お茶の話
「ヘルメス」
「……」
風早は意地でも「ヘルメス」と呼ばれては、返事をすまいと決めた。何故なら、何だか違う世界に連れて行かれそうで怖かったからだ。
「風早」
「……何ですか?」
「お茶に反応があるのだ」
「は?」
先ほどクロノスに出したお茶が光っている。
「お茶が危ない」
クロノスはまた鎌を構え振り落とし、部屋の空間が裂けた。裂けた空間からは自然の香りがする。
「まじか」
「風早、力を貸して欲しい」
首を振る風早にクロノスは再度言う。
「風早、この空間をくぐり抜けてくれないか」
クロノスが鎌で切り裂いた空間は、お茶の色をしており、クロノスと風早の間でゆっくりゆらゆらと揺れている。
「くぐり抜けたらどうなるの」
「ヘルメスの力を取り戻せる。それと同時に現世のお前の時間は止まる……いや、私と出会う前に戻る」
クロノスは裂けた空間の向こう側から手を差し伸べた。
「大丈夫、死にはしない」
「これは夢……?」
「夢ではない」
風早は不安でいっぱいだ。
「安心しろ、私はお前の敵ではない。お願いだ、力を貸して欲しい。でないと私は……」
クロノスの表情が曇る。
「さっきからそれしか言ってないよね」
風早は恐る恐る手を空間に向かい、伸ばした。
その瞬間ー
「うわあぁあ!」
クロノスは風早の手を引っ張り、お茶色の空間は波打った。
「あぁあ……? あれ」
クロノスがにやりと言う。
「神は簡単には人間に干渉出来ない。しかし、お前の元の魂は強化され、神に戻った。時空の移動にも耐えられるようになったはずだ」
クロノスは風早の手を放した。
「あのー、格好が違うんですけど」
「ヘルメスが着ていた服だ。動きやすかろう」
そうだ、とクロノスは言い指を鳴らした。
「うわあぁあ!!」
風早の前に2匹の白蛇が巻き付いた杖が降ってきた。
「ケリュケイオン。その蛇は作り物だ。早く持て、お茶が危ない」
風早は作り物と聞いてほっとするが、少し気味が悪い。
「お茶お茶って、お茶が何なの?!」
「石田三成の三杯のお茶を知っているか?」
「知ってるけど」
リアルな作りの蛇にビクビクしながら杖を拾う風早をクロノスは待ちきれない。
「それなら話が早い。行くぞ」
「え」
部屋の空間が歪んだ。風早の頭は割れるように痛かった。しかし、クロノスが言ったように「死にはしない」感じがした。
だんだんと景色が移動している。
「着いた」
「……うぅぅっ」
風早は片手でガンガンする頭を押さえながらへたりこんだ。
「おいおい、昔はたまにだがお前もこうやって移動していたんだぞ」
天正年二年、滋賀県観音寺、とある廊下。
石田三成十五歳。秀吉三十九才。
これは偶然の出来事か、石田三成が考えてやったことなのかは分からない。
後に「三杯のお茶」はクロノスが存在する歴史上、無くてはならない出来事となる。
「うぅ、何でこんな目に遭わないといけないのよー」
風早はまだ地にへたりこんでいる。
「さて、問題のお茶をあやつらより早く見付けて守らねばならん。行くぞ」
クロノスは風早の腕を掴んで立ち上がらせる。ヨロヨロと風早は立ち上がる。
「あれ、君たち……どうしたの?」
「石田三成……」
クロノスと少年の目が合う。少年は臆することなく、クロノスの青い目を見つめた。
「何をしているのです、佐吉」
一人の僧が佐吉の背後から声を掛けた。
「内海様」
佐吉はびっくりしたように内海の方を振り返る。
「羽柴様はそんなぬるいお茶、飲んでくださらないですよ。これだからいつまで経ってもあなたは半人前なのですよ」
内海はにやりと笑う。
「さ、私が用意したお茶をお持ちなさい」
佐吉は内海と自分の湯飲みを交換しようとした。
