血を吐くように
夢主の名前
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
穢れを雪ぎ流そうとするような清涼な水の気配は、今や、その場にいる者たちの胸を重苦しくさせるような、不快な湿気と成り果てていた。
パラミデス神殿の最奥の部屋。
そこで、業魔と化したハリアの巫女マヒナの成れの果てを、そうとは知らずに喰らってしまった娘のモアナ。
ひとまずの正気を取り戻し、床にへたり込んで泣きじゃくるモアナに、ベルベットがその赤い異形の腕を持ち上げる。
その凶行をエレノアが必死の形相で制止に入る。
信じていた聖寮の教えと、目の前の凄惨な現実との間で引き裂かれそうになりながらも、自らの手で死に追いやってしまったマヒナの無念をせめて、と、幼い命を守ろうと声を張り上げるエレノア。
その張り詰めた空気を、静かで、ひどく凪いだ声が断ち切った。
「……その子を助けてどうするんですか?」
思わずエレノアが振り返る。
「キキョウ……!?」
エレノアの声には、さらなる動揺が混じる。普段、誰に対しても温厚で、争いを好まない彼女の口から、ベルベットの凶行を肯定するような言葉が出るとは思わなかったのだ。
「あなたまでそんなことを言うの!?」
裏切られたような思いでキキョウに詰め寄るエレノア。
だが、当のキキョウの瞳に浮かんでいるのは、冷酷な非情さではなく、底なしの深い憐憫だった。
「ハリア村には二人を心配する人もいましたが、彼女達親子を見捨てて、聖寮に阿ろうとする人達も少なくありませんでした。業魔になってしまったモアナを、村の人々が受け入れると思えません」
「それは……!でも!それなら私が……!」
エレノアの悲痛な叫びを、キキョウは静かに、だが残酷なほど真っ直ぐに切り捨てた。
「いつまで?」
その一言は、重い鉛のように部屋の空気を沈ませた。
「業魔になった者は人間には戻れません。私のように人の姿に擬するのは、そう簡単なことではありませんよ。ただでさえ、あなたは裏切者として私達同様、聖寮から追われる身です。そんなあなたが、いつまでモアナを、業魔を守ってあげられますか?」
キキョウは俯き、首元を覆う襟巻に触れ、静かに口元を隠す。
その下にある、決して人には見せられない業魔としての真実。人を殺めるために生み出された力。その業の深さを誰よりも知っているからこそ、彼女の言葉には反論を許さない重みがあった。
「一人だけ生き残って、いつか本当のことに気付いてしまったら? その方が辛いかもしれないのに……」
「でもっ、でもだからって!!」
なおも食い下がろうとするエレノア。
それに対し、キキョウは目を伏せ、絞り出すように言った。
「私は……業魔になった私を斬ろうとしたシグレ義兄様から、私を庇って死んだ、業魔になった母と一緒に終わりたかった……」
「!」
「えっ……!?」
その痛切な吐露に、エレノアは雷に打たれたように硬直した。
キキョウの言葉は、モアナへの冷酷な宣告などではなかった。
ただ一人残され、母を死なせたという罪悪感に苛まれながら生き地獄を這いずってきた彼女自身の、血を吐くような悲鳴だったのだ。
『業魔に人の心などない』
『業魔になったら人らしい母性などなくなる』
「あっ、ああっ……!?」
エレノアの顔から、さぁ、と血の気が引いていく。
自分と同じように深い傷を抱えていた目の前の女の心を、自分の独りよがりな正義感が、どれほど無自覚に、無惨に抉っていたのかに気づいてしまったからだ。
重苦しい沈黙の中、二人の問答は聞き飽きたとばかりに、ベルベットが腕を振り上げる。
甲高い破壊音と共に、モアナを捕らえていた結界だけが粉々に砕け散る。
結局、ベルベットはモアナを殺さなかった。
モアナに背を向け、部屋を出ようとするベルベットは、すれ違いざまに横目でキキョウを捉えた。
「言ってることと顔が合ってないわよ」
その指摘にキキョウはわずかに目を見張り、そして伏せた。
「……ええ、子供の頃よく怒鳴られました」
残される者の地獄を知っているからこそ「死んだ方がましだ」と本気で思っていたのは、嘘ではなかっただろう。
それでも、彼女のその顔には、幼い命が理不尽に散らずに済んだことへの、確かな安堵が浮かんでいた。
キキョウは小さく息を吐き出すと、それ以降、モアナに視線を向けることなく、静かに踵を返して、ベルベットの後を追う。
