腐向け

青い攻防




うさぎが読書する姿を眺めているのは、嫌いじゃない。

頭の悪い俺には分厚い本の内容なんて全くもって解らないし、そのタイトルにすら興味もわかなかったが、灰色の瞳が静かに蠢いて文字を吸収していく様は、柄にもなく何か素敵な物に形容して本人に伝えてみたいとさえ思える美しさだった。

今まで絵画や景色や他の誰かを、こんなふうに綺麗だと思ったことはなかった。
腹が膨れるわけでもないのに、絵なんか見てぼけーっとした顔して馬鹿じゃないのか。そういう目でしか芸術や音楽に触れてこなかったものだから、美しいものを好むうさぎにはいつも罵られていた。

それなのに、近頃の自分ときたらどうだ。
腹が膨れるわけでもないのに、この間まで純粋に友達だと思っていた同性の横顔を眺めてはぼけーっとした顔をして、馬鹿みたいだ。
ただ、実際腹は膨れないが、空腹を忘れるくらいの効果はあった。
まばたき一つでさえ、はりつめた糸のような緊張感と優雅さをもって、まるでその瞬間だけ時間が止まったかのように完璧に行われる。
きっと芸術とはこういうことだ。

「おえ」

自分で言っておいて、酷い寒気がする。
すかさずうさぎが、草食動物にあるまじき鋭い眼光を向けて来た。

「……なんだよ人の顔見ておえって。お前ってほんとやな奴」

さっきまばたきしたばかりの目を、今度は瞳を潤わすためでなくぱちぱちと瞬かせる。
その目で締めとしてぎろりと睨むと、すぐ本に視線を這わせた。
それ以上の追及はしないつもりなのだ。本気で怒ったわけではなく、条件反射のツッコミのようなものだ。

うさぎが読書する姿を眺めているのは、嫌いじゃない。
だけどこんな些細な反応でさえ嬉しくて飛び上がってしまいそうなくらい、構ってほしいという思いも同時にあった。
にやけてしまう顔を隠すため、うさぎの背に背を向ける形で座りなおすが、せっかくごまかしたのに、うさぎは追撃を浴びせて来る。

「何笑ってんだ、気持ち悪い」

「……バレてた」

だいたい、うさぎはカンがよすぎる。
男同士でそういう思考になること自体が想定外であるはずなのに、俺がそれとなく告白した時には“ああやっぱりね”みたいな反応で、いつから気づいてたのかと聞いたら、返ってきた答えは“じゃあお前はいつから俺のこと好きか覚えてるのか”ということだった。

そして、カンが良すぎる上に冷徹だ。
決して非情な奴ではないが、良くも悪くも本音を隠さない。
うっすらとした告白の直後発したセリフが、“ごめん俺猫キライなんだよね”だ。
いわく、“猫って何考えてるかわかんないし、そのくせ色目使うし何より肉食だろ、ホンット最悪”。

うさぎにとって同性の友人に告白されたということは問題の二の次で、一番最初に浮かんだのは俺が「猫」ということなのだ。
これを吉と取るか、凶と取るか。
とりあえず、絶交には至らなかった。うさぎの淡白さを思えば、実害がない限りは今まで通りの対応でよしと判断されるのは当然だろう。
それはつまり、「男として意識されていない」……はっきり言えば「無害認定されている」という、肉食獣としては不名誉極まりないことにほかならないのだが……。

「なあ、うさぎ」

「あん?」

背中を向けたままうさぎに呼びかけると、うさぎも本に集中したまま、力の抜けた返事を返す。
うさぎの彼氏になるには、友達期間が長すぎたのかもしれない。
境界が曖昧で緊張感の無い関係が及ぼす諸々の影響が、うさぎの彼氏になろうとした時に良い方にばかり働かないことを、初めて知った。

「お前は猫が嫌いだけどさ、俺とは友達を…俺的には不本意ながら…やってくれてるだろ? それって猫以外に問題ありってことじゃないのか? 友達としてはよくて彼氏としてはダメな理由って具体的に何?」