「……っと!歴史が変わるとマズイの……かな」
「おお!風早、よくやってくれた」
風早が佐吉の手から、瞬時に湯飲みを奪った。ほんのり温かい。
「あ、あぇ!?」
「ちっ」
内海はパチンと指を鳴らした。
すると、風早が持っている湯飲みからは青い龍、内海の湯飲みからは赤い龍が飛び出した。
「り、龍……」
風早は空の湯飲みを持ちながら、お茶で出来た龍を呆然と見上げた。
「まずい、これ以上佐吉を巻き込むと危険だ!」
鎌で空間を切り、クロノスは佐吉を巻き込まないよう別の空間に自分たちを移動させる。
景色がまた移り変わっていく。
「ここなら心配ないだろう」
たどり着いた場所、そこはもう必要が無くなった物だけが浮いている不思議な世界。存在しているように見えるが、クロノスたちはそれに触れることは出来ない。
「さぁ、始めようか」
クロノスは大鎌を構え、戦闘体勢に入った。
「ふっ」
内海は2匹の龍を操り、クロノスに攻撃を仕掛けた。真っ赤な熱い龍、青い冷たい龍がクロノスに交互に襲いかかる。
「クロノス!」
「風早、じっとしていろ」
風早はケリュケイオンを掲げる。しかし、何も起こらない。
「はっはっはー!その杖、さてはヘルメスだな。中立かと思っていたが、クロノスに味方するか……
行け」
内海は風早に狙いを定め、龍を放った。
龍は杖に当たり、杖が弾き飛ばされた。
「冷龍、ケリュケイオンを凍らせてしまえ」
冷龍は霧のようなものをケリュケイオンに向かい、勢いよく吐いた。ケリュケイオンは一瞬にして氷に包まれた。
「風早、お前は下がっていろ」
クロノスは風早とケリュケイオンの周りの時空間を歪めシールドを張った。風早の周りだけ景色が歪んで見える。風早はシールドを叩くがびくともしない。
「ちょっ、私元の世界に戻れるの?!」
「ポセイドンに勝てればな」
「え、ポセイドンてあの神話の」
「神話? 何だそれは」
こう話をしているうちにも冷龍と熱龍はシールドを破壊しに襲ってくる。
「クロノス、余所見をしていて私に勝てると思うのか」
「ぐあぁ!」
風早と話していたクロノスの背中に熱湯が掛かる。
「クロノス!」
「ははは、次は凍りつけ」
クロノスは冷龍から吐き出される息をなんとかかわした。
「歴史を変えてはいけない」
「それはお前が死ぬからだろう!」
ポセイドンはクロノスに向かって再び熱龍を放った。その時、熱龍は歪んだ空間に吸い込まれ、ポセイドンの元に吐き出された。何度やっても同じである。
「お前はこの手で私が倒す!」
ポセイドンはギリッと握り拳を作った。
二人は決着の構えをとる。じりじりと間を詰めていく。熱龍は口の中を沸騰させ、今にも襲いかかりそうである。
「お前がいなければ、ラグナロクは起こらなかった。お前がいなければ、平和だった!」
「ちょっと、何やってんのクロノス! 早く戦かっ……」
風早はシールドの中が寒いと感じたその時。
シールドは音を立てて壊れた。破片が宙に舞い、消えていくと風早の前に冷龍が現れた。
「風早っ」
「おっと、お前の相手は私たちだ」
クロノスは行く手を塞がれる。
風早は、はっとして佐吉から取り上げた湯飲みを見た。お茶は既に冷龍になっているので一滴も無い。
「この湯飲みさえなければ、冷龍は消滅するかもしれない」
「風早、何をぼうっとしてる!」
冷龍が氷でできた鋭い牙で風早に襲いかかろうとしたその時ーー
「何?!」
「よせ! 風早!」
湯飲みは音を立てて壊れ、冷龍は消滅した。
膝から崩れ落ちたクロノスを見てポセイドンは嗤った。
「くっ……はははは、クロノス、終わりだ!」
