鬼ノ産声
夢主の名前
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二年前。
ロクロウが上意討ちを失敗し、いなくなってしまったキキョウが、失意の中、生きているのか、死んでいるのかもわからないような状態で日々を過ごしていたある日のこと。
突然、母屋に、当主と父に呼び出された。
『キキョウ』
『はい、母様』
行く前に母に呼び止められ、側に座れば、手を取られて握り込まれた。
『母様……?』
『もう我慢しなくていいのよ?』
気遣わしげにそう言ってくれる母の言葉は嬉しかったが、そうもいかない。
無理矢理笑って、本家の母屋に赴いた。
そこで告げられた内容はあまりも信じ難く、いつもなら機嫌を損ねてしまう為、やらない聞き返しをしてしまった程だ。
ランゲツ家当主に、シグレに嫁げと、キキョウは、父と当主に命じられた。
『……嫌です』
『なに?』
『何故そんな勝手なことするんですか!』
キキョウは父に声を荒げて問いただした。初めてキキョウに反抗されたことに一瞬怯んだ父だったが、すぐに激昂してキキョウの顔を張り飛ばす。
ソウマ家の当主は、興味なさげに顔は目立つからやめろ、などと言うだけだった。
曰く、キキョウの本当の父親は、そこにいるソウマ家当主であること。
当主にはすでに正式な妻と跡目がいた為に、分家の父だと思っていた男の妻としたこと。
同じ主家に仕え、武を磨き生きてきたソウマ家が、いつもランゲツの二番手扱いされていた屈辱。
どれだけ鍛錬を積んでもランゲツに勝てなかった、特に先代の女当主に父やソウマ家当主は何度も煮湯を飲まされ続けた。
だから、ソウマの血を引くキキョウにランゲツの血を引く子を産ませ、その子供にランゲツの当主を殺させる。
そして当主になった子にソウマ家の者を添わせて、その血筋を塗りつぶす。
ロクロウがいなくなった今、現当主であるシグレの子を産め、というのだ。そんなお粗末な計画、本気で成し遂げる気だったのか、と怒りよりも呆れがきた。
しかも、そんな悍ましい夢物語ですらない妄想を、よりによって一族を率いる当主が口にしている。
疎まれていることはもう諦めていたし、利用されているのも仕方ないと思っていた。
はなから人間扱いすらしてもらえていなかったどころか、女としての尊厳を最も屈辱的に使い潰す為の道具だったと言われても、ああ、この人達ならやりかねない、と、まだ何処か冷めた気持ちでいられた。
『ロクロウももっと使えるかと思った見込み違いだったか』
それでも、当主が忌々しげに吐いたその言葉だけは許せなかった。
ロクロウがどんなに頑張っていたか、苦しんでいたか、鍛錬に打ち込んでいたか、知らないくせに。
自分達は、勝手にキキョウの胎を利用して身勝手な野望を押し付けて、自分の手すら汚そうとしない、苦しもうとしないくせに。
『その見込み違いの方に勝てる剣士が、今のソウマにどれだけいらっしゃるのでしょうね』
そう言ってやれば今度こそ当主も顔を歪め、キキョウを睨み付けた。
それでも不思議と怖いとは思わなかった。彼らが歳を取り、老いたからだろうか、違う。
弱いのだ、単純に。
その覇気も、殺意も、体の冴えも、何もかもがシグレはおろか、ロクロウとは比べ物にならない。
ずっとそばで見てきた。
シグレの何をも寄せ付けぬ圧倒的な強さも、その強さを超えたい、と血を吐くような思いで必死に足掻くロクロウも。
どうしてこの程度のものにずっと怯え、恐れていたのだろう。今の自分なら、母を連れて逃げられたのに。もっと早くそうすればよかった。
『そもそもランゲツの御当主がそんな馬鹿げた縁談を受け入れるはずがないでしょう』
弟の妻になるはずだった女を娶るなど、悪い言い方をすれば、弟のお下がりを押し付けるようなこと。
結局、上意討ちをし損じたことで、ランゲツ家の直系はシグレしか残らなかったから、なんとかキャスパリーグ伯はランゲツの力を手元に従えさせたい、と掌を返したのだろう。
誰も彼もよくぞシグレに叩っ斬られなかったものだと、憐れみさえ覚え、呆れているキキョウにソウマの当主は卑屈な笑みを浮かべ、鼻で笑った。
『そのランゲツ家の当主はお前との縁談を了承したぞ』
『は……?』
何を言われたのかわからなくて、急に足元から血が抜けて冷えていくような心地だった。
キキョウは、シグレのことを兄の様に、あるいは、父の様にさえ思っていた節もあった。
ロクロウをからかい不機嫌にさせる様なことをして、気まずい思いこそすれ、徒にキキョウを傷つけよとするわけではなかった。
だから断ると思っていたどころか、そんな“もしも”すら、全く頭になかったのだ。
ずっと、そういう風に見られていたのだろうか。
ついさっきまでそんな小細工を嫌う男だとわかっていたのに、それを思い出せるような精神状態でいられなくなったキキョウは、坂を転げ落ちるようにひたすら思考を暗い方へと巡らせてしまった。
当主と父だった者に、悍ましい異形の貌が重なって見える。
この家には、キキョウという存在を尊重し、見てくれる者はいない。
だからあの日、ロクロウが手を取ってくれたことが、何よりも嬉しかった。
ロクロウはそのことを覚えていなかったけれど、でも、気まぐれにすぎない何気ない行いだったからこそ嬉しくて、救われて心通わせて。
けれど、そのロクロウも、最後はキキョウの手を放してしまった。
“もう我慢しなくていいのよ?”
