置き去りの願い
夢主の名前
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キキョウを追って、キャスパリーグ領へやってきたベルベット達。
鬱蒼とした獣道を抜け、ついにソウマ邸の門前に辿り着いた。
「ここがキキョウの実家?」
「お、大きいですね……外から見るだけでも、ちょっとした集落ぐらいありますよ」
「実際、ソウマ家の一族や郎党も纏めて暮らしてる集落みたいなもんだ。
俺もあまり正面から入ったことはないから、中がどうなってるかは詳しくないんだけどな」
「そうなの?」
「ああ。代わりに抜け道があって、そこから直接キキョウの家に行ってたからな」
「? ロクロウとキキョウは許嫁、だったんだよね?
なんで抜け道を使ってたの?
許嫁なら、正面から堂々と入ればいいのに」
「「「「「……」」」」」
ライフィセットの無垢な問いが、その場に気まずい沈黙をもたらした。
ベルベットとエレノアは視線を明後日に向け、アイゼンは呆れたように深くため息をつき、マギルゥはとニヤニヤしながら口の端を吊り上げる。
「いや、そりゃ夜ば……」
「ロクロウ!!!」
そして、あろうことか事実をありのままに答えようとしたロクロウの言葉を、顔を真っ赤にしたエレノアの絶叫が遮る。
槍の石突きで、地面を思い切り叩きつけた。
「なにを言おうとしているんですかっ!!」
「いや、昼間は俺もあいつも稽古で忙しかったし、ソウマの連中も煩わしかったから夜にこっそり……」
「いいからさっさと行くわよ!!」
これ以上ライフィセットの教育に悪い言葉を聞かせまいと、ベルベットは、ロクロウの背中を思い切り張り飛ばす。
さらに八つ当たりするように、勢い良く木屑を散らしながら戸を開ければ、その怒りが瞬時に冷えて、息を飲む光景が広がっていた。
放置されて時間が経ったとわかる散らばった骨と、まだ仕留められて間もない業魔の骸が転がっていた。
敷地内を進んでいけば、同じようにソウマ邸には古い骸と、新しい業魔の骸もあちこちに転がっていて、古い家屋の臭いに混じって血と脂の、そして死臭が漂っている。
「これを全部キキョウが……!?」
「あいつがやったとなると驚くが、あいつならやれるだけの腕はあるさ」
「にしても、静か過ぎるのぅ?
キキョウがとうに全て片付け終え、何処かにいったと言うのなら血翅蝶が何か言うてきてもおかしくなかろうに。
今も尚、後始末とやらをしておるなら、悲鳴の一つでも聞こえてきてもよさそうなもんじゃが」
「これだけの穢れが溢れている場所だ。何か面倒なものが出てきたり、起こっていてもおかしくはない」
「死体が新しい方に行けばキキョウを追えるわ。行くわよ」
新しく倒された業魔の骸と、点々と続く血の跡を辿り、ベルベット達は敷地内でも一際大きな造りをした本家の屋敷へと足を踏み入れた。
屋敷の内部もまた、外の凄惨さに劣らず荒れ果てていた。
キキョウの行方を追うため、手分けしてあちこちの部屋を探索していく中で、一行は奥まった場所にある書庫と納戸に行き当たった。
そこに残されていたのは、おぞましいとしか言いようのない記録と痕跡だった。
「……酷いものね。これはもう、修行や鍛錬なんて呼べる代物じゃないわ」
たった数ページ、何気なく目を通していたベルベットが、嫌悪感を隠そうともせずに顔を顰めた。
記されていたのは、自らの一族の子供たちに強いていた常軌を逸した修練。いや、虐待や洗脳、はては蠱毒にも似た人体実験の数々。
隣の納戸を覗いていたエレノアも、そこに無造作に置かれている、血と錆に塗れた禍々しい拷問器具の数々に言葉を失っている。
「名門の剣と聞いていましたが、聖寮の対魔士の訓練でさえ、ここまで非人道的な真似は……」
「うちだって、ここまでのことはしてこなかったぞ」
同じキャスパリーグの双剣として、暗殺や汚れ仕事を生業としてきたランゲツ家に生まれたロクロウでさえ、呆れたように呟く。
人を殺めることに躊躇いのない彼でさえ、同族を意図的に壊し、歪めていくソウマのやり方には嫌悪を抱いたようだった。
「ソウマ家は、キャスパリーグ家の裏仕事、そのさらに闇の部分を担っていた一族だったんだろう」
書棚の埃を払いながら、アイゼンが静かに言及した。
「証拠を残せないような陰惨な始末。光の当たる名門の威信を保つためには、それだけ深く濃い闇を抱え込む必要があったってことだ」
「だからって、自分の家族をこんな風に……っ」
「家族じゃなくて駒なんだよ、ライフィセット。
家の力を高めて、効率良く動かす為の……」
そう口にはするものの、ロクロウの声には抑えきれない嫌悪感が滲んでいる。
ライフィセットが、痛ましそうに記録の束から目を伏せた。
キキョウがこの地獄のような屋敷で、どれほど理不尽で残酷な扱いを受けてきたのか。その一端に触れ、沈鬱な空気が一行の間に立ち込めた、その時だった。
キィ、キィ、と、部屋の外から、金属が硬い床板を引っ掻くような、耳障りな音が聞こえてきた。
「!」
即座にベルベット達は言葉を切り、武器に手を掛けて廊下へと飛び出す。
薄暗い廊下の奥から、その音は一定の嫌なリズムを刻みながら、段々とこちらへ近付いてくる。
やがて、暗がりの中から姿を現したのは、異様な出立ちの業魔だった。
顔には禍々しい鬼面が張り付くように被せられており、その体躯は異常に肥大化している。手には、身の丈ほどもある大剣が握られていた。
キィ、キィという音の正体は、その大剣の切っ先を引き摺りながら歩く音だった。
やがて、その鬼はぐりんっ、と不自然な動きで、ベルベット達の方へ視線を首ごと向いた。
「オォォォォオオッ!!」
鬼面の業魔は、ベルベット達の姿を視界に捉えるなり、獣のような咆哮を上げた。
先程までの鈍重な足取りが嘘のように、床板を蹴り砕くほどの勢いで一気に距離を詰め、引き摺っていた大剣を恐ろしい力で頭上高く振り上げる。
「来るわよ! 散りなさい!」
ベルベットの鋭い号令とともに、一行は襲いかかってきた凶刃を躱すべく、瞬時に戦闘態勢へと移行した。
「何処だァァッ!?殺してやるっ!殺してやるあの女ぁっ!!」
狂乱し、手当たり次第に大剣を振り回しながら襲いかかってくる鬼面の業魔。
だが、その一撃は図体に見合った重さこそあれど、あまりにも大振りで隙だらけだった。
対魔士たちとの死線を潜り抜け、何よりあのシグレ・ランゲツの凄まじい剣気すら超えてみせた今のロクロウにとって、それは欠伸が出るほど単調な剣戟にすぎない。
「邪魔だ」
交刃の音は、わずか数合で終わった。
ロクロウの小太刀が閃いた瞬間、業魔の手から大剣が弾き飛ばされ、直後にその巨体が深々と斬り裂かれる。
どしゃり、と夥しい血を撒き散らしながら、鬼面の業魔は床に伏した。致命傷を負ったことで狂気が薄れたのか、荒い息を吐く業魔は、憎悪に塗れた眼差しで目の前に立つ男を見上げた。
「き、貴様……ロクロウ、か……!?」
「……お前、ソウマの当主か」
その声色と残滓から正体を察したロクロウが、小太刀の血を振り払いながら冷たく見下ろす。
ソウマの当主だったものは、顔を覆う鬼面の奥で、ギリっ、と歯ぎしりをした。
「キキョウは何処だ!?一族を鏖殺した上に、雲薙まで盗み出して逃げたあの婢女……!監獄に送られたはずの貴様がここにいるのなら、あれも傍にいるのだろう!!」
「俺たちが聞きたいぐらいだ。むしろなんで知らないんだよ、あいつここに来てるってのに」
「……!」
苛立ち混じりに言い捨てたロクロウの言葉に、当主の業魔は露骨に絶句し、巨体を強張らせた。
その反応を見たロクロウは、全てを悟ったように「ああ」と短く息を吐く。
「“逃げてた”のか」
「っ……!」
「他の奴らは死んでからアンデッドの業魔になってるが、お前はまぁ当主なだけあってなんとか生き延びて業魔になったってところか。
けど、キキョウに手も足も出なかったんだろ? だから、あいつに出くわさないよう、徘徊してるフリして歩き回ってたんだろ。違うか?」
図星を突かれた当主の反応を見て、ロクロウは嘲るように鼻で笑った。
一族を皆殺しにされた憎悪を叫びながら、その実、キキョウと出くわすことを誰よりも恐れ、怯えて逃げ回っていたのだ。
なんと無様この上ないことか、とロクロウに煽られ、蔑まれ、これ以上ないほどの屈辱に、ソウマの当主は血を吐くような叫びを上げた。
「貴様は……貴様はまがりなりにも“本物”だろう……!
偽物だった!名も剣も何もかもが我らは紛い物だったのだ!
あの女だけが本物だったとわかった時の屈辱が貴様にわかるか!?」
「……」
「キキョウ……!あの愚図め、何のために“妖精憑き”の女なんぞを迎え入れて産ませたと……!
あれが大人しくシグレに胎を使わせ゛っ」
「知るかよ」
ソウマ家の当主だったものが全てを言い切る前に、ロクロウはその頭を容赦なく踏み潰した。
自らの刀で斬り捨てることすら穢らわしいとばかりの、嫌悪感を隠さない行動。
普段の明るさはほど遠く、シグレと対峙した時とも違う、ひどく暗くて冷たい声だった。
「……」
その惨すぎる骸の有様に、エレノアは思わず顔を背け、他の仲間たちも一様に顔を顰める。
だが、今のロクロウの行動を咎める者は誰一人としていなかった。
「……アイゼン。“妖精憑き”って……?」
重苦しい静寂の中、ライフィセットが恐る恐る口を開いた。
ソウマ家当主の憎悪に満ちた声色から、決していい意味ではないとはわかっていたが、どうしても聞かずにいられなかったのだ。
アイゼンは潰れた骸から視線を外し、いつもより硬い表情でその問いに答えた。
「……霊応力の高い人間を蔑んで呼ぶ言葉だ。見えないものが見えてしまう力が周囲に恐れられ、妖精に憑かれて気が触れたとして忌避された。また、霊応力の高い人間は肉体か精神、あるいはその両方が早く成長することがある。普通の人間にはそれが不気味に思えて、妖精の子と取り替えられた、と蔑まれた」
アイゼンはそこで言葉を区切り、重い息を吐いた。
「おそらくキキョウの母親は、その素質をキキョウに継がせる為だけに、ソウマ家に連れてこられたんだろう」
「そして、その目論見は半分成功し、半分失敗に終わったのじゃろうよ」
マギルゥが忌々しそうに肩をすくめ、吐き捨てるように言った。
「それにしても『大人しくシグレに胎を』のぅ……これまた女としては腹立たしいことこの上ない、悍ましい言葉じゃな」
「ほんと……。あんたがマシに見えてくるぐらい終わってるわね、こいつら」
ベルベットがロクロウを横目で睨みつけながら、心底軽蔑したような声を漏らした。
だが、当のロクロウはその言葉に反論することもなく、ただ血に塗れた床を見つめていた。
「俺も……ここまでとは思わなかった……」
「そんな終わり果てておるところに、キキョウを一人で置き去りにしたんじゃなぁ?
キキョウが業魔に堕ちた背景が、ようやく見えてきおったわい」
「マギルゥ!!」
ロクロウの傷口をわざとえぐるようなマギルゥの追撃に、エレノアがたまらず語気を荒らげて制止する。
だが、ロクロウは何も言い返せなかった。
時々、キキョウの体に、痣が出来ていることは知っていた。
けれどそれは、裏稼業の人間ならよくあることで、むしろ互いに今日の稽古は、などと話の種にするような程度の認識だった。
しかし、自分がキキョウを置き去りにした環境が、これほどまでに醜悪で、逃げ場のない地獄であったことを、ロクロウは今になってようやく思い知らされた。
そして同時に“ある事を”思い出した。
「……当主になりたかった理由。
勿論、シグレを超えたくて、勝ちたかったのはそうだ。
けど、もう一つあったんだ。
俺が当主に、シグレになれば、あいつに、キキョウに人殺しの仕事をさせなくて済む。
ソウマの連中から、キキョウを引き離してやれる。
そう思ってたのに、俺はあいつの剣に、あのシグレも認めるキキョウにいつしか嫉妬して、その思いを忘れた。
……今の今まで」
「ロクロウ……」
「あんたの後悔は今はどうでもいい。さっさとキキョウを見つけるわよ。あたし達にはいつまでも時間があるわけじゃないんだから」
「ああ」
鬱蒼とした獣道を抜け、ついにソウマ邸の門前に辿り着いた。
「ここがキキョウの実家?」
「お、大きいですね……外から見るだけでも、ちょっとした集落ぐらいありますよ」
「実際、ソウマ家の一族や郎党も纏めて暮らしてる集落みたいなもんだ。
俺もあまり正面から入ったことはないから、中がどうなってるかは詳しくないんだけどな」
「そうなの?」
「ああ。代わりに抜け道があって、そこから直接キキョウの家に行ってたからな」
「? ロクロウとキキョウは許嫁、だったんだよね?
なんで抜け道を使ってたの?
許嫁なら、正面から堂々と入ればいいのに」
「「「「「……」」」」」
ライフィセットの無垢な問いが、その場に気まずい沈黙をもたらした。
ベルベットとエレノアは視線を明後日に向け、アイゼンは呆れたように深くため息をつき、マギルゥはとニヤニヤしながら口の端を吊り上げる。
「いや、そりゃ夜ば……」
「ロクロウ!!!」
そして、あろうことか事実をありのままに答えようとしたロクロウの言葉を、顔を真っ赤にしたエレノアの絶叫が遮る。
槍の石突きで、地面を思い切り叩きつけた。
「なにを言おうとしているんですかっ!!」
「いや、昼間は俺もあいつも稽古で忙しかったし、ソウマの連中も煩わしかったから夜にこっそり……」
「いいからさっさと行くわよ!!」
これ以上ライフィセットの教育に悪い言葉を聞かせまいと、ベルベットは、ロクロウの背中を思い切り張り飛ばす。
さらに八つ当たりするように、勢い良く木屑を散らしながら戸を開ければ、その怒りが瞬時に冷えて、息を飲む光景が広がっていた。
放置されて時間が経ったとわかる散らばった骨と、まだ仕留められて間もない業魔の骸が転がっていた。
敷地内を進んでいけば、同じようにソウマ邸には古い骸と、新しい業魔の骸もあちこちに転がっていて、古い家屋の臭いに混じって血と脂の、そして死臭が漂っている。
「これを全部キキョウが……!?」
「あいつがやったとなると驚くが、あいつならやれるだけの腕はあるさ」
「にしても、静か過ぎるのぅ?
キキョウがとうに全て片付け終え、何処かにいったと言うのなら血翅蝶が何か言うてきてもおかしくなかろうに。
今も尚、後始末とやらをしておるなら、悲鳴の一つでも聞こえてきてもよさそうなもんじゃが」
「これだけの穢れが溢れている場所だ。何か面倒なものが出てきたり、起こっていてもおかしくはない」
「死体が新しい方に行けばキキョウを追えるわ。行くわよ」
新しく倒された業魔の骸と、点々と続く血の跡を辿り、ベルベット達は敷地内でも一際大きな造りをした本家の屋敷へと足を踏み入れた。
屋敷の内部もまた、外の凄惨さに劣らず荒れ果てていた。
キキョウの行方を追うため、手分けしてあちこちの部屋を探索していく中で、一行は奥まった場所にある書庫と納戸に行き当たった。
そこに残されていたのは、おぞましいとしか言いようのない記録と痕跡だった。
「……酷いものね。これはもう、修行や鍛錬なんて呼べる代物じゃないわ」
たった数ページ、何気なく目を通していたベルベットが、嫌悪感を隠そうともせずに顔を顰めた。
記されていたのは、自らの一族の子供たちに強いていた常軌を逸した修練。いや、虐待や洗脳、はては蠱毒にも似た人体実験の数々。
隣の納戸を覗いていたエレノアも、そこに無造作に置かれている、血と錆に塗れた禍々しい拷問器具の数々に言葉を失っている。
「名門の剣と聞いていましたが、聖寮の対魔士の訓練でさえ、ここまで非人道的な真似は……」
「うちだって、ここまでのことはしてこなかったぞ」
同じキャスパリーグの双剣として、暗殺や汚れ仕事を生業としてきたランゲツ家に生まれたロクロウでさえ、呆れたように呟く。
人を殺めることに躊躇いのない彼でさえ、同族を意図的に壊し、歪めていくソウマのやり方には嫌悪を抱いたようだった。
「ソウマ家は、キャスパリーグ家の裏仕事、そのさらに闇の部分を担っていた一族だったんだろう」
書棚の埃を払いながら、アイゼンが静かに言及した。
「証拠を残せないような陰惨な始末。光の当たる名門の威信を保つためには、それだけ深く濃い闇を抱え込む必要があったってことだ」
「だからって、自分の家族をこんな風に……っ」
「家族じゃなくて駒なんだよ、ライフィセット。
家の力を高めて、効率良く動かす為の……」
そう口にはするものの、ロクロウの声には抑えきれない嫌悪感が滲んでいる。
ライフィセットが、痛ましそうに記録の束から目を伏せた。
キキョウがこの地獄のような屋敷で、どれほど理不尽で残酷な扱いを受けてきたのか。その一端に触れ、沈鬱な空気が一行の間に立ち込めた、その時だった。
キィ、キィ、と、部屋の外から、金属が硬い床板を引っ掻くような、耳障りな音が聞こえてきた。
「!」
即座にベルベット達は言葉を切り、武器に手を掛けて廊下へと飛び出す。
薄暗い廊下の奥から、その音は一定の嫌なリズムを刻みながら、段々とこちらへ近付いてくる。
やがて、暗がりの中から姿を現したのは、異様な出立ちの業魔だった。
顔には禍々しい鬼面が張り付くように被せられており、その体躯は異常に肥大化している。手には、身の丈ほどもある大剣が握られていた。
キィ、キィという音の正体は、その大剣の切っ先を引き摺りながら歩く音だった。
やがて、その鬼はぐりんっ、と不自然な動きで、ベルベット達の方へ視線を首ごと向いた。
「オォォォォオオッ!!」
鬼面の業魔は、ベルベット達の姿を視界に捉えるなり、獣のような咆哮を上げた。
先程までの鈍重な足取りが嘘のように、床板を蹴り砕くほどの勢いで一気に距離を詰め、引き摺っていた大剣を恐ろしい力で頭上高く振り上げる。
「来るわよ! 散りなさい!」
ベルベットの鋭い号令とともに、一行は襲いかかってきた凶刃を躱すべく、瞬時に戦闘態勢へと移行した。
「何処だァァッ!?殺してやるっ!殺してやるあの女ぁっ!!」
狂乱し、手当たり次第に大剣を振り回しながら襲いかかってくる鬼面の業魔。
だが、その一撃は図体に見合った重さこそあれど、あまりにも大振りで隙だらけだった。
対魔士たちとの死線を潜り抜け、何よりあのシグレ・ランゲツの凄まじい剣気すら超えてみせた今のロクロウにとって、それは欠伸が出るほど単調な剣戟にすぎない。
「邪魔だ」
交刃の音は、わずか数合で終わった。
ロクロウの小太刀が閃いた瞬間、業魔の手から大剣が弾き飛ばされ、直後にその巨体が深々と斬り裂かれる。
どしゃり、と夥しい血を撒き散らしながら、鬼面の業魔は床に伏した。致命傷を負ったことで狂気が薄れたのか、荒い息を吐く業魔は、憎悪に塗れた眼差しで目の前に立つ男を見上げた。
「き、貴様……ロクロウ、か……!?」
「……お前、ソウマの当主か」
その声色と残滓から正体を察したロクロウが、小太刀の血を振り払いながら冷たく見下ろす。
ソウマの当主だったものは、顔を覆う鬼面の奥で、ギリっ、と歯ぎしりをした。
「キキョウは何処だ!?一族を鏖殺した上に、雲薙まで盗み出して逃げたあの婢女……!監獄に送られたはずの貴様がここにいるのなら、あれも傍にいるのだろう!!」
「俺たちが聞きたいぐらいだ。むしろなんで知らないんだよ、あいつここに来てるってのに」
「……!」
苛立ち混じりに言い捨てたロクロウの言葉に、当主の業魔は露骨に絶句し、巨体を強張らせた。
その反応を見たロクロウは、全てを悟ったように「ああ」と短く息を吐く。
「“逃げてた”のか」
「っ……!」
「他の奴らは死んでからアンデッドの業魔になってるが、お前はまぁ当主なだけあってなんとか生き延びて業魔になったってところか。
けど、キキョウに手も足も出なかったんだろ? だから、あいつに出くわさないよう、徘徊してるフリして歩き回ってたんだろ。違うか?」
図星を突かれた当主の反応を見て、ロクロウは嘲るように鼻で笑った。
一族を皆殺しにされた憎悪を叫びながら、その実、キキョウと出くわすことを誰よりも恐れ、怯えて逃げ回っていたのだ。
なんと無様この上ないことか、とロクロウに煽られ、蔑まれ、これ以上ないほどの屈辱に、ソウマの当主は血を吐くような叫びを上げた。
「貴様は……貴様はまがりなりにも“本物”だろう……!
