鉄の音に隠した
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ヘラヴィーサを発してからずっと、メディサという新たな喰魔の女が、キキョウの胸を掻き乱していた。
業魔となってしまい聖寮に殺された娘に報いる為、喰魔となってまで戦おうとしたメディサ。
その狂気じみた、けれど、どこまでも純粋な母の愛。
タイタニアに戻ってきて、転んだモアナを抱き締めたメディサを、キキョウは羨ましいような、たまらなく寂しいような顔で見つめる。
そっとその場から離れて、キキョウは、クロガネがタイタニアでの工房としている一室へと足を向かう。
「戻りました」
「応」
金床の前で金物の修理をしていたクロガネは、入ってきたキキョウの沈んだ顔色を一目見るなり、手を止めた。
「どうした。ひでぇ顔してるぞ」
「お爺様……」
キキョウは、疲れ切った足取りでクロガネのすぐ隣に歩み寄り、冷たい石の床にぺたりと座り込んだ。そのまま両膝を抱え、小さな子供のように身体を丸める。
何も言わないキキョウを暫し見つめた後、クロガネはまた鉄を叩き出す。
規則正しい鉄を打つ音だけが、静かな部屋に響いている。
どれほどの時間が経っただろうか。ぽつりと、不意にキキョウが口を開いた。
「母を殺したのは、シグレ義兄様でした」
脈絡のない告白だった。しかし、クロガネは何も問いたださず、ただ静かに耳を傾ける。
「でも、私は昔……母の首を絞めようとしたことがあるんです」
鉄の音が止む。
膝に顔を埋めたまま、キキョウは、ぽつぽつと語り出した。
「私の母は、“外”の人間でした。私を産んだことで身体を壊して、敷地の隅の離れに追いやられて。母には私しかいませんでした。
いつも布団に横たわっていて、でも、私が稽古を頑張ったり、私の為に泣いたり、心配させて泣かせてしまったり……」
当時の記憶が蘇るのか、膝を抱えるキキョウの指先が白く強張った。
「ある日、死体のような顔で眠る母を見て……これ以上、ソウマの家に苦しめられるくらいならって、母の首に手を添えてしまったんです。
……力は、入れませんでした。でも、確かに私は、自分の意思で、母の首に手を伸ばした」
思い浮かべるのは、メディサとモアナの母の姿。
どちらも我が子の為に、我が身を差し出すことすら厭わなかった強いひと達。
「エレノアやモアナと、私は違います。彼女たちは、一度だって自分の意思で母親を害そうなんて思わなかったろうし、無条件に母親に愛されて、母親を愛して然るべき人たちです。
でも、私は……母を殺そうとした、悪い子です。だから、母を犠牲にしてまで生きる価値なんて、どこにもなかったのに……。
本当は、私、業魔になった日に自分から殺して、ってシグレ義兄様に願ったんです。
あの人がいなくなってから、ずっと苦しくて、辛くて、死ぬはずだった、死にたかった。
なのに、母は私を庇った」
『生きなさい!』
シグレの刃に倒れながら、母が遺した最後の願 い。
シグレは殺してほしい、と希った自分の意思を汲んでくれようとした。
八つ当たりで、逆恨みだとわかっているのに、シグレを恨む気持ちが消えない。
シグレも大好きな“兄”だったはずなのに、と、涙声で語る。
本当は全部わかっているのに。
「本当は今でも死にたいって気持ちはあるんです。でも、母の犠牲を無駄にしたくない。メディサと出会ってから……ずっと、そんなことばかり考えてしまって……」
苦しい。
息がしづらい。
自己嫌悪の底なし沼に沈んでいくキキョウの頭に、ぽん、と重くて硬いものが乗せられた。
顔を上げると、クロガネが大きな手で、キキョウの頭を無造作に撫でていた。
「俺ぁ、司祭じゃねぇ」
呆れたような、けれどひどく温かい、厳格な声。
「うじうじ考えてる暇があるなら寝ろ。
帰ってきたばっかで、ろくに休んでねぇから余計なこと考えちまうんだ」
「お爺、様……」
「寝ろ」
クロガネはそれ以上何も言わず、ころん、とキキョウを床に転がして、また頭を撫でる。
その手つきは不器用極まりなかったが、そこには、どんな聖職者の言葉よりも確かな「お前はここにいていい」という許容があった。
「……はい」
キキョウは小さく頷くと、言われた通りに目を閉じる。
暗闇の中で、再び槌が鉄を叩く音が響き始める。
それは不思議と耳障りではなく、まるで力強い心臓の鼓動のように、冷え切っていたキキョウの体をゆっくりと微睡みの中へ沈めていく。
時折、体が浮いたり、揺れたりするような気がしたが、むしろそれが心地良くて、なんだか温かいような気もして、やがて意識も深く沈めた。
次に目を覚ました時、クロガネが運んでくれたのだろうか、キキョウは布団の中にいた。
起きて、港へ行けばもう自分以外のメンバーが揃っている。
「休めた?」
「すみません、待たせてしまって」
「別に良いわよ。こっちも少し急かし過ぎたわ。行くわよ」
自分にはベルベットのような苛烈ながらも明確な目的も、他の仲間達のような確固たる信念があるわけでもない。
凍えそうになる度に、浅ましく、かつての名残を求めてしまうこともやめられない。