「見た目が汚い。声が大きくてうるさい。リアクションがうざい。話題が低レベルで下品。以上」

考える間もなく並べ立てられた不満と、刃物で切ったような幕引き。おそらく普段からかねがね思っていたことだったのだろう。

「友達としてはいいって言えるのか、それ」

「俺に害がないからな」

「無いんだ? うさぎには一つ当てはまっただけで十分有害だと思うけど……」

「恋人だったら有害になると言っただけで、友達としては許容範囲内だ。俺はそんなに狭量じゃないぞ」

「喜んでいいのかソレ」

「もう本読んでいいか」

「……ダメって言ったら」

思わず超絶女々しいセリフが飛び出てしまった。うさぎが何も言わないので気まずくて黙ったままでいると、背中越しにうさぎが書物に視線を落としたのを感じた。
それが面白いわけがなく、ねこは威嚇するときのように鼻の上にめいっぱい皺を寄せる。

「人と居るときに本読むのは失礼じゃないわけ?」

「自分の身なりを整えてから言え」

「俺もう超ヒマで……」

言いながらしかめた顔のままぐるんと振り向くと、びたりと体が止まる。
眼前に、うさぎの白いうなじがあった。
俯いているせいで見せつけるようになった滑らかな肌を、撫でてみたい衝動に駆られる。そんなことをしたら、いくら淡白さに定評のあるうさぎと言えども激怒するかもしれない。

わかってはいるけれど、ついつい、鼻を寄せてしまう。
緊張してどんな匂いかなんてわからなかったが、立ち昇る温かい体温を鼻腔に感じただけで理性の箍がぶっ飛びそうだった。
ああ、多分、これは、すでに飛んでいる。
かつて、腹が膨れるわけじゃあるまいし馬鹿みたいだと自分が嘲った者たちと同じ顔で、うさぎの脇から腹に腕をまわそうとする。
そこまでしてようやく、

「人の背後でサカんな。怖い」

いらついたようなうさぎの声でストップがかかり、ねこは背を丸めて腕を引っ込めた。
止められなかったらどうなっていたのか、考えただけで顔が熱くなる。止めてもらって良かったと思う反面、同じくらい残念だとも思った。この複雑な感情はきっと、うさぎが読んでいる分厚い本のどこにも説明されていないだろう。

「……またバレてた」

「そりゃバレるわ」

大きく息を吐いたうさぎが、ねこの方に向き直る。
さすがにもう一度ねこに背を向けるという考えはないらしく、幾分か警戒して、また俯いて本を読みだすまでには時間がかかった。その顔はありありとむくれている。
怖がらせたのは本当らしい。恋愛対象になったばかりの相手をどう扱えば良いかわからず、ともすれば傷つけてしまう。ねこはほとほと自分の愚かさを呪い、素直に謝罪した。

「ごめん」

それでも内心では、これで俺のことを意識してくれるだろうかという考えがよぎる。
うさぎの顔色を窺うねこに対し、うさぎは顔を上げて少し困ったような表情をした。彼にしては珍しいその顔でどんなことを言うのかと待っていると、生きた心地のしない沈黙を、予想に反して呆れつつも柔らかい声音が消し去った。

「今度から毛糸玉持ってくるか」

「なんだよそれ」

「お前の暇つぶし。なんならマタタビでも?」

「俺を構うっていう選択肢はねえのかよ……」

「ないね」

にやりと笑ううさぎに一瞬遅れ、ねこもつられて笑う。
色気のかけらもない、ただの男子の会話だ。
望んだものとは違う雰囲気だが、うさぎはうさぎなりに、そばにいてもいいよと言ってくれているのがわかった。

うさぎの怖がる顔は、ねこにとっても少なからずショックだった。自分のやり方が汚かったせいなのだが、またうさぎにあんな思いをさせるくらいなら、一生友達のままでいいかもしれないと弱気が頭をもたげる。

うさぎの背に鼻を寄せただけで我を失ってしまう自分の忍耐力がいかほどのものかは疑問が生じるが。

今はまだもう少しだけ、うさぎを安心させておくことにした。
それでもいつか絶対に泣かせてやると、弱々しく心に決めながら。






★漫画シリーズ【青い攻防】
https://www.pixiv.net/user/2912826/series/15943


1/2ページ