褒めただけなのに疑わんといて!
「ほんまグルーシャって綺麗な顔しとんなぁ」
テレビは大して面白い番組がやっていないし、雑誌も全部目を通してしまったし、唯一新しい刺激を与えてくれそうなグルーシャは手持ちのポケモンの毛繕いに勤しんでいて構ってくれそうにない。要するにチリは暇なのだ。それはもうものすごく。
だらしないと言われてもしょうがないがソファにうつ伏せで横たわる姿勢で、ラグの上にいるグルーシャとチルタリスをじっと見つめる。その際にポロリと飛び出したのが先ほどの言葉。
「なに、急に?」
「あ、聞こえてもうた?暇だからグルーシャの顔見とったんやけど、ほんまお人形さんみたいに綺麗やなって改めて思ってん。睫毛はくるん上向いて長いわ、鼻筋はスッと通ってるわ、眼は雪解け水か氷か言うくらい澄んだ水色やろ?おまけに髪の毛までさらさらときとる。なんで神さんはグルーシャにそない美しさ足したんかなぁって」
「…………なにしでかしたのさ」
「はい?」
「なにか壊した?それとも間違って捨てたとか?ぼくは気づいてないけど、それだけ言うってことはよっぽどのことしたんでしょ」
褒められて照れるどころか、以前のチリの失敗を蒸し返し、一人青ざめてはぶつぶつと懸念材料を挙げていく。チリが褒め殺しをしているのは何かやましいことがあると勘違いしているようだ。
「まさかとは思うけど……浮気……したとか?」
──ぶちっ!
(言わせておけば無いことばかり言いよって!)
「んなわけあるかいっ!なんでチリちゃんが浮気せなあかんの!ただグルーシャのエエとこ言っとっただけやんか!好きな人のこと褒めて何がいけないんっ!?」
ソファから立ち上がると感情を爆発させて一気に言い放つ。ぽかんと見上げてくる顔も可愛いと思ってしまう自分と小憎たらしいと思ってしまう自分がいるのも、グルーシャにべた惚れなのを認めているような気がして余計にムカムカしてきた。
「うちに帰らせてもらうわっ!」
「いや、うちに帰るってここがうちでしょ……」
自室にドタドタと駆け込んで扉を思いっきり閉める。そのままベッドへとダイブすると、ぼすんという音ともに激しく軋む。毛布を頭から被り一人の世界に閉じ籠ると思い出されるのは先ほどのグルーシャの言葉。
そりゃ自分は普通の女の子みたいに可愛く褒めたり、好きな気持ちを伝えるのが人より下手くそやと思ってるけど、純粋にグルーシャの良いところを褒めてた気持ちをよりにもよって浮気した罪滅ぼしで言っていると思われたのが悔しくて悲しくてならない。
「グルーシャのあほ……。ほんまに浮気したろか」
「それだけは絶対やめて」
「!?」
独り言にまさかの返事があったので毛布から顔を出すと、眉を下げたグルーシャがベッドへ腰掛けこちらを見下ろしている。一瞬目が合ったがその視線から逃げるように、ゼニガメよろしく顔を引っ込めてしまった。
「なんでここに
「チルタリスはあっちでアルクジラと遊んでる。それより……ごめん。変に勘繰って。言っちゃいけないことまで言った」
毛布越しに聞こえる声はいつもの勝ち気なグルーシャのものではなく弱々しいもので。普段ならすぐに許してしまう声色だが、今回はそう簡単にはいかない。
「…………物壊したり
「違う!チリさんを信用してないんじゃない。ただちょっと…………くて」
「うん?よぉ聞こえんかった」
「だから!急にチリさんが褒めてくるから照れたんだってば!ずっと見られてたんだと思ったら恥ずかしくて!」
「恥ずかしい……? たったそれだけ?」
拍子抜けした答えに思わず毛布から頭を出してグルーシャの顔を見ると耳まで赤く染まっているではないか。
