引き込んだのは
夢主の名前
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扉を押し開けると、薄暗い船室のベッドには、女が、キキョウが静かに横たわっていた。
つい先ほど、ロクロウから「許嫁だった」と聞かされたばかりの相手。
ロクロウの突き放すような態度からして、ひどく泣き喚いているか、あるいは自暴自棄になっているかと思ったが、彼女の纏う空気は不気味なほどに凪いでいた。
「貴女は……?」
身を起こしながら、警戒とも戸惑いともつかないキキョウの問いに、ベルベットは手にしていたシチューとパンの乗った盆を、そばの机の上に置いた。
「ベルベットよ。あいつの代わりに食事持ってきたついでに、あんたに話がある」
冷たく言い放ち、ベルベットは腕を組んでキキョウを見下ろした。
シグレと渡り合った業魔。
戦力としては申し分ないが、もし反抗するようなら、力尽くでも、あるいはクロガネをダシにしてでも従わせる。
ベルベットの頭の中には、すでに幾つもの冷酷な脅し文句が用意されていた。
「話?」
「あたしに協力なさい」
有無を言わさぬ、命令だった。
さあ、どう出る。ベルベットが鋭い視線でキキョウの反応を窺った、その時だ。
「いいですよ」
「はっ?」
あまりにもあっさりとした、拍子抜けするほど穏やかな肯定。
予想外すぎる即答に、ベルベットは思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。組んでいた腕が微かに解ける。
戸惑うベルベットをよそに、キキョウは淡々と、しかし理路整然と理由を口にしていく。
「どうせ行く場所も逃げる場所もないですし、首を失くしたお爺さまのことも気がかりですから。怪我の手当もしてくださったみたいですし、恩返しと家賃代わりに働け、というならそれで」
その声には、怒りも、悲しみも、自身の不遇を嘆くような響きすら感じられない。ただ、「そうするしかないから」という空虚な諦観だけが漂っていた。
「そ、そう……素直なやつは嫌いじゃないわ」
用意していた脅し文句がすべて空振りに終わり、ベルベットは僅かに顔を引き攣らせながら言葉を返した。
「(調子狂うわねこの女……)」
胸の内でベルベットは悪態をつく。反抗されるよりはマシだが、この底知れぬ従順さは、かえって薄気味悪さすら覚えさせた。
「……ふふっ」
不意に、キキョウの唇から微かな笑い声が漏れた。
「なによ」
ベルベットが怪訝そうに眉を寄せると、キキョウはゆっくりと首を横に振った。その瞳の奥に、先ほどまでの虚無感とは違う、初めて微かな熱が灯ったのが見えた。
「いえ。……あなたがロクロウ様を監獄から?」
「成り行きでね」
「じゃあ、あの人をそこから出してくれたお礼も兼ねてですね」
何を考えているのだろう、この女は。
ロクロウの様子からするに、彼自身から、もう想いはない、と、告げられたはずだ。
自分を捨てた男を監獄から出した、ただその一点で、見ず知らずの業魔である自分に命を差し出す?
馬鹿げてる。もし本当にそれだけが理由なのだとしたら、あまりにもお人好しが過ぎる。
やはり、ある種の自暴自棄に陥っているのだろうか。
同情するわけではないが、伏目がちな横顔を眺めながら、憐れな女だとベルベットは思った。
つい先ほど、ロクロウから「許嫁だった」と聞かされたばかりの相手。
ロクロウの突き放すような態度からして、ひどく泣き喚いているか、あるいは自暴自棄になっているかと思ったが、彼女の纏う空気は不気味なほどに凪いでいた。
「貴女は……?」
身を起こしながら、警戒とも戸惑いともつかないキキョウの問いに、ベルベットは手にしていたシチューとパンの乗った盆を、そばの机の上に置いた。
「ベルベットよ。あいつの代わりに食事持ってきたついでに、あんたに話がある」
冷たく言い放ち、ベルベットは腕を組んでキキョウを見下ろした。
シグレと渡り合った業魔。
戦力としては申し分ないが、もし反抗するようなら、力尽くでも、あるいはクロガネをダシにしてでも従わせる。
ベルベットの頭の中には、すでに幾つもの冷酷な脅し文句が用意されていた。
「話?」
「あたしに協力なさい」
有無を言わさぬ、命令だった。
さあ、どう出る。ベルベットが鋭い視線でキキョウの反応を窺った、その時だ。
「いいですよ」
「はっ?」
あまりにもあっさりとした、拍子抜けするほど穏やかな肯定。
予想外すぎる即答に、ベルベットは思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。組んでいた腕が微かに解ける。
戸惑うベルベットをよそに、キキョウは淡々と、しかし理路整然と理由を口にしていく。
「どうせ行く場所も逃げる場所もないですし、首を失くしたお爺さまのことも気がかりですから。怪我の手当もしてくださったみたいですし、恩返しと家賃代わりに働け、というならそれで」
その声には、怒りも、悲しみも、自身の不遇を嘆くような響きすら感じられない。ただ、「そうするしかないから」という空虚な諦観だけが漂っていた。
「そ、そう……素直なやつは嫌いじゃないわ」
用意していた脅し文句がすべて空振りに終わり、ベルベットは僅かに顔を引き攣らせながら言葉を返した。
「(調子狂うわねこの女……)」
胸の内でベルベットは悪態をつく。反抗されるよりはマシだが、この底知れぬ従順さは、かえって薄気味悪さすら覚えさせた。
「……ふふっ」
不意に、キキョウの唇から微かな笑い声が漏れた。
「なによ」
ベルベットが怪訝そうに眉を寄せると、キキョウはゆっくりと首を横に振った。その瞳の奥に、先ほどまでの虚無感とは違う、初めて微かな熱が灯ったのが見えた。
「いえ。……あなたがロクロウ様を監獄から?」
「成り行きでね」
「じゃあ、あの人をそこから出してくれたお礼も兼ねてですね」
何を考えているのだろう、この女は。
ロクロウの様子からするに、彼自身から、もう想いはない、と、告げられたはずだ。
自分を捨てた男を監獄から出した、ただその一点で、見ず知らずの業魔である自分に命を差し出す?
馬鹿げてる。もし本当にそれだけが理由なのだとしたら、あまりにもお人好しが過ぎる。
やはり、ある種の自暴自棄に陥っているのだろうか。
同情するわけではないが、伏目がちな横顔を眺めながら、憐れな女だとベルベットは思った。