憐憫
夢主の名前
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翌朝、ロクロウが目を覚ますと、昨夜の熱気はすっかり冷え込んで、隣にあるはずの温もりすら消え失せていた。
「は」
乱れたシーツに手を伸ばしても、ひんやりとした布の感触が返ってくるだけだ。ただ、狭い船室の中には、昨夜ロクロウの理性を瓦解させ、獣のように自らを貪らせたあの甘い甘い香りだけが微かに残っている。
「夢、じゃないよな……?」
己の手のひらを見つめ、ロクロウは低く呟いた。
キキョウ自らこの部屋の扉を叩いたのだ。あの時のキキョウの瞳、震える指先、肌と肌が触れ合う感触、そして抗いようのない香りの毒。何もかもが鮮明に脳裏や、体に焼き付いている。
あれだけの夜を越えたのだ。今日顔を合わせれば、気まずさから目を逸らされるか、あるいは諦めたような顔で何か言葉をかけられるか。
なんにせよ、ただの旅の連れ合い、という分厚い壁は、決定的に壊れてしまったはずだとロクロウは思っていた。
しかし、その予想は呆気なく裏切られることになる。
日課の素振りをしに行こうと甲板に向かっている途中、ばったりとキキョウと出会した。
昨夜は大分、無理というか、無茶をした自覚があり、途端に気まずさを覚え、何を言うべきかと逡巡し、口籠っていた時だった。
「おはようございます」
「へ?」
あまりにも普段通りのトーンに、ロクロウは思わず出鼻をくじかれた。
キキョウの表情には、恥じらいも、気まずさも、あるいは昨夜の熱の余韻すら、欠片も残っていない。
まるで記憶そのものがすっぽりと抜け落ちているかのような、昨日までと同じ、完璧な凪いた空気だった。
「どうかしましたか?」
「いや……お前、その、昨日の夜……」
「昨夜が何か?」
「……いや、なんでもない」
キキョウの目には、本当に何の揺らぎもなかった。
あからさまに話を逸らそうと焦っているわけでも、無理に強がっているようにも見えない。あまりにも自然に『何もなかったこと』にされている。
拍子抜けしたというより、背筋が薄ら寒くなるような感覚だった。
「(なんだってんだ……?)」
ロクロウは内心で激しく困惑していた。
彼女の方からやってきたのだ。そして、あんなにも激しく交わって、なのに、朝になれば煙のように消え、顔を合わせれば昨日までと全く同じ「他人行儀な距離感」に完璧に戻っている。
傷ついているのか、怒っているのか、それとも本当に何も感じていないのか。
キキョウが何を考えているのか、ロクロウには全くわからなかった。
いや、わかっている。
体だけでいい。
それ以外は求めない。
キキョウは、自分から持ち掛けたその決まりを、忠実に守っているに過ぎない。
自分にとってもその方が都合が良いはずなのに、自分は何が引っ掛かっているのか。
それがロクロウにはわからなかった。
「は」
乱れたシーツに手を伸ばしても、ひんやりとした布の感触が返ってくるだけだ。ただ、狭い船室の中には、昨夜ロクロウの理性を瓦解させ、獣のように自らを貪らせたあの甘い甘い香りだけが微かに残っている。
「夢、じゃないよな……?」
己の手のひらを見つめ、ロクロウは低く呟いた。
キキョウ自らこの部屋の扉を叩いたのだ。あの時のキキョウの瞳、震える指先、肌と肌が触れ合う感触、そして抗いようのない香りの毒。何もかもが鮮明に脳裏や、体に焼き付いている。
あれだけの夜を越えたのだ。今日顔を合わせれば、気まずさから目を逸らされるか、あるいは諦めたような顔で何か言葉をかけられるか。
なんにせよ、ただの旅の連れ合い、という分厚い壁は、決定的に壊れてしまったはずだとロクロウは思っていた。
しかし、その予想は呆気なく裏切られることになる。
日課の素振りをしに行こうと甲板に向かっている途中、ばったりとキキョウと出会した。
昨夜は大分、無理というか、無茶をした自覚があり、途端に気まずさを覚え、何を言うべきかと逡巡し、口籠っていた時だった。
「おはようございます」
「へ?」
あまりにも普段通りのトーンに、ロクロウは思わず出鼻をくじかれた。
キキョウの表情には、恥じらいも、気まずさも、あるいは昨夜の熱の余韻すら、欠片も残っていない。
まるで記憶そのものがすっぽりと抜け落ちているかのような、昨日までと同じ、完璧な凪いた空気だった。
「どうかしましたか?」
「いや……お前、その、昨日の夜……」
「昨夜が何か?」
「……いや、なんでもない」
キキョウの目には、本当に何の揺らぎもなかった。
あからさまに話を逸らそうと焦っているわけでも、無理に強がっているようにも見えない。あまりにも自然に『何もなかったこと』にされている。
拍子抜けしたというより、背筋が薄ら寒くなるような感覚だった。
「(なんだってんだ……?)」
ロクロウは内心で激しく困惑していた。
彼女の方からやってきたのだ。そして、あんなにも激しく交わって、なのに、朝になれば煙のように消え、顔を合わせれば昨日までと全く同じ「他人行儀な距離感」に完璧に戻っている。
傷ついているのか、怒っているのか、それとも本当に何も感じていないのか。
キキョウが何を考えているのか、ロクロウには全くわからなかった。
いや、わかっている。
体だけでいい。
それ以外は求めない。
キキョウは、自分から持ち掛けたその決まりを、忠実に守っているに過ぎない。
自分にとってもその方が都合が良いはずなのに、自分は何が引っ掛かっているのか。
それがロクロウにはわからなかった。