雨降りウテナ
雨降りウテナと陽気な紳士(3/3)
「はあーあ……」
「……」
ウテナの手には、青色の財布がさかさまにして握られていた。
出てくるものは、何もない。
あんな恐ろしいことは何年かぶりだ。
「ほんとうに、申し訳ない」
「だから、イロンデル様は悪くないってば」
公園の濡れたベンチに腰掛けるのも、もはや抵抗はなかった。
ここまでくるのに、溝にはまったり、馬車に水をひっかけられたりで、憔悴しきった二人は質のいい洋服もがっかりするほど、ぬれねずみになっていた。
傘なんてもう、意味がない。
「イロンデル様、どうします?あの女の子、見つけたとしてもチャームを渡してくれそうにないですよ」
「そうだね……あれは一度手放してしまうと取り戻すのはかなり難しいんだよ」
多分それは、高価さゆえに、受け継いだ人が手放したがらないからだろう。
よく考えれば、そんな貴重なものを持っていて、トワイライト夫人にも一目置かれているこの人は、一体何者なのだろうか。
優しい紳士とだけ思っていたけれど、トワイライト夫人が友人と認めるだけあって、やはり類は友を呼ぶというか、同じ羽の鳥というか、まあ、なんだ、その、一言でいえば、変り者だ。
「足、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。ウテナ君は優しいなあ。度胸もあるし、モテるだろう」
「呑気な人ですね……」
緊急事態にこの人と一緒になったとしたら、対面した人は癒されるかイラつかされるかで綺麗に二つに分かれると予想した。
他人を気遣うと見せかけて超マイペース、なんていう高度なテクニックを使う人間が、トワイライト夫人の他にも存在したなんて。
「モテるわけないでしょ!こんなぼうりょくおとこ!」
「な、なんだと!?」
反射的に振り返ると、目の前に星が揺れていた。
桃色の傘の女の子が、我こそ女子代表と言わんばかりに、自信ありげにふんぞりかえっている。
取ってみろと差し出したチャームが、ウテナの鼻先をかすめる。
「ああ!さっきの!」
「あげないよーだ」
「こら!待て!」
もともと下町の悪ガキとして駆けまわっていたウテナは追いつく自信があったのだが、水を吸った重い洋服に纏わりつかれながら全力疾走しても、半分以下の齢の幼女相手に、見事に良い勝負を演じてしまうこととなった。
まさか、こんな日にこんな所でこんな相手と鬼ごっこをするはめになろうとは。
トワイライト夫人が大喜びで囃し立てそうだと思うと、イラつきに拍車がかかり、見せびらかすようにチャームをつまんだ小さな指が憎たらしい。
自分にもそんな時代があったということを棚に上げて、「だから子供は嫌だ!」と、うんざりする。
「それはな、大事なものなんだ!それがないと困るんだよ!頼むから返してくれ!」
「私がひろったんだから私のよ」
「今『拾った』って言ったな!落とし主が現れたんだから返すべきだろ!ってイロンデル様!何見てるんですか!何とか言ってくださいよ!」
イロンデルは立ち上がり、今までにない神妙な面持ちで、きらきらと光るチャームを見据えた。
その視線を感じてウテナが止まると、少し先で女の子も止まった。
ただならぬ空気の中、冷静な口元が動き出す。
「それを手に入れてから、なにか変ったことはあった?」
「……」
「あったよね」
女の子は急に怯えた表情になり、無言でイロンデルを見つめていた。
その手の中にあるチャームに、綺麗や可愛いだけでは説明のつかない、何か特別な力があることを、イロンデルは言っているようだった。
「そのチャームはとても恐ろしいものだ……何も知らない子供が、好奇心だけで所有していい代物じゃない」
「イロンデル様、どういうことですか」
呪いやいわくつきのジュエリーならこの世に多々存在する。
まさか、このチャームもその類だとでもいうのだろうか。
トワイライト夫人がそんなものに手を出すなんて……。
「おそろしくないもん!びょうき、なおったもん!」
ウテナは病気という言葉に反応し、聞きかえした。
「病気って?君、病気だったの?」
「うん。おむねがくるしいのよ。でもこれひろったら、なおっちゃった」
「へえ……」
「いけないよ、勘違いをしては」
厳しい表情で、イロンデルが言った。
先ほどの呑気なイロンデルとは別人のようだ。
「それは持ち主に幸運をもたらすかわりに、その周りにいる人間を不幸にするチャームだ」
「え!?ほ、本当に!?」
「扱い方を間違えると、君の親や友人の命を危険にさらすことになる。僕とウテナ君が今までついてなかったのも、チャームを持った君の近くにいたからだ。このままだと君の幸運が更に増大するとともに、比例して周りの不幸も大きくなるぞ」
女の子は泣きそうになりながら、チャームとイロンデルを見比べた。
