「スチールラックの組み方は」
お兄ちゃんが、死んだ。
生温い雨の降る日にかかってきた電話は、死神の笑い声みたいに私たちの家にやってきて、それを告げたらしい。母さんが泣き崩れるその姿を見て、私はお兄ちゃんが死んだことを知った。
「……悲しい、のかなぁ。」
どうしようもないことだと割り切ってしまったのかもしれない。まだ中学生の私は大人の話に混ぜてもらえなくて、お兄ちゃんが死んだ実感がまだ、湧いてくれなったのかもしれない。
お兄ちゃんが死んでしまったという事実は未だ私のところには訪れなかったから、私は空っぽのお兄ちゃんの部屋を見たところで悲しくもなんともなかったのだ。
母さんはずっと泣いている。単身赴任していた父さんはもう既に帰ってきていて、優しく母さんに寄り添っている。私は一人で部屋に居るまま、誰も私に何も言わなかった。
つらいだろうからと放っておかれているのだろうか。
……けれども私の頭は今日の晩ご飯のことだとか、ゲームで何をしようかとか、そんなくだらないことばっかりを考えていて。周りの人が思うほど深刻に何かを思い詰めたりしているわけではなかった。
それはいいことだったのだろう。たぶん、お兄ちゃんの後を追って死のうと考えたり何か変なことをしたりするよりは、百万倍くらいましだったんじゃないだろうか。だって、誰に迷惑をかけるわけでもなかったから。
……こうして変なことを考えているうちに、今日の晩ご飯が完成して、私は食卓に呼ばれて、お通夜の様に悲惨な空気の中で辛うじて味がするような国産米や、しょっぱすぎる味噌汁を口にする。
実際のところお通夜は過ぎているから、この表現は適切ではないのだろうけれど。早く立ち直ればいいのに、なんて惨い一言を吐くこともできないまま、やけに静かな食事をする羽目になるのだ。
かちゃかちゃと食器が音をたてる。静かな部屋の空気がそれを咎めるように張り詰めていて、息苦しい時間が流れる。
あの電話がかかってきてから会話の無くなった家の中には、過ぎ行く時間なんて無くなっていたようだ。母さんや父さんの中の時間はお葬式のあの日で止まっているのだろう、……それならば、私の中の時間はどうなっているのだろう。
止まっていることはないと思うけれど、進んでいるとも思えなかった。日常、と言えばいいのだろうか。
私だけがそれの中に戻っていて、目の前の二人は非日常に囚われたままなのだろうと思う。それは仕方のないことでもあったけれど、私からしてみれば何とも言えないほどに無意味であると言うほかなかった。
「……どう?美味しい?」
「美味しいよ。」
二人とも疲れているのではないだろうか。
塩気が効きすぎた味噌汁を啜りながら、心の中でひとり愚痴る。ご飯を食べながらじゃないとまともに飲めないようなしょっぱさのこれが、美味しいなんて言えるわけないのに。
──けれど、二人は私に目もくれない。きっと悲劇の主人公の様に振舞っているんだろうな。碌に悲しみもしなかった私に、きっと興味はないのだろう。
今更後悔したところで遅いのだ。今更嘆いたって変わらないのだ。そんなことをしてお兄ちゃんが帰ってくるのなら、きっとこんな世の中には、芸能人が死んだからって泣き喚くような人は居なくなるだろう。そんなことすらわかってくれないのだろうから、私は何も言えずに焦げてパサパサとした鮭の焼いたやつを口に押し込んでいるのだ。
……味がしない。塩をつけてないのか、何となく生臭いだけで味がしない。こんな味気ない食卓を、いつまで続ける気なのだろう。
どれだけそう思ったとしても、何も感じていない私にはどうにもできない。一緒に悲しむこともできないような娘が何を言ったって、きっと薄っぺらな言葉に聞こえるんだろうな。
「ごちそうさま。」
食器をシンクに持っていきながらそう言った。母さんは何も言わないままだった。ただひたすらに、非日常に浸かって日常を受け入れない毎日を送るだけ。
まるでロボットみたいでもあった。受け入れられないなんてかわいそうな思考放棄をして、母さんは母であることを半分やめていたのだと思う。
私の分の“お母さん”を、置いてきてしまったのだろう。
私のことは、存外どうでもよかったのかもしれない。
そう考えると、少し悲しくなった。
