ひな人形のジンクスなんて関係ない



呼び鈴を鳴らすと待ち時間もなく開かれる扉。

「いらっしゃい!外寒かったやろ?」
「お邪魔します。ぼちぼち寒いね」

本当はあの山に比べたらどうってことない寒さなのだが、彼女の口癖である『ぼちぼち』を使って寒さを肯定しておく。すると防寒してある他の箇所とは異なり、露出している冷えた頬を温かいチリさんの掌で包まれる。ぼくが寒がっていれば彼女の方から暖を与えに近づいてくれるし、嘘も方便で真実は隠しておく方が好都合だ。

「なっ!今日ごっつ寒いねん。せや先にお風呂入る? それともあったかいもん飲む?」
「…………紅茶で」

そこは最後に「うちにする?」って言って欲しかったけども。

新婚夫婦のような会話を繰り広げたが、寒いと言ったぼくを慮って出た純粋な問いなのだろうから、こちらも邪な思いは捨てよう。

「ちょいと時間かかるから、おこた入って待っとってなー」

キッチンへ向かう彼女とリビングへ進む自分とに分かれる。コートを脱ぎながらチリさんの香りが満ちた部屋に入ると、いつもより整然と片付いたテレビのサイドボードに目が止まる。そこには二週間前にはなかったはずの見覚えないガラスケースが。中には二体の人形と金屏風が鎮座している。

(着物……だったか?)

ジョウトの民族衣装に身を包んだ、細い目をした人形をまじまじと見つめる。

「それ雛人形言うんよ」

いつの間にか紅茶を淹れたチリさんが横に立っている。紅茶の乗ったトレーをこたつの天板に置くとガラスケースに入った『雛人形』を僕の掌にポンと乗せられる。

「紅茶冷めてまうから飲みながら話そ?」

確かに。せっかくチリさんが淹れてくれたのだから美味しいうちに頂こう。向かい合ってこたつに入り込み、ストレートティーに口をつける。茶葉の良い香りと温かさが冷えた身体に沁みる。

「美味しい」
「良かった。新しい茶葉やったけどグルーシャの口にうたみたいで」

にこにこと随分とご機嫌な様子でこちらの顔を見てくる。

(あぁ、これか)

こたつの真ん中に置かれたこれについて話したくてしょうがないようだ。チリさんはぼくが知らないことを話すのが好きなようで、それは決してマウントを取りたいとかの気持ちからではなく、純粋に共通の知識が積み重なっていくのが嬉しいと以前言っていた。
それからはぼくもチリさんが知らないであろう自国の文化や、遠征で訪れた土地の話をしては二人で思い出と文化を共有している。

「雛人形、だっけ? どうしたの、これ」
「ジョウトでは三月三日が桃の節句言うて、女の子の成長をお祝いする日でな。で、その時に飾るのがこれなんや」

こっちで言うと女の子が産まれたときに贈るマトリョーシカみたいなものか? 母国の民族衣装が描かれた女の子の中から、次々と一回りずつ小さい人形が出てくる置物を思い出す。

「そうなんだ。でも髪型が珍しいね。不思議なものも何個か着いてるし」
「古くからの伝統やから。千年前からあるみたいやし」

流石歴史の長いジョウト。特にコガネシティの隣町であるエンジュシティは、パルデアでも時折取り上げられるほど有名な観光地だ。確かにあの街並みだとこのような人形の佇まいでもしっくりくる。

「でも女の子のお祝いなのに男の人形も並べるんだね」

ケースの中で向かって右に男の人形、左に女の人形が品のある澄ました顔で隣同士に並んでいる。

「これは結婚式の二人を表してるみたいやからなぁ。女の子が健やかに育ってお嫁さんに行けるようにって願いが込められとるんやて。ここにあんのは二人だけやけど、実家に七段のもっとちゃんとしたやつがあるで」

「皆で結婚のお祝いしてるんよな」と愛おしそうにガラスケースをつんつんとつついている。

(女の子の幸せを願う人形か……)

チリさんも結婚式に夢見るようなことがあるのだろうか。ウェディングドレスを身に纏った彼女は女神のように美しく、天使のように可愛いのは想像に難くない。まぁ、その隣にいるのはぼく以外認めないけど。

「そんなに縁起がいいものなら今だけじゃなくて、ずっと飾っておいちゃいけないの?」

何気なしに疑問に思ったことを口に出したら食い気味に諌められる。

「それは絶対あかん!すぐに片付けんとグルーシャんとこにお嫁に行き遅れてまう!……あ……っ」
「僕のところに?行き遅れる?」

「やってもうた……」とガラスケースを抱き抱えながら俯いてしまった彼女はなんと言っていた?

「なんですぐに片付けないとお嫁に行き遅れるのさ? 縁起のいい人形じゃなかったの?」

のっそりと顔を起こして雛人形のケースを押し付けられる。なんで男の僕に渡すんだ。

「……それ、結婚式の二人や言うたやろ。昔の女の子は片付け出来んと嫁の貰い手が無いから、お祭りが終わったら雛人形をてきぱき片付けられることがええ女って言われてたんやて」

今からすると前時代的な考えだが、昔の人達はそういう風に生きてきたのだからそのような言い伝えがあってもおかしくはないが。

「それは分かったけどなんでチリさんも早く片付けなきゃいけないの?」
「なんでって……そりゃチリちゃんもおばちゃんなってからより、若いうちにお嫁行きたいわ」

女心と言うものか。若くて美しい間に嫁ぎたいと思うのは自然のことなのかもしれない。渡された雛人形の顔が見えるように、二人の間に置き直す。

「ぼくのところにお嫁に来るんなら関係ないんじゃない」
「!?!?」
「それとも何、他の男の所に行くつもり?」
「そないなことないけど……」
「じゃあ急がなくていいでしょ。ぼくのところに来るのは決まってるんだから、ずっと雛人形飾ってたって問題ないよ」
「なんつー俺様理論やねん……。風情ゼロやんけ」

なるほど、だから今日は今まで以上にこの部屋が片付いていたのか。健気に迷信を信じて片付けに勤しみ、嫁ぐ日を楽しみにしていたんだろう。照れ隠しでぼやいているが頬をほんのり染めて嬉しそうにしているのは分かっている。

「チリさんさえ良ければいつお嫁に来ても大歓迎だから。なんなら今すぐにでもどう?」
「急すぎるわ、あほ……!」

グルーシャとチリに挟まれ、目を細めた雛人形が二人を見つめていた──。


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