ポセイドンは熱龍を操り、それをクロノスに浴びせる。
「ぐっ! 風早……、湯飲みが壊れたら歴史が変わってしまう。私は……」
「湯飲みならまだあるじゃない!」
風早はポセイドンを指差した。
「何を言っている、あれはアツアツだぞ」
「何とか出来ないの?!」
「私が出来るのは空間移動や時間を止める等の時間を操ることとシールドを張ることだけだ」
風早はがく然とする。底をつきそうな体力を使いながらクロノスはシールドを張り、攻撃に耐える。
「空間移動、シールド、時間を止める……」
「な、何か考えはあるのか?」
シールドにヒビが入りはじめる。
「とどめだ」
ポセイドンは熱龍をシールドの真上から急降下させ、クロノスたちは熱龍に飲み込まれたかに見えた。
「き……消えただと」
「ふう、まったくお前は妙なことを」
「安全な場所はここしかなかったの」
クロノスと風早はポセイドンが持っている湯飲みの中にいる。中からは、ポセイドンがクロノスたちを探すような叫び声が聞こえる。
「きゅぴ」
「どうした?」
クロノスは風早の方を振り返る。
「何も言ってないよ」
「きゅぴー」
クロノスは自分の足元を見た。
何かやわらかい物を踏んでいる。
「きゅわゎ……」
「クロノス、足をどけて」
風早はしゃがんで言う。
「敵だったらどうするんだっ……あつぅ! 熱っ!」
思わず足を上げるクロノスをよそに、風早は小さな龍を両手ですくい上げた。
「かわいいー! この子、もしかして熱龍じゃない?」
「は?」
クロノスは呆然とする。
熱龍が手のひらサイズなわけがない、自分が時空移動するときにどこからか迷いこんだのだとクロノスは思っている。だがしかし、そういうものは大抵必要ない場合が多く、物や生物の役目がないため触れることも出来ない。
「クロノス、この子を連れて行きましょ。この子はポセイドンに操られているだけなのよ」
「きゅぴ!」
「は?! 操られているもなにも、そいつは敵だ。倒さないと外側では暴れ回っ……あっつー!」
熱龍はクロノスに向かって熱湯を吐き、クロノスは熱さでのたうち回る。
「とにかく、行くよ」
「きゅわゎ☆」
熱龍はヘルメスに抱かれて、気持ち良さそうに笑っている。
「もう……仕方ないか」
よろよろしながらクロノスは自分たちの周りにシールドを再び張った。湯飲みの中から景色が外側に変わっていった。
クロノスたちは、熱龍に飲み込まれた場所に戻った。それと同時にポセイドンの三叉槍(ネプトゥヌス)で攻撃を受けた。シールドは砕け散り、再び張る力はクロノスには残っていない。
「ふん……まさか湯飲みの中にいたとはな」
「きゅぴ……」
「ポセイドン、あなたまさか」
「そいつの意思など関係ない」
ポセイドンは指を鳴らした。
熱龍の身体が波打つ。
「どうした、早くそれを殺さないとお前らが死ぬぞ」
熱龍の身体はどんどん熱く大きく、液体に近くなっていく。
パシッ
「……ん?」
「湯飲み、頂くね」
風早の手には先ほどまでポセイドンが持っていた湯飲みが握られていた。
「くっ、舐めた真似を」
ポセイドンは雷を纏った三叉槍を次々と振るった。しかし風早には当たらない。
「これでも学生時代は快速の風早って言われてたんだから」
湯飲みが風早に渡ったからか熱龍は小さくなり、手のひらサイズに戻った。
「クロノス!」
風早はクロノスに向かって湯飲みを投げた。
「させるか! 湯飲み諸とも粉々になるがいい」
ポセイドンは雷を纏った三叉槍を投げた。
「くっ!!」
同時に風早は駆け、三叉槍を蹴りあげた。
そして信じられない速さでポセイドンの背後を取る。それは人間を超して神に成り果てている者の技である。クロノスには人格さえ変わったように見えた。
