雪解けにはならずとも
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喰魔探しの最中のある日のこと。
クロガネの手伝いで、修理が必要な金物を船中から探し、回収していたの袖を掴むものがいた。
「ねぇキキョウ」
「っ……!」
咄嗟に振り向いたキキョウは、僅かにたじろいだ。
モアナがいたからだ。
「えっと……なんですか、モアナ」
声が上擦らない様、努めて穏やかな声で話しかけるが、モアナは眉を寄せてじっ、と顔を見上げてくる。
しばらく待ってみたが、何が言いたいのか、したいのかがわからなくて、どうにかこの場から去ろうと、箱の中に入っているものを見せた。
「すみません。お爺様のお手伝いがあるので、行ってもいいですか?」
「キキョウは、モアナのこときらいなの……?」
「え……」
大粒の涙をポロポロとこぼしながら、モアナがキキョウの服の裾をぎゅっと握りしめている。
その小さな手の震えと、縋り付くような力の強さに、キキョウはひどく狼狽えた。
「そ、そういうわけでは、ないですよ」
そうではない、と伝えようとするものの、キキョウの声はどうしてもぎこちなくなってしまい、その声を聞いたモアナはやっぱり、と声をあげた。
「うそ!だってキキョウ、モアナとあんまりお話ししてくれないもん!」
子供には、大人の建前など通用しなかった。わあっと声を上げて泣きじゃくる幼子を前に、キキョウはどうしていいかわからず、空中で両手を彷徨わせる。
箱を横に置いて、頭や背中を撫でて宥めようとする手が止まる。
パラミデス聖殿で死なせてやるべきだ、と言ってしまった後ろめたさが、モアナに触れようとするキキョウの指先を重くする。
困惑と罪悪感で完全にフリーズしてしまった、その時だった。
「だめですよモアナ。キキョウが困っています」
凛とした声とともに、エレノアが二人の間に割って入った。
エレノアは優しくモアナの目線に合わせてしゃがみ込み、その頭を撫でる。
「だって……」
「キキョウは、モアナとどんなお話をしたらいいかわからないだけなんですよね」
エレノアがちらりと視線を向けると、キキョウは助け舟にすがるように、わずかに目を伏せて頷いた。
「はい……」
「ほらね。だから、嫌われているわけじゃありませんよ。
それより、お仕事をしてる人の邪魔をしてはいけません」
「むぅ……わかった……あとでお話ししてね」
エレノアの言葉に、モアナはようやく涙を拭い、小さく頷いてパタパタと駆けていった。
嵐が去ったような静寂の中、キキョウは密かに安堵の息を吐く。
「助かりました。私では、どう言葉をかけていいかわからなくて……」
「子供が苦手、と言うわけではないですよね。ライフィセットとはよく話していますし」
「今更あの子に何もなかったように接する資格なんてありませんから……」
「それを言うなら私もです。己の了見の狭さでマヒナさんを追い詰めて……。
それにキキョウ、私はあなたにも、謝らなければならないことがあります」
その堅苦しい切り出し方に、キキョウはわずかに首を傾げる。
「謝らなければならないこと、ですか?」
「はい……」
エレノアは姿勢を正し、深く頭を下げた。
「パラミデス聖殿で……私は、業魔に人の心なんてない、母性などなくなるのだと、心ない言葉を投げかけました」
エレノアの顔には、痛切な悔恨が浮かんでいた。
「何度も刃を交えたベルベットや、戦いを邪魔すれば本気で仲間すら殺そうとするロクロウと違って……あなたはいつも穏やかで、人間の姿を保っていて、私のこともよく気にかけてくれていました。
正直、今でもあなたが業魔だなんて信じられません……だから私は無意識のうちに、あなただけは、例外の枠に入れて、勝手に期待して、そして勝手に裏切られた気になって……。
あなたが抱えている痛みや事情も知らずに、深く傷つける言葉を言ってしまった。
本当に、申し訳ありませんでした」
その言葉を聞いて、キキョウはきょとんと目を丸くした。
パラミデスでのエレノアの言葉は、確かにキキョウの古傷を抉るものだった。
だが、それはキキョウ自身が『母の愛』に対して勝手に抱えていた負目や葛藤が引き起こした痛みであり、エレノアの言葉自体に傷ついたわけではない。
対魔士が業魔を否定するのは当たり前だ。むしろ、そう教え込まれてきた彼女が、敵である業魔に向かってここまで本気で頭を下げている事実の方が、キキョウにはよほど驚くものだった。
「(別に、気にするようなことでもなかったのに……)」
本当に、どこまでも真面目で、真っ直ぐで、優しい人だ。
キキョウの胸の奥底で長年張り詰めていた氷のような部分が、ほんの少し解けるような気がした。
自然と、キキョウの口元に柔らかく、微かな温もりを持った笑みが浮かぶ。
「顔を上げてください、エレノア」
「ですが……」
「私は業魔です。対魔士であるあなたがそう考えるのは当然のことですし、私自身、あなたの言葉を責めるつもりは毛頭ありません」
凪いだ声ではなく、確かな体温を持った声で、キキョウは告げる。
「それに……先ほど、あなたがいなければ、私はモアナを泣かせたまま立ち尽くすしかありませんでした。それで十分です」
キキョウの穏やかな微笑みを見て、エレノアはようやく少しだけほっとしたように、強張っていた肩の力を抜く。
業魔と対魔士。本来であれば相容れないはずの二人の間に、静かで温かな空気が流れる。
「キキョウのお母さんはどんな方だったんですか?」