「それを手放してもまた病気になったりはしないよ。元気になったんだから、そんなものに頼らなくてもきっと幸せになれるよ」
「そ、そうそう。いい子だから、それ、返してくれないかな」
衝撃の事実に内心は引きながらも、ウテナが加勢する。
「……」
ついに女の子は涙を零して泣いてしまったが、手の中のチャームはゆっくりと、確実に、差し出したウテナの掌に戻ろうとしていた。
ウテナは決して奪い取ろうとはせず、女の子の手が十分に離れるまで、チャームを握ろうとはしなかった。
***
こんなに愛らしいデザインのチャームが、人を殺してしまえるほどの恐ろしいものだとは、思わなかった。
ウテナに不幸が降りかかるから、イロンデルはチャームを探すことをあきらめたり、ずっと謝ったりしていたのだ。
そんなことなら、言ってくれればよかったのに。
「あーよかった。ありがとう、ウテナ君」
チャームは無事にイロンデルの胸元に帰った。
「なんでもっと早くに教えてくれなかったんですか、もう」
女の子は手を振りながら、去って行った。
「ていうか、それをイロンデル様が持ってるってことは、こっちに不幸が……」
「え?」
「え?って、イロンデル様、それ、呪いのチャーム…」
「あれ、まさか本気にしたの?ははは、純粋だねえ、ウテナ君」
「……なんと……?」
眉をよせて目を細めたのは、イロンデルの爽快な笑顔がまぶしかったからではない。
「う、嘘!?」
よほど間抜けな顔をしていたのか、ぷっとふきだされてしまった。
「でも、あの子の病気は治ったし、そのかわり僕たちが不幸に……」
「ああ、いやいや、持ち主が幸せになるのは本当だよ。でも、だからって周りが不幸にはならないよ。だって、周りが不幸になるなら僕たちだけじゃなくて町中が大変なことになってたじゃないか。むしろあれは周りの人にも幸運をもたらすものだよ」
「じゃあ、どうして僕たちが不幸に?」
ばつが悪そうに、イロンデルはシルクハットを取って頭を掻く素振りをした。
「僕はもともと不幸体質で、近くにいる人にも不幸がうつっちゃうんだよ。だから、チャームを持ってない僕と一緒にいたウテナ君までとばっちり食らっただろ。ほんとうに、迷惑をかけて申し訳ない」
いつのまにか雨は上がっていて、馬車を預けたところまで戻ると、鉢植えの女性が馬にブラシをかけながら、待っていた。
そして、とびきりの笑顔で迎えてくれた。
「あら、おかえりなさい!ねえ、聞いてくださる!さっきここを通りかかった方の犬が怪我をしていたのでよく効く薬を分けて差し上げたら、馬の脚を手当してくださって。それで、そのあとに通りかかった女の子がどうしたのって聞くので事情を話したら、その子のお父様がかわりの馬を貸してくださったの。それから、ほら!割ってしまった鉢植えの中から、ずっと前になくしたと思ってた指輪が!土を作っている途中で抜けてしまったんだわ!」
ウテナとイロンデルは目を合わせ、嬉しそうに銀色の指輪を眺める女性の前で立ち尽くした。
***
「やだ!どうしたの二人とも!ずぶ濡れじゃない!」
「ただ今帰りました」
「やあトワイライト夫人、お久しぶり。相変わらずお美しい」
ウテナは、今日あったことをすべてトワイライト夫人に打ち明けた。
トワイライト夫人は腹がよじれるほど笑い、
「ウテナ、あなた、最高!」
と、手をたたいた。
「ええ、そうそう。イロンデルに泊まってもらうこと自体が、宿のお代なのよ」
変な話だけどね、と、夫人はまたころころと笑う。
「イロンデルが泊まれば私がラッキーのおすそ分けもらえるでしょ?ああ、今回からはウテナにもね。でもイロンデル、ウテナがいたからよかったようなものの、もうチャームを落としちゃだめよ?」
「夫人の言う通り、ウテナ君はとてもいい子だよ」
紅茶を運んできたウテナを、トワイライト夫人とイロンデルは微笑ましく眺めた。
夫人がウテナに関してイロンデルに話していることは『いい子』以外にもいろいろとありそうだが、ウテナ自身は聞くのを遠慮した。
どうせ、ろくなことを話していまい。
思わずため息が出る。
「そういえば、トワイライト夫人」
「なあに、ウテナ」
「犬の飼い主に巻き上げられたお金…」
「ああー、残念だったわねえ。お小遣い全部なくなっちゃったの?ま、犬をぶったのはあなたなんだし、あなたのお小遣いだけでことが済んでよかったじゃない?」
「え!?そんな!!イロンデル様を助けたのに!」
「だから報酬はあげるでしょ。それとこれとは別」
「うえええええええ!!」
「あっははは、ウテナ君、ご愁傷様」
「おほほほほ」
これから数日、この二人の世話を一人でやるのか。
まるでトワイライト夫人が増えたみたいな感じじゃないか。
こんな人、最初に会った時に馬車に乗せずに放っておけばよかった!
その日の夜再び降り出した雨はなかなか止まなかったが、ウテナの財布だけは、当分潤いそうになかった。
★雨降りウテナと陽気な紳士 おわり