「あの龍たちはお前の奥方、アンピトリテからの贈り物なんだろ? 口説き落とすの、大変だったらしいな」
「ううう、うるさい、そ、それがどうした」
「遥か昔に龍たちをお前に届けてくれとアンピトリテに頼まれたのは私だ。私がこの件をアンピトリテに報告するか、このまま私がお前にとどめをさすか……選べ」
風早、いやヘルメスはニタリと笑い、身動きが取れないポセイドンは震え上がった。
「ど、どちらも嫌だ!」
「そうか、残念だったな」
ヘルメスがケリュケイオンを振り上げた。
「待て!」
「クロノス」
ヘルメスははっとクロノスを見た。
「やめてくれ、風早が! 歴史が変わってしまう」
ヘルメスはケリュケイオンを下ろし、優しくクロノスに微笑んだ。
「クロノス、昔にもこんな感情を持てたらよかったのにな」
再びポセイドンに向き直したヘルメス。
「おい、ポセイドン、今後一切邪魔をするな。もし邪魔をするようなことがあれば、アンピトリテに今回のことを報告しに行くからな」
「あ……はい」
「分かったら消えろ」
ポセイドンは水となって消えていった。
「ヘルメス……」
「……」
「あ、か風早?」
クロノスは恐る恐る声を掛けた。
「きゅぴ!」
クロノスが持っている湯飲みの中から熱龍が顔を出した。
「ゆぴ!」
「え?」
満面の笑みで風早はクロノスから湯飲みを取り上げ、ゆぴと呼ばれる熱龍と感動の再会をする。
「ふぅ、ま、いっか」
クロノスは一息つき、時空を自分たちに出会う前の観音寺に戻した。
佐吉はクロノスたちのことは知らない。
当然、無事に佐吉は羽柴秀吉に三杯のお茶を出し、秀吉に付いていくことになった。
ゆぴはアンピトリテの元に戻り、ポセイドンはアンピトリテにこっぴどく叱られ、それはそれでまた歴史を刻むことになる別のお話。
「……」
風早は意地でも「ヘルメス」と呼ばれては、返事をすまいと決めた。何故なら、何だか違う世界に連れて行かれそうで怖かったからだ。
「風早」
「……何ですか?」
「お茶に反応があるのだ」
「は?」
先ほどクロノスに出したお茶が光っている。
「お茶が危ない」
クロノスはまた鎌を構え振り落とし、部屋の空間が裂けた。裂けた空間からは自然の香りがする。
「まじか」
「風早、力を貸して欲しい」
首を振る風早にクロノスは再度言う。
「風早、この空間をくぐり抜けてくれないか」
クロノスが鎌で切り裂いた空間は、お茶の色をしており、クロノスと風早の間でゆっくりゆらゆらと揺れている。
「くぐり抜けたらどうなるの」
「ヘルメスの力を取り戻せる。それと同時に現世のお前の時間は止まる……いや、私と出会う前に戻る」
クロノスは裂けた空間の向こう側から手を差し伸べた。
「大丈夫、死にはしない」
「これは夢……?」
「夢ではない」
風早は不安でいっぱいだ。
「安心しろ、私はお前の敵ではない。お願いだ、力を貸して欲しい。でないと私は……」
クロノスの表情が曇る。
「さっきからそれしか言ってないよね」
風早は恐る恐る手を空間に向かい、伸ばした。
その瞬間ー
「うわあぁあ!」
クロノスは風早の手を引っ張り、お茶色の空間は波打った。
「あぁあ……? あれ」
クロノスがにやりと言う。
「神は簡単には人間に干渉出来ない。しかし、お前の元の魂は強化され、神に戻った。時空の移動にも耐えられるようになったはずだ」
クロノスは風早の手を放した。
「あのー、格好が違うんですけど」
「ヘルメスが着ていた服だ。動きやすかろう」
そうだ、とクロノスは言い指を鳴らした。
「うわあぁあ!!」
風早の前に2匹の白蛇が巻き付いた杖が降ってきた。
