戯作
店員とトルソー
そのトルソーを店に置くと決めた時、店員のもとりが一番悩んだのが、トルソーの名前だった。
置物とはいえちゃんと感情があって自らの意志で会話をするのだから、一個人として識別してやらなければならない。
これでもトルソーの所有者として、彼に愛着は湧いているのだ。
自分の持てるあらゆる語彙を使って、できるだけ格好いい名前を付けてやりたい。
「希望はありますか」
「ありません」
「……では、これだけはイヤ!という名前は」
「ありません」
「好きな言葉とか」
「ありません……あ」
「ん?」
「食べ物はアメが好きです」
「食べ物の好みは聞いてな……まあいいか、ちょっと待っていてください」
待っていろと言わなくてもトルソーは身動き出来ないのだが。
もとりは店のカウンターに置いてある白い籠から小さな赤い包みをひとつ持ってきて、トルソーに手渡した。
「イチゴ味」
「ありがとうございます」
「ところで、基本的なことを聞きますが……実のところ、名前が欲しいと思ったことはありますか」
「名前に対する憧れのようなものがないということは、名前が欲しくないということになるのでしょうか。みんな当たり前のように人の名前を聞くし、自分の名前を言うけれど、一度これはこうだと思ったことって、なかなか変えられませんよね。それと同じで、自分はナントカだと認識した瞬間からそれ以外のものにはなれないってことじゃないですか。もしかしたら自分の存在が不確かになることが怖くてわざわざ名前という檻に入っていってるのもしれないけれど、僕は名前がなくても自分を見失うことはもがもが」
「え? 今何と」
トルソーは自分の口を指差してコロコロと音を鳴らした。
突然トルソーが饒舌になったことに驚いたが、訳の分からない理屈よりもとにかく名前が無いとやりづらい。
「……本当にアメが好きなんですね……ではコレはどうでしょう」
もとりはメモ用紙をトルソーに渡した。
【飴】と書いてある。
「たがね、と読みます。アメの古称です。これでいいですか?」
トルソーはじっと【飴】と書かれた紙を見ていた。
やがてきらきらと瞳を輝かせると、
「ふが」
と言って微笑んだ。
次からはもう少し小さいアメを買って来よう…。