「それだけ、って好きな人に褒められたんだから普通に照れるだろ。しかもひとつどころか次々に言い出すから何か裏があるんじゃないかと思ったら全然そんなことなかったし。照れてるのを悟られたくなくて変なこと想像してチリさんを傷つけた。自分に自信がないから素直に好意を受け取れなかった器の小さい奴だよ」
「自信ないってグルーシャが?うっそやん」
「他のことに関してならまだしも、チリさんのことになると自信なんてないよ」
グルーシャの澄んだ水色の瞳が不安げに瞬いて自分を映し出す。
「なんでうちのことだと自信無くなってまうの?」
「だってチリさんは美人でスタイルが良いだけでなくて、仕事も出来る優秀な面接官でポケモンとの絆も深い。ポケモンだけじゃなく人付き合いも上手で皆から慕われてるから気が気じゃないし、でもたまに見せる可愛いところとのギャップが大きくて、後は……」
「ちょっ、ちょっ、ちょっともうええって!何言い出してんの!?」
再びゼニガメのように毛布の中へ引き籠るがこれは確かに照れる。恋人が普段自分をどう評価していて、更には褒め言葉を次々と繰り出してくると恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
「これで分かった?まだ全然言い足りないけど」
「堪忍してや!これ以上は恥ずかしゅうて死んでまうわ」
「それは困るから止めとくけど、さっきの……浮気するって気持ちはまだある……?」
毛布の上にそっと何かが乗っている重みを感じる。それがグルーシャの頭だと気づくのにそう時間はかからなかった。
「あんなん売り言葉に買い言葉なだけやんか。優しくてかっこよくてちぃっと心配性で、でもチリちゃんのこと大好きな恋人がおんのに本気で浮気したい思うわけないやろ?」
「そうか……なら良かった……」
安堵の声と共に、背中へかかる重みが増した気がする。でも不思議と全然嫌な気はしない。
「ふふっ、なんやうちら端から見ればおかしいことしとんな。互いに褒め合って照れてるんやからバカップル言われても否定できんで」
「……こんな姿、チリさんにしか見せないし。ほんとはチリさんにだって見せたくないけど」
勢い良く起き上がって毛布を払い落とし、グルーシャを背中から捕まえる。
「なんでやー!そこはチリちゃんには見せんかい!どんなグルーシャも受け止めたるから、隠さんで本音聞かせてみぃ!」
「……ははっ!ほんとチリさんかっこ良すぎ。じゃあお言葉に甘えてそんなチリさんに早速本音言おうかな」
「おっ、お兄さん話が分かるやないの。ええで、なんでも思っとること包み隠さず話してみ」
広い背中へ回している手を解かれグルーシャがこちらへ向き直す。
「仲直りしたい。ぼくたちバカップルみたいなんでしょ?だったらここでしか出来ない仲直りの仕方あるよね?」
「えっ」
ベッドを指差して、無駄に良い顔で微笑みかけてくるがその意味が分からないほど自分は少女ではない。
「ああ~、そこはバカップルやのうてええんちゃう?大人のクールな仲直りしようや」
グルーシャから視線を反らし明後日の方向へ顔を背けると、頬を挟まれぐるんっと顔を正面に引き戻される。
「大人のクールな、ね」
(あかんあかんあかん!)
勝手に都合の良いように《大人の》を強調しているが、結局終着点は一緒ではないか。
「じゃあ今日は声を出さないようにクールにしようか。浮気の《う》の字も浮かばないようにしてあげるよ」
「根に持ちすぎやろ!ちゅーか、あんたが先に言い出したことやんか!」
声を出さずにするなんて出来るわけがないのに、いけしゃあしゃあと言ってくるグルーシャはやっぱり意地が悪い。
「やってみなくちゃ分からないよ」とこちらの言うことは華麗に流されて押し倒される。どうあがいてもこの年下彼氏君からは逃げられる訳がないのだ──。
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