戯作
続・旅人と少女と詭弁
銀色のコンパクトは今も元旅人の手中にあったが、彼の胸に太陽の反射光が滑ることはもうなかった。
何年も前に、うっかり落として鏡を砕いてしまった。
大して手入れもしていない外装も、黒ずんでしまっている。
「綺麗ね」
話し掛ける声に、顔を上げることもなく答えた。
「どこが」
「綺麗だわ」
「綺麗じゃないよ」
「綺麗だわ」
「どうして?」
一瞬途切れた会話、やはりただのからかい半分だったのだと無言で嘲笑するが、相手が湛える微笑みに元旅人は気付かなかった。
「美とは美が呼吸をするための虚空であって、人のためのものではないわ。審美的感覚は人それぞれだというのに、美の定義について議論することはとても愚かなことだと思わないかしら。
だから私が綺麗だと言ったことについて貴男が反対の意見を押し付けることは無意味且つ滑稽だわ」
白い指がくすんだ銀色の塊を取り上げるのにつられて顔を上げたとき、元旅人は「ああ」、と思った。
彼女はさも善いことをしたという温容で、にこにこと笑んでいた。