頭の中で母の言葉が何度も反復する。
『な……!?ごう……!?』
『ひる……こ……せ!』
う る さ い
ロクロウが上意討ちを失敗し、いなくなってしまったキキョウが、失意の中、生きているのか、死んでいるのかもわからないような状態で日々を過ごしていたある日のこと。
突然、母屋に、当主と父に呼び出された。
『キキョウ』
『はい、母様』
行く前に母に呼び止められ、側に座れば、手を取られて握り込まれた。
『母様……?』
『もう我慢しなくていいのよ?』
気遣わしげにそう言ってくれる母の言葉は嬉しかったが、そうもいかない。
無理矢理笑って、本家の母屋に赴いた。
そこで告げられた内容はあまりも信じ難く、いつもなら機嫌を損ねてしまう為、やらない聞き返しをしてしまった程だ。
ランゲツ家当主に、シグレに嫁げと、キキョウは、父と当主に命じられた。
『……嫌です』
『なに?』
『何故そんな勝手なことするんですか!』
キキョウは父に声を荒げて問いただした。初めてキキョウに反抗されたことに一瞬怯んだ父だったが、すぐに激昂してキキョウの顔を張り飛ばす。
ソウマ家の当主は、興味なさげに顔は目立つからやめろ、などと言うだけだった。
曰く、キキョウの本当の父親は、そこにいるソウマ家当主であること。
当主にはすでに正式な妻と跡目がいた為に、分家の父だと思っていた男の妻としたこと。
同じ主家に仕え、武を磨き生きてきたソウマ家が、いつもランゲツの二番手扱いされていた屈辱。
どれだけ鍛錬を積んでもランゲツに勝てなかった、特に先代の女当主に父やソウマ家当主は何度も煮湯を飲まされ続けた。
だから、ソウマの血を引くキキョウにランゲツの血を引く子を産ませ、その子供にランゲツの当主を殺させる。
そして当主になった子にソウマ家の者を添わせて、その血筋を塗りつぶす。
ロクロウがいなくなった今、現当主であるシグレの子を産め、というのだ。そんなお粗末な計画、本気で成し遂げる気だったのか、と怒りよりも呆れがきた。
しかも、そんな悍ましい夢物語ですらない妄想を、よりによって一族を率いる当主が口にしている。
疎まれていることはもう諦めていたし、利用されているのも仕方ないと思っていた。
はなから人間扱いすらしてもらえていなかったどころか、女としての尊厳を最も屈辱的に使い潰す為の道具だったと言われても、ああ、この人達ならやりかねない、と、まだ何処か冷めた気持ちでいられた。
『ロクロウももっと使えるかと思った見込み違いだったか』
それでも、当主が忌々しげに吐いたその言葉だけは許せなかった。
ロクロウがどんなに頑張っていたか、苦しんでいたか、鍛錬に打ち込んでいたか、知らないくせに。
自分達は、勝手にキキョウの胎を利用して身勝手な野望を押し付けて、自分の手すら汚そうとしない、苦しもうとしないくせに。
『その見込み違いの方に勝てる剣士が、今のソウマにどれだけいらっしゃるのでしょうね』
そう言ってやれば今度こそ当主も顔を歪め、キキョウを睨み付けた。
それでも不思議と怖いとは思わなかった。彼らが歳を取り、老いたからだろうか、違う。
弱いのだ、単純に。
その覇気も、殺意も、体の冴えも、何もかもがシグレはおろか、ロクロウとは比べ物にならない。
ずっとそばで見てきた。
シグレの何をも寄せ付けぬ圧倒的な強さも、その強さを超えたい、と血を吐くような思いで必死に足掻くロクロウも。
どうしてこの程度のものにずっと怯え、恐れていたのだろう。今の自分なら、母を連れて逃げられたのに。もっと早くそうすればよかった。
『そもそもランゲツの御当主がそんな馬鹿げた縁談を受け入れるはずがないでしょう』
弟の妻になるはずだった女を娶るなど、悪い言い方をすれば、弟のお下がりを押し付けるようなこと。
結局、上意討ちをし損じたことで、ランゲツ家の直系はシグレしか残らなかったから、なんとかキャスパリーグ伯はランゲツの力を手元に従えさせたい、と掌を返したのだろう。
誰も彼もよくぞシグレに叩っ斬られなかったものだと、憐れみさえ覚え、呆れているキキョウにソウマの当主は卑屈な笑みを浮かべ、鼻で笑った。
『そのランゲツ家の当主はお前との縁談を了承したぞ』
『は……?』
何を言われたのかわからなくて、急に足元から血が抜けて冷えていくような心地だった。
キキョウは、シグレのことを兄の様に、あるいは、父の様にさえ思っていた節もあった。
ロクロウをからかい不機嫌にさせる様なことをして、気まずい思いこそすれ、徒にキキョウを傷つけよとするわけではなかった。
だから断ると思っていたどころか、そんな“もしも”すら、全く頭になかったのだ。
ずっと、そういう風に見られていたのだろうか。
ついさっきまでそんな小細工を嫌う男だとわかっていたのに、それを思い出せるような精神状態でいられなくなったキキョウは、坂を転げ落ちるようにひたすら思考を暗い方へと巡らせてしまった。
当主と父だった者に、悍ましい異形の貌が重なって見える。
この家には、キキョウという存在を尊重し、見てくれる者はいない。
だからあの日、ロクロウが手を取ってくれたことが、何よりも嬉しかった。
ロクロウはそのことを覚えていなかったけれど、でも、気まぐれにすぎない何気ない行いだったからこそ嬉しくて、救われて心通わせて。
けれど、そのロクロウも、最後はキキョウの手を放してしまった。
“もう我慢しなくていいのよ?”
頭の中で母の言葉が何度も反復する。
『な……!?ごう……!?』
『ひる……こ……せ!』
う る さ い