これ以上、モアナに情を移す資格など自分にはないのだと、自らに厳格な線を引き直すように。
パラミデス神殿の最奥の部屋。
そこで、業魔と化したハリアの巫女マヒナの成れの果てを、そうとは知らずに喰らってしまった娘のモアナ。
ひとまずの正気を取り戻し、床にへたり込んで泣きじゃくるモアナに、ベルベットがその赤い異形の腕を持ち上げる。
その凶行をエレノアが必死の形相で制止に入る。
信じていた聖寮の教えと、目の前の凄惨な現実との間で引き裂かれそうになりながらも、自らの手で死に追いやってしまったマヒナの無念をせめて、と、幼い命を守ろうと声を張り上げるエレノア。
その張り詰めた空気を、静かで、ひどく凪いだ声が断ち切った。
「……その子を助けてどうするんですか?」
思わずエレノアが振り返る。
「キキョウ……!?」
エレノアの声には、さらなる動揺が混じる。普段、誰に対しても温厚で、争いを好まない彼女の口から、ベルベットの凶行を肯定するような言葉が出るとは思わなかったのだ。
「あなたまでそんなことを言うの!?」
裏切られたような思いでキキョウに詰め寄るエレノア。
だが、当のキキョウの瞳に浮かんでいるのは、冷酷な非情さではなく、底なしの深い憐憫だった。
「ハリア村には二人を心配する人もいましたが、彼女達親子を見捨てて、聖寮に阿ろうとする人達も少なくありませんでした。業魔になってしまったモアナを、村の人々が受け入れると思えません」
「それは……!でも!それなら私が……!」
エレノアの悲痛な叫びを、キキョウは静かに、だが残酷なほど真っ直ぐに切り捨てた。
「いつまで?」
その一言は、重い鉛のように部屋の空気を沈ませた。
「業魔になった者は人間には戻れません。私のように人の姿に擬するのは、そう簡単なことではありませんよ。ただでさえ、あなたは裏切者として私達同様、聖寮から追われる身です。そんなあなたが、いつまでモアナを、業魔を守ってあげられますか?」
キキョウは俯き、首元を覆う襟巻に触れ、静かに口元を隠す。
その下にある、決して人には見せられない業魔としての真実。人を殺めるために生み出された力。その業の深さを誰よりも知っているからこそ、彼女の言葉には反論を許さない重みがあった。
「一人だけ生き残って、いつか本当のことに気付いてしまったら? その方が辛いかもしれないのに……」
「でもっ、でもだからって!!」
なおも食い下がろうとするエレノア。
それに対し、キキョウは目を伏せ、絞り出すように言った。
「私は……業魔になった私を斬ろうとしたシグレ義兄様から、私を庇って死んだ、業魔になった母と一緒に終わりたかった……」
「!」
「えっ……!?」
その痛切な吐露に、エレノアは雷に打たれたように硬直した。
キキョウの言葉は、モアナへの冷酷な宣告などではなかった。
ただ一人残され、母を死なせたという罪悪感に苛まれながら生き地獄を這いずってきた彼女自身の、血を吐くような悲鳴だったのだ。
『業魔に人の心などない』
『業魔になったら人らしい母性などなくなる』
「あっ、ああっ……!?」
エレノアの顔から、さぁ、と血の気が引いていく。
自分と同じように深い傷を抱えていた目の前の女の心を、自分の独りよがりな正義感が、どれほど無自覚に、無惨に抉っていたのかに気づいてしまったからだ。
重苦しい沈黙の中、二人の問答は聞き飽きたとばかりに、ベルベットが腕を振り上げる。
甲高い破壊音と共に、モアナを捕らえていた結界だけが粉々に砕け散る。
結局、ベルベットはモアナを殺さなかった。
モアナに背を向け、部屋を出ようとするベルベットは、すれ違いざまに横目でキキョウを捉えた。
「言ってることと顔が合ってないわよ」
その指摘にキキョウはわずかに目を見張り、そして伏せた。
「……ええ、子供の頃よく怒鳴られました」
残される者の地獄を知っているからこそ「死んだ方がましだ」と本気で思っていたのは、嘘ではなかっただろう。
それでも、彼女のその顔には、幼い命が理不尽に散らずに済んだことへの、確かな安堵が浮かんでいた。
キキョウは小さく息を吐き出すと、それ以降、モアナに視線を向けることなく、静かに踵を返して、ベルベットの後を追う。
これ以上、モアナに情を移す資格など自分にはないのだと、自らに厳格な線を引き直すように。