戯作

旅人と少年と思弁




埃っぽい、色の無い街の中で唯一浮ついた存在感を放つ城のような洋服店。
ガラス越しに見えたトルソーの少年を一瞥しただけで店の前を通り過ぎようとした旅人だったが、気が付くとトルソーは旅人の目の前に立っていた。

清潔感のある店内において幾日も体を清めていないような旅人の姿は異様だったであろうし、明らかに高額そうな洋服を、正当な手段を使って持ち帰れる金など持っていないと店員は直ぐに察したに違いない。
そのような状況にあって、店員の爽快な笑顔は逆に不自然極まりなかった。

「無口なトルソーだな」

先ほどから旅人とトルソーは互いの目を見つめ合っているのに、トルソーは着せられている青いジャケットの宣伝も、どうでもいいような世間話さえもしようとしない。
そりゃあ、こういう耽美な洋服を着せられるトルソーは気怠い表情をしていた方がいいのだろうが、売られているのはトルソーではなく洋服なのだから、全くの無口無表情より、多少お喋りな方が店にとっては好ましいのではないだろうか。

「たがねです」

少しふてくされたように、トルソーが小さく。

店員は尚も微笑みながらトルソーと旅人の様子を離れて見守っている。

「あなたは旅をしているのですか」

「ま、自分探しってところかな。格好つける訳じゃないけどさ」

「僕も旅がしてみたいな」

「トルソーをしている方が楽じゃないか。綺麗なところに住めるし食うものにも着るものにもこまらない」

「じゃあ、あなたは僕を羨ましいと思いますか」

答えられなかった。
励ますために言ったつもりだったが、実際自分がトルソーのたがねと同じ生活をしろと言われたら、拒むに決まっている。

「夜はしめ切った暗いお店の中で独りきりだし食事はとらないし自分の好きな服を着せて貰えないし、そ、それにヴラド・ツェペシュの串刺し刑みたいで恥ずかしい!」

小声ながらまくしたてる様子に、どうにも愛嬌があった。
どんなに退廃的な美しさであっても、少年とは本来こういうものなのだろう。

「なら、自由に旅が出来るならどこに行きたい?」

たがねは黙ってしまった。
旅人の遥か後方に待ち構える店員を気にしているようだ。
旅人は今までより更に声をひそめて、出会って初めての微笑みをたがねに見せた。

「もしもの話だよ」

「希望が無いのに夢をみるのは嫌いなんです」

「さっき旅がしたいって言ったじゃないか」

「あなたがすぐに出ていくと思ったから軽い気持ちで。それに」

「それに?」

「駄目だって」

「……」

「もとりが駄目って言うから」

「もとり?」

たがねの視線は旅人の肩を越え、奥の店員へ向けられた。
こちらの様子を絶えずうかがう店員とはすぐに目が合い、たがねは慌てて俯く。

「あの店員がもとりか。何故駄目なんだ」

「外の世界は檻だって」

「なんだそれは」

「わからないけどもとりの言い付けは絶対だから。僕はトルソーだから仕方がないんだ」

「……そうか」

「話を聞いてくれてありがとう。なんでここに来たかしらないけど、早く出ないと通報されちゃうよ。お金無いんでしょ」

たがねは不安定な一本足のトルソーなので、お辞儀ができなかった。
誰かに頭を下げようとするのが初めてだったので、その事実に気付いたのも初めてだった。

笑うしかなかった。

自分の顔も見たことがないのに、慣れない笑顔が変な形になっていないか、気持ち悪くないか、不安は計り知れない。

そうやって緊張で目の前がぼわんとしているうちに、旅人は消えてしまった。

去る直前、旅人はたがねに何かを言った。
誰にでも言いふらしたいが、誰にも教えたくない不思議な言葉だった。


店員が床を掃いている。
旅人が連れてきた土やゴミを丁寧に追い出す。
顔は少し笑っていたが、ゴミを掃く所作は怒っているようにも見えた。




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