「……」
「キキョウ……?」
「……よく、泣く人でした」
クロガネの手伝いで、修理が必要な金物を船中から探し、回収していたの袖を掴むものがいた。
「ねぇキキョウ」
「っ……!」
咄嗟に振り向いたキキョウは、僅かにたじろいだ。
モアナがいたからだ。
「えっと……なんですか、モアナ」
声が上擦らない様、努めて穏やかな声で話しかけるが、モアナは眉を寄せてじっ、と顔を見上げてくる。
しばらく待ってみたが、何が言いたいのか、したいのかがわからなくて、どうにかこの場から去ろうと、箱の中に入っているものを見せた。
「すみません。お爺様のお手伝いがあるので、行ってもいいですか?」
「キキョウは、モアナのこときらいなの……?」
「え……」
大粒の涙をポロポロとこぼしながら、モアナがキキョウの服の裾をぎゅっと握りしめている。
その小さな手の震えと、縋り付くような力の強さに、キキョウはひどく狼狽えた。
「そ、そういうわけでは、ないですよ」
そうではない、と伝えようとするものの、キキョウの声はどうしてもぎこちなくなってしまい、その声を聞いたモアナはやっぱり、と声をあげた。
「うそ!だってキキョウ、モアナとあんまりお話ししてくれないもん!」
子供には、大人の建前など通用しなかった。わあっと声を上げて泣きじゃくる幼子を前に、キキョウはどうしていいかわからず、空中で両手を彷徨わせる。
箱を横に置いて、頭や背中を撫でて宥めようとする手が止まる。
パラミデス聖殿で死なせてやるべきだ、と言ってしまった後ろめたさが、モアナに触れようとするキキョウの指先を重くする。
困惑と罪悪感で完全にフリーズしてしまった、その時だった。
「だめですよモアナ。キキョウが困っています」
凛とした声とともに、エレノアが二人の間に割って入った。
エレノアは優しくモアナの目線に合わせてしゃがみ込み、その頭を撫でる。
「だって……」
「キキョウは、モアナとどんなお話をしたらいいかわからないだけなんですよね」
エレノアがちらりと視線を向けると、キキョウは助け舟にすがるように、わずかに目を伏せて頷いた。
「はい……」
「ほらね。だから、嫌われているわけじゃありませんよ。
それより、お仕事をしてる人の邪魔をしてはいけません」
「むぅ……わかった……あとでお話ししてね」
エレノアの言葉に、モアナはようやく涙を拭い、小さく頷いてパタパタと駆けていった。
嵐が去ったような静寂の中、キキョウは密かに安堵の息を吐く。
「助かりました。私では、どう言葉をかけていいかわからなくて……」
「子供が苦手、と言うわけではないですよね。ライフィセットとはよく話していますし」
「今更あの子に何もなかったように接する資格なんてありませんから……」
「それを言うなら私もです。己の了見の狭さでマヒナさんを追い詰めて……。
それにキキョウ、私はあなたにも、謝らなければならないことがあります」
その堅苦しい切り出し方に、キキョウはわずかに首を傾げる。
「謝らなければならないこと、ですか?」
「はい……」
エレノアは姿勢を正し、深く頭を下げた。
「パラミデス聖殿で……私は、業魔に人の心なんてない、母性などなくなるのだと、心ない言葉を投げかけました」
エレノアの顔には、痛切な悔恨が浮かんでいた。
「何度も刃を交えたベルベットや、戦いを邪魔すれば本気で仲間すら殺そうとするロクロウと違って……あなたはいつも穏やかで、人間の姿を保っていて、私のこともよく気にかけてくれていました。
正直、今でもあなたが業魔だなんて信じられません……だから私は無意識のうちに、あなただけは、例外の枠に入れて、勝手に期待して、そして勝手に裏切られた気になって……。
あなたが抱えている痛みや事情も知らずに、深く傷つける言葉を言ってしまった。
本当に、申し訳ありませんでした」
その言葉を聞いて、キキョウはきょとんと目を丸くした。
パラミデスでのエレノアの言葉は、確かにキキョウの古傷を抉るものだった。
だが、それはキキョウ自身が『母の愛』に対して勝手に抱えていた負目や葛藤が引き起こした痛みであり、エレノアの言葉自体に傷ついたわけではない。
対魔士が業魔を否定するのは当たり前だ。むしろ、そう教え込まれてきた彼女が、敵である業魔に向かってここまで本気で頭を下げている事実の方が、キキョウにはよほど驚くものだった。
「(別に、気にするようなことでもなかったのに……)」
本当に、どこまでも真面目で、真っ直ぐで、優しい人だ。
キキョウの胸の奥底で長年張り詰めていた氷のような部分が、ほんの少し解けるような気がした。
自然と、キキョウの口元に柔らかく、微かな温もりを持った笑みが浮かぶ。
「顔を上げてください、エレノア」
「ですが……」
「私は業魔です。対魔士であるあなたがそう考えるのは当然のことですし、私自身、あなたの言葉を責めるつもりは毛頭ありません」
凪いだ声ではなく、確かな体温を持った声で、キキョウは告げる。
「それに……先ほど、あなたがいなければ、私はモアナを泣かせたまま立ち尽くすしかありませんでした。それで十分です」
キキョウの穏やかな微笑みを見て、エレノアはようやく少しだけほっとしたように、強張っていた肩の力を抜く。
業魔と対魔士。本来であれば相容れないはずの二人の間に、静かで温かな空気が流れる。
「キキョウのお母さんはどんな方だったんですか?」
「……」
「キキョウ……?」
「……よく、泣く人でした」