「ケリュケイオン。その蛇は作り物だ。早く持て、お茶が危ない」
風早は作り物と聞いてほっとするが、少し気味が悪い。
「お茶お茶って、お茶が何なの?!」
「石田三成の三杯のお茶を知っているか?」
「知ってるけど」
リアルな作りの蛇にビクビクしながら杖を拾う風早をクロノスは待ちきれない。
「それなら話が早い。行くぞ」
「え」
部屋の空間が歪んだ。風早の頭は割れるように痛かった。しかし、クロノスが言ったように「死にはしない」感じがした。
だんだんと景色が移動している。
「着いた」
「……うぅぅっ」
風早は片手でガンガンする頭を押さえながらへたりこんだ。
「おいおい、昔はたまにだがお前もこうやって移動していたんだぞ」
天正年二年、滋賀県観音寺、とある廊下。
石田三成十五歳。秀吉三十九才。
これは偶然の出来事か、石田三成が考えてやったことなのかは分からない。
後に「三杯のお茶」はクロノスが存在する歴史上、無くてはならない出来事となる。
「うぅ、何でこんな目に遭わないといけないのよー」
風早はまだ地にへたりこんでいる。
「さて、問題のお茶をあやつらより早く見付けて守らねばならん。行くぞ」
クロノスは風早の腕を掴んで立ち上がらせる。ヨロヨロと風早は立ち上がる。
「あれ、君たち……どうしたの?」
「石田三成……」
クロノスと少年の目が合う。少年は臆することなく、クロノスの青い目を見つめた。
「何をしているのです、佐吉」
一人の僧が佐吉の背後から声を掛けた。
「内海様」
佐吉はびっくりしたように内海の方を振り返る。
「羽柴様はそんなぬるいお茶、飲んでくださらないですよ。これだからいつまで経ってもあなたは半人前なのですよ」
内海はにやりと笑う。
「さ、私が用意したお茶をお持ちなさい」
佐吉は内海と自分の湯飲みを交換しようとした。
「……っと!歴史が変わるとマズイの……かな」
「おお!風早、よくやってくれた」
風早が佐吉の手から、瞬時に湯飲みを奪った。ほんのり温かい。
「あ、あぇ!?」
「ちっ」
内海はパチンと指を鳴らした。
すると、風早が持っている湯飲みからは青い龍、内海の湯飲みからは赤い龍が飛び出した。
「り、龍……」
風早は空の湯飲みを持ちながら、お茶で出来た龍を呆然と見上げた。
「まずい、これ以上佐吉を巻き込むと危険だ!」
鎌で空間を切り、クロノスは佐吉を巻き込まないよう別の空間に自分たちを移動させる。
景色がまた移り変わっていく。
「ここなら心配ないだろう」
たどり着いた場所、そこはもう必要が無くなった物だけが浮いている不思議な世界。存在しているように見えるが、クロノスたちはそれに触れることは出来ない。
「さぁ、始めようか」
クロノスは大鎌を構え、戦闘体勢に入った。
「ふっ」
内海は2匹の龍を操り、クロノスに攻撃を仕掛けた。真っ赤な熱い龍、青い冷たい龍がクロノスに交互に襲いかかる。
「クロノス!」
「風早、じっとしていろ」
風早はケリュケイオンを掲げる。しかし、何も起こらない。
「はっはっはー!その杖、さてはヘルメスだな。中立かと思っていたが、クロノスに味方するか……
行け」
内海は風早に狙いを定め、龍を放った。
龍は杖に当たり、杖が弾き飛ばされた。
「冷龍、ケリュケイオンを凍らせてしまえ」
冷龍は霧のようなものをケリュケイオンに向かい、勢いよく吐いた。ケリュケイオンは一瞬にして氷に包まれた。
「風早、お前は下がっていろ」
クロノスは風早とケリュケイオンの周りの時空間を歪めシールドを張った。風早の周りだけ景色が歪んで見える。風早はシールドを叩くがびくともしない。
「ちょっ、私元の世界に戻れるの?!」
