酔
夢主の名前
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「……」
キャスパリーグ伯の政敵の暗殺。
それをキキョウが命じられた理由は、至極単純だ。
“若くて見目の良い女”だったから。
「おぇっ……!」
けして一線は超えさせなかった。
越えさせてなんてなるものか。
でも、まるでなめくじを素肌に落とされたような、ロクロウ以外の男に触れられた感触の嫌悪感。
震える指で土を掴む。
初めて人の肉を断った感触が、掌に焼き付いて離れない。
胃の中身をすべて吐き出し、それでも喉の奥にへばりつく鉄錆の臭いに、キキョウはえずき続けていた。
「おい。大丈夫か?」
「!」
頭上から降ってきた聞き覚えのある声に、キキョウは弾かれたように顔を上げた。
月明かりを背負って立つ巨躯。
シグレ・ランゲツがこちらを見下ろしていた。
「シグレ義兄様……!すみませんっ、見苦しいものを……!」
「ああ、いい、喋んな。ほら飲めよ」
放り投げられた瓢箪を、キキョウは慌てて受け止める。
水だ。助かった。
感謝と共に口に含み――直後、カッと喉を焼くような激痛と酒精の香りに、キキョウはむせ返った。
「ぶっ……! げほっ、ごほっ……!?」
「ははっ! んな勢いで飲んだらそうなるわな」
「お、お水では……けほっ……!」
「心水だ。今のお前にゃちょうどいいだろ」
シグレは愉快そうに喉を鳴らすと、涙目になっているキキョウの襟首を掴んで強引に立たせた。
「ほら、歩け。ここで寝られたら邪魔だ」
「ま、待ってください……私、まだ……!」
抵抗する気力もなく、キキョウは引きずられるようにランゲツ家へ連行された。
そして、玄関先で待ち構えていたかのように出てきたロクロウの胸へ、無造作に放り出される。
「キキョウ!?シグレ、なんでお前が……!?」
「おうロクロウ。キキョウが貧血で倒れてたから拾ってきてやったぞ」
「貧血って……キキョウ、大丈夫か?」
「あ……ロクロウ、様……」
抱き止められた腕の温かさに、キキョウの視界が歪む。
その体温に縋るように、キキョウはロクロウの着物を握りしめ、心水のせいで熱くなった吐息を漏らした。
「すみません。少し、酔ってしまったみたいで……」
「酔った? ……お前まさかキキョウに飲ませたのか!?」
「気付け代わりだよ。後はお前が慰めてやれ」
ひらひらと手を振って去っていく背中を見送りながら、ロクロウは呆れたように、けれど優しくキキョウの背を撫でた。
その手が優しければ優しいほど、キキョウの胸の内の罪悪感は、冷たく重く降り積もっていくのだった。