影が満ちる
「起立、礼!」
そんなありきたりな言葉で一学期は幕を閉じた
浮わついた雰囲気の教室を制する凛とした一声も、しばらく聞けなくなると思うと
少し寂しさと未練がましさを感じてしまう
そう思うのも、声の持ち主が彼であるが故。
彼に密かに友情とは反れている、知らない感情を抱いているが故。
僕、
終わりを告げる鐘が鳴るには秒針が一周と少し足りない
扉の付近にはその時を今か今かと待ち構えて身を乗り出す雑踏が波のように
うねっていた
鼓膜をつんざくざわめきが五月蝿くて僕は耳を押さえた
早く終わってくれと時を急かしても、秒針は一秒一秒をゆっくりと刻んでゆく
あと半周。気が遠くなりそうな現実に頭を痛めて、僕はより両手に力を込めた
「遥」
僕の名を呼ぶその声は、きっちりと閉じた指の間を通り僕の鼓膜へ届いた
隣に視線を向けると彼は、
「陽向くん…何?」
「輝斗で良いって言ってるのに」
陽向くんは少し残念そうに微笑んだ。その表情もまた眩しく、僕は目を反らさず
にはいられなかった
「夏休みに入ると、やっぱりどうしても会いづらくなっちゃうから。
少し話がしたいなと思っただけ。迷惑だった?」
「そんな訳ないじゃん──すごく、嬉しい…」
まるで少女漫画のヒロインのような事を言ってしまい、少し恥ずかしくなり
顔を火照らせた
それを陽向くんは見逃さなかったようで
「暑い?」
と、彼は悪戯な笑みを浮かべた
普段の大人びた微笑みと違う、彼にしては子供っぽい雰囲気を纏っている
可愛らしさやあどけなさを含むそれは、僕の心を大いに掻き立てた
刹那、教室にはスピーカーから機械的な鐘の音が響いた
少し落ち着きを取り戻しつつあった雑踏は、より興奮して雪崩となった
幸い僕らは廊下と対の窓際にいた為、巻き込まれる心配は無かったが。
「…遥はもう帰る?」
その声色は少し残念そうに聞こえ、自惚れてしまいそうになる
捨てられた仔犬のような不安の眼差しが、より僕の激情を煽った
「え、えっと…陽向くんは…?」
僕は答えを濁した。少し、卑怯な気がしない訳では無いが。
「僕はこれから部活なんだ」
そう言ってケースに覆われたテニスラケットを掲げて見せてくれた
陽向くんはテニス部なのだ。爽やかなイメージの彼らしいと思う。
「夏休み中も基本部活でさ。一緒に遊ぶとかも少し難しいんだ
…だから、ちょっと寂しい」
言わなきゃ分からない?と言うように少し頬を膨らませ、いじらしくこちらに
ちらちらと目線を送ってくる
「…だから、もうちょっとここにいてよ。」
少し体を前に傾け、上目使いでそう言ってくる彼の姿は正直に、
破壊力が抜群で…童貞に効く
「あの、えっと…」
コミュ障故か、言葉を上手く紡ぐ事の出来ない僕を陽向くんは心底楽しそうに
見つめていた。その表情により急かされている心地がする
「その…僕は夏休み、基本学校の空き教室で過ごそうと思ってるんだ
だから、っ……会えるよ、夏休み…」
上手く言葉に出来ず、理由なども言えなかったが
『夏休みも陽向くんに会いたい』という、その思いは伝わったらしく
陽向くんはにっこりと笑い
「嬉しい」
そう一言残して、同じテニス部の仲間らしい人に呼ばれて駆けて行った
振り向き様には眩しい笑顔を向けて
僕はずるずると床に腰を下ろし顔を覆った
多分その時の僕は顔を真っ赤にしていたのだと思う
感じた事の無い体温が手のひらにべっとりと染み付いた
それは多分夏の熱さのせいだけじゃない
心を掻き乱すこの感情の正体を
僕はいつか知る事ができるのだろうか...
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