「ポセイドンに勝てればな」
「え、ポセイドンてあの神話の」
「神話? 何だそれは」
こう話をしているうちにも冷龍と熱龍はシールドを破壊しに襲ってくる。
「クロノス、余所見をしていて私に勝てると思うのか」
「ぐあぁ!」
風早と話していたクロノスの背中に熱湯が掛かる。
「クロノス!」
「ははは、次は凍りつけ」
クロノスは冷龍から吐き出される息をなんとかかわした。
「歴史を変えてはいけない」
「それはお前が死ぬからだろう!」
ポセイドンはクロノスに向かって再び熱龍を放った。その時、熱龍は歪んだ空間に吸い込まれ、ポセイドンの元に吐き出された。何度やっても同じである。
「お前はこの手で私が倒す!」
ポセイドンはギリッと握り拳を作った。
二人は決着の構えをとる。じりじりと間を詰めていく。熱龍は口の中を沸騰させ、今にも襲いかかりそうである。
「お前がいなければ、ラグナロクは起こらなかった。お前がいなければ、平和だった!」
「ちょっと、何やってんのクロノス! 早く戦かっ……」
風早はシールドの中が寒いと感じたその時。
シールドは音を立てて壊れた。破片が宙に舞い、消えていくと風早の前に冷龍が現れた。
「風早っ」
「おっと、お前の相手は私たちだ」
クロノスは行く手を塞がれる。
風早は、はっとして佐吉から取り上げた湯飲みを見た。お茶は既に冷龍になっているので一滴も無い。
「この湯飲みさえなければ、冷龍は消滅するかもしれない」
「風早、何をぼうっとしてる!」
冷龍が氷でできた鋭い牙で風早に襲いかかろうとしたその時ーー
「何?!」
「よせ! 風早!」
湯飲みは音を立てて壊れ、冷龍は消滅した。
膝から崩れ落ちたクロノスを見てポセイドンは嗤った。
「くっ……はははは、クロノス、終わりだ!」
ポセイドンは熱龍を操り、それをクロノスに浴びせる。
「ぐっ! 風早……、湯飲みが壊れたら歴史が変わってしまう。私は……」
「湯飲みならまだあるじゃない!」
風早はポセイドンを指差した。
「何を言っている、あれはアツアツだぞ」
「何とか出来ないの?!」
「私が出来るのは空間移動や時間を止める等の時間を操ることとシールドを張ることだけだ」
風早はがく然とする。底をつきそうな体力を使いながらクロノスはシールドを張り、攻撃に耐える。
「空間移動、シールド、時間を止める……」
「な、何か考えはあるのか?」
シールドにヒビが入りはじめる。
「とどめだ」
ポセイドンは熱龍をシールドの真上から急降下させ、クロノスたちは熱龍に飲み込まれたかに見えた。
「き……消えただと」
「ふう、まったくお前は妙なことを」
「安全な場所はここしかなかったの」
クロノスと風早はポセイドンが持っている湯飲みの中にいる。中からは、ポセイドンがクロノスたちを探すような叫び声が聞こえる。
「きゅぴ」
「どうした?」
クロノスは風早の方を振り返る。
「何も言ってないよ」
「きゅぴー」
クロノスは自分の足元を見た。
何かやわらかい物を踏んでいる。
「きゅわゎ……」
「クロノス、足をどけて」
風早はしゃがんで言う。
「敵だったらどうするんだっ……あつぅ! 熱っ!」
思わず足を上げるクロノスをよそに、風早は小さな龍を両手ですくい上げた。
「かわいいー! この子、もしかして熱龍じゃない?」
「は?」
クロノスは呆然とする。
熱龍が手のひらサイズなわけがない、自分が時空移動するときにどこからか迷いこんだのだとクロノスは思っている。だがしかし、そういうものは大抵必要ない場合が多く、物や生物の役目がないため触れることも出来ない。
「クロノス、この子を連れて行きましょ。この子はポセイドンに操られているだけなのよ」
