低い声で威圧しているグルーシャに他ならない。
小生の前を横切る際にフカマル先輩を腕へと返されたが、整った横顔が目を吊り上げているように見えたのは気のせいではないはずだ。

「グルーシャ!オモダカはんとの話は終わったん?」
「終わったも何もあんたたちの会話が筒抜けだから切り上げてきたんだよ。……で、さっきから何を勝手にぺらぺらと話してるのって聞いてるんだけど」

 嬉しそうなチリに対し、恐らく恋人……と暴露された塩対応のグルーシャとの温度差が大きい。

「そない恥ずかしがらんでもええやんか。うちは事実をこの子達に教えたっただけやで」
「だからその事実ってのが真実かどうかってことだよ。なに無いことばかり言いふらしてるのさ」

 おやおや?これはグルーシャの様子を見ると、とても恋人同士の会話には見えないが。

(なるほど、チリお得意の冗談でしたか!全く驚かさないでほしいものです。寿命が縮む思いでしたぞ!)

「も、もぉチリさんったら冗談えぐいですってば! 一瞬信じちゃったじゃないですか!」
「そうよね、チリさんとグルーシャさんが付き合ってるだなんて、そんなわけ……」

 小生同様、立ち直った職員が二人の間に割り込んで話しかけているが。まるで彼女たちに見せつけんばかりにグルーシャがチリを引き寄せると次の瞬間──

グルーシャとチリが接吻を交わし始めたではありませんかっ!

 咄嗟に腕に抱き抱えているフカマル先輩の目と耳を塞ぐ。

 きゃああああ!!と次々と黄色い声が悲鳴のようにエントランスに響き渡る。そんな衆人環視の中にも関わらず、周りを完全に無視して二人だけの世界に入り込んでしまったグルーシャとチリ。彼女の表情はグルーシャの腕がチリの頭を抱え込んでいるため伺い知ることは出来ないが、四天王の証である革手袋が彼の首へとするりと回って離れまいとしているところから察するに、きっと小生が見たことのない《女》の顔をしているのだろう。

 しかし何が悲しくて自分の部下と同僚の濃厚なキスシーンを見なくてはならないのか。
と言うか長くはないか?もういい加減離れなさい!ここは神聖なるパルデアリーグ内ですぞ!

「……ん……っ」

 聞いたことのないチリの艶っぽい声がすると、ゆっくりとグルーシャが身体を離す。そのまま力が入らなくなったチリを自分に寄りかからせると、渦中の職員達と向き合う。

「ぼくの彼女が世話になったみたいだね。この人が言ったことは鵜呑みにしない方がいいよ。いつも下で鳴かされてるのはどっちなのかこれで分かっただろ」

 再び沸き上がる黄色い声。ここは一体どこなのか忘れてしまうほどの、まるでアイドルのコンサート会場のような熱狂ぶりだ。顔面国宝と称される二人の絡みを目の当たりにした職員たちは「とってもお似合いですぅ……」とこくこくと首を縦にすることしか出来ない。

 その答えを聞いて満足したのか、チリを支えたまま彼女の執務室へと共に吸い込まれていく。残されたオーディエンス達は大興奮の様子で二人が入った部屋の扉を指差しては噂話に花を咲かせている。
嵐のような出来事に、しばし呆然と立ち尽くしているとフカマル先輩に掌を甘噛みされ我に戻る。先ほどまでグルーシャと話をしていたオモダカと視線がかち合ってしまった。考え事をする時の癖である、額に人差し指を当てて何やら呟いているがこちらからは聞き取れるはずもなく。ただ、部下と同僚の監督不行き届きで確実に小生にお叱りの言葉が投げつけられるのは簡単に予想ができてしまった。

(なぜ小生がこのような目に遭わなくてはならないのですかぁぁぁぁぁっっ!!)

 心中で叫ぶとフカマル先輩だけが小さな手でぽんっと慰めてくれた。


 一方、職員達は再びひそひそと会話を交わしていた。

「あの二人、推せるわ……」

 こうしてグルーシャとチリの非公認ファンクラブが出来たとか出来なかったとか──。

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