生温い雨の降る日にかかってきた電話は、死神の笑い声みたいに私たちの家にやってきて、それを告げたらしい。母さんが泣き崩れるその姿を見て、私はお兄ちゃんが死んだことを知った。
「……悲しい、のかなぁ。」
どうしようもないことだと割り切ってしまったのかもしれない。まだ中学生の私は大人の話に混ぜてもらえなくて、お兄ちゃんが死んだ実感がまだ、湧いてくれなったのかもしれない。
お兄ちゃんが死んでしまったという事実は未だ私のところには訪れなかったから、私は空っぽのお兄ちゃんの部屋を見たところで悲しくもなんともなかったのだ。
母さんはずっと泣いている。単身赴任していた父さんはもう既に帰ってきていて、優しく母さんに寄り添っている。私は一人で部屋に居るまま、誰も私に何も言わなかった。
つらいだろうからと放っておかれているのだろうか。
……けれども私の頭は今日の晩ご飯のことだとか、ゲームで何をしようかとか、そんなくだらないことばっかりを考えていて。周りの人が思うほど深刻に何かを思い詰めたりしているわけではなかった。
それはいいことだったのだろう。たぶん、お兄ちゃんの後を追って死のうと考えたり何か変なことをしたりするよりは、百万倍くらいましだったんじゃないだろうか。だって、誰に迷惑をかけるわけでもなかったから。
……こうして変なことを考えているうちに、今日の晩ご飯が完成して、私は食卓に呼ばれて、お通夜の様に悲惨な空気の中で辛うじて味がするような国産米や、しょっぱすぎる味噌汁を口にする。
実際のところお通夜は過ぎているから、この表現は適切ではないのだろうけれど。早く立ち直ればいいのに、なんて惨い一言を吐くこともできないまま、やけに静かな食事をする羽目になるのだ。
かちゃかちゃと食器が音をたてる。静かな部屋の空気がそれを咎めるように張り詰めていて、息苦しい時間が流れる。
あの電話がかかってきてから会話の無くなった家の中には、過ぎ行く時間なんて無くなっていたようだ。母さんや父さんの中の時間はお葬式のあの日で止まっているのだろう、……それならば、私の中の時間はどうなっているのだろう。
止まっていることはないと思うけれど、進んでいるとも思えなかった。日常、と言えばいいのだろうか。
私だけがそれの中に戻っていて、目の前の二人は非日常に囚われたままなのだろうと思う。それは仕方のないことでもあったけれど、私からしてみれば何とも言えないほどに無意味であると言うほかなかった。
「……どう?美味しい?」
「美味しいよ。」
二人とも疲れているのではないだろうか。
塩気が効きすぎた味噌汁を啜りながら、心の中でひとり愚痴る。ご飯を食べながらじゃないとまともに飲めないようなしょっぱさのこれが、美味しいなんて言えるわけないのに。
──けれど、二人は私に目もくれない。きっと悲劇の主人公の様に振舞っているんだろうな。碌に悲しみもしなかった私に、きっと興味はないのだろう。
今更後悔したところで遅いのだ。今更嘆いたって変わらないのだ。そんなことをしてお兄ちゃんが帰ってくるのなら、きっとこんな世の中には、芸能人が死んだからって泣き喚くような人は居なくなるだろう。そんなことすらわかってくれないのだろうから、私は何も言えずに焦げてパサパサとした鮭の焼いたやつを口に押し込んでいるのだ。
……味がしない。塩をつけてないのか、何となく生臭いだけで味がしない。こんな味気ない食卓を、いつまで続ける気なのだろう。
どれだけそう思ったとしても、何も感じていない私にはどうにもできない。一緒に悲しむこともできないような娘が何を言ったって、きっと薄っぺらな言葉に聞こえるんだろうな。
「ごちそうさま。」
食器をシンクに持っていきながらそう言った。母さんは何も言わないままだった。ただひたすらに、非日常に浸かって日常を受け入れない毎日を送るだけ。
まるでロボットみたいでもあった。受け入れられないなんてかわいそうな思考放棄をして、母さんは母であることを半分やめていたのだと思う。
私の分の“お母さん”を、置いてきてしまったのだろう。
私のことは、存外どうでもよかったのかもしれない。
そう考えると、少し悲しくなった。
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