けれど、この船に乗ったからには、戦うと決めたからには、足を引っ張るわけにはいかない。
「はい」
覚悟を決めて、船のタラップの上に踏み出した。
業魔となってしまい聖寮に殺された娘に報いる為、喰魔となってまで戦おうとしたメディサ。
その狂気じみた、けれど、どこまでも純粋な母の愛。
タイタニアに戻ってきて、転んだモアナを抱き締めたメディサを、キキョウは羨ましいような、たまらなく寂しいような顔で見つめる。
そっとその場から離れて、キキョウは、クロガネがタイタニアでの工房としている一室へと足を向かう。
「戻りました」
「応」
金床の前で金物の修理をしていたクロガネは、入ってきたキキョウの沈んだ顔色を一目見るなり、手を止めた。
「どうした。ひでぇ顔してるぞ」
「お爺様……」
キキョウは、疲れ切った足取りでクロガネのすぐ隣に歩み寄り、冷たい石の床にぺたりと座り込んだ。そのまま両膝を抱え、小さな子供のように身体を丸める。
何も言わないキキョウを暫し見つめた後、クロガネはまた鉄を叩き出す。
規則正しい鉄を打つ音だけが、静かな部屋に響いている。
どれほどの時間が経っただろうか。ぽつりと、不意にキキョウが口を開いた。
「母を殺したのは、シグレ義兄様でした」
脈絡のない告白だった。しかし、クロガネは何も問いたださず、ただ静かに耳を傾ける。
「でも、私は昔……母の首を絞めようとしたことがあるんです」
鉄の音が止む。
膝に顔を埋めたまま、キキョウは、ぽつぽつと語り出した。
「私の母は、“外”の人間でした。私を産んだことで身体を壊して、敷地の隅の離れに追いやられて。母には私しかいませんでした。
いつも布団に横たわっていて、でも、私が稽古を頑張ったり、私の為に泣いたり、心配させて泣かせてしまったり……」
当時の記憶が蘇るのか、膝を抱えるキキョウの指先が白く強張った。
「ある日、死体のような顔で眠る母を見て……これ以上、ソウマの家に苦しめられるくらいならって、母の首に手を添えてしまったんです。
……力は、入れませんでした。でも、確かに私は、自分の意思で、母の首に手を伸ばした」
思い浮かべるのは、メディサとモアナの母の姿。
どちらも我が子の為に、我が身を差し出すことすら厭わなかった強いひと達。
「エレノアやモアナと、私は違います。彼女たちは、一度だって自分の意思で母親を害そうなんて思わなかったろうし、無条件に母親に愛されて、母親を愛して然るべき人たちです。
でも、私は……母を殺そうとした、悪い子です。だから、母を犠牲にしてまで生きる価値なんて、どこにもなかったのに……。
本当は、私、業魔になった日に自分から殺して、ってシグレ義兄様に願ったんです。
あの人がいなくなってから、ずっと苦しくて、辛くて、死ぬはずだった、死にたかった。
なのに、母は私を庇った」
『生きなさい!』
シグレの刃に倒れながら、母が遺した最後の
シグレは殺してほしい、と希った自分の意思を汲んでくれようとした。
八つ当たりで、逆恨みだとわかっているのに、シグレを恨む気持ちが消えない。
シグレも大好きな“兄”だったはずなのに、と、涙声で語る。
本当は全部わかっているのに。
「本当は今でも死にたいって気持ちはあるんです。でも、母の犠牲を無駄にしたくない。メディサと出会ってから……ずっと、そんなことばかり考えてしまって……」
苦しい。
息がしづらい。
自己嫌悪の底なし沼に沈んでいくキキョウの頭に、ぽん、と重くて硬いものが乗せられた。
顔を上げると、クロガネが大きな手で、キキョウの頭を無造作に撫でていた。
「俺ぁ、司祭じゃねぇ」
呆れたような、けれどひどく温かい、厳格な声。
「うじうじ考えてる暇があるなら寝ろ。
帰ってきたばっかで、ろくに休んでねぇから余計なこと考えちまうんだ」
「お爺、様……」
「寝ろ」
クロガネはそれ以上何も言わず、ころん、とキキョウを床に転がして、また頭を撫でる。
その手つきは不器用極まりなかったが、そこには、どんな聖職者の言葉よりも確かな「お前はここにいていい」という許容があった。
「……はい」
キキョウは小さく頷くと、言われた通りに目を閉じる。
暗闇の中で、再び槌が鉄を叩く音が響き始める。
それは不思議と耳障りではなく、まるで力強い心臓の鼓動のように、冷え切っていたキキョウの体をゆっくりと微睡みの中へ沈めていく。
時折、体が浮いたり、揺れたりするような気がしたが、むしろそれが心地良くて、なんだか温かいような気もして、やがて意識も深く沈めた。
次に目を覚ました時、クロガネが運んでくれたのだろうか、キキョウは布団の中にいた。
起きて、港へ行けばもう自分以外のメンバーが揃っている。
「休めた?」
「すみません、待たせてしまって」
「別に良いわよ。こっちも少し急かし過ぎたわ。行くわよ」
自分にはベルベットのような苛烈ながらも明確な目的も、他の仲間達のような確固たる信念があるわけでもない。
凍えそうになる度に、浅ましく、かつての名残を求めてしまうこともやめられない。
けれど、この船に乗ったからには、戦うと決めたからには、足を引っ張るわけにはいかない。
「はい」
覚悟を決めて、船のタラップの上に踏み出した。