「きゅぴ!」
「は?! 操られているもなにも、そいつは敵だ。倒さないと外側では暴れ回っ……あっつー!」
熱龍はクロノスに向かって熱湯を吐き、クロノスは熱さでのたうち回る。
「とにかく、行くよ」
「きゅわゎ☆」
熱龍はヘルメスに抱かれて、気持ち良さそうに笑っている。
「もう……仕方ないか」
よろよろしながらクロノスは自分たちの周りにシールドを再び張った。湯飲みの中から景色が外側に変わっていった。
クロノスたちは、熱龍に飲み込まれた場所に戻った。それと同時にポセイドンの三叉槍(ネプトゥヌス)で攻撃を受けた。シールドは砕け散り、再び張る力はクロノスには残っていない。
「ふん……まさか湯飲みの中にいたとはな」
「きゅぴ……」
「ポセイドン、あなたまさか」
「そいつの意思など関係ない」
ポセイドンは指を鳴らした。
熱龍の身体が波打つ。
「どうした、早くそれを殺さないとお前らが死ぬぞ」
熱龍の身体はどんどん熱く大きく、液体に近くなっていく。
パシッ
「……ん?」
「湯飲み、頂くね」
風早の手には先ほどまでポセイドンが持っていた湯飲みが握られていた。
「くっ、舐めた真似を」
ポセイドンは雷を纏った三叉槍を次々と振るった。しかし風早には当たらない。
「これでも学生時代は快速の風早って言われてたんだから」
湯飲みが風早に渡ったからか熱龍は小さくなり、手のひらサイズに戻った。
「クロノス!」
風早はクロノスに向かって湯飲みを投げた。
「させるか! 湯飲み諸とも粉々になるがいい」
ポセイドンは雷を纏った三叉槍を投げた。
「くっ!!」
同時に風早は駆け、三叉槍を蹴りあげた。
そして信じられない速さでポセイドンの背後を取る。それは人間を超して神に成り果てている者の技である。クロノスには人格さえ変わったように見えた。
「あの龍たちはお前の奥方、アンピトリテからの贈り物なんだろ? 口説き落とすの、大変だったらしいな」
「ううう、うるさい、そ、それがどうした」
「遥か昔に龍たちをお前に届けてくれとアンピトリテに頼まれたのは私だ。私がこの件をアンピトリテに報告するか、このまま私がお前にとどめをさすか……選べ」
風早、いやヘルメスはニタリと笑い、身動きが取れないポセイドンは震え上がった。
「ど、どちらも嫌だ!」
「そうか、残念だったな」
ヘルメスがケリュケイオンを振り上げた。
「待て!」
「クロノス」
ヘルメスははっとクロノスを見た。
「やめてくれ、風早が! 歴史が変わってしまう」
ヘルメスはケリュケイオンを下ろし、優しくクロノスに微笑んだ。
「クロノス、昔にもこんな感情を持てたらよかったのにな」
再びポセイドンに向き直したヘルメス。
「おい、ポセイドン、今後一切邪魔をするな。もし邪魔をするようなことがあれば、アンピトリテに今回のことを報告しに行くからな」
「あ……はい」
「分かったら消えろ」
ポセイドンは水となって消えていった。
「ヘルメス……」
「……」
「あ、か風早?」
クロノスは恐る恐る声を掛けた。
「きゅぴ!」
クロノスが持っている湯飲みの中から熱龍が顔を出した。
「ゆぴ!」
「え?」
満面の笑みで風早はクロノスから湯飲みを取り上げ、ゆぴと呼ばれる熱龍と感動の再会をする。
「ふぅ、ま、いっか」
クロノスは一息つき、時空を自分たちに出会う前の観音寺に戻した。
佐吉はクロノスたちのことは知らない。
当然、無事に佐吉は羽柴秀吉に三杯のお茶を出し、秀吉に付いていくことになった。
ゆぴはアンピトリテの元に戻り、ポセイドンはアンピトリテにこっぴどく叱られ、それはそれでまた歴史を刻むことになる別のお話。