偽物だった!名も剣も何もかもが我らは紛い物だったのだ!
あの女だけが本物だったとわかった時の屈辱が貴様にわかるか!?」
「……」
「キキョウ……!あの愚図め、何のために“妖精憑き”の女なんぞを迎え入れて産ませたと……!
あれが大人しくシグレに胎を使わせ゛っ」
「知るかよ」
ソウマ家の当主だったものが全てを言い切る前に、ロクロウはその頭を容赦なく踏み潰した。
自らの刀で斬り捨てることすら穢らわしいとばかりの、嫌悪感を隠さない行動。
普段の明るさはほど遠く、シグレと対峙した時とも違う、ひどく暗くて冷たい声だった。
「……」
その惨すぎる骸の有様に、エレノアは思わず顔を背け、他の仲間たちも一様に顔を顰める。
だが、今のロクロウの行動を咎める者は誰一人としていなかった。
「……アイゼン。“妖精憑き”って……?」
重苦しい静寂の中、ライフィセットが恐る恐る口を開いた。
ソウマ家当主の憎悪に満ちた声色から、決していい意味ではないとはわかっていたが、どうしても聞かずにいられなかったのだ。
アイゼンは潰れた骸から視線を外し、いつもより硬い表情でその問いに答えた。
「……霊応力の高い人間を蔑んで呼ぶ言葉だ。見えないものが見えてしまう力が周囲に恐れられ、妖精に憑かれて気が触れたとして忌避された。また、霊応力の高い人間は肉体か精神、あるいはその両方が早く成長することがある。普通の人間にはそれが不気味に思えて、妖精の子と取り替えられた、と蔑まれた」
アイゼンはそこで言葉を区切り、重い息を吐いた。
「おそらくキキョウの母親は、その素質をキキョウに継がせる為だけに、ソウマ家に連れてこられたんだろう」
「そして、その目論見は半分成功し、半分失敗に終わったのじゃろうよ」
マギルゥが忌々しそうに肩をすくめ、吐き捨てるように言った。
「それにしても『大人しくシグレに胎を』のぅ……これまた女としては腹立たしいことこの上ない、悍ましい言葉じゃな」
「ほんと……。あんたがマシに見えてくるぐらい終わってるわね、こいつら」
ベルベットがロクロウを横目で睨みつけながら、心底軽蔑したような声を漏らした。
だが、当のロクロウはその言葉に反論することもなく、ただ血に塗れた床を見つめていた。
「俺も……ここまでとは思わなかった……」
「そんな終わり果てておるところに、キキョウを一人で置き去りにしたんじゃなぁ?
キキョウが業魔に堕ちた背景が、ようやく見えてきおったわい」
「マギルゥ!!」
ロクロウの傷口をわざとえぐるようなマギルゥの追撃に、エレノアがたまらず語気を荒らげて制止する。
だが、ロクロウは何も言い返せなかった。
時々、キキョウの体に、痣が出来ていることは知っていた。
けれどそれは、裏稼業の人間ならよくあることで、むしろ互いに今日の稽古は、などと話の種にするような程度の認識だった。
しかし、自分がキキョウを置き去りにした環境が、これほどまでに醜悪で、逃げ場のない地獄であったことを、ロクロウは今になってようやく思い知らされた。
そして同時に“ある事を”思い出した。
「……当主になりたかった理由。
勿論、シグレを超えたくて、勝ちたかったのはそうだ。
けど、もう一つあったんだ。
俺が当主に、シグレになれば、あいつに、キキョウに人殺しの仕事をさせなくて済む。
ソウマの連中から、キキョウを引き離してやれる。
そう思ってたのに、俺はあいつの剣に、あのシグレも認めるキキョウにいつしか嫉妬して、その思いを忘れた。
……今の今まで」
「ロクロウ……」
「あんたの後悔は今はどうでもいい。さっさとキキョウを見つけるわよ。あたし達にはいつまでも時間があるわけじゃないんだから」
「ああ」