鬼ノ産声
夢主の名前
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
気づけば夕暮れになっていて、当主達もいなくなっていたし、足元には赤錆の浮いたガラクタが幾つも転がっている。
いつの間に、何処から持ち込んだのだろうと首を傾げた。
とりあえず、部屋に帰って急いで旅支度をしなければ。母を連れて、遠くへ、何処か静かな場所で二人で生きていこう。
障子を開けて廊下に出れば、溶けた鋼のように蕩けそうな赤い光が目に沁みて、細めた視界の中、たくさんのガラクタがあちこちを埋め尽くして、積み上がっていた。
それも自分の部屋への道を塞ぐように。
ああ、どかさないと。
でも、こんなにたくさん、たくさんのガラクタ、一人でどうやってどかせばいいのだろう。
コツン、と柱に軽く鞘尻が当たる振動で、自分が太刀を握っていたことに気付く。
深緋拵のそれは、分家の末席の自分では近付くことも良い顔をされない、ソウマの家宝たる太刀。
いつからこれを持っていたのだろうか、と首を傾げながらいつもみたいに、鞘から太刀を抜いて振ってみた。
振ってみたら、ガラクタの山のてっぺんが消えて小さくなった
もう一度振ってみた
今度は真ん中がきれいにすっぱり半分こ
縦に、横に、上に、下に、時には斜めに太刀を振れば振るほど小さくなって崩れていった
これなら通れそう
ガラクタの山からは尖ったものがたくさん突き出ていて
時々その尖ったものが飛んでくるから
危ないから気をつけて避けて歩いた
足元は破片がごろごろ転がって
どろどろで
ぐちゃぐちゃで
べたべたして
やだな、誰かが何かを溢したままほったらかしにしていったみたい
あとで脚を洗わないと
少し歩きづらいけれど気にせず構わず
大きいのも
小さいのも
新しいのも
古いのも
構わずまとめてガラクタを切り捨てながら歩き続けた。
『キキョウ』
パチン、と目の前で泡が弾けるような、急に視界が開けて、呼ばれた方に視線だけで向けば、久しぶりに見た顔がいる。
できれば会いたくなかったけど、懐かしさを覚えるぐらいには、慕っていた義兄。
いつも不敵な笑みを浮かべている口元を真一文字に引き結ぶような、厳しい顔をしていた。
『シグレ、義兄様……?え?あれ……?』
夕暮れだと思っていたのに、もうとっくに夜になっていた。
途端に鼻についた、咽せ返るなんてものではない鉄錆と脂の臭い。それが、そこかしこから、しかも自分の手から臭うことに気づいて、歩いて来た場所を振り返る。
ガラクタの山なんてどこにもなかった。
『あっ……あぁっ……!?あぁああああああっ!!』
顔を覆って、頭が千切れそうな勢いで髪を振り乱して、喉を潰しかねないほどに叫んだ。
その絶叫で嘔吐中枢が刺激され、辺りに漂う異臭も相まって、吐いてしまった。
唾液と胃液ばかりしか出なくても、自分がやった、やってしまった悍ましい所業を責め立てられているように、吐き気が治まらない。
『っ……!母様……!』
混乱しながらも母のことをやっと思い出して、吐き気を堪えながらキキョウは叫ぶように母を呼び、静まり返った屋敷を走り回って探した。
『キキョウ……』
『母様!っ……!?』
曲がり角から現れたそれは、何やら怖気のする暗い靄のようなものを放つ、狐と人が混ざったような異形だった。
でも身にまとう服、弱々しいその声や気配は、間違いなく母のもの。
『こちらです!早く屋敷から……!』
母に肩を貸そうとしたとき、何もかもを薙ぎ払う嵐のような殺気が向けられて、首の産毛が総毛立つ。
母を背に庇い、殺気が飛んできた方から迫り来る大太刀を、手にしていた太刀で弾き返す。その衝撃の強さ、手に強い痺れが走るが、その切先からけして視線を外さぬよう、注視する。
大振りになりやすいはずなのに、息つく間もなく、絶えず斬り込んでくる。何度も受けていられるものではない。
まともに打ち合い、切り結べばいずれ力負けして圧し斬られる。
だから、受け止めるのではなく、受け流す。刀身の側面に向こうの大太刀の切先を乗せて、滑らせる様にして、払い流すことを意識した。
少しでも角度、タイミング、力の入れ方、何か一つでも間違えれば、刀ごと叩き斬られる。
それでも、絶対に一太刀でも母に当ててなるものか、と死物狂いに、それでいて努めて冷静を保ってなんとか捌き切って出来た隙に、母を抱えて距離を取った。
『シグレ義兄様・・・!』
『お前の剣はロクロウと違って“理”だけじゃねぇ、ちゃんと胸の底にあるもんも込もってる。
本当に何もかも噛み合わねぇなぁ、お前は……』
憐れみのこもった声色で、独り言のようにシグレは呟き、その切先をキキョウの背後にあるものに向けた。
『退けキキョウ。そこの牝狐叩っ斬るからよ』
母を斬る。
號嵐を構えてそう言ったシグレから、母を庇って立つ。
『やめて……!やめてくださいシグレ義兄様!
母です!私の、私の母です!
お願いします……お願い、母まで私から……!』
『母親より自分の心配をしなさい。
あなたも人間じゃなくなってるのよ』
『え』
いつの間にかシグレの足元にいた、白くてふくふくした猫。
その愛らしい姿形からは遠い、落ち着いた妙齢の女の声で告げられた事実に、キキョウは呆然とする。
自分が人間ではない?
どうしては今日は、こんなにも理解しがたいことばかりを言われるのだろう。
すぐそばの部屋は女中部屋だったらしく、白い猫はぴゃっ、と部屋の中へ飛び込んでいく。猫は手鏡を咥えて戻ってきて、キキョウの足元にそれを投げてよこした。
くるくると回りながら廊下を滑り、キキョウの足に当たって手鏡が止まった。
鏡の中には異形がいて、呆けた顔でこちらを見上げている。
キキョウは鏡から視線を外すことなく、その場にへたり込んでしまった。
『キキョウ』
『ぁ……』
力なくキキョウはシグレを見上げる。
そういえば、シグレは出奔したあと、聖寮なる組織で対魔士という異形、業魔を屠る者になったのだったか。
ああ、そうか、殺されるのか。
それはいい、当然だから。
当然のことをしてしまったから。
でも
『母は……母はどうか見逃してください……!
私、ここで死にます、ちゃんと、ちゃんと死ぬから!シグレ義兄様……!』
『……動くなよ』
振り上げられた號嵐が落ちてくる。
最後にロクロウに会いたかった。
なんで何も言ってくれなかったのか。
どうして“嘘”を吐いてまで、自分を遠ざけたのか。
たとえシグレに刃を向けることになってしまったのだとしても、それで命を落としたのだとしても、ロクロウに代えられるものではなかったのに。
ああ、でももう何もかも終わってしまったことだと、目を閉じた時、顔に生温い飛沫がかかって、何かが覆い被さってきた。
『なっ……!?』
『え』
目を開ければ、號嵐を振り下ろした姿勢のシグレが、今まで見たことのないような、心底驚いた顔をしていた。
ざっくりとほとんど両断されたような傷。
その傷を受けるべきは自分だったのに、それを背に受けていたのは、キキョウの母だった。
『あっ、あぁあああっ!!母様ッ!母様ぁ!!』
何故、どうして、どうして。
無駄だとわかっていても、血を止めようと背中の傷を押さえるキキョウの頬に、血で汚れた手のひらが添えられた。
『あなたがどんなに醜くても、怪物になってしまっても、生きててくれればそれでいい、それでいいの……!
だから、こんなことで死ぬなんて許さない……!逃げなさい!』
『ぁっ……!!っあぁああぁあああっ!!』
突き飛ばされた勢いにふらつきながら立ち上がり、泣き叫びながらキキョウは